黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

アウローラ・アンサンブルのコンサート/レインボーブリッジ

2024-11-14 11:04:08 | 音楽

アウローラ・アンサンブルのコンサートを聴きに、豊洲に行ってきた。

今流行の「推し活」的に言えば、私はアウローラ・アンサンブルが一推しである。

このアンサンブルを最初に聴いたのは6年前、下総の国の白井町でのことであった(この年が、私の白井デビュー初年)。ピアニストのY先生がお仲間と開かれる勉強会という名のコンサートを聴きに行ったのだが、独唱あり、重唱あり、独奏あり、室内楽ありの盛りだくさんで多いに楽しんでいるうちに、いよいよ残すはあと一曲。唯一の弦楽四重奏で、曲はメンデルスゾーンのOp44-1の第3、第4楽章。最初の音で私はいちころ。ええええーっ?なにこれ。すごい。最後にえらいのが残ってたと思ったのがアウローラ・アンサンブルであった。こりゃお金払ってでも聴きたい……と思ったら、お金を払って聴きに行くチャンスはすぐに訪れた。ほどなく、このアンサンブルは、豊洲で2年に一度コンサートを開くようになったから。2年に一度で今回4回目だから、「6年」は計算が合う。

Y先生もこのアンサンブルのメンバーであらせられ、ピアノ入りの室内楽ではその腕前を披露されている。当然、私は、毎回チケットを買っている。「必ず聴いている」ではなく「買っている」と書いたのは、一回だけ、チケットが家の中で行方不明になり探してるうちに時間が過ぎて結局行けなかったことがあったから。たいそう残念であると同時に、狭く逃げ場のないわが家のどこに隠れたんだろう、神隠しにでもあったか?といぶかしがっていた。発見したのはだいぶ経ってから。先代の猫の骨壺の脇にはさまっていた。ここなら見つからないのも無理はない。と、次に湧いた疑問は、いったいなぜあんなところに入り込んだのか。それはいまだに不明である。まあ、人間(特に酔っ払い)のやりそうなことである。かつての朝ドラ「半分、青い」では、トヨエツ演じる漫画家が原稿を冷蔵庫に入れていた。

今回のコンサートも、とーーーっても良かった。今回は、特に選曲が面白かった。ここは毎回ゲスト演奏家を招いていて、今回はクラリネット。両端に、モーツァルトの「狩り」とブラームスのピアノ五重奏曲Op34と言った定番を配しつつ、まんなにか、ブルッフの「8つの小品」(ピアノ、クラリネット、ヴィオラ)と、メノッティの「ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのための三重奏曲」が置かれていて、この二組の三重奏曲のいずれも、左右に対置されたクラリネットと弦(ヴィオラ又はヴァイオリン)が対話をするその真ん中に狂言回し役のピアノが鎮座する、という構図であった。

メノッティは現代の作曲家で、その代表作はオペラ「電話」。子供の頃、日本語で歌われたのをテレビで見た。ソプラノ歌手が誰かとしきりに電話で話していた。そのときの様子を思い出しながら、クラリネットと弦の対話に勝手に台詞のイメージをつけて聴いていた。「電話」のときは相手の声は聞こえなかったが、今回は、対話の二人のどっちの言い分も聞けるわい!と思った(台詞はないって言ってるのだが)。

モーツァルトとブラームスではアンサンブルの妙を楽しみ、中の二組の三重奏では各人のソリストとしての力量を見せつけられた。上手な人は、かようにソロとアンサンブルを弾き分けるんだなー。

久しぶりに「ホントの」クラリネットの音を聴いた気がした。いつも自分が吹く音しか聴いてないので。そんなことを言ったらヴァイオリンとチェロだってそうだろうって?いや、これらはもはや「in a galaxy,far,far away」の世界なので「ホント」「ウソ」を通り越している。

ヴィオラについては指一本触れたことがない。だが、毎度、ここに来るとヴィオラをいじりたくなる。

「オーロラ姫」って「アウローラ」って発音するってことは、アンジェリーナ・ジョリー主演の「マレフィセント」を見て知った。

今回のホールの舞台の背面はガラス張りで、レインボーブリッジが遠くに見える(冒頭の写真)。位置関係はこの通りである。赤矢印が客席の視線の向きである。

せっかく海っ縁に行くんだし、時間に少し余裕があったから有楽町線の豊洲駅の一つ前の月島駅から30分歩いた。月島埠頭→晴海埠頭→豊洲埠頭と三つの埠頭を股にかけた。

写真は晴海埠頭から豊洲埠頭に渡る橋から北側を撮ったもの。ちょうど隅田川とそれに架かる諸橋が正面に見える角度で、遠くにスカイツリーが見えている。

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「いろいろ」で良かったリート会

2024-11-05 14:39:47 | 音楽

昨日はリート会だった。九人のアマチュア歌手が、一人15分以内の持ち時間で歌曲を歌ってお客さんに披露する会(入場無料)。ピアノ伴奏は鈴木架哉子さん。「歌曲」と銘打ってるからオペラアリアはだめ、ただし言語は問わず、日本語、ドイツ語、フランス語といろいろ。声種もソプラノ、アルト、カウンター・テナー、テナー、バスといろいろ。タイプもリリックだったりドラマティックだったりでいろいろ。面白い会だった。会場もこぢんまりしたいいホールだった。

個人でリサイタルを開くんならこういう場所がいいと思った。で、痴人(知人)のカウンター・テナー氏なんだけど、ずっと暗譜で歌うといきまいてたのだけど、全部有節歌曲(同じメロディーを歌詞を変えて繰り返す)なこともあって、どうにも自信が持てず、結局、歌詞を書いたアンチョコを用意して、それを譜面台に乗せて歌っていた。

字をうーんと大きくしたところに歳に抗う様子が見える。まあ、完全に暗譜というわけにはいかなかったけど、暗譜に取り組んだ過程でいろいろ勉強になったと強がっておりました。

「歳」と言ったけど、参加者の中にはカウンター・テナー氏なんか足下にも及ばない人生の大ベテランがいらして、たしかこの方、80歳を超えてたよな、と思って歳をうかがったら、なんと80歳を超えてから8年が経っていた。それで、しっかりベートーヴェンの歌曲集を歌い切っておられた。お元気の秘訣を伺うと「もってうまれたもの」と仰ってた。この方に比べたら、カウンター・テナー氏なんか子供と同じ(実際、親と子ほどの歳の差である)。日頃、この歳でカウンター・テナーを歌うって大変なんだ、と歳のせいにする氏だけど、もうそんな言い訳は通用しないね、こんな大ベテランを間近に見たら。

打上げにはお客さんも参加してよいとのこと。

湖南料理の店で、当たりだった。カウンター・テナー氏が見つけた店だそうだ。

近くに江東橋という橋があって、下の川は埋め立てられてるんだけど、親水公園になっていた。水と言えば、ここにもいたいたサギが。

オレオレサギはいたら迷惑だが、こっちのサギはいてくれると嬉しい。

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カラヤン嫌いの音楽評論家が自らのタクトで示した「音楽性」

2024-10-25 07:54:39 | 音楽

そのカール・ベームこそは、私が人生で最初に買ったクラシックのレコードの指揮者だった。ウィーン交響楽団(ウィーン・フィルではない)との第九だった。選んだ理由は900円だったから。当時、LPは1枚2000円だったが、「廉価版」は1000円。私の財布には900円しか入ってなかったが、なぜか900円でも買えるはずという根拠のない自信を胸に町のレコード屋に行ったらあった!文字通りなけなしのお金で買ったレコードであった。しかも900円の第九は二種類あった。なぜそのときベーム盤を選んだか?当時、クラシックの演奏家に関する知識はゼロ。良し悪しが分かる道理がない。ただ、ベームじゃない方のジャケットはレコードを入れるだけの薄いモノだったのに対し、ベーム盤は見開きでありがたみがありそうだった。だからである。

その見開きにたっぷり解説を書いていたのが某音楽評論家氏。運命の出会いであった。氏は、ベームの演奏なのに不思議とカラヤンとやらのことばかり書いていた。すなわち、当時「帝王」と呼ばれていたカラヤンをけなしてベームを持ち上げるという手法をとっていたのである。その内容はこうである。カラヤンの音楽は表面がきれいだが、昔から「巧言令色仁少なし」という。その点ベームの音はごつごつしている、だから良い云々……その巧みな解説にいたいけな子供はすっかり洗脳された(その解説こそが「巧言令色」と言えたりして)。その後知ったことだが、氏は有名なアンチ・カラヤンであった。少なくとも10代の間、私は、氏の教えに忠実なアンチ・カラヤンであった。

だが、洗脳から脱するときが来た。それは、カラヤン指揮のベルリン・フィルをサントリー・ホールで生で聴いたときである。その余りにゴージャスな音に私は第一ラウンド開始1秒でノックアウトを喰らった。これほどの「令色」であれば仁などなくったっていい、という心境であった。因みに、氏も同じ演奏を聴いたと知った私は、さすがの氏も褒めざるを得ないだろうと思ったら、氏の感想は「余りにも輝かしすぎる」であった。言うにことかいて、とは思ったが、結局、「きれい」と「ごつごつ」のどっちが好きかは好き好きである。氏は、とことん見かけではなく中身(「精神性」という得体の知れないもの)がお好きなのだ。ジーパンだって、新品が好きな人がいればはき古したものが好きな人もいる(私は、ベームが「ごつごつ」だとは思わないが)。

だが、好き好きで済まされない記述が件の第九の解説の中にあった。その記述とは、カラヤンの音楽は表面がきれいでベームはごつごつしている、だから「カラヤンはオペラが得意だが、ベームは不得手」という記述である。ベームはオペラ劇場のたたき上げで、根っからのオペラ指揮者である。特にモーツァルトとリヒャルト・シュトラウスのオペラの指揮には定評がある。シュトラウスは、自作の「ダフネ」というオペラをベームに捧げたくらいである。そのベームをつかまえて「オペラが不得手」と言うなんざ、「江川の球はのろかった」「グルベローヴァは高音が苦手」「鳥は飛べない」「馬は鹿」「S社の株価は500円になる」「抵当権抹消の申請の際に住民票の写しが必要」というくらいの事実誤認である。いっときでも氏に洗脳された元子供としては、この点についての氏の総括を是非聞きたかったが、既に氏は鬼籍に入られていて無理である。因みに、上記の比喩は、私が旧ブログに書いたものを集合させたものである。6個ある。なんだ、15年で6回しかこのことを書いてなかったんだ。もっと書いたつもりだったけど。

そんな氏が自らタクトを振ったベートーヴェンの交響曲を聴いた。超面白かった(真意である。素晴らしかったとは言ってない)。私、分かった。氏の大好きな「精神性」とは、曲に没入して、感情の赴くままにテンポもリズムもぐにゃぐにゃにすることなのだ。そう言えば、氏の大好きなフルトヴェングラーの1947年の「運命」の第1楽章だって、「ジャジャジャジャーン」とその他の部分のテンポは倍くらい違う。有名なバイロイトの第九のエンディングのリズムもばらばらである。フルトヴェングラーなら良くて、氏はダメという理屈はないだろう。氏は、とことんロマン派の人なのだ。なお、超面白くはあるが、氏のベートーヴェンは、まだ固まっていない良い子には聴かせない方がいいだろう。

この話にはエピローグがある。カラヤン亡き後、アバドがベルリン・フィルの常任になり、さらにピリオド奏法全盛の世になった。マタイ受難曲の推薦盤としてメンゲルベルク盤を推すような氏がピリオド奏法に耐えられるはずはない。氏はそうした新しい演奏家を「新人類」と呼び、理解不能であるとして拒絶、なんと、「カラヤンのことをこれまでさんざこきおろして来たが、彼ら(新人類)に比べれれば旧人類であった」と言い出した。「新人類」の跋扈を目の当たりにした氏はカラヤンに対してさえも懐古の念を感じたようであった。

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ベーム指揮ウィーン・フィルの想い出

2024-10-24 07:00:46 | 音楽

音を引き継ぐ、と言えば、こういう想い出がある。高校時代、カール・ベームがウィーン・フィルをひきつれて日本公演を行い、フルートを吹く友人がブラームスの交響曲第1番を聴きに行った次の朝、興奮の面持ちで登校して来たのでどうだった?と聞いたら「もう、やってらんない」と言うからなんで?と聞いたら「フルートの息の長さが信じられなかった」と言う。そんな技を見せつけられたら自分などフルートを吹いていられない、というのだ。それは第4楽章のこの箇所である。

1stフルートがメロディーを吹き始めて2小節目に入ると二分音符で音を切り上げているが、そこに同じ音で2ndが全音符で入る。3小節目と4小節目、5小節目と6小節目も同様である。だからずっと一本で切れ目なしに吹いているように聞こえる。友人はこれに「騙された」のである。もちろん、2ndが1stとまったく同じ音色、音程で入ることが前提である。さすがである(つうか、プロだったこのくらい当然だろう。なんとも低レベルでの感動である)。

この演奏はテレビでも放送された。当時、奇跡の名演とされた演奏で、ベーム自身も満足の様子であった(直後に収録されたインタビュー番組で)。ウィーン・フィルはそれまでにも何度か来日していたが、同行した指揮者が若造だったり(例えばアバド。だが、アバドはその後巨匠となった)、どうせヤパーナー(日本人)は適当に演奏してもパチパチ拍手してくれるから真面目にやってなかったという噂である。アバドのときのアンコールの「青きドナウ」でヴァイオリンが一人だけ繰り返しを間違えたのをテレビで視聴した私は聞き逃さなかった(一杯ひっかけていたのだろうか(私ではなくその奏者が))。だが、ベームとなると話が大違い。楽員の本気度が違った(後年聴いた話だが、ベームは大の小言家で、間違えて弾こうものならどやされて大変だったという)。だからウィーン・フィルも本領を発揮したのである。因みに、同じカール・ベームとウィーン・フィルの組合せでブラームスの交響曲第1番をスタジオ収録したレコードが発売され、感動よ、もう一度とばかりに聴いたのだが、冷めたピザのような演奏で、テレビで聴いたときの感動には遠く及ばなかった。ベームはLIVEの人、と誰かが言っていたが賛成である。かと思えば、グレン・グールドや、キャリアの後半期のビートルズのように、演奏をスタジオ収録に限る演奏家もいる。

因みに、私はこの組合せの日本での最後の演奏を生で聴いた。昭和記念講堂で演奏されたベートーヴェンの第2番と第7番である。超ゆっくりなその演奏は、重戦車があたりをなぎ倒して進む迫力であった(もちろん、ウィーン・フィルは本気で弾いていた)。終演後、ベームは超ごきげんで、カーテンコールで奥さんの手を引いて無理やり舞台に引っ張り出した。奥さんは超いやがっていた。44年前のことである。

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