黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

台地を行くVol.4(道潅山)

2024-10-28 11:33:09 | 地理

西日暮里駅は、何十年も単に乗換(JRと地下鉄千代田線)のみの利用で、駅外に出たことなど覚えてないくらいなのだが、上野台地を歩き回るうちに、上野台地が一番狭くなった箇所が西日暮里駅の辺りで、そこを道潅山通りが突っ切ったため台地が分断されたこと、分断でできた南北二つの崖のうち北側の崖の上にかつて道潅山という山があったこと(南側の崖の上は諏訪台であり、現在西日暮里公園がある)、そしてこの道潅山が江戸時代以前は景勝地であったことを知った。そんなに偉い場所だったのか、頭の下がる思いである。そこで、今回は道潅山に絞って探索を試みた。

西日暮里駅を降りて、道灌山通りに出て、通りの向こうを仰ぎ見ると、分断された上野台地の北側の崖(法面)がそびえ立つ。

この上にかつて道潅山があったのである。

これまで、道灌山通りから上野台地上に戻るために線路に沿った坂道を上ったのだが、今回は、由緒ある坂を上ってみた。「ひぐらし坂」である。登り口は道潅山通りに面していて、左端に坂名を記した標識がある。

坂の途中に遺跡を表す標識が現れた。

縄文時代から弥生時代にかけての竪穴式住居の跡が発掘されたそうな。なぜ、この場所に遺跡があるかと言えば、太古の昔、この辺りが陸地の端だったからである。だから、高台から東の崖下を見ると、今は線路があって、その先にビルが立ち並んでいるが、

ここが海だったわけだ。その後、埋立てが進んで陸地が広くなった後も、現在の線路の箇所には音無川が流れていて、

道灌山(広重)出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」
(https://www.ndl.go.jp/landmarks/)

その先は田園風景で、それを見下ろす道灌山はなかなかの観光スポットだったという。

道灌山虫聞之図(広重)出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」 (https://www.ndl.go.jp/landmarks/)

現在、道潅山があった辺りは学校のグラウンドになっていて、そのグラウンドの脇に「道潅山」の標識が立っている。

なお、道潅山に登る坂で名前の付いている坂にはもう一つ向陵稲荷坂がある。

ここを上っていくと、前記のグラウンドの脇に出る。

この辺には同じ種類の木がいくつか植わっていた。

♪このーきなんのききになるき!だが、気になるのを止めて(「憧れるのを止めましょう」by大谷翔平)先にいくと、先ほどのひぐらし坂の坂上に出る。

ひぐらし坂を今度はさっきと逆に下っていくと坂の途中に歩道橋が現れる。

道潅山通りを渡って反対側の崖上(諏訪台)に行くには、通りまで降りなくてもここを渡ればよい。渡った先にあるのが西日暮里公園であり、そこに「環」というブロンズ像(三人の裸婦像)があるのであった。そのあたりのことは既に記事にした。

今回、ちょろちょろ動き回ったのは、下図の中央辺りである。

ということで、今回の記事はここまでである。次回のVol.5は、少し趣向を変えて、車窓から見た崖のレポートをするつもりである。

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台地を行くVol.3(西日暮里~飛鳥山公園~駒込)

2024-10-26 08:48:12 | 地理

「台地を行く」シリーズの今回は、上野台地の北側を踏破することである。前回、京浜東北線・新幹線と山手線が分岐するところを横見で見つつ西に折れたから、今回はそのまま北進しようという作戦である。

スタートは、前回途中で通過した西日暮里。上野台地を道灌山通りが寸断する崖好きの聖地である。そこから台地の上に上り、かつて道潅山があった高台の尾根に敷かれた田端高台通りを北に向かって歩く。しばらく歩くと(歩き慣れてない人にとっては、だいぶ歩くと)、分岐した山手線の上に架かる跨線橋、その名も富士見橋が現れる。前に歩いたときはここで左折して駒込駅に向かったが、今回は橋を渡る。渡ってからちょっと脇にそれると、いっそう山手線の分岐の様子が分かる。

おー、山手線が曲がって来る来る!ここで上野台地を寸断しているのは山手線であり、崖の高さが台地の高さを物語っている。なお、山手線が曲がるところを直進する高架が新幹線の高架であり、その続きを後で見ることになる。

元の道に戻ってひたすら北上すると、古河庭園のあたりで本郷通りと合流する。なおも歩くと、しばらくして(歩き慣れてない人にとっては相当経って。スタートからは京浜東北線の駅で3駅分の距離である)飛鳥山公園が現れる。

いたるところに、今流行(はやり)の渋沢栄一に関するモニュメントがある。この公園の一部は、かの渋沢栄一の屋敷跡だそうだ。

公園の東端のところどころ、木立の間から東側の景色が見える。ここは上野台地の東端であって崖下は在来線の線路であり、その横の高架は新幹線(東北&山形)である。先ほど、後で見ることになると言った新幹線の続きがこれである。

写真の新幹線の車両は、東北新幹線用のE5系と山形新幹線用のE8系を連結したもの。E8系は、今年デビューしたばかりだという。もともと、ひかり号の0系しか知らない私であるから、E5,E8などの名称はたった今、苦労の末に知ったところである。因みの因みに、最初の車両を「1」ではなく「0」と名付けたのは、試作品サイボーグである009たちが「ゼロゼロナンバー」であることとなにかしらの関連性があるのだろうか。

とこどころに崖下に下りる階段がある。

この階段を見下ろすだけでもなかなかの台地の高さが感じられる。

ここではまだ降りず、公園内をひたすら北に向かって歩くと、いよいよ公園の北端=上野台地の北端にぶちあたった。北端は崖になっていて、見下ろすとなかなか深い。

まさに「崖っぷち」である。台地の終焉はこうでなければ!

崖の高さを実感したことに満足して下の道路に降り、そこから見上げると、

なかなか高い(なかなか深かったのだからなかなか高いのは当然である)。すぐ脇にはJRの王子駅があり、さらに都営荒川線の王子駅もある。その都営荒川線が一般道の横断歩道の手前で歩行者が渡るのを待っていた。

「歩行者は電車に注意」の文字がある。へー!都電と言っても専用軌道なんでしょ?と思っていたら、こんな風に、一般道を跨ぐ箇所もあるんだなー。

すぐ近くには、石神井川が流れている。

東西を流れて隅田川に合流するのだが、かつて、この辺りで音無川が分流し西日暮里の先まで流れていた。その川跡を走っているのが京浜東北線である。

さて、帰途は、再び上野台地の上に乗り、本郷通りを行きとは逆に南下したのだが、はて、本郷通りと言ったら本郷台地の上を通っているはず。ここは上野台地である。本郷通りは台地を乗り換えるのだろうか。よし、確かめよう。田端高台通りに通じる交差点で田端方面には行かず、そのまま本郷通りを進む。すると、下り坂になった(写真では傾斜をうまく撮れない)。

我が意を得たり!今、上野台地を下っているのだな。そして、下り切ってしばらくすると今度は上り始めた(写真では傾斜をうまく撮れないpart2)。

我が意を得たりパート2!今、本郷台地を上っているのだな。まっこと、本郷通りは二つの台地を乗り換えていることを確認し、上りきったところで口を開けていた駒込駅から電車に乗ってこの日のミッションは終わったのであった。

この日の踏破エリアの簡略図である。

点線が踏破したルートである。

さて、Vol.2で途中に通過し、Vol.3(今回)の起点となったのが道潅山である。次回のVol.4は、その道潅山特集である。見てねー(テレビか)。

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台地を行くVol.2(上野~田端~駒込)

2024-10-25 08:19:35 | 地理

台地の行脚紀行は、今回から各論である。今回は、上野台地を上野から田端を経て駒込まで歩いた記録である(旧ブログに載せたものの再構成である)。

スタートは上野公園の南口である。

台地の入口と言うにふさわしい上り階段。私は上り階段で燃えるタイプである。陸上部の練習で階段を駆け上がった記憶が蘇るのである。塀の内側にいらした方々が行進を見るとついて行きたくなるのと一緒(?)である(映画「うなぎ」で見たシーンである)。

ここを上って、しばらく上野公園内を進むと上野駅(公園口)が現れる。

昔は、上野駅と東京文化会館の間に車道があって、信号が変わるのを待って渡ったものだが、今は往来が自由自在である。

本来は、ずっと台地の縁を崖下の線路を眼下にしながら歩きたいのだが、縁に道がない箇所が多く(そういう箇所に多くあるのはお墓である)、かと言って崖に住むヤギでもスパイダーマンでもないから断崖を這って進むわけにもいかないので、とりあえず台地の尾根(中央)を歩きつつ、崖下に通じる坂が出てきたらそこを進み、跨線橋の袂まで行って線路を上から眺めて元の道に戻るという「タッチ・アンド・ゴー」作戦、あるいは、ムハメド・アリが行った「蝶のように舞い、蜂のように刺す」作戦をとることにした。

その跨線橋の一つが日暮里駅の脇を通る御殿坂の先に架かる下御隠殿橋(しもごいんでんばし)である。

左側の断崖が上野台地の縁である(こういう断崖の景色が崖好きの心をわしづかみにするのである)。この橋の下を走っている路線は京浜東北線、山手線、新幹線(東北、山形、秋田、北海道、上越、北陸)、高崎線、宇都宮線、常磐線そして京成線だそうだ。ん?京成線?そう、京成本線も走っている。この辺りではJRに並行しているが、ここより少し手前でJRの線路に交叉して山手線の内側に入り、

地下に潜って京成上野駅に向かうである。

先ほどの御殿坂に戻ろう。下御隠殿橋を背にして御殿坂をずーっと上っていくと、途中から下り坂に転じ、「夕焼けだんだん」を下りると「谷中銀座」になる。いわゆる「谷根千」である。だが、今回の目的はそちらではないので、「夕焼けだんだん」の手前を右折して諏訪台通りに入る。

しばらく歩くと、左手に「富士見坂」が現れた。

いかにも昔は富士山が見えたけど今ではビルが邪魔して見えません風の坂である。

ところで、今、台地の尾根を歩いていて、ちょっと東に行けば崖なのに(その下に線路)、西を向くとすぐさま下り坂。なんだか妙に台地が狭くなった気がする。この感覚は正しかった。この辺り(西日暮里駅の辺り)が上野台地の一番狭い箇所である。だから、切り通して道路を通すのに適している。その道路こそが、西日暮里駅前にあって台地を寸断する道灌山通りである。

だから、上野台地を北進するためにはここでいったん台地から下り、道灌山通りを渡ってまた上ることとなる。上ったところにかつてあった山が道潅山で、それが通りの名になっているわけだ。道潅山については別の機会に特集する予定である。

そうやって、再び戻った高台を通る道が「田端高台通り」である。木々の合間からときたま下界(線路)が見える。

オリュンポスの神々もこのようにして人間界を覗いていたのだろうか。

しばらく歩くと、通りから脇に逸れたところに田端駅の南口が現れた。

田端駅は山手線と京浜東北線の乗換駅だからホームは大きく都会の駅そのものだが、この南口はえらく鄙びている。それでも「オリュンポスの神々」にとっては大事な改札口であろう。などと思っていたら、急ぎ足で駆け下りてくる神々の一人とすれ違った。へー、神様も急ぐことがあるんだ。私の奥地の家の最寄り駅じゃないんだから、そんなに急がなくてもすぐ次が来るだろうに。

さて、田端を過ぎると、いよいよ、京浜東北線・新幹線と山手線が分かれる分岐点である。

写真の上が北に向かう新幹線であり、下が西の池袋方面に向かう山手線である。なお、この写真は合成である。そう都合良く二路線の電車が一緒に来てくれるわけはない。山手線は、ここからしばらく上野台地を突っ切って進むため、進行方向の右手にも断崖を見ることになる。今回は、私も、山手線に沿って、北に直進する富士見橋を渡らずに左折して駒込駅を目指すことにした。

ここまで来ると、上野台地に乗っかってるのもあとわずかである。これまで線路を見下ろしてきたのに駒込駅に近づくにつれ、だんだん高さが同じになっていく。そこに突然、踏切が現れた。

え?山手線に踏切なんてあったっけ……って、現に目の前にある。「第二中里踏切」と言って山手線に残る最後の踏切だそうだ。廃止が決まっているそうだ。

踏切があるということは、道路と線路の高さが同じということであるが、ここら辺の山手線は盛り土の上を通ってるから(並行する湘南新宿ラインはずっと下を走っている。これが谷筋だろう)、まだ台地の上。だが、それもすぐ終わる。台地を下りきったところに駒込駅がある。この回の小旅の終点である。

今回のルートを表したのが次の図である。

赤い点線が踏破ルートである。なお、Vol.3は、京浜東北線・新幹線と山手線の分岐点で左折せず、富士見橋を直進して飛鳥山公園に向かった日の記録である。お楽しみに~(テレビか)。

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台地を行くVol.1(武蔵野台地の北東部の概要)

2024-10-22 08:54:08 | 地理

東京23区は、その西半分は武蔵野台地に被われ、東半分は低地である。武蔵野台地は、さらにいくつかの台地に分断される。分断の原因は谷である。谷は川が削ったものである。また、江戸幕府はお濠をたくさん作ったが、その一部は天然の川を利用したものである。私は、こうした台地、川、お濠が大好物であり、その成り立ちを調べ、その縁(へり)を歩くのが趣味である(私にぴったりの趣味=金の掛からない趣味である)。そのお勉強の成果や歩いた記録を、他の記事の合間に当ブログで語ろうと思う。

まずは、武蔵野台地について、今回はその北東部分の概要である。東端から、上野台地、本郷台地、白山台地、小石川台地がある。図にするとこんな感じである。

右端(東端)にあるのが上野台地。これが武蔵野台地の東端であり、これより東側(台東区)は低地である。台東区の名称は「台地の東」から来ていると信じる私である(裏はとってない)。その上には上野公園が乗り、北端では飛鳥山公園が乗っている。いわゆる「上野のお山」である。

その左隣が本郷台地。東京帝国大学のキャンパスがある。その南端は御茶ノ水の辺りである(北端のことを聞かないでほしい。よく先生が知らないことを質問して先生を困らす生徒がいる。私はそういう生徒であり、先生から嫌われていた)。

白山台地は、本郷台地の付け根の辺りからちょびっと分岐した台地である。小石川植物園はこの上に乗っている。

そして、その左が小石川台地。傳通院はこの上である。小石川植物園はその名称にもかかわらずこの台地の上にないことがフェイントである。だいたい、大通りは低い谷筋を走るものだが、春日通りは、この台地の真ん真ん中を通っている。夏目漱石の小説には、ここいらの情景がよく登場する。

注目点は電車の駅の位置である。そもそも私がここいらの地形に興味を持ったのは、鉄道と台地の関係に注目したからであった(あと、漱石にも影響された)。すなわち、京浜東北線・新幹線は、上野台地の東の縁(崖下)を台地に沿うように走っている。これに対し、山手線は、上野から田端までは京浜東北線・新幹線と並行して台地の縁を通っているのだが、田端の先で京浜東北線・新幹線と分岐して上野台地を縫うように横断するのである。

以上に対し、中央線・総武線は、これらの台地が南端で切れた所を神田川の流れに沿って走っている。

というわけで、いよいよ次回Vol.2から各論に入る。Vol.2は、上野台地を上野から田端を経由して駒込まで歩いた記録を記す予定である。

今回のシリーズにあたり、基本となる図を作成・用意した。

一枚目の図は、この図から詳細情報を取り除いたものである。以後、この図をベースとし、各回の必要に応じて部分的に切り取って使っていくつもりである。

当初案では、いきなり各論から入ろうとしたが、いきなり感が強かったので、今回の総論をVol.1としたものである。これがヴァーグナーだったら、今回を「序夜」として、次回をVol.1としたことだろう。実際、彼は、始めに「神々の黄昏」を書こうとして、以前の説明が必要だと感じて「ジークフリート」を書こうとして、以前の説明が必要だと感じて「ヴァルキューレ」を書こうとして、以前の説明が必要だと感じて「ラインの黄金」を書き、「ラインの黄金」を「序夜」とし、「ヴァルキューレ」からを「第1夜」「第2夜」「第3夜」としたものである。歌詞にダブりが多いのはそういう事情によるものである。

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