男男の話が続いたので男女のことも。ネット動画が「市原悦子が語る江戸のなんちゃら」って映画を奨めてきたからてっきり江戸の地理の話(幕府開幕の頃は日比谷が入江でその外側を「江戸前島」と言って今の銀座辺りだった等々)だと思って見始めたら、冒頭に「昭和61年9月25日東京高等裁判所判決に基づき昭和61年12月18日東京税関の通関許可を受けた」という「お断り」が入った。判決・税関とくれば猥褻案件?当たりであった。つうか、判決に基づく通関許可を受けたから猥褻物ではない、という案内である。すなわち、この作品は「愛のうつし絵 市原悦子が語る江戸文化の神髄」というタイトルで、浮世絵の中でも春画にスポットライトを当てた作品であった。「浮世絵の中でも春画」と書いたが、この作品に拠ると、浮世絵は春画から始まったし、美人絵は遊女の肖像画から始まったそうである。
さような断り書きを入れるくらいだからなかなかの意欲作であり、「単体」は遮るものなく映し出されていたが、結合シーンにはすべて小判が貼り付けられていた。これが限界だったのだろうか。映画「ヌオーヴォ・チーネマ・パラディーゾ」(ニュー・シネマ・パラダイス)には、当局の規制が強くなりキスシーンがすべてカットされたことに対して映画館内の客が盛大にブーイングをするシーンがあったが、この映画(江戸のなんちゃら)を映画館で見た人々は小判を見て、小判より絵を見せろ、と叫んだとは思えない。なにしろお役所には頭の上がらない国民性である。よくぞここまで見せてくださいましたとの感謝の念に堪えなかったものと推察する。
「小判」と書いたが、「大判」だったかもしれぬ。なにしろお金には縁がないから違いが分からない。
そう言えば、都内の美術館で春画展が開かれたことがある。ちょうど10年前であるから、平成も後半期に入っていた。そう考えると、昭和の時代にあそこまで表現した制作陣には喝采を送るべきだろうか。
ところで、作中に、春画の最高傑作という作品が出てくるのだが、人物の背後に「春は3回、夏は6回」と書いたものがあった。絵の内容からしてまぐあいの回数だと思うが、1日の回数だろうか?季節における回数だろうか?前者なら多すぎるし、後者なら少なすぎる気がする(オペラ「ばらの騎士」のオクタヴィアン(17歳)なら一日でも多すぎないだろう)。いずれにせよ、春より夏の方が回数が多くてしかるべき点については同オペラのオックス男爵も「Juni(6月)、Juli(7月)、August(8月)」と言って同意の様子である。
特に、「8月」を高い音で伸ばしているから(楽譜の赤丸)、男爵は8月を最適の季節と考えているようである。もっとも、これは外でいたす場合の話であり、昨今の地球温暖化のことを考えると熱中症には十分注意しなければならず、できるなら冷房の効いた室内でいたすべきだと思う。