黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

移調譜を移調して吹いた話

2025-02-04 18:50:00 | 音楽

カーサ某(和名=クラシックの家(未知の言語の解読はかように同義の言葉を並べて比較することによって行われる))で久しぶりにチケットがとれてオーボエを吹いたのだが、失態をしでかした(人生そのものが失態であるがそれはそれとして)。すなわち、ある合唱曲のオーボエパートを吹くつもりで持参したのがクラリネット用の移調譜だったのである。だから、B♭管クラリネット用に移調した楽譜を、逆にC管のオーボエ用に移調しながら吹く羽目に陥った(Cで書かれた楽譜をその場で移調しながら吹くことはたまにあるが、逆にB♭の楽譜をCに移調しながら吹くのは初めてである)。

そのカーサ某で私はいつも赤ワインのボトルを注文するのだが、その赤ワインがこれまでのイタリアワインからフランス・ボルドーのオーガニックに変わっていた。

タンニンの効きといい、明らかにボルドーである。私はボルドーが大好物。だから、勘定時に店長から「赤ワインはどうでしたか?」と聞かれたときは、美味しかったとの感想を心の底から述べた。

さて、オーボエの話の続きである。なぜ、オーボエを吹いたのか、そして、なぜクラリネット用の移調譜があったかと言うと、実は、某合唱団の本番でとりあげる曲にオーボエの出番があり、その団の面倒を見ているピアニストさんから吹かないか?と打診があり、私はクラリネットで代用してよいのなら、ということでお引き受けしたのだが、当該ピアニストさんがオーボエはダメか?と再三聞くし、私自身もオーボエの音が好きでその曲はやはりオーボエで吹きたいという気持ちがあったから試してみたかったのである。だが、カーサ某ではそんな具合だったから決心に至らず。そこで、数日後のカンタータを歌う会の合間の「ソロ・コーナー」(好きなソロ曲を歌い、又は演奏できる)で、今度はちゃんとオーボエ用の楽譜で試してみたら、ピアニストさんから「行けるんじゃない?」とのGOサインが出たのでオーボエを吹くことが決まったわけである。

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コラールの成り立ちVol.11 BWV113

2025-02-03 09:28:09 | 音楽

カンタータを歌う会の次回のお題は第113番(BWV113)。前回のBWV101や前々回のBWV94と同じく、終曲のみならず全体が元曲である賛美歌(コラール)又はそのアレンジから成っているコラール・カンタータである。

前々回のBWV94は、バッハがライプチヒのトーマス教会のカントル(音楽監督)に就任して2年目の年の三位一体の主日後の第9主日用に、前回のBWV101は第10主日用に、そして今回のBWV113は第11日主日用に書かれたものである(「三位一体の主日」についてはVol.9参照)。同傾向の曲が続いているからこれまでに書いたものをベースにしてちょこっと手直しをすれば(前夜の残り物をちゃちゃっと炒めるように)できちゃうだろうとタカをくくっていたら、意に反して捜査は難航することとなった(そのあたりのことはおいおい書いていく)。

【元曲の賛美歌】
とりあえず源流探しの旅に入ろう。BWV113の元曲である賛美歌は、バルトロモイス・リングヴァルト(注1)が作詞した「Herr Jesu Christus, du höchstestes Gut」であり、こういう曲である(本来は第8節を歌詞とする第8曲に第1節をあてはめた)。


以下、この賛美歌を「本件賛美歌」と呼称する。

【BWV113の構成】
本件賛美歌は8節から成り、第1,2,4,8節の歌詞はそのまま使われ、第3,7節の歌詞は冒頭のみが使われる。すなわち、次のとおりである(注2)。
第1曲は合唱。歌詞は第1節。メロディーは本件賛美歌を3拍子にアレンジしたもの。
第2曲はアルトが歌うコラール。歌詞は第2節。メロディーは本件賛美歌を長く引き延ばしたもの。
第3曲はバスのアリア。歌詞の冒頭は第3節の冒頭。長い音を半音で移動する様は、前作のBWV101でも見られたものである。この時代のバッハの趣味だろうか。
第4曲はバスのソロ。コラールとレチタティーヴォから成る。コラール部分の歌詞は第4節でメロディーは本件賛美歌のもの。
第5曲はテナーのアリア。歌詞は自由詩。フルートのヴィルトゥオーゾが聞こえるということは、前々作のBWV94で活躍したフルーティストがまだライプチヒに滞在していたのだろうか。
第6曲はテナーのレチタティーヴォ。歌詞は自由詩(第6節をふまえている)。
第7曲はソプラノとアルトの二重唱。歌詞の冒頭は第7節の冒頭。メロディーは本件賛美歌のアレンジ。前作のBWV101も、ブービー(最後から二曲目)はソプラノとアルトの二重唱であった。
第8曲(終曲)は合唱が歌うコラール。歌詞は第8節。メロディーは本件賛美歌のもの。

【メロディー】
続いてメロディーのことである(捜査が難航したのはコレ)。三つの情報を仕入れた。次のとおりである。
情報1。本件賛美歌の作詞をしたリングヴァルトが多分メロディーも書いた(注3)。このメロディーは、ニコラウス・ヘルマン(注4)の賛美歌「Wenn mein Stündlein vorhanden ist」のメロディーとして作曲された(注3)。「Wenn mein Stündlein」はこういう曲である。

え?リングヴァルトがメロディーも書いたといいながら、他の賛美歌のために作曲したってどういうこと?しかも、両曲はちっとも似てない。その謎を探るべく本件賛美歌と「Wenn mein Stündlein」の関係性に言及する情報を探した。二つ見つけた。次のとおりである。

情報2。「Wenn mein Stündlein」には通常歌われるメロディー(直前の楽譜)のほかに二番手のメロディーがあり、それが本件賛美歌のメロディーである(二番手メロディー説。注5)、バッハ作品目録(BWV)はこの説を採っている(注6)。

情報3。(情報2を否定して)「Wenn mein Stündlein」の四声編曲のテナーパートが本件賛美歌のメロディーになった(注6)。

情報1の「作詞者が作曲もした」と「他の賛美歌のために作曲した」は相互に矛盾しているようにも見えるが、あえて整合性を持たせるなら二つの可能性が考えられる。一つは情報2とリンクさせて、リングヴァルトが本件賛美歌の作曲をし、それが「Wenn mein Stündlein」の二番手メロディーになった、と考える途。もう一つは、情報3とリンクさせて、「Wenn mein Stündlein」の四声編曲のテナーパートを本件賛美歌のメロディーに「編曲」したのがリングヴァルトだった、と考える途である。だが、情報1の二つの内容を別々の人が書いた可能性がある。じゃなければ、もう少し二つの内容について整合性を持たせる書き方をしたと思われるからである。この際、メロディーをリングヴァルトが書いたという話は横に置いておき、情報2と3のみを検証した方が良いかもしれない。その場合、情報3は情報2を否定した上での論説であるから説得力を感じるのだが、曲想が全く異なる「Wenn mein Stündlein」のテナーパートがどうやって本件賛美歌のメロディーになるかは想像がつかない。件の四声編曲を見れば一目瞭然だろうが手元にない。裏がとれてない状況である。捜査は継続中である。

【支流探し】
では反対側の下流に向かおう。バッハはBWV113以外にも本件賛美歌を元曲とするカンタータを書いている。
一つはBWV131「Aus der Tiefen rufe ich」。バッハの最初期頃のミュールハウゼン時代の作品である(人気曲のBWV106と同時期の作品である)。第2曲と第4曲のアリアの背後で本件賛美歌のコラールの第2節と第5節が歌われる。アリアにコラールをかぶせる手法はライプチヒ時代においても変わらずバッハが用いる手法である。まさに「三つ子の魂百まで」である。
もう一つはBWV168「Tue,Rechnung!Donnerwort」。第6曲(終曲)のコラールで本件賛美歌の第8節が歌われる。

本件賛美歌のメロディーから他の賛美歌が生まれ、それがバッハのカンタータになった例もある。「Herr Jesu Christ,ich schrei zu dir」(注7)と「Herr Jesu Christ,ich weiß gar wohl」(注8)のメロディーはいずれも本件賛美歌のメロディーであり、前者はBWV48「Ich elender Mensch」の元曲となり、後者はBWV166「Wo gehest du hin?」の元曲となった。

以上の源流から下流に至る流れを図にしたのが下図である。

以上である。

注1:Bartholomäus Ringwaldt(1530~1599.5.9(推測))
注2:BWV113のWikiドイツ語版。バッハ全集第3巻(小学館)。
注3:「Herr Jesu Christ,du höchstes Gut」のウィキペディア英語版
注4:Nikolaus Herman(1500頃~1561.3.3)
注5:バッハデジタル(https://www.bach-digital.de/receive/BachDigitalWork_work_00011320)
注6:バッハの教会カンタータ> コラールの歌詞とメロディ(http://www.kantate.info/choral-title.htm#Herr%20Jesu%20Christ,%20du%20hochstes%20gut)
注7:作詞者不明
注8:作詞者はリングヴァルトである。

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ショパンのトロンボーンと「ガチョーン」の谷啓

2025-01-31 17:06:34 | 音楽

オーケストラの楽譜では、トロンボーンはだいたいアルト、テナー、バスの三本がセットになっている。そのせいだろうか、トロンボーン奏者は日頃から三人組で行動し、例えば、合わせなしで一発勝負で大曲を演奏しましょう!って会を私が主催したことがあるのだが、そのときもトロンボーンの三人が事前に集まって練習をし、しっかり和音を作ってくるのが常であった。

と思っていたのだが、そう言えば、モツレク(モーツァルトのレクイエム)の「妙なるラッパ」(最後の審判の際に鳴り響くラッパ)はトロンボーン一本で吹く。

あら、珍しい、一人ではさぞ寂しかろう、と思ったが、モツレクでトロンボーンが一本なのはこの章だけで、トロンボーンの出番のある他の章ではいつものように3本セットである。

何回か前の記事にも書いたとおり、トロンボーンは元々は教会の楽器で、だからレクイエムでは大えばりで使われるわけだが、その後、「娑婆」にも進出を始め、モーツァルトの「魔笛」で登場し、ベートーヴェンが交響曲第5番で使ってからは交響曲の常連となった。

だが、ブラームスなどは、さすがにバッハの研究をするような人だけあって、例えば交響曲第1番の終楽章のトロンボーンは美しい和音を奏でていて、

元教会楽器の面目躍如である。だが、トロンボーンは、その気になれば、「3本で他のすべての楽器を吹っ飛ばす」(高校時代の吹奏楽の指導者の弁)。例えばチャイコフスキーの「悲愴」の第3楽章のエンディングなどはその最たる例である。

この下降音階をバリバリ鳴らして他のすべての楽器を吹っ飛ばすのである。こうなると和声もへったくれもない。世俗の極みである。古楽だけを聴く人がこの箇所を聴いたら失神するかもしれない。そうならないためには観念してここだけは世俗にまみれることである。私はそうしている。すると、だんだんどや顔でバリバリ吹くトロンボーン奏者を眺めるのが楽しくなる。なのに、あるときテレビカメラがこの箇所でヴァイオリンを撮っていた。ヴァイオリンの画面とバリバリの音声の不似合いなことったらなかった。

かように、トロンボーンはオケでは三人組が当たり前なのだが、そんな中でショパンのピアノ協奏曲は、第1番も第2番もモツレクのようにソロを吹くわけでもないのにバス・トロンボーンが一本だけで、まるで谷啓である。これをとらまいて人は「ショパンはオーケストレーションが下手」と言う。私などは、ショパンは偉い人だと思っていて、「偉い人」=「下手」の方程式にどうもなじめない。一本にした意味が何かしらあるのではないか、とも思うのだが、なにせ「死人に口なし」である。

え?谷啓って誰だって?ガチョーンの谷啓だよ。え?ガチョーンって何だって?クレージーキャッツのギャグだよ。え?クレージーキャッツって何だって?えっと、お笑いグループのようだけど、元々ジャズバンドなんだよな。てな具合にジャズではトロンボーンは一本でよいのです。

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コラールの成り立ちVol.10ヨハネ受難曲の第3曲と第17曲

2025-01-21 16:49:07 | 音楽

コラールの成り立ちシリーズに新たな題材が加わった。麹味噌合唱団(仮名)のヨハネ受難曲(バッハ)に参加することにしたので、ヨハネ受難曲のコラールについても成り立ちをお勉強しようと思い立ったのである。既に、第5曲(Vol.5)と、第11曲(Vol.3)と、終曲(Vol.1)については掲載済なので、それ以外の曲が対象である。

ヨハネ受難曲の最初のコラールは第3曲。

この第3曲と同じメロディーなのが第17曲(調は全音上がっている。2番省略)。

すなわち、これら二つのコラールの元曲の賛美歌は同一であり、それは、ヨハン・ヘールマン(注1)の「Herzliebster Jesu, was hast du verbrochen」である(次の楽譜はヨハネ受難曲の第3曲(二つ前の楽譜)の音符に当該賛美歌の第1節の歌詞を当てたものである)。

誰々の賛美歌と言った場合、大抵「誰々」は詩人である通り、ヨハン・ヘールマンは作詞者であり、まず1630年にヘールマンの詩が公表され、その10年後にメロディーが付けられた。メロディーを付けたのは、ヨハン・クリューガー(注2)である。ヨハン・クリューガーは、本シリーズにもたびたび登場したこの時代の大立て者である。

この賛美歌は15の節から成り、ヨハネ受難曲の第3曲はその第7節であり、第17曲は第8節と第9節(二つ上の楽譜では省略)である。

この賛美歌はクリューガーのメロディーともどもなかなかの人気曲となり、バッハは、マタイ受難曲にもこの賛美歌を使用し、第3曲には第1節を、第46曲には第4節を当てている(だから、この賛美歌のタイトル(第1節の冒頭)である「Herzliebster Jesu」の歌詞はマタイ受難曲において聴くことができる)。また、そのメロディーを、オルガン用コラール(BWV1093)にも使用した。

バッハ以外の作曲家も、例えば、ブラームスやマックス・レーガー(注3)がそのメロディーをオルガン曲に利用している。また、クリスチャン・フュルヒテゴット・ゲレルト(注4)は同じメロディーを彼の受難詩「Herr, stärke mich, dein Leiden zu bedenken」に使っている。面白いところでは、現代作曲家のマウリシオ・カーゲル(注5)が、バッハの生誕300年を記念して作曲したオラトリオ「Sankt-Bach-Passion」の第19曲に、この賛美歌をもじったコラール「Herzliebster Johann」を置いている。

今回のまとめ図は次のとおりである。

これで、ヨハネ受難曲の二つのコラールの成り立ちを一度にやっつけた。なかなか、経済的である(もっとも、マタイ受難曲においては、「血潮したたる」だけで片付く曲は2曲どころの話ではない)。

出典:ウィキペディアのドイツ語版、英語版
注1:Johann Heermann(1585.10.11~1647.2.17)。BWV94の記事で当ブログに一度登場した。
注2:Johann Crüger(1598.4.9~1662.2.23)
注3:Max Reger(1873.3.19~1916.5.11)
注4:Christian Fürchtegott Gellert(1715.7.4~1769.12.13)
注5:Mauricio Kagel(1931.12.24~2008.9.18)

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室内合唱団と第九

2025-01-11 10:02:03 | 音楽

ジョルディ・サバール&コンセール・デ・ナシオンのピリオド演奏によるベートーヴェンの視聴、次は第九。演奏は相変わらずのキレッキレぶり。注目は歌である。

ソリスト達はバロックを得意とする若手で、美声で、レガートで、まるでバッハやヘンデルのアリアを歌っているような繊細な歌唱。エンディング近くの四重唱の最後の和音(これが合うのはまれ)も当たり前のようにきれいにハモっておりました。バリトン独唱にバロックのような装飾音がつくのを聴いたのは多分初めて(とちって違う風に歌う人はいたけど)。

第九の合唱と言えば、音が高いこともあって、「ギャーっ」と歌いがち(吠えがち)。だが合唱を担当した「VOX BONA ボン十字架教会室内合唱団」(と訳すのかなー)(注1)は古楽を中心に歌う合唱団らしく、絶叫とは無縁で、ノンビブラートの透明な響きでまるでマタイ受難曲を歌うように歌っていた。なんとも新鮮で、きれいッシモな合唱であった。

ボンには、「ボン室内合唱団」(注2)という団体もあって、こちらも「室内合唱団」と名乗っている通り古楽がレパートリーで(「室内合唱団」は古楽を歌う小規模の合唱団が名乗りがちな名称である)、団員数も40~45名で混同しそうになったが、VOX BONAが1987年設立であるのに対しボン室内合唱団は1973年設立の別団体であった。同じ地域に同様の古楽合唱団が複数あるあたり、ドイツもなかなか古楽がさかんなようである

室内合唱団と第九と言えば想い出がある。私が学生の頃所属していた古楽専門の合唱団がまさに「○○室内合唱団」(○○は二文字というわけではない)であったのだが、当時、隔年で学校のサークルが大同団結して第九を演奏する、というイベントがあった。だが、私が下級生のときにやって来た参加の機会は、上級生が「第九はウチらには合わない」と言って参加を辞退したため逃してしまった。上級生の言い分は「第九は音が高くてギャーっと吠えるものである。私達にとってそういう世界は(スターウォーズ風に言えば)音楽のダークサイドである」というものであった。私は古楽合唱団にいながら隠れベートーヴェン・ファンだったから残念だった。上級生になってようやく参加できたのだが、それがこれまでの私の人生における唯一の第九体験となった。

VOX BONAを聴いて、古楽合唱団でも立派に第九を歌えるということを確信した。それは、古楽合唱団でも巷の咆哮合唱団の真似ができる、ということではなく、古楽の様式のまま第九を歌える、ということである。だが、そっちの方が遥かに難しい気がするけれども。

注1:VOX BONA Chamber choir of Kreuzkirche Bonn
注2:Bonner Kammerchor

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