黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

「すのこの剪定」をして幸せな件

2024-11-30 18:57:41 | 

猫がシンクに下りてゴミを漁るのを防ぐため、すのこで蓋をしたことは書いた。

すのこはそもそも風呂場に置くべきモノだから水が垂れても問題ない。名案だと喜んだ。だが、ウチのシンクを塞ぐには大きすぎて、調理台の半分をふさいでしまう。せいぜい、猫が佇むぐらいのスペースしか余さない。

だから、食器の洗い桶とかを置けずに不便である。そこで、切ることにした。庭木を剪定するために奥地の家に持って行ってあったノコギリをこちらに戻して(奥地の庭木は業者に頼んですべて成敗したからノコギリは不要になった)、庭木ならぬ「すのこの剪定」に取りかかった。

端をこれだけ切ったら、

見事に収まった!

洗い桶も横置きすることができる。人生で、これだけ物事が上手く運ぶことは滅多にない。14歳の岩崎恭子さんが「生きてて一番幸せ」と言ったその気持ちである(岩崎恭子さんもいつの間にか指導者になられて貫禄のご様子である)。

これでシンクの守りも万全、食品庫の守りも、

扉の前に重しとして空気清浄機を置いたから万全、ゴミ箱の守りも、

重しとしてボーズのスピーカーを置いたから万全である(ウチの多くの小道具達は、本来の用途以外の使い方をされている)。

するとどうだ。つい、こないだ、廃油缶をひっくり返されて油をぶんまかれ、食品庫から引っ張り出した小麦粉をぶんまかれ、それを舐めてお腹を壊した猫に「シリコスリ」で床を汚されて「生きてきて一番不幸せ」と嘆いたことが嘘のように平穏な時間が流れている。どうか、この平穏が続いてほしい。って、それは私次第である。つまり、私がいっときも気を緩めさえしなければ幸せタイムは続くのである。

 

 

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コラールの成り立ちVol.4モテット第2番の終曲

2024-11-30 08:45:46 | 音楽

それでは、満を持して、私の葬式で使いたい曲同着一位のバッハのモテット第2番の終曲コラールの成り立ちを語ろう(同着のもう一頭じゃなくてもう一曲はバッハのヨハネ受難曲の終曲コラール。Vol.1でとりあげた)。

その源流は、賛美歌「来たれ、精霊」(Komm,heiliger Geist)である。

この賛美歌は3節から成るが、その第1節は1480頃のEbersbergの修道院にまで遡ることができる。これは、ラテン語の聖歌「Veni Sancte Spiritus」をドイツ語に翻訳したものである。これに、ルター(Martin Luther(1483~1546))が第2節と第3節を付け足したうえで、1524年に世に出したものである。

この賛美歌のメロディーは、1480年頃当時から付けられていた作者不明のものが引き継がれている。このメロディーは、イタリアの音楽理論家兼作曲家のMarchetus de Padua(1305 – 1319)の「Adesto, sancte spiritus」(1270年頃)と類似しているそうだ(以上は、ウィキペディアドイツ語版の「Komm, Heiliger Geist, Herre Gott」に拠る。また、前掲の楽譜にも「15世紀」とあり注釈にラテン語のドイツ語訳であることとルターによって加筆された旨の記載がある)。

この賛美歌「来たれ、精霊」のうち、バッハは、その第3節をメロディーもろともモテット第2番の終曲コラールに採用したのである(その際、若干の言葉替えが行われた)。和声付けはバッハが行った。使用したのは第3節であるから第1節冒頭の「来たれ、精霊」(Komm,heiliger Geist)という句は出てこない。だから歌詞だけだと「来たれ、精霊」とのつながりに気付かないかもしれないが、メロディーで「来たれ、精霊」だと分かるわけである。

バッハ以外でも、賛美歌「来たれ、精霊」は、いろんな作曲家によって「加工」された。

シュッツは、その詩をシンフォニエ・サクレ第3集の中の「Komm,Heiliger Geist」(SWV417)に用いた。曲はシュッツのオリジナルである。そう言えば、「Herzlich lieb」もシュッツが用いたのはシャリングの詩だけで曲は自身のオリジナルだったっけ。「ドイツ語を一番活かすのは自分の曲」という強い自負を持っていたのだろうか。

ザミュエル・シャイト(シュッツと同時代人で、シャインと合わせて「ドイツ3S」と呼ばれた)は、その詩とメロディーを自身の「Komm,Heiliger Geist」に用いた。

そして、バッハは、モテットの第2番のほかにも、この賛美歌の詩とメロディーをあちこちに用いた。カンタータにあっては、賛美歌のメロディーをBWV172の二重唱の中に長く引き延ばされた定旋律(楽器によって演奏される)として取り入れた。また、賛美歌の第1節をBWV59の第3曲で歌わせた。オルガン曲にあっては、コラール前奏曲BWV651において、ペダルで演奏する定旋律として賛美歌のメロディーを用いた。

さて、ここで、モテット第2番の終曲コラール(賛美歌「来たれ、精霊」の第3節)の歌詞について、思い出話をしようと思う。この曲を初めて歌ったのは私が10代の頃、古楽専門の合唱団においてであった。演奏会も迫り、練習が佳境に入った頃の練習中、学生指揮者がこのコラールの歌詞の日本語訳を団員に読み聞かせた。静かで厳かな読み聞かせであった。私はえらく感銘を受けた。それ以来、「静かで厳か」がこの曲に対しての私イメージとなった。

ところが、その後、学校を出てからドイツ語を本格的に勉強し、多少は理解できるようになってからこのコラールを聞くと、え?「ritterlich ringen」?「ringen」ってレスリングとかで格闘することだよな。しかも「ritterlich」って「騎士のように」が転じて「勇ましく」だよな。「勇ましく格闘」?学生時代に培った「静かで厳か」なイメージとは随分違う。その部分の歌詞は次のとおりである。

O Herr, durch dein Kraft uns bereit おお主よ、あなたの力で私たちを準備万端にし、
Und stärk des Fleisches Blödigkeit, そして、肉体の弱さを強めてください。
Dass wir hie ritterlich ringen,    私たちが勇ましく戦えるように

なんと力強い内容だろう。そうか、単に、優しく歌えばいいというものではなかった。ここは力強く歌うべきだったのだ。

と前置きをしたところで、このコラールの後半の四声楽譜を載せる。

繊細かつ力強い和声付け!元のメロディーがバッハのものでなくとも、これはバッハの音楽そのものである。ある解説はこのコラールのことを「淡々と」と評していた。これのどこが「淡々」なのかと思う。

モテット第2番の終曲コラールの歌詞とメロディーについては以上である。終曲以外の部分の詩は、新約聖書のローマ人への手紙第8章26,27節からとられており、曲はバッハのオリジナルである。

こうやって書いているうちに、私の葬式用楽曲レースで同着だった2曲のうち、写真判定の末、モテット第2番が1㎝抜け出していることが判明し、単独1着となった。まあ、朝ドラの人気投票でも、放送時が近いものほど人気が高いものである。

 

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物価高のせいで痛風になった(かもしれない)件

2024-11-29 14:34:47 | 料理

永野芽郁は、1868ccのオートバイを駆るそうである。ええー?ブロロン、ブロロンとすごい音がする大型オートバイを?でも芽郁ちゃんなら許す。因みに、私が免許を取って最初に運転した四輪車(親に3万円で買ってもらった)は1000ccだった(サニー1000。エンジンは優秀だった)。

永野芽郁は、「ヨーロッパ」という国があると思っていたそうである。ええー?それって……でも、芽郁ちゃんなら許す。

永野芽郁は、撮影で立ってるときスタッフが座れと椅子をもってきても、他に立ってる人がいると座らないそうである。石破首相には耳が痛いかもしれない(だが、握手を求めてきた外国首脳に対して座って対応したことよりも、みんなが「挨拶回り」をしてるさなかに一人もくもくとスマホをいじっていた姿の方が嘆かわしく思った)。以上、今朝、あさイチで永野芽郁に関して語られた中で印象的だったお話である。永野芽郁の最新出演映画「はたらく細胞」は面白そうである。あまたの細胞の働きで私たちが健康でいられることがよく分かる映画のようである。

健康と言えば、私は健康診断の数値で唯一尿酸値が高くて、痛風持ちなのだが、これまでは2,3年に一度の発症だった。ところが、今年は今回で2回目である(そう、今、痛風発症中である)。いつもより間隔が短い。その理由は、どうやら物価高のせいらしいのである。こういうことである。

世の中物価高である。だから、私は食する肉を鶏に完全にシフトしたことは既に書いた。例えば、最近の私の食卓に並んだ料理はこんなところである。

上段左から右に、鶏の唐揚げ、鶏肉ピカタ、ささみと梅とチーズの挟み焼き(揚げ焼き)、下段左から右に、鶏のトマト煮、シュクメルリ、そして毎朝の鶏ラーである。なかなか栄養価的にも優れていると自画自賛であった。

ところが、痛風になった。もしやと思って「鶏 痛風」でググってみたら、案の定、「鶏肉にはプリン体が多く含まれるため食べ過ぎると痛風になる」がヒット。ど真ん中ストライクである。やはり、「ばっかり食い」はよくないのだな。少し高くても、たまには豚肉を、うーーーーーんとたまには牛肉を食べなければいけないのだな、と反省しているところである。

そもそもの原因は物価高である。そして、物価高を招いたのは、そうでなくてもウクライナ情勢で物価が高騰するのが目に見えているのだから諸外国に合わせて円をもう少し高い方に誘導しなけれればならないのに放置した政府・日銀である。だが、不思議と、そういう声はかき消されがちであった。実は、金持ち=株をやってる人にとっては、円安の方が株価が上がってありがたいのである。ピシッとしたスーツを着て金縁眼鏡をかけた経済の専門家がしたり顔で「円高がいいと言ってる人は何も分かってない」と言う背景には、実はその人が株をやっている事情があったりするのである。

そんな具合だから、今やこの国は、持てる人(株をやってる人=円安を切望する人)と、持たざる人(物価高で鶏肉ばかり食べてて痛風になる人=円高を切望する人)に分断されているのである。

因みに、ある競馬予想家が動画サイトで最近SNSを始めた旨を言ったらゲストの女性競馬記者が、自分の料理を撮ってアップするのはやめてください、と言っていた。件の記者さんは、お店が出す料理=真に美味しそうな料理の写真のみをアップするべき、というお考えらしい。

だが、私が自作料理をアップするのは、不味そうだからである。すなわち、私は、お店の料理が美味しそうなのは当然である、そんな写真は巷に満ちあふれている、そんなものは見たくない、素人の努力のあとが伺える写真こそ見てみたい、という考え、すなわち記者様とは正反対の考えを持っていて、だから自作の不味そうな料理の写真をアップするのである。

 

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ジョン・ウィリアムズも大海

2024-11-28 08:05:05 | 音楽

「バッハはBach(小川)ではない、Meer(大海)だ」と言ったのはベートーヴェンだそうだ。バロックの様式がバッハ一人にみんな入ってるからだ。同じことがジョン・ウィリアムズにも言えると思う。ジョン・ウィリアムズの音楽も実に多彩。金管が咆哮する「スターウォーズ」「スーパーマン」もあれば、ヴァイオリンがすすり泣く「シンドラーのリスト」もある。恐怖をあおる「ジョーズ」もあれば、泣かせる「ET」もある。まるで、教会音楽のような「Exultate Justi」もある。

これらのうち、「金管が咆哮する」でくくった「スターウォーズ」「スーパーマン」の2曲については、巷間似てると言われる。たしかに似たようなフレーズはある。しかし、私は、西に「似てる」という話を聞けばそっちに行って「ちゃう」と言い、東に「同じだ」という話を聞けばそっちに行って「違う」と言う。スターウォーズは、威勢良く始まった後、ゆっくりになってレーア姫のテーマとかが出てきて、それから帝国のマーチも登場したりして、最後、再びメインテーマに戻る(後の方になると、しんみりと終わることも多くなった)。その間、曲想は千々に変化する。つまり変幻自在な交響詩である。それに対し、スーパーマンは、一貫して、タンタタ、タンタタ、ンタタタタタのリズムに支配されている(ボレロのように)。中間部で叙情的なメロディーが出てきても変わることはない。すなわちマーチなのだ。じゃ、私はどっちが好か。そりゃあ、すべてのきっかけはスターウォーズである。私がジョン・ウィリアムズ好きになったのもスターウォーズであった。だが、スーパーマンの音楽の脳天気さは異次元である。前記のリズムに裏打ちされた二つの主題が、これでもかと言うほど転調を重ねて出てくる。クリストファー・リープが亡くなった後、別の人で「スーパーマン・リターンズ」が公開されたとき(音楽全般はジョン・オットマンだったがメインテーマだけはオリジナルのウィリアムズのが使われた)、このテーマを聴いて涙が出た。スーパーマンを聴いて泣く人はそうそうおるまい。

泣くと言えば、私の人生で映画を見てもっとも泣いた三本の中に入るのが「E.T.」である。特に最終盤。E.T.がエリオットに「come!」って言うシーン(え?一緒に行こうってこと?それほどエリオットが好きになったの?)。それに対してエリオットは「stay」って言う。そして抱擁シーン。少年と異形の地球外生物の抱擁は、どんな美男美女のハグシーンよりも心に残る。だが、泣かしている張本人は、実はジョン・ウィリアムズの音楽だと思う。評論家の吉田秀和によると、(バラの騎士の作曲者の)リヒャルト・シュトラウスは、泣くものかと言いながらホントは泣きたくてハンカチを用意しつつオペラ劇場にやってくるご婦人方の涙のスイッチを心得ていて、そこをきゅっとひねって必ず泣かせるのだそうだ。「E.T.」の音楽を書いたジョン・ウィリアムズも同じだと思う。因みに、某通販会社の社長さんなら「E.T.」を「イーテー」と言うのだろうか。

ジョン・ウィリアムズは怖がらせるのも上手である。「ジョーズ」で大サメが近づくときの音楽、ティーラ、ティーラ、ティラ、ティラ、ティラ、ティラ……も当時話題になった。この作品は「スターウォーズ」より前であった。因みに、ドヴォルザークの「新世界」の第4楽章もティーラ、ティーラ、ティラ、ティラ、ティラ、ティラ……である(厳密に言うと、「新世界」は「ティーイラ」である(「イ」が入る))。

と書いてきたが、実は、私がジョン・ウィリアムズの音楽で一番好きかもしれないのは「太陽の帝国」のエンドロールで流れた「Exultate Justi」。少年合唱で、ポリフォニーの要素も入ってて、ルネサンス・バロックの宗教曲のよう。レパートリーに入れている合唱団も多いようで、動画がいくつかアップされている。まっさらな気持ちで聴くと快活な曲なのだが、私はセンチメンタルな気持ちになる。というのも、この映画を初めて観たのは、飲んで帰れなくなって入った新宿のオールナイトの映画館で、当時は入れ替えなどなかったから朝になるまで三回は見たと思うのだが、その映画が戦争で親とはぐれて大陸を彷徨う少年の物語で、最後、親と再会してThe End、そして件の音楽が始まるのだが、それを一晩に三回も観たものだから、私の脳内で少年の苛酷な体験が音楽と結びついて、で、感傷的な気分になるのである。

因みに、飲んで帰れなくなる、という体験は、若いときのみならず、つい最近まで数え切れぬほどしてきたワタクシである。すいぶん人生を浪費したな、と思う反面、ジョン・ウィリアムズの「Exultate Justi」との出会いは飲んで帰れなくなったからだから、悪いことばかりでもなかったかも、と開き直るワタクシである。

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コラールの成り立ちVol.3「イザークからバッハへ」

2024-11-27 19:34:20 | 音楽

ヨハネ、マタイと続いたコラールの成り立ち話の今回は、ヨハネとマタイの揃い踏み。更にBWV97他のカンタータもからんでくる。すなわち、ハインリヒ・イザーク(Heinrich Isaac(1450年頃~1517))の「インスブルックよ、さようなら」が、バッハのこれらの作品のコラールの元になった、という話である。最初に、なるほど元曲だということを確認しておこう(調は比較し易いようにどっちもハ長調にしてある)。

え?似てるようでもあり、似てないようでもあり?コラールの最初のミを除けば、ドレミ(ファ)ソファミという流れは同じである。

今回は、これまでと違い、源流が一本で、下流が何本にも分かれている話である。だから、これまでは源流に遡る旅路(上流への旅)だったが、今回は源流から下っていく旅路(下流への旅)である。

ということで、スタートはイザーク。盛期ルネサンスの作曲家である(これまでの登場人物の中ではダントツで古い)。この人が「インスブルックよ、さようなら(Innsbruck, ich muß dich lassen)」という世俗曲を書いた。おっと、これまで「誰々作」と言った場合その人は作詞者で、この時代、作詞者の方が偉かったのかなー、などと書いたが、イザークはこの曲の作曲者であり、不明なのは作詞者である(注1)。

その後、この曲をベースとして「O Welt, ich muss dich lassen(俗世よ、さらば)」という賛美歌が編纂された。編纂者は不明である(注1)。イザークの曲の歌詞の「インスブルック」を「O Welt(俗世)」に置き換えることによって世俗曲が宗教曲(賛美歌)に変容しているが、メロディーはイザークの曲が元となっている。この賛美歌が元となって、何本もの分流が生まれた。

その一つが、Vol.2でおなじみの教会作詞家パウル・ゲルハルトが作詞した賛美歌「O Welt, sieh hier dein Leben(俗世よ、ここでお前の生を見よ)」である(注2)。

このゲルハルト作の賛美歌(元をただせばイザークの曲)がバッハによってヨハネ受難曲とマタイ受難曲に使われたのである(注2)。ゲルハルトの賛美歌は16節から成るが、使われたのはヨハネとマタイのいずれも第3節と第4節である。第3節は「Wer hat dich so geschlagen?(誰があなたをそんなに打ったのか?)」という問いであり、第4節は「Ich, ich und meine Sünde(私です、私と私の罪です)」という答であるが、ヨハネとマタイとでは使われ方が異なっている。ヨハネの方は、両節がいずれも受難曲の第11曲で連続して使われていて、問いに対してただちに答が発せられるカタチになっている。これに対し、マタイの方は、問いと答の順番が逆になっていて、賛美歌の第4節が受難曲の第10曲で、賛美歌の第3節が受難曲の第37曲で使われている。

ここで、ゲルハルトの賛美歌の前、すなわち編纂者不明の「O Welt, ich muss dich lassen」に戻り(中流に戻り)、違う下流を下ることにしよう。この賛美歌を元に生まれた別の分流の一つが医者兼作家のパウル・フレミング(Paul Fleming(1609~1640))が作詞した賛美歌「In allen meinen Taten(すべての私の行いに)」である。メロディーの元曲は相変わらずイザークの曲である。

ここに再び賛美歌の使用者としてバッハが登場するのだが、バッハがフレミングの賛美歌を使用した先は三曲のカンタータである(注3)。ただ、今回は、詩を使用しつつバッハが自分で曲を付けてるものもある。次のとおりである。
BWV13:フレミングの賛美歌の全9節のうち最終節のみをイザークのメロディーもろともカンタータの最終曲に採用した。
BWV44:同上。
BWV97:フレミングの賛美歌の全9節をすべてそのままカンタータの歌詞とした(だからカンタータも全9曲である)。その際、第1曲と最終曲のみイザークのメロディーもろとも採用したが、他の曲についてはバッハが新たに曲を付けた。

以上をイザークを被相続人とする相続関係説明図風にまとめると次のとおりである。



ざっくばらんに言えば、バッハのヨハネ、マタイ、BWV13、44、97において、同じメロディー(元はイザーク)が鳴り響く、ということである。以上である。

注1:ウィキペディアドイツ語版の「Innsbruck, ich muss dich lassen」
注2:ウィキペディア英語版の「O Welt, sieh hier dein Leben」
注3:ウィキペディアドイツ語版の 「Paul Fleming」

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