黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

ボジョレ・ヌヴォーと天ぷら

2024-11-25 10:36:40 | 料理

いつもは行かないお高めのスーパーにボジョレ・ヌヴォーが並んでたので思い出した。そうか、ボジョレ・ヌヴォーの季節だ。近所のお安めのスーパーには並んでないので気がつかなかった。お安めのスーパーは、数年前にボジョレ・ヌヴォーがずーっと売れ残ったことに懲りたらしく、ここんとこ仕入れてない。23区で一番地価が安い地域のスーパーの戦略として適切である。かと言って、ボジョレは別に高級なワインではない。新酒(ヌヴォー)を解禁日に飲むというイベント性で流行っただけで、その実は大衆ワインである。それでも、解禁日に間に合わせるために空輸するからそこそこの値段になる。最初にブームになったときは一本3000円以上した。昨今、ペットボトルが登場して、一本千円を切るまでになったが、ここんとこの物価高で、私が目にした一番安いヤツでも1500円前後である。

かく言う私は、23区で一番地価が安い地域の住民には違いないから本来ボジョレ・ヌヴォーを買う身分ではないのだが、大昔にワイン関係の仕事をしてた関係で毎年飲んできたから欠かすわけにはいかないとの強迫観念にかられて買って飲んだ。

バランスが良くて美味しい。ここんとこ、例えば酸味がきついとか、渋みがきついとかいう「突飛な」味のボジョレ・ヌヴォーには出会わなくなった。製造技術が向上したのだろうか。

併せた料理は、アジの天ぷらとナスの天ぷら(とご飯とサラダ)。ボジョレは軽いから鶏や魚がちょうどいい。お安めのスーパーでアジが安かったので天ぷらにしたわけである。

アジを使った料理を思いつくまま揚げて……じゃなく挙げてみよう。それぞれに私の一口メモを添える。
①塩焼き=(説明不要)。一口メモ:小骨をとるのが面倒である。
②天ぷら=衣を付けて大量の油で揚げる。一口メモ:私は衣を作るとき卵を使わない。理由はケチだからである。
③唐揚げ=粉をまぶす程度に付けて大量の油で揚げる。そのうち、粉を付ける前に酒醤油に浸して下味を付けるのが竜田揚げ。一口メモ:私は唐揚げ=竜田揚げだと思っていた。竜田揚げが唐揚げの部分集合だと知ったのはつい最近のことである。
④フライ=パン粉を付けて揚げる。一口メモ:揚げる代わりに大目の油で焼いてもよい(揚げ焼き)。私は揚げ焼き以外でフライを作ったことはない。理由はケチだからである。
⑤マリネ=お酢に漬ける。一口メモ:昔マリネを作ろうと思って買った「かんたん酢」がまだ残っている。「いいとこ酢」といい、お酢メーカーの策略にすぐ乗る私である。

以上のうち、②③は大量の油を使うから敬遠してきたが(④も本来は大量の油を使うが私は揚げ焼きで済ませることは前記の通り)、廃油缶を活用しだしてからは面白くて頻繁に作るようになった。が、流石に油が劣化してきたようで、胃が不快感を示すようになった(スーパーの惣菜を食したときと同様の反応を示すようになった)。この事態をどう切り抜けるか思案中である。

ナスは、高知ナスが見切り品コーナーにあったので驚喜乱舞して買ってきたもの。最近、見切り品コーナーにあっても一袋100円だったりして、物価高の波は見切り品コーナーにも押し寄せている。なお、同コーナーには「高知なす」のほか「高知産なす」があった。これは重大なフェイントである。血圧を下げる効果は、前者は後者(普通のなす)の3倍である。そうは言っても、後者だって他の野菜に比べればその効果は1000倍だからあなどれない。

ミニクッカーを買った当初は、圧力鍋の方が旨いとかブチブチ言っていたが、その有り難みはいや増す一方。実家から出てから今が一番米飯を食している。お米がバカ高い時期に困ったことになったと憂えている。

ボジョレ・ヌヴォーを飲むのに久々にブルゴーニュ・グラスを出した。そんなグラスを使うようなご大層なワインではないという考えの一方、ご大層なワインでないからこそ大きいグラスで味を良くする意味があるという考えもある。

今では、1500円のボジョレ・ヌヴォーですらえいやっとばかり清水の舞台から飛び降りる気持ちで買う私であるが、その昔、一本3000円以上した時代、近所のコンビニでボジョレ・ヌヴォー一本に立派なワイングラス(写真のブルゴーニュ・グラスほどではない)が一個おまけで付いていて、それを欲しさに何本も買ったことがある。いったい何本買ったんだっけ。食器棚を見る。グラスが5個ある。5本買ったのだ!How stupid I was! 私が現在ケチなのはその反動である。

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川の成り立ちVol.7中川と江戸川のランデブー

2024-11-24 18:50:42 | 地理

中川及びその前身である庄内川の歴史は、栄枯盛衰、そしてもう一度「盛」である。元は渡良瀬川の中流域で、下流は現在の江戸川であり、利根川の本流になったこともある。だが、渡良瀬川からも利根川からも締め切られて落ちぶれて庄内「古」川となり(流頭を締め切られた川がどんなにみじめかは、Vol.6の葛西用水で見たところである。垳川に突入した後、南に向かう葛西第一水門を閉め切られた葛西用水は見るも無惨な水溜まりに化した)、さらに、江戸川下流も新たに開削された水路(現在の江戸川上流)の方を自分の上流と見るようになって、庄内古川はさぞや口惜しい思いをしたと思うのだ。ところがでござる。その後、江戸川下流との流路が埋め立てられて関係が切れ、新たに古利根川方面に開削が進んで庄内古川はそっちとつながった。するとどうだ、後からやってきた庄内古川が本流づらをして中川を名乗り(中川は、もともと古利根川の最下流の名称である)、つながった古利根川も、そして古利根川に合流していた新方川や元荒川もみな自分の支流にしてしまった。こうして、かつての庄内古川である現在の中川は、新天地で最終本流となり、かつての栄華を取り戻したのである。

しかし、中川(庄内古川)が支流とした古利根川も元荒川も由緒ある大河である。これを飲み込む(支流にする)って「小が大を飲む」という感じではないか?是非、飲み込む現場を見たい。そして、かつて江戸川に通じていたが埋め立てられて消滅した旧流路(両川のランデブーの場)の名残りが残っているのなら見てみたい。こうしたモチベーションで実行したのがVol.7の旅、すなわち、中川から江戸川への周遊旅である。

最初に、今回の踏破図を載せておこう。赤い点線が今回歩いたルートである。

では、見ていくこととする。スタートは武蔵野線の吉川駅である。駅を出てちょっと歩くとすぐ中川の土手で、これを上ると目の前に広がるのが中川の流れである。

ここまで乗ってきた武蔵野線の線路はすぐそばである。

この土手の道を北に向かって15分くらい歩くと、早速、元荒川との合流点が現れた。

手前を左右に流れるのが中川であり、奥から流入して来たのが元荒川である。元荒川は、Vol.5で、葛西用水が分流するまでその土手を歩いた流れである。あのまま元荒川に沿って歩いていれば、ここに到達していたわけだ。

そこから更に少し歩くと、次の合流現場、すなわち、新方川との合流現場が現れた。

手前を左右に流れるのが中川であり、奥から流入して来たのが新方川である。新方川は、Vol.5で葛西用水がその下をくぐり、私は上の橋を渡って超えた川である。あのとき新方川に沿って歩いていれば、ここに到達していたわけだ。

ここからは、少しというわけにはいかない。随分歩いた。すると、あれ、変だな、中川はまだまだ北進するはずなのに先が左(西)にカーブしている。

と思ったら、中川がカーブしているのではなかった。中川に合流せんとする古利根川の流れであった。古利根川がでかいものだから、中川の続きのように見えたのである。古利根川はVol.5で古利根堰で見て以来である。あのときもでかかった。そんな古利根川を中川が飲み込もうというのだから、まさに「小が大を飲む」である。その現場(合流点)がここである。

手前を左右に流れるのが中川であり、奥から流入して来たのが古利根川である。この先の中川(写真の右側に伸びている)は、開削された流路であり、急にこじんまりした感じになる。

やはり、これまでの威容は古利根川によるところが大きかったのだろう。古利根川の立場に立てば、掘り進んできて合流した新参者がいきなり偉そうな顔をしやがって、という感じだろうか。羽柴秀吉を苦々しく思う柴田勝家の気持ちだろうか。

開削した流路だけあって、まーっすぐである。

周りの景色はいよいよ長閑になってきた。ふと、東方面を見ると筑波山が見えた。

最近、ご無沙汰だね、早く登りにおいで、と言われているようである。はいはい、行きますとも。

どのくらい歩いただろうか。まっすぐだった流路が左にカーブし始めた。

そろそろ江戸川への旧流路があった地点である。旧流路の水流は完全に失われたが、左岸の土手だけが残っているという情報を予め得ている。あった!ここだ。こここそが、中川と江戸川の幻のランデブー・ポイントである。

これは上流から撮った写真であり、右に中川、中央左寄りが中川の土手、そして土手中央から左上に伸びている道路が旧流路の土手の跡である。土手だけあって中川の土手と高さが同じである。

これでこの日の予定は終了。さて、この後、どうしよう。もと来た道を引き返すのも芸がないし、むやみに歩いてきた相当な距離を考えるとぞっとする。よし、この旧流路沿いの土手を伝って江戸川に出よう。江戸川を渡って千葉県に入れば東武野田線(現在、カタカナの長い路線名がついているらしいが、あえて昔の名前を使わせてもらう)の野田市駅にたどりつけそうである。ということで、土手を進む。右側は低地で農地になっている。ここを庄内古川が流れていたと思うと感無量である。

すると、江戸川の土手が現れた(ブログではすぐ次のシーンになるが、実際はかなり歩いている)。

さすがにでかい。この後、土手の上に出て、野田橋を渡って江戸川を超えた。大河に架かる橋なのに、歩道が狭くてフェンスが低くて相当怖い。江戸川に架かる橋はこういう橋が多い。渡ってる最中はなるべく川を見たくなかったが、私には皆さんに報告する義務があるので(勝手に思ってるだけ)、がんばって撮った。

下流の様子である。

橋を渡ると野田市内である。かなりアップダウンがある。台地と谷が入り組んでいるのだろうか。調べてみたいところである。そうこうするうちに野田市駅に到着。おろ!駅舎がまったく新しくなっている。

新駅舎の使用が始まったのは今年に入ってからだというから、できたてのほやほやのところに出くわしたのであった。街全体が醤油の香りにつつまれているのは昔のままである。なぜ、昔を知ってるかというと、かつて私はサイゼリヤの株を持っていて、株主総会はいつも野田市で開催されてたから毎年通っていたのである。当時、なぜ吉川に本社のあるサイゼリヤが株主総会を野田市で開くんだろ?と疑問だったが今こそ分かった。埼玉県吉川町と千葉県野田市はお隣同士であった。因みに、その昔、株主総会は本店所在地又は隣接地で開催しなければならないとの規定が旧商法にあった。今はそんな規定はなく、世界中どこで開いてもよいことになってるが、仮にその規定が今もあったとしても、サイゼリヤは野田市で株主総会を開くことができたわけである。歩くといろいろなことが分かるものである。この日も3時間はゆうに歩いている。

で、東武野田線に乗り、柏に向かうと、そうそう、途中、運河があったっけ。今ももちろんある。

写真は車窓から撮った。この運河は利根運河と言って、利根川と江戸川を結んでいるという。もともと江戸川は利根川の支流であり、水運的にはつながっていたのだが、更なるショートカットとして掘られたという。

 

 

 

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ドーリア旋法の呪縛(もろ天、ヨハネ受難曲)

2024-11-24 09:26:48 | 音楽

シュッツのもろ天(もろもろの天は神の栄光を語る(Die Himmel erzählen die Ehre Gottes))の話の続きである。その出だしはこうなのだが、

調号が♯一つだから階名で読むと出だしのソプラノ2は「レーファーミミレレ……」となる(今回に限っては、ABCは絶対音を、ドレミファは階名を表す)。だが、それだと音をとりにくい、どうみてもこれは、Aを主音とする短調、すなわち、イ短調ではないか?調号の♯をとっぱらって「ラードーシシララ」とした方が歌いやすい、と言う人がいる。他方「レーファー……」で全然問題ない、と言う人もいて、そういう人は古楽から音楽に入った人である。

そう、これは、教会旋法(ふるーーーい音階)の一つであるドーリア旋法(の名残り)で書かれた曲なのである。ドーリア旋法は第一旋法とも言われていて、レを起点とする「レミファソラシ」の音階である。第二音(ミ)と第三音(ファ)の間が狭いから現在のニ短調っぽいが第五音(ラ)と第六音(シ)の間が広いところがニ短調と違うところである。つまり、シの♭のとれたニ短調って感じである(逆に、ドーリア旋法のシに♭を付けるとニ短調になる)。短調と長調の間みたいな感じである。この「レ」は絶対音を意味しないから、いろんな絶対音を起点とするドーリア調が可能である。例えば、Cを起点とすると、CD♭EFGAのドーリア調となる。Aに♭を付ければ今日のハ短調になる。

だから「もろ天」の出だし(レーファーミミレレ)はレを主音としたドーリア旋法である。そのため短調ぽいが、ラとシの間は広くて(階名のシに相当する絶対音Fに♯が付いている。「♯が付く」と「♭をとる」は同義である)、そこが短調ぽくないところで……え?三小節目のソプラノ1のシ(F)の♯がとれている!? この♯のおかげでドーリア旋法になってるのにとれちゃったらドーリア旋法じゃないじゃん。これじゃ現代の短調と同じじゃん。なぜだ?(分かっているのにびっくりした風を装う私。何度もリハをするから実際は驚いてないのに驚いたふりをするNHKの出演者のよう)

実は、シュッツの時代は教会旋法の時代から500年経っていて、現代の長調短調に近い感覚が生まれている。実際、シュッツの100年後のバッハになると、「管弦楽組曲第2番ロ短調」と言うようにはっきり長調短調が市民権が得ている。だから、第6音の♯がとれる(=♭が付く)ことがあるのである。それでも、ときどきはドーリア旋法を思い出す。例えば、「もろ天」の少し行って全合唱になるところ、

ソプラノ1のシ(F)の♯が復活している。だが、二小節行くとまたとれる。こんな風に、楽譜上はドーリア旋法を採用しながらときどきドーリア組から足を洗おうとふらふらしているのがシュッツであり「もろ天」なのである。

ところで、完全に長調短調の世界になったはずのバッハであるが、ヨハネ受難曲の終曲の一つ前の合唱曲は明らかにCを主音とする短調(ハ短調)でありながら、その楽譜(冒頭)はこうなっている。

ハ短調なら調号の♭が三つのはずが二つしかない(Aの♭がない)。階名で読むと「ファレラー」であり、レを主音とするドーリア旋法である。だが、階名のシ(絶対音のA)にはことごとく臨時記号で♭が付いている。だったら調号からして♭を三つにして(Aに♭を付けて)、正直に「ハ短調です」と言えばいいと思うのだが、よほど、ドーリア旋法の呪縛に縛られているのだろう。バッハのコラールはこのパターンだらけである。

因みに、イングランド民謡のグリーンスリーブスはドーリア旋法ぽいと言われている。

なるほど、三小節目の「ラーソシ」の「シ」に♭が付いてない。なお、「スリーブス」の「スリーブ」は「ノースリーブ」の「スリーブ」、すなわち「袖」の意味だという。

ドーリア旋法をドイツ語で言うと「ドーリッシャー・モードゥス」、英語で言うと「ドリアン・モード」。ときどき英語風にドーリア旋法を「ドリアン」と言う人がいるが、臭いの強烈な果物のドリアンとごっちゃになってうまくないと思う(果物のドリアンは食べたらうまいのだろうか)。

タイトルを「ドーリア旋法の呪縛」としたが、昨日、「もろ天」について書いたらドーリア旋法のことも書かなければいけないという呪縛に私はとりつかれて、それが悪夢となって夜中に何度も目が覚めた。理由は分からない。とにかく、これで今夜はよく眠れそうである。

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もろ天(Die Himmel。シュッツの曲から)

2024-11-23 17:54:20 | ドイツ語

とり天とずる天の話をした流れで「もろ天」の話をすることになった。「もろ天」とは、シュッツやバッハが音を付けている旧約聖書の詩編19「もろもろの天は神の栄光を語り継ぐ」の省略形である(多分「もろ天」などと言っているのは私だけである)。もともとはヘブライ語だが、シュッツやバッハの曲の歌詞のドイツ語でしか知らない。それは「Die Himmel erzählen die Ehre Gottes」である。以下は、このドイツ語歌詞についての私の誤解の歴史である。無知の告白であるが、ブログのためであれば、恥を恥と思わない私である。

【名詞の性】私は、当初、「天」を表す「Himmel」を女性名詞だと思っていた。「Die Himmel」の「die」を女性名詞の定冠詞だと思ったのである。言い訳をすると、ドイツ語を習うとき、名詞は冠詞付で覚えなさいと言われる。男性名詞なら「デア○○」、中性名詞なら「ダス○○」、そして女性名詞は「ディー○○」と言った具合である。そんななか、この曲をいつも「ディー・ヒンメル」と呼んでいたものだから、「ヒンメルは女性名詞」だと思ってしまったのである。だが、ドイツ語の素養があればそんな誤解はしなかった。なぜなら、「Die Himmel」に続く動詞「erzählen」(語る)の語尾の「en」は主語が複数であることを表している。すなわち、「Himmel」は単複同形であり、「Die」は女性名詞の定冠詞ではなく複数名詞の定冠詞だったのである。このことをしっかり理解できていれば「Himmel」が女性名詞であるなどという早とちりをせず、しっかり辞書で確認して、「デア・ヒンメル」、すなわち男性名詞であることを認識したはずである。ドイツ語をきっちりやる前にこの歌を歌ったことによる悲劇(喜劇)でもある。さらに、ドイツ語の素養がもっとついていれば「Himmel」の「mel」はいかにも男性名詞っぽいと感じたはずである。

【複数の天】そうか、「天」が複数であることを表すための「もろもろ」なのか。たしかに、普通、日本語で複数を表そうと思ったら「達」を付けたりするが、「天達」(てんたち)ではいかにもしまりがない。これを「あまたつ」と読むと、朝の番組で何十年も天気予報をされている気象予報士さんになる。
ちょっと脱線するが、「お友達」が複数の場合は「お友達達」になるのだろうか。いやいや、そもそも日本語の名詞は単複同形であった。お友達が一人でも100人でも「お友達」だと今書いてて思った。因みに「友達100人できるかな」って童謡があるが良くないと思う。友達が100人いなければいけないみたいな印象を与えかねない。友達なんかいなくても生きていけると教えた方がずっとタメになる(と私は思う)。

諸外国語では「Die Himmel」をどう表現しているかというと、英語では複数形の「s」を付けて「the heavens」。なるほど。それから、中国語では「諸天」。もろ「もろもろの天」である。

問題は、「天」が複数あるとして、そのイメージである。「天」は一個だと思っていたが、あえて複数というのなら、私は、それを「東の天」「西の天」と言った具合に横の連なるイメージを持っていた。「足立区の天」とお金持ちの棲息地である「世田谷の天」と言った具合である。

こうした天達(てんたち)が、横に向かって神様の栄光を語る、というイメージである。

だが、仏教の天は、上下にいくつもあるらしい(光瀬龍原作を基に萩尾望都が書いた「百億の昼と千億の夜」にそんなイメージ図があったと思う)。すると、こんな感じである。

果たして、横なのか、上下なのか。と思案しているところに、鍵となるかも知れない情報がもたらされた。アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)には「7つの天国」という概念があるという。これは、天使の住む階層を表すという。「階層」と言うと、上下っぽいなー、との浅知恵を働かせるワタクシである(そもそも、そういう三次元的なイメージでは計り知れないモノなのかもしれない)。

【die Feste】「もろもろの天」については分かった(分からないということが分かった)。誤解はまだあった(誤解は続くよどこまでも)。続く歌詞の「Und die Feste verkündiget seiner Hände Werk」(die Festeは御手の業を告げる)についてである。私は、当初、「die Feste」は「大地」だと思っていた。と言うのも、「fest」は「硬い」という形容詞で、それが名詞化して「die Feste」になったものだから、これは硬いモノに違いない。すると大地だ、と思ったわけ。ミサの通常文の「空には栄光、地上には平和」にも影響されただろう。ところが、御手の業を告げるのは「大空」だった。昔の人は、天空をドームのように考えていた。われわれが住む大地がすっぽりと東京ドームのようなドームに覆われているイメージである。ドームだから硬いのである。硬いからアトラスは汗水垂らしてこれをかついているのだろう。

すると残る疑問は、「天」(Himmel)と「空」(Feste)の相互関係であるが、これについて私がかつて抱いたイメージはもはや絵空事であるし、今思うとウッソーと思う内容だから公表は控えよう……って、今回、披露した内容からして既に絵空事である。実際、空の絵を書いたのだから文字通りの「絵空事」である。

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唐揚げと天ぷら(種々の○○天)

2024-11-23 09:02:26 | 料理

在りし日の私の夕飯は、鶏の唐揚げとレンコンの天ぷらだった。

物価高のせいでいただく肉が完全に鶏にシフトしたため、ほぼ毎夕食、鶏料理を作っている。そのほとんどは唐揚げである。

唐揚げと天ぷらの違い。「唐揚げ」=粉をまぶす程度に付けて揚げる。「天ぷら」=衣をつけて揚げる……と言うのだが、唐揚げのつもりで、下味用の酒+醤油を「つゆだく」にし、小麦粉の量を多めにすると、半分天ぷらっぽくなる(唐揚げと天ぷらの雑種)。写真の唐揚げの中で妙に白っぽいヤツがそれである。

この日のレンコンは、4個くらい入って99円だったものが更に半額になったものである。カビがはえてるくらいは覚悟したが、一見、まともである。お買い得であった。

天ぷらの衣は、粉に卵を通すそうだが、わが家ではそんな贅沢は許されないから、水のみである。なお、「天ぷら粉」にはもともと卵が原材料として入っているそうだ。なら、こっちを使った方が経済的(かつ美味しい)だろうか。

唐揚げにしろ天ぷらにしろ油を大量に使うが、残ったヤツは廃油缶に入れて何度も再利用している。この間、その廃油缶を猫がひっくり返して床にぶちまけ、それを猫に舐められたので、対策として、廃油缶をシンクに置くことにした。

これは名案である(「明暗」は漱石の未完の遺作である)。シンクには普段すのこをかぶせているから猫は手をだせないし、廃油を注ぐときにこぼれてもシンクだから問題ない。

「おーいごはんだよ」コーナーで、料理研究家が、材料としてトリ以外に何がいいか聞かれて「カモ」と言ったら「カモはトリだ」と突っ込まれていた。「トリ」を「鳥」と解せば突っ込みは妥当だが、「鶏」と解したならばカモは鶏ではないから突っ込みは的外れである。

家庭で鶏を揚げるときは専ら唐揚げで、天ぷらにしないのはなぜだろう……と思ったが、それは私の思い込みで、世の中には「とり天」と言って、鶏の天ぷらも普通にあるようだ。そもそも、私が作った「鶏の唐揚げと天ぷらの雑種」だって「とり天」に近い代物なのかもしれない。

「ずる天」は、「ずる」の天ぷらではなく、山岸凉子作の名作マンガ「日出処の天子」の略称である。

同様に、「もろ天」は、「もろ」の天ぷらではなく、ハインリヒ・シュッツ作曲の宗教曲「もろもろの天は神の栄光を語り」の略称である(多分、全世界で私だけが使用している略称である)。と書いた以上は、「もろ天」についても書かなければなるまいが、それは回を改めて。

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