黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

黒鳥の湖

2025-03-09 11:31:43 | 音楽

バレエ「白鳥の湖」には白鳥と黒鳥が出てきて、同じプリマが一人二役で踊ることが普通だが、初演時は別人が踊ったし、今でも二人で役を分けることがないとは言えない。さあ、その場合が問題である。どちらがヒロインなのだろう?そりゃあ、筋から言えば悲劇のヒロインと言うくらいだから白鳥がヒロインで黒鳥は仇役なのだが、最大の見せ場を踊るのは黒鳥なのである。すなわち、グラン・パ・ド・ドゥ(男女二人で決められたフルコースを踊る踊り)で、同じ所で32回連続でくるくる回る(フェッテを32回連続でする)という離れ業を演じ、観衆から最大の拍手をもらうのは白鳥ではなく黒鳥なのである。

それはこんな感じである。フルコースもいよいよ大詰めになり、料理なら肉が出てくる頃、舞台には王子と黒鳥が登場し、まず王子が踊り、途中から黒鳥が舞台中央に進んでくるくる回り始める(フェットを始める)。それが32回続くのである(実際は、下の楽譜の「フェッテ開始位置」より少し早く回り始める)。

曲は、まだ全然途中。だが、必ず盛大な拍手が起きて(こけても起きるかどうかは、こけたのを見たことがないから知らない)、曲が中断し、プリマは観衆の喝采に応える。オペラで言えば、ハイCを何連発も繰り返すようなもの。黒鳥にこれをやられちゃえば白鳥もかたなしである。だが、筋から言えば黒鳥は仇役。だから、どっちがプリマなの?という疑問が湧くのである。

このシーンの音楽は組曲に入ってない。純粋な音楽としては組曲に加えるほどのものではない、ということか。私などは、イントロのズンタズンタが始まると、その後「32回」が来ることが染みついているから、梅干しを観るだけで唾液が出るごとく血湧き肉躍るのであるが。

ところで、王子の名はジークフリート、ってことは舞台はドイツである。ドイツを舞台にしたバレエをロシア人が作る、か。ちょっと意外な感じがするが、ロシアのドストエフスキーの小説などにもドイツ人がたくさん登場したっけ。

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コラールの成り立ちVol.12カンタータ第33番

2025-03-03 16:50:29 | 音楽

カンタータを歌う会の次回のお題は第33番(BWV33)。相変わらずコラールを基にしたコラール・カンタータである(ただ、前回までのBWV113、BWV101、BWV94等のように全編コラールのメロディーだらけというのとは異なり、コラールのメロディーが聴けるのは両端の二曲のみである)。

直近の過去3回のカンタータ(BWV94,101,113)が書かれたのはいずれもバッハがライプチヒのトーマス教会のカントル(音楽監督)に就任して2年目の年(1724年)であり、使用用途は、三位一体の主日後の第9主日用、第10主日用、第11日主日用であった(「三位一体の主日」についてはVol.9参照)。
ところが、次回のBWV33は同じ年の第13主日用である。ありゃ?第12主日が抜けてる?バッハは就任した年(1723年)に第12主日用のBWV69aを書いてるから、2年目はそれは使ったのだろう。前回まで続いてきた大作に比べるとBWV33は若干こじんまりしている。多忙だったのだろうか?お疲れだったのだろうか?なお、バッハは、翌年(1725年)と翌々年(1726年)には、第12主日用の新曲を書いている(BWV137,35)。

【元曲の賛美歌】
では源流探しの旅に入る。BWV33の元曲は、コンラート・フーベルト(注1)のカンタータと同名の賛美歌「Allein zu dir, Herr Jesu Christ 」であり(以下「本件賛美歌」という)、こういう曲である(本来は第4節を歌詞とする第6曲に第1節をあてはめた)。

「フーベルトの」と言った場合、賛美歌の常の通りフーベルトが作詞したという意味である。この時代、詩が重要であることは賛美歌に限らない。例えば、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」でベックメッサーがハンス・ザックスの創作だと思って盗んだ「歌」はメロディーではなく詩である。歌合戦の場では、その詩にベックメッサーとヴァルター・フォン・シュトルツィングが各々のメロディーを付けて歌うのである。その際、ベックメッサーはちゃんと覚えきれずにヘンテコな歌詞で歌って聴衆から大笑いされるのだが、そのベックメッセーがヘルマン・プライだったりすると特に出だしなどは大層高尚な歌に聞こえてしまうのはストーリー泣かせである)。

【メロディー】
では、本件賛美歌のメロディーは?ウィキペディアのドイツ語版(英語版も同じ)は、「作者不詳」としながら、他方で「クラウス・ホフマン(注2)によると、パウル・ホフハイマー(注3)が世俗曲のために書いた」とある。「不詳」じゃないじゃん、って感じだが、こういうところが別の書き手がどんどん加筆していくウィキペディアらしいところである。そう言えば、前回のBWV113のメロディーに関する疑問について進展はない(ほとんど忘れてたりして)。

【BWV33の構成】
本件賛美歌は4節から成り、第1節は第1曲に、第4節は終曲(第6曲)にそのまま使われ、間の第2,3節は、第2~5曲用にパラフレーズされている。すなわち、次のとおりである。
第1曲は合唱。歌詞は第1節。メロディーは本件賛美歌を3拍子にアレンジしたもの(コラールファンタジー)。オケは思いっきり短調ぽく始まるのだが、合唱がコラール・アレンジを歌い始めると長調の要素が混ざってくる。
第2曲はバスのレチタティーヴォ。
第3曲はアルトのアリア。
第4曲はテナーのレチタティーヴォ。
第5曲はテナーとバスの二重唱。
第6曲は合唱が歌うコラール。歌詞は第4節。メロディーは本件賛美歌のもの。

【支流探し】
本件賛美歌のメロディーは、セトゥス・カルヴィシウス(注4)、ミヒャエル・プレトリウス(注5)その他作曲家によって利用されている。

以上の源流から下流に至る流れを図にしたのが下図である(今回はシンプルである)。

以上である。

注1:Konrad Hubert(1507~1577.4.13)
注2:Klaus Hofmann(1939.3.20~)。音楽研究者。
注3:Paul Hofhaimer(1459.1.25~1537)
注4:Sethus Calvisius(1556.2~1615.11.24)
注5:Michael Praetorius(1571.2.15~1621.2.15)

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椿が香る下総の国で高齢者に席を譲った高齢者のお話

2025-03-02 22:17:15 | 音楽

私の23区の現住所は中川の右岸(西側)にある。太古の昔、利根川の河口が東京湾にあってその流れが武蔵の国と下総の国の境であったところ、その中流から下流にかけてはほぼ現在の中川の流路であったから、私の現住所は武蔵国の領内であり、そこから下総の国に行くには川を渡っていかねばならない。

そうやって今日、中川(太古の利根川)と江戸川(近代において一瞬利根川の本流になった)を渡って下総の国に行ったのは、某美女先生とそのお弟子さんの美女様と美男様が出演する歌の催しを聴きにいくためであった。

ホールに行く道すがら、椿が芳香を道にまき散らしていた。

で、その催しであるが、美女先生とお弟子さんたちのアカペラのコーラスがあり、美女先生のソロがあり、重唱もありのもりだくさん。複数の川を越えて下総の国にまで出かけていった甲斐があるというものであった。

因みに、観客席の最後列に座っていたら、主宰者が私に、席のない高齢者に席を譲れと催促。はいー、喜んで、すくっと立って譲りましたとも!だが、考えてみれば、私だって法律上は高齢者である。老々介護ならぬ老々席譲りとでも言うべきか。まあ、だが若く見られたのであるから喜ぶべきであろう。実際、「すくっ」と立ったわけだし。思うに、席を譲らる方か譲られる方かの境目は数字の年齢ではない。「すくっ」と立てるかどうかである。

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何かがずれてドツボにはまる件(スポーツも楽器も)

2025-02-28 12:18:07 | 音楽

あさイチのゲストで登場した小芝風花を最初に見たのはかつての朝ドラ「アサがきた」のヒロインの娘役だった。あのときは、子供子供していたように思えたが、今やってる大河ドラマではえらく色っぽい顔つきである。人の顔は20代でも変化するものだ、ということはアナウンサーの顔を見てても思うことである。

その大河で描かれた「花魁道中」には歩き方の「型」があるらしく、それを小芝風花が見事に体現していた。この人は、若い頃フィギュアスケートをやっていてオリンピックを目指していたそうだから、そうした「型」を体現するのは得意なのだろう。と言っても、並みの人間ができることではない。生まれつきの才能と厳しい鍛錬の賜物であろう。

番組では小芝風花の子供時代のフィギュアスケートをする映像が紹介されていて、何回転ジャンプとかをくるくる回っていてすごかった。だが、この何回転ジャンプとやらは、回転数の多いヤツになるといつでもできるというわけではないそうで、練習ではできたけど本番で失敗したとかの話をよく聞く。一度出来たヤツが次にできなくなるのは不思議である。タイミングとか何とかが微妙にずれてくるのであろうか。フィギュアスケートに限った話ではない。大谷選手だって不調の時期がある。ものすごい量の練習をしているであろうトップアスリートでもそういうことが起こりうるのである。

ということを、私は自分への慰めにしている。というのも、音楽の練習をしてて、昨日はあんなに上手くできた(歌えた、吹けた、弾けた)のに今日はメタメタ……どころか、ついさっき上手くできたのに数分後にはメタメタということがよくあるからだ。やっていくうちに何かずれてくるのだろう。めげそうになるが、トップアスリートでさえそういうことがあるのだから基礎に立ち返って取り戻す以外に途はない、と思い直すのである。

中学のときの陸上部の先生は、練習で上手くいくとそこでストップさせてそれ以上やらせなかった。良い感覚のまま留めるのがよいという考えだろう。私などは、もっともっと繰り返したかったが(「練習はウソをつかない」とも言う)、続けるうちにタイミングがずれてきて、むきになって続けて、ますますずれていってドツボにはまったかもしれない(現在始終体験していることである)。

子供の頃の私は、一本足打法の王選手には不調なんかないと思っていて、読んでた野球マンガ(「巨人の星」ではない)に「王選手が最近不調」というくだりがあって、このマンガは嘘つきだ、と思ったものである。その王選手に一本足打法を教えたのが昨日の放送で亡くなったヒロインのおじいちゃんということになっているらしいが(今ドラ)、これは間違いなく嘘である。王選手に一本足打法を教えたのは荒川コーチである。

今日のあさイチに視聴者が送ってきた大河ドラマの花魁の衣装の絵は、実物と寸分違わなかった。着るモノについて無知蒙昧である私からすれば神業である。人間、それぞれ得意な分野があるものである。

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移調譜を移調して吹いた話

2025-02-04 18:50:00 | 音楽

カーサ某(和名=クラシックの家(未知の言語の解読はかように同義の言葉を並べて比較することによって行われる))で久しぶりにチケットがとれてオーボエを吹いたのだが、失態をしでかした(人生そのものが失態であるがそれはそれとして)。すなわち、ある合唱曲のオーボエパートを吹くつもりで持参したのがクラリネット用の移調譜だったのである。だから、B♭管クラリネット用に移調した楽譜を、逆にC管のオーボエ用に移調しながら吹く羽目に陥った(Cで書かれた楽譜をその場で移調しながら吹くことはたまにあるが、逆にB♭の楽譜をCに移調しながら吹くのは初めてである)。

そのカーサ某で私はいつも赤ワインのボトルを注文するのだが、その赤ワインがこれまでのイタリアワインからフランス・ボルドーのオーガニックに変わっていた。

タンニンの効きといい、明らかにボルドーである。私はボルドーが大好物。だから、勘定時に店長から「赤ワインはどうでしたか?」と聞かれたときは、美味しかったとの感想を心の底から述べた。

さて、オーボエの話の続きである。なぜ、オーボエを吹いたのか、そして、なぜクラリネット用の移調譜があったかと言うと、実は、某合唱団の本番でとりあげる曲にオーボエの出番があり、その団の面倒を見ているピアニストさんから吹かないか?と打診があり、私はクラリネットで代用してよいのなら、ということでお引き受けしたのだが、当該ピアニストさんがオーボエはダメか?と再三聞くし、私自身もオーボエの音が好きでその曲はやはりオーボエで吹きたいという気持ちがあったから試してみたかったのである。だが、カーサ某ではそんな具合だったから決心に至らず。そこで、数日後のカンタータを歌う会の合間の「ソロ・コーナー」(好きなソロ曲を歌い、又は演奏できる)で、今度はちゃんとオーボエ用の楽譜で試してみたら、ピアニストさんから「行けるんじゃない?」とのGOサインが出たのでオーボエを吹くことが決まったわけである。

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