西日暮里駅は、何十年も単に乗換(JRと地下鉄千代田線)のみの利用で、駅外に出たことなど覚えてないくらいなのだが、上野台地を歩き回るうちに、上野台地が一番狭くなった箇所が西日暮里駅の辺りで、そこを道潅山通りが突っ切ったため台地が分断されたこと、分断でできた南北二つの崖のうち北側の崖の上にかつて道潅山という山があったこと(南側の崖の上は諏訪台であり、現在西日暮里公園がある)、そしてこの道潅山が江戸時代以前は景勝地であったことを知った。そんなに偉い場所だったのか、頭の下がる思いである。そこで、今回は道潅山に絞って探索を試みた。
西日暮里駅を降りて、道灌山通りに出て、通りの向こうを仰ぎ見ると、分断された上野台地の北側の崖(法面)がそびえ立つ。
この上にかつて道潅山があったのである。
これまで、道灌山通りから上野台地上に戻るために線路に沿った坂道を上ったのだが、今回は、由緒ある坂を上ってみた。「ひぐらし坂」である。登り口は道潅山通りに面していて、左端に坂名を記した標識がある。
坂の途中に遺跡を表す標識が現れた。
縄文時代から弥生時代にかけての竪穴式住居の跡が発掘されたそうな。なぜ、この場所に遺跡があるかと言えば、太古の昔、この辺りが陸地の端だったからである。だから、高台から東の崖下を見ると、今は線路があって、その先にビルが立ち並んでいるが、
ここが海だったわけだ。その後、埋立てが進んで陸地が広くなった後も、現在の線路の箇所には音無川が流れていて、
道灌山(広重)出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」
(https://www.ndl.go.jp/landmarks/)
その先は田園風景で、それを見下ろす道灌山はなかなかの観光スポットだったという。
道灌山虫聞之図(広重)出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」 (https://www.ndl.go.jp/landmarks/)
現在、道潅山があった辺りは学校のグラウンドになっていて、そのグラウンドの脇に「道潅山」の標識が立っている。
なお、道潅山に登る坂で名前の付いている坂にはもう一つ向陵稲荷坂がある。
ここを上っていくと、前記のグラウンドの脇に出る。
この辺には同じ種類の木がいくつか植わっていた。
♪このーきなんのききになるき!だが、気になるのを止めて(「憧れるのを止めましょう」by大谷翔平)先にいくと、先ほどのひぐらし坂の坂上に出る。
ひぐらし坂を今度はさっきと逆に下っていくと坂の途中に歩道橋が現れる。
道潅山通りを渡って反対側の崖上(諏訪台)に行くには、通りまで降りなくてもここを渡ればよい。渡った先にあるのが西日暮里公園であり、そこに「環」というブロンズ像(三人の裸婦像)があるのであった。そのあたりのことは既に記事にした。
今回、ちょろちょろ動き回ったのは、下図の中央辺りである。
ということで、今回の記事はここまでである。次回のVol.5は、少し趣向を変えて、車窓から見た崖のレポートをするつもりである。