黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

色の白いは七難隠さず/アナトリアは半島か?/トルコ人はアジア人?

2024-11-11 08:54:01 | 歴史

前回、色の白いルチア・ポップがすっぴんでいるとのっぺらぼうみたいだ、と誰かが書いた、と書いた。言っておくが、ルチア・ポップはオペラ歌手の中でも可愛さランキングでは3本の指に入る美形である(私見)。そんなルチア・ポップをつかまえて「のっぺらぼう」に擬した表現が印象的だったのである。

日本人は「色の白いは七難隠す」とか言うが、白いは白いで大変そうである。世界中の人間はそのルーツをたどるとアフリカの一人の女性にたどり着くと言う。そこまで遡らなくとも、例えばインドヨーロッパ語族は黒海とカスピ海の辺りがルーツで、そこからあちらこちらに散らばって行ったのである。そうして、行った先の気候に合うように皮膚の色を変えていったのである(気候に合った皮膚を持った人が生き残ったのである)。だから、淡い陽の光の中では美しく映える北欧の人が日本の夏の猛暑の中で皮膚を真っ赤に染めて苦しがってる様などを見ると大変だなー、と思う。かようなことであるから、別に色の白い人を見て羨む必要はない。大谷選手ではないが「憧れるのをやめましょう」である。中南米かどこかの国の民話では、太古の昔、神様は人間を炉で焼いて作ったのだが、焼き損なったのが白人で、ちょうどよく焼けたのがその国の人、とされている。それはそれで白人差別で今日ではいかがなものか?という気もするが、むやみに白人を憧れない態度は立派である。

インド人(北部)のルーツがヨーロッパ人と同じという事実は、当初、アジア人をバカにしていたヨーロッパ人にはショックだったそうである。私は、地理的にうーんと離れたインドとヨーロッパになぜ同系列の人間がいるのかが不思議だったが、黒海やカスピ海辺りがルーツと聞いてガテンがいった。なるほど、そこから南下すればインドだし、西進すればヨーロッパである。

黒海と言えば、その南岸にあるのがトルコだが、トルコについて二つのことが気になっている。

一つはトルコ国が在る地について。アナトリア半島と言うのだが、英語圏では「半島」を付けないそうだ。黒海を「海」と考えると、アナトリアは三方を海に囲まれていて「半島」ぽいが、黒海を内陸の内海(びわ湖をでかくしたもの(でかくなりすぎだが))と考えると、海に面しているのは西と南西だけで半島とは言えなくなる。

もう一つはそこに住んでる人々について。トルコ人は世界史で習った突厥(中国の北方民族でたびたび中国を脅かした)の末裔だと聞いたことがある(ような気がする)。中国の北ならアジア人である。だが、あまりそのようには見えない。調べてみると、テュルク人(突厥もトルコも「テュルク」が訛った言葉で同義)はユーラシア大陸の北東から南西にいたって幅広く分泌しており、北東と南西では遺伝子情報がかなり異なり、北東ではアジア因子が強いが南西ではヨーロッパ因子が強いそうである。だから、トルコ人をつかまえて、あんたはバタくさい顔をしとるけどホントは俺たちと同じなんやで、とか言って無理やり同族にしてはいけないのである(仲良くするのは良きことである)。

因みに、私は、最近アフリカ系の人がきれいに見えて仕方がない。ドイツのニュース番組のキャスターの中で私が一推しなのはヤナ・パライゲスさん。お父様がアフリカ系とのことで、その美しさには息を呑む。

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マカベウスのユダ(「ユダヤ人の歴史」を読んで目からうろこの件)

2024-10-26 12:35:44 | 歴史

「ユダヤ人の歴史」を読んでいる。子供の頃ワケも分からず覚えた名前だとか、音楽関係で耳にした名前がいくつか登場して、あー、そうだったのかの連続である。例えば、

ユダヤの物語にときどき「ペリシテ人」が登場するが、「パレスチナ」の語源はこの「ペリシテ」だという。

ダヴィデ王のとき隆盛を誇ったユダヤ王国は後に北部のイスラエル王国と南部のユダ王国に分裂したのだが、そのうちのイスラエル王国に現れたアハブ王の妻のイゼベルがフェニキア出身で、偶像崇拝(ユダヤ教では御法度)のバール教を導入し、それに預言者エリアが強く反発した話は、メンデルスゾーンのオラトリオ「エリア」を歌った際にお勉強したが、そのイゼベルが宦官によって城門からほっぽり投げられて死んだ話は知らなかった。メンデルスゾーンのオラトリオがそこまで描いてないもんで。旧約聖書を全部読んでる人はご存じなのだろう。なお、旧約聖書では、イゼベルの死体は馬に踏まれ、犬に食われたとある。私は、そのオラトリオの中のイゼベルの役を歌った者である。

中学のときの世界史の参考書に「チグラトピレセル」という王様の名前が出てきて、私はどうにもこの名前が覚えられなかったが、意地になってがんばってようやく覚えたら、半世紀経った今でも記憶に残っている。苦労した覚えたことは忘れないものとみえる。だが、そのチグラトピレセル(現在、一般には「ティグラト……」と表記される)が、前記のイスラエル王国を滅ぼしたアッシリアの王様であることは初めて知った。

こないだレーザーディスクで見たヴェルディのオペラ「ナブッコ」では、ナブッコがヘブライ人(ユダヤ人)を征服するが、その後ヘブライの神を賛美する側に回って「真の王様」になる。だが、史実では、ナブッコは新バビロニアの王ネブカドネザルのイタリア語読みであり、イスラエル王国滅亡後もかろうじて続いていたユダ王国を滅ぼし(オペラはこの事件を扱ったものである)、バビロンの捕囚(ユダヤの民を新バビロニアの首都バビロンに強制連行したこと)の張本人であった(この結末はオペラとはまるっきり異なる)。

スポーツ大会の表彰式でよく流れる音楽(♪ソーミーファソードー、レミファソファーミーレー)は、ヘンデルのオラトリオ「マカベウスのユダ(ユダス・マカベウス)」の音楽だってことは知っていた。その「マカベウスのユダ」は歴史書では「マカベアのユダ」と呼ばれていて、ユダ王国の滅亡(前記)によって消滅したユダヤ人の国家を一時的に再興した人だって話は初耳だった(そもそも、ユダヤ人の国家が一時的に再興したことを知らなかった)。あれ?そう言えば、そのオラトリオを近年歌ったぞ。♪ ソーミーファソードーも歌ったぞ。じゃ、あの音楽って、ユダヤ国家再興を喜ぶ音楽だったの?どうやらそうらしい。どうやら……って、そんなことも知らずに歌ってたの?はい、そーでげす。

 

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「ユダヤ人の歴史」

2024-10-18 07:50:04 | 歴史

ヴェルディのオペラの「ナブッコ」とはユダヤ人を捕囚とした新バビロニア王国のネブカドネザル2世のイタリア語読みであるが、このオペラに偶像崇拝の「ベル神」という言葉が出てくる。そう言えば、メンデルスゾーンのオラトリオでは古代ユダヤの予言者エリヤが偶像崇拝の「バール神」を徹底的に敵視していたが、「ベル神」と「バール神」ってもしかして……当たり、同じだった(さらに別の呼び方もあるそうだ)。

それにしても、ユダヤ人は少数民族だしユダヤの国家は小国である。にもかかわらず、イスラエルの名はニュースでしょっちゅう聞くし、その物語はオペラ等々の題材となるし、唯一神を信じるその宗教は世界中の多神教を圧倒した。なぜだろう、ユダヤの歴史を勉強してみたいな、と思ってたら「ユダヤ人の歴史」というおあつらえ向きの本を見つけたのでキンドルでダウンロード。早速読み始めた。すると、はしがきに「どうして彼ら(ユダヤ人)は他国の人々にそこまで嫌われ」という記述があった。

それで思い出した。私がユダヤ人の名を最初に目にしたのは、多分、最初に買ってもらったクリスマス・プレゼント(母は、「サンタクロースなどいない。プレゼントは親が買ってやるものだ」と最初から言っていた)である「紅はこべの冒険」という小説であり、その中に「フランス人は、ユダヤ人が、だいきらいです」というくだりがあった(今見ると、子供向けなのに随分と刺激的な文章である)。

その後は、テレビで見た映画かなんかで、あるアメリカの著名人が自分がユダヤ人であることを公表した後、しばらく経って「私は、この○週間(だったかなんだかとにかく一定期間)ユダヤ人だった」という原稿を書いて、それを見てびっくりした秘書に対して「なぜ驚くんだ、私は何も変わってないのに」と問い詰めるシーンがあって、ユダヤ人のアメリカにおける立場の微妙なことに思いがいったのである。

それでも、財力はあるんだなー、だからアメリカの政治家はユダヤ人に配慮せざるを得ないんだなー、と感じたのは、映画「愛と哀しみのボレロ」を見たとき。カラヤンをモデルにしたとされる元ナチスのドイツ人指揮者がアメリカ公演に赴き、本番のステージに上がると、客席にいるのは二人のユダヤ人の富豪だけ。公演を妨害するために全客席のチケットを買い占めたのである。そのユダヤ人がぱち、ぱちと拍手をする様子が皮肉であった。

「ユダヤ人の歴史」は、そうしたユダヤ人の歴史を勉強する格好の教材となりそうである。これまで、やまほど旧約聖書からとった歌詞を持つ合唱曲を歌ってきながら、その歴史の探索をおろそかにしていた。ここで取り返そうと思う。

因みに、私は宗教合唱曲を歌ってきたがクリスチャンではない。そんなものである。例えば、バッハの愛好家から聖地のように崇め奉られているライプチヒのトーマス教会の聖歌隊のメンバーの半数はクリスチャンではないそうだ。

因みの因みに、その昔、イザヤ・ベンダサンって人が書いた「日本人とユダヤ人」という本を読んだ。両民族の似てるところと違うところを書いた本だった。面白かった。私にこの本を薦めた父は、死ぬまでイザヤ・ベンダサンをユダヤ人と信じていたようである(実は日本人である)。

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