黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

マカベウスのユダ(「ユダヤ人の歴史」を読んで目からうろこの件)

2024-10-26 12:35:44 | 歴史

「ユダヤ人の歴史」を読んでいる。子供の頃ワケも分からず覚えた名前だとか、音楽関係で耳にした名前がいくつか登場して、あー、そうだったのかの連続である。例えば、

ユダヤの物語にときどき「ペリシテ人」が登場するが、「パレスチナ」の語源はこの「ペリシテ」だという。

ダヴィデ王のとき隆盛を誇ったユダヤ王国は後に北部のイスラエル王国と南部のユダ王国に分裂したのだが、そのうちのイスラエル王国に現れたアハブ王の妻のイゼベルがフェニキア出身で、偶像崇拝(ユダヤ教では御法度)のバール教を導入し、それに預言者エリアが強く反発した話は、メンデルスゾーンのオラトリオ「エリア」を歌った際にお勉強したが、そのイゼベルが宦官によって城門からほっぽり投げられて死んだ話は知らなかった。メンデルスゾーンのオラトリオがそこまで描いてないもんで。旧約聖書を全部読んでる人はご存じなのだろう。なお、旧約聖書では、イゼベルの死体は馬に踏まれ、犬に食われたとある。私は、そのオラトリオの中のイゼベルの役を歌った者である。

中学のときの世界史の参考書に「チグラトピレセル」という王様の名前が出てきて、私はどうにもこの名前が覚えられなかったが、意地になってがんばってようやく覚えたら、半世紀経った今でも記憶に残っている。苦労した覚えたことは忘れないものとみえる。だが、そのチグラトピレセル(現在、一般には「ティグラト……」と表記される)が、前記のイスラエル王国を滅ぼしたアッシリアの王様であることは初めて知った。

こないだレーザーディスクで見たヴェルディのオペラ「ナブッコ」では、ナブッコがヘブライ人(ユダヤ人)を征服するが、その後ヘブライの神を賛美する側に回って「真の王様」になる。だが、史実では、ナブッコは新バビロニアの王ネブカドネザルのイタリア語読みであり、イスラエル王国滅亡後もかろうじて続いていたユダ王国を滅ぼし(オペラはこの事件を扱ったものである)、バビロンの捕囚(ユダヤの民を新バビロニアの首都バビロンに強制連行したこと)の張本人であった(この結末はオペラとはまるっきり異なる)。

スポーツ大会の表彰式でよく流れる音楽(♪ソーミーファソードー、レミファソファーミーレー)は、ヘンデルのオラトリオ「マカベウスのユダ(ユダス・マカベウス)」の音楽だってことは知っていた。その「マカベウスのユダ」は歴史書では「マカベアのユダ」と呼ばれていて、ユダ王国の滅亡(前記)によって消滅したユダヤ人の国家を一時的に再興した人だって話は初耳だった(そもそも、ユダヤ人の国家が一時的に再興したことを知らなかった)。あれ?そう言えば、そのオラトリオを近年歌ったぞ。♪ ソーミーファソードーも歌ったぞ。じゃ、あの音楽って、ユダヤ国家再興を喜ぶ音楽だったの?どうやらそうらしい。どうやら……って、そんなことも知らずに歌ってたの?はい、そーでげす。

 

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「ユダヤ人の歴史」

2024-10-18 07:50:04 | 歴史

ヴェルディのオペラの「ナブッコ」とはユダヤ人を捕囚とした新バビロニア王国のネブカドネザル2世のイタリア語読みであるが、このオペラに偶像崇拝の「ベル神」という言葉が出てくる。そう言えば、メンデルスゾーンのオラトリオでは古代ユダヤの予言者エリヤが偶像崇拝の「バール神」を徹底的に敵視していたが、「ベル神」と「バール神」ってもしかして……当たり、同じだった(さらに別の呼び方もあるそうだ)。

それにしても、ユダヤ人は少数民族だしユダヤの国家は小国である。にもかかわらず、イスラエルの名はニュースでしょっちゅう聞くし、その物語はオペラ等々の題材となるし、唯一神を信じるその宗教は世界中の多神教を圧倒した。なぜだろう、ユダヤの歴史を勉強してみたいな、と思ってたら「ユダヤ人の歴史」というおあつらえ向きの本を見つけたのでキンドルでダウンロード。早速読み始めた。すると、はしがきに「どうして彼ら(ユダヤ人)は他国の人々にそこまで嫌われ」という記述があった。

それで思い出した。私がユダヤ人の名を最初に目にしたのは、多分、最初に買ってもらったクリスマス・プレゼント(母は、「サンタクロースなどいない。プレゼントは親が買ってやるものだ」と最初から言っていた)である「紅はこべの冒険」という小説であり、その中に「フランス人は、ユダヤ人が、だいきらいです」というくだりがあった(今見ると、子供向けなのに随分と刺激的な文章である)。

その後は、テレビで見た映画かなんかで、あるアメリカの著名人が自分がユダヤ人であることを公表した後、しばらく経って「私は、この○週間(だったかなんだかとにかく一定期間)ユダヤ人だった」という原稿を書いて、それを見てびっくりした秘書に対して「なぜ驚くんだ、私は何も変わってないのに」と問い詰めるシーンがあって、ユダヤ人のアメリカにおける立場の微妙なことに思いがいったのである。

それでも、財力はあるんだなー、だからアメリカの政治家はユダヤ人に配慮せざるを得ないんだなー、と感じたのは、映画「愛と哀しみのボレロ」を見たとき。カラヤンをモデルにしたとされる元ナチスのドイツ人指揮者がアメリカ公演に赴き、本番のステージに上がると、客席にいるのは二人のユダヤ人の富豪だけ。公演を妨害するために全客席のチケットを買い占めたのである。そのユダヤ人がぱち、ぱちと拍手をする様子が皮肉であった。

「ユダヤ人の歴史」は、そうしたユダヤ人の歴史を勉強する格好の教材となりそうである。これまで、やまほど旧約聖書からとった歌詞を持つ合唱曲を歌ってきながら、その歴史の探索をおろそかにしていた。ここで取り返そうと思う。

因みに、私は宗教合唱曲を歌ってきたがクリスチャンではない。そんなものである。例えば、バッハの愛好家から聖地のように崇め奉られているライプチヒのトーマス教会の聖歌隊のメンバーの半数はクリスチャンではないそうだ。

因みの因みに、その昔、イザヤ・ベンダサンって人が書いた「日本人とユダヤ人」という本を読んだ。両民族の似てるところと違うところを書いた本だった。面白かった。私にこの本を薦めた父は、死ぬまでイザヤ・ベンダサンをユダヤ人と信じていたようである(実は日本人である)。

コメント (2)
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