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黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

ピンクと黄色(幸手の桜その1)

2025-04-08 15:10:54 | 植物

幸手の桜がすごいことを数年前にテレビで知って、見に行って、なるほど噂に違わぬ見事なものじゃ、と感嘆したのだが、このたび、人が押し寄せる権現堂堤(中川の堤防)だけではなく、行幸堤(中川に合流する権現堂川(行幸湖)の川沿い)の桜も良い、しかも人が少ないという話を聞いて、時期も関東の桜は散り際であるし、川の成り立ちシリーズの取材のため権現堂川沿いを歩いてみたいと思っていたところであるから行ってきた。本筋の「川の成り立ち」と副産物の「山の話」については別の回に記すとして、時期も時期だからとりいそぎ「桜」を中心としたレポートである。

幸手駅から権現堂堤までは歩いて4,50分かかる。私にとってはなんてことはない距離だが、この日は権現堂川を利根川まで歩く予定だから体力を温存するため権現堂堤までバスがあるなら乗ろうかと思っていたところ、幸手駅を出たところにある観光客向けのテントで「バスがあるのだけど渋滞で動かない。徒歩をお奨めしている」と説明している声が聞こえたので、それなら、と躊躇なく徒歩を選択。

権現堂堤には1キロに渡って桜並木が続いていて、東端、真ん中、西端から入れるが、今回は、東端を選択。私の早足でもここまで30分以上はかかっている。人々は桜の下を歩くために堤の上に上っていくが、私は、第一の目的は川なので、堤の上には上らずすぐに堤下の中川沿いに出る。すると、桜はもちらんだが、見事な菜の花畑である。

もしかして、私、桜のピンクよりも菜の花の黄色の方が好きかもしれない。これだけ密集すると菜の花の匂いも強烈である。

しばらく権現堂堤下(中川沿い)を歩いてまだ桜と菜の花が続いているなか、権現堂川沿い(行幸堤)を歩くために行幸橋で中川を渡る。そのルートも花見ルートとして確立されているようで、案内標識が出ていた。

なるほど、噂通り見事な桜並木である。人出もある。

だが、この川(正式には行幸湖という名の調整池)の長さは5キロ以上あるから、さすがに全部歩こうなどという物好きは滅多にいないらしく、途中から人影が途絶えた。

そして、利根川が近づくと、いよいよ桜並木もおしまいとなり(右端の樹が最後の1本)、

川自体も川妻給排水機場で打ち止めとなる(樋管で利根川とつながってはいるのだが)。

だが、排水機場裏の公園(利根川の土手下)で、人っ子一人いない中で再び桜と菜の花を見たときは、

なんだかこの日一番感動した気がした。

この後は利根川の土手に上がったのだが、そのときの話だとか、権現堂堤下の中川の様子だとか、権現堂川(行幸湖)に関する蘊蓄だとか、この小旅の中で拝んだ筑波山、日光連山、赤城山の話などは「川の成り立ち」「山の話」の回に譲ることにして、ここで幸手市内の話に戻る。駅から堤までの間、旧日光街道を歩くことが多かったのだが、

なるほど、たしかに道路は渋滞していた。

だから、案内の人の話通り、徒歩で行かざるを得ないわけだが、それだけの価値はあるというものである。往復で1時間半くらいだからカロリー消費にちょうどいい。私などは、この日合計で4時間歩いたから、さすがに帰るときはボロボロであった。

 

 

 

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満開と言うわりには

2025-04-05 11:49:13 | 植物

東京の桜は今が満開だというので、とりあえず近場で見ておこうと思い、葛西用水親水水路に行く。

当ブログの川の成り立ちシリーズで最上流から終点まで飛び飛びで歩いた葛西用水路だが、この辺りは用水路としての使命は終えていて、もっぱら区民(と鯉)の憩いの場として整備されていて、とりわけ桜の時期の景観は見事である。もっと陽気がよくなると、ベンチで将棋だか囲碁だかを楽しむ人が湧いてくるが、今は肌寒いからそうした姿はない。

そもそも、この辺り(東京の東部)は他所より寒いのだろうか、桜も蕾が目立ち、

満開とはほど遠い感じである。樹の個体差もあるのだろうが。

薄ピンクと言うより、ほぼ真っ白な花びらをつける個体もある。

個体の違いなのだろうか?それともソメイヨシノとは別種なのだろうか?

鳥にとっては、そんなことはどうでもよいことである。

蜜が吸えて幸せなことだろう。桜にとっても、花粉を運んでもらえて幸せなはずである。

この流れの西側を通るのが葛西用水浸水緑道で、東側の大通りが葛西用水桜通りである、

と、私は理解している。桜通りと名付けただけあって当局はかなり気を入れて桜を植えたようだが、車が行き交う大通りはなにか大味である。

葛西用水路の始点(川の成り立ちシリーズVol.4で訪ねた)は利根川のほとりであるが、そこからだいぶ東に行った所に、江戸時代に徳川家が日光東照宮に社参した際、船を並べて橋にして行列が利根川を渡った場所=栗橋がある。幸手の桜は有名だが、幸手から栗橋に行くルート(旧日光街道)に沿ってかつての権現堂川(もともとは渡良瀬川の本流で、いっとき利根川の本流でもあった)の川跡がある。廃川になった後も水は残っていて、そのわきの桜が見事だというから、来週にでも、幸手からその川跡に沿って桜を見ながら栗橋まで歩き、今ではちゃんと架かっている橋の上から利根川の流れと、日光男体山と遠く赤城山を拝もうと企んでいるのだが、はたして桜が持つかどうか。葛西用水路の桜と同様であれば(現在まだ蕾が多い状態であれば)期待ができるのだが。

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ハナニラ

2025-03-15 19:14:08 | 植物

半年前に奥地の家の「猫の額」を伐採&除草したときは、こんな風だった玄関前が、

冬を越してなにやら青く色づいていた。

ハナニラである。

そうか、ここを購入した直後に草むしりをした際、玄関周りで何かの球根を引っこ抜いたのだが、

その正体はハナニラだったのだな。道理でニラ臭がしたわけである。因みに、ニラと言ってもハナニラは有毒で、食すと激しくお腹をこわすそうである。

何にもなくなったかに見えた「猫の額」も、かようにしぶとく生き残ってるヤツがいることについては、まーた除草しなくちゃいけないのか、と思う反面、次に何が顔を出すのか楽しみでもある。そう言えば、「猫の額」のかなりの面積を占めていたドクダミはいま影も形もなくなっているが、それこそドクダミは刈っても刈っても生えてくる代表選手であるからまた繁茂するだろう。お茶にするからウェルカムである。

それでも、樹はすべて伐採したから、杏(当初、梅だと思っていた)の実を収穫することはなくなった。だから、収穫のために揃えたこれらのグッズの出番は、

ないはずである。この中には、一度も使われなかったものもある。また植えることがないのかって?ない。「猫の額」には野菜を植えて、自給自足に励む所存である。

なお、「伐採したから」と書いたが、正確に言うと、業者さんに「伐採してもらったから」である。ドイツ語で言うなら「バッサイーレン」ではなく「バッサイ・ラッセン」である。ドイツ語で読んでる千一夜物語でも、王様は人の首をはねるのが大好きなのだが、決まって「はねた」ではなく「はねさせた」という表現が使われる(lassenが使われる)。王様は自分の手は汚さないのである。

 

 

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「やばい」がやばい(梅園)

2025-03-11 09:01:54 | 植物

人から大谷田公園の梅園に行ってきた話を聞いて、そこってウチからチャリで20分のとこなのに全然知らなくて、電車に乗って梅を見に行こう、どこがいいだろう、梅ヶ丘に行こうか、ちょっと遠出をして偕楽園まで足を伸ばそうかなどと考えていて、でも近場によさげな所があったんじゃん!と思って行ってきた。

いろんな梅が植わっていて、名前が面白くて、例えばこれなんかは

野梅というのだが、読み方は「やばい」で、なかなかやばい名前であるが、今日では「やばい」はポジティヴな意味で用いられるから、これを見て感動して「やばいはやばい」と言ったとして日本語的には通じるわけである。それから、これなどは、

「けんきょう」と発音するのだが漢字は「見驚」、すなわち、きれいで「見て驚く」のが名前の由来だという。ピンクっぽいが、後に白くなるという。他にもいろいろ植わっていて、なかなかの目の保養であった。

ただ、これらを真下から拝めたわけではない。時計の針を少し戻して、大谷田公園の入口に着いたときは、ウェルカムな雰囲気がたっぷりで、

期待に胸が打ち震えたのだが、梅園は公園の中の回りを柵で覆われた一角にあって、そこにたどり着いてみると、なんと前日に閉園していた。

この標識は「開園のお知らせ」とあるが、今となっては「閉園のお知らせ」だったわけである。

ま(Ma。イタリア語の「ma」は、この場合の日本語の「ま」と同じニュアンスである)、それでも、コンビニの屋上越しに富士山が見えるとかで押し寄せた外国人を排除するため黒い幕を立てたどこかの自治体と違って、柵の中に入れなくても柵越しに見ることはできる。持参したカメラは、コンデジでありながら20倍までズームを上がられるから、そこそこな写真が撮れた。さすがに、閉園した中を覗くこともあいならん、と言って柵に張り付く見物客を払いのけるお役人様はいなかったし。

それに、梅園外であっても公園の敷地内にはたくさん梅が植わっていて、これでも十分である。ミツバチも十分である、と言ってさかんに蜜を吸っていた。

ただし、これらは豊後という品種で、梅と杏(あんず)の掛け合わせなのだそう。杏が入っているから価値が落ちて梅園の外に配置されたのだろうか。ミツバチは、杏が入っていても(あるいは入っているから)美味しい美味しいと言っているようだが。

杏で因んだ話その1。奥地の家に植わっていた最初に早咲き桜だと思って、後に梅だと思って、最後に杏と判明した樹は、他の樹は伐採してもそれだけは残そうと思っていたのだが、業者さんが「半分枯れている」と言うので涙を飲んで伐採した。最後の年に収獲した実で作った杏酒が現住所の押入にtantoある(イタリア語の「tanto」は「たんと」の意味である)。

その2。桜と梅の見分け方は、花が枝に直接付くのが梅で、柄が伸びてその先に付くのが桜だそうだ。あと、花びらの先に裂け目があるのが桜でないのが梅だそうだ。梅と杏の見分け方は、あるのだろうが私は知らない(奥地の家の杏は、前所有者が杏を植えたと言っていて、それでも私は梅だと思っていたが、最後に業者さんが杏と断定して結論が出た)。

その3。杏で思い出す有名な裁判例がある。お金の代わりに苺ジャムで代物弁済する和解が成立したが、そのジャムは、大部分がりんごや杏のジャムで苺は1、2割にすぎなかった。この場合、錯誤による和解の取消しが許される、というものである(最判昭33.6.14、特選金菊印苺ジャム事件)。

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ひっつき虫

2024-11-03 21:22:23 | 植物

陽気がいいので散歩をした。川沿いの人が歩かない道を歩いた。自然の中で気持ちよく、かつ、全然人が歩いてないので人を気にしないで歌を歌いながらの散歩であった(歌の発表会が目前である)。大体、人がいないと思って歌ってるのにいきなり自転車で横からすっと出てこないほしい(全くこちらの都合)。ところが、人は出てこなかったのだが、雑草がたくさんいた。膝くらいまの高さのヤツで、放射線状に種を構えてるヤツだった。

コセンダングサと言うらしい(写真は現物ではなく、無料画像サイトからダウンロードさせていただいたものである。出典さえも入れずに使用できるというありがたいサイトである。当該サイト様は広告収入で対価を得てるらしい)。ふむふむ、花も散ってこんな風に種をかまえてるのだな、などとたかをくくって2,300メートル歩いてあらびっくり。下半身が種まみれである。ジャージを来ながらそんなところを歩いたから種さんくっついてくださいといわんばかりである。いい歳ぶっこいてこの体たらく。いくつになっても「吾輩はバカである。名前はまだない(うそ)」である。

こんな状態ではスーパーにも寄れない、家にも帰れない、だから、立ち止まって種取りにせいを出した。開けない夜がないごとく、取り切れない種はない。家に帰って脱いで勘定してみたら、取り切れなかった種は2粒であった。返せないと思った借金もこつこつ返していっていつか完済したらこんな気分になるのだろうか。私は借金だけはしないタチである。

因みに、こういうひっつく種のことを「ひっつき虫」と言うらしい。植物なのに虫とはこれいかに?である。

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