黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

推定無罪

2024-12-14 11:18:40 | 法律

半年前に漬けた杏酒を解禁。

旨!だが甘。レシピ通り氷砂糖をたくさん入れたもんな。たくさんは飲めない。この容器が二本あるから一生分あるだろう。奥地の家の杏の木は成敗(伐採)したから自分ちの杏で作る杏酒は後がないが十分である。

この日、併せたのはシュクメルリ(と冷やご飯とサワー)。

シュクメルリとカタカナで言えばジョージア料理だが、日本語で言えばニンニクをたっぷり使った鶏の牛乳煮込みである。

すると、夜中に痛風発症。2,3週間前に罹ったばかりである。原因として考えられるもの=杏酒、ニンニクと鶏肉たっぷりのシュクメルリ、歩きすぎ等々。いずれも状況証拠のみであり、犯人と決めつけるには証拠不足。

因みに、紀州のドンファンさんの事件で、元妻さんが一審で無罪になった。検察が提出した証拠は状況証拠のみであった。裁判に関与した裁判員の一人(若い男性)が顔出しで記者会見に応じていて、「有罪と言われれば有罪、無罪と言われれば無罪。そういう場合は無罪にすべきと思った」と語っていた。「推定無罪」の原則に則った判断だと思う。とかく、誰でもいいから怪しい人を有罪にして溜飲を下げようとする世間におもねらなかったのは見上げたものである。そもそも、憲法が被疑者、被告人の権利を厚く保障しているのは、時の権力者が自分に都合の悪い人を罪人にしたてあげてとっ捕まえた悪しき歴史を反省してのことである。それを思えば「疑わしきは罰せず」は当然である。「世間」といったが、世間はよく分かっていて、分かっておらずにすぐに「疑惑」を持ち出して大騒ぎするのはワイドショーだけかもしれない。

裁判ついでにもう一つ。同性婚を認めないのは憲法違反である旨の高裁判決があった。「幸福追求権」を保障した憲法13条にもとる、という判断であった。因みに、裁判所が13条違反というときは、具体的な人権を保障した他の条文でカヴァーできない新しい人権(まさに同性婚をする権利等)を保障する必要が生じたときである。「思想」「学問」「表現」などと違って、「幸福追求」というのは非常に曖昧である。曖昧だからこそ、憲法に書いてない種々の人権を一手に引き受けることができるのである。過去、喫煙の自由、髪型の自由等々はいずれも13条で保障されるか否かが争われた例である。なお、13条で保障されうるとしても、個別の事案において制限されることはありうる。例えば、監獄内の喫煙の自由や高校生の髪型の自由については、最高裁判所はいずれも否定した。件の同性婚の権利は、この後、最高裁判所で審理されるであろう。注目である。

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相続の限定承認の後に相続放棄はできない

2024-11-19 10:53:23 | 法律

相続を特集した昨日のあさイチを見ててわが耳を疑った場面があった。ゲストの一人が「相続の限定承認(相続した借金のうち相続したプラスの財産を超える部分は払わなくてよくなる)をした後に相続放棄ができるのか?」と聞いたのに対し、「相続に詳しい弁護士」の先生が「そうなんです」と言ったのだ。私の知識ではできないはず。あらためて、録画を見る(「おーい、ごはんだよ」を残すためにあさイチは毎日録っている)。やはり「そうなんです」と言っている。なにしろ、そう仰った先生は「相続に詳しい」「弁護士」の先生である。二重の箔である。私の頭が変なのか?それとも制度が変わったのか?条文を見ると、やはり「相続の承認(と言ったら単純承認も限定承認も入る)は撤回できない」とある。限定承認の後の相続放棄は限定承認の撤回にあたるからできないことになる。さらに、念押しで、もう読むことはないだろうからと押入の奥に突っ込んでおいた民法の本を引っ張り出してチェック。結論は変わらず。ってことは弁護士先生が間違ったか?だが、間違いだったとしても、今日(昨日)は訂正しないだろうな、「相続に詳しい」「弁護士」の先生にその場では誰も異を唱えないよな、訂正するとしたら明日だ、と思って明日(今日)を待つことにした。

そして今日(昨日の明日)になった。訂正するとしたら、「おーい、ごはんだよ」が終わって鈴木アナにカメラが切り替わったときだ、と思ったらまさにそのとき、鈴木アナが「昨日の放送について訂正があります」と切り出した。訂正と言いながらいろんな考え方がある等々言い訳がましい場合が多々あるが、今回は「限定承認をした後に相続放棄はできません。確認が不十分でした」ときっぱり。それだけ重大な誤りであったわけだ。そりゃそうだ。○○スポーツの記事ではない。天下のNHKである。人は信じるだろう。しかも、その内容は国民にとって重大関心事である(だから特集したのだろう)。相当数の国民が誤った知識を植え付けられたのだから訂正は当然である。だが、昨日の放送を見た人全員が今日の訂正を見たわけではないだろう。だから、ホントはすぐさま訂正すべきであった。せめてこのブログを読んでいただければ私も社会に貢献できて幸せである(と思ったが、当ブログの信頼性は○○スポーツ以下だし、そもそも誰も読んでないだろうからダメである)。

NHKの誤りと言えば、12年前、FMがフィッシャー・ディースカウの追悼番組を放送したとき、ヨッフム指揮のマイスタージンガーのオケをプラハ国立歌劇場管弦楽団と紹介していて、え?フィッシャー・ディースカウが歌ったドン・ジョヴァンニならそうだけど、マイスタージンガーだったらベルリン・ドイツ・オペラじゃないの?と思ってNHKに問合せをしたら、「おっしゃる通り」というご丁寧なお返事がきた。だが放送で訂正したかどうかは知らない。まあ、今回の事と違って訂正しなくても社会的損失はほぼゼロであったろう。せいぜい、放送を聴いたマニアが他のマニアと飲んだ際、「プラハだ、NHKがそう言ってた」「違う、ベルリンだ」で喧嘩になって血を見るくらいのものである。

昨日の放送に戻るが、他にもひどい話があった。と言っても、そっちはNHKがやらかしたわけではない。どこかの区役所の職員が、相続放棄した人に、被相続人の未払いの住民税を払ってもらわなければ困る、と言ったというのだ。もちろん、相続放棄した人は、被相続人の一切の債務を履行する必要はない。住民税だって同じである。言われた人は、自分で調べて、払う必要がないと分かって、担当職員にその旨を言っても謝りもしないので区役所に文句のメールを送ったらそこで初めて謝罪メールが返ってきたという。「今後、職員教育を徹底する」ともあったそうである。当然である。まあ、その職員は単に無知だったのだろうが、かりに故意だったら(払わなくていいことを知っていながら騙して払わせようとしたのなら)詐欺罪(未遂)である。

だが、このご時世、文句を言うにも節度が必要である。区役所に行って大声でわめきたてたりしたら「カスハラ」のそしりを受けかねないし、場合によると公務執行妨害でお縄になる可能性だってある。

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そのうそほんと?

2024-11-01 09:36:14 | 法律

吾輩は嘘つきである。名前はまだない。ほら、嘘をついた。黒式部という名前がある。そのうそほんと?

疑問。「そのうそほんと?」とは、「まっこと嘘」ということか、嘘の嘘でホントはホント、ということか、どっちだろう。

嘘と言えば、ウィーンに旅行に行ったとき、街角に政治家の名前と「Er lügt」(彼は嘘つき)と書いた立て看板があった。政治家が嘘つきであることは、洋の東西を問わないらしい。ただ、言ったときはホントにそう思っていたが後に考えが変わったのだったら厳密には「嘘」とは言わない。だから、総理候補が「すぐには解散しない」と言ってて総理になった途端に解散したりとか、新婚さんが「一生愛します」と言ってすぐに離婚したとしても、それは心変わりであって嘘ではないかもしれない。

それでも、すぐに解散したことはやはりウケが悪かったようで、今回の総選挙で与党が惨敗したわけだが、かりに、自民党と国民民主党と立憲民主党が大連立を組んだ場合(組まないだろうけど)、その場合の方程式は次のとおりである。
三党の大連立=(自由+国民+立憲)×民主党
この式で明らかなように、三党とも形容詞をとると民主党である(自由民主党は普段自民党と呼ばれてるから見落としがちな事実である)。ってことは、三党とも民主主義を旨としているわけだが、形容詞の違いは実際の各党の性質を表しているだろうか?検討してみよう。

自民党が「自由」を冠している点は、保守政党であることと符合する。人権を擁護する近代憲法にも今昔があり、近代憲法が登場した頃(昔)、人権の中心は領主からの「自由」であった。保守政党は、「昔」を大事にする政党であるから、「昔」において最重要の価値であった「自由」を党名に掲げるのは理にかなっているのである。だが、自由自由と言ってる間に貧富の差が拡大した(貧乏になる自由)。その較差を是正するために社会政策で社会を変えよう、と言うのが「今」であり、革新政党の主義主張である。

これに対し、「国民」と「立憲」については、本来、三党とも「国民主権」と「立憲主義」に立脚しているであろうから、それぞれ国民民主党と立憲民主党の専売特許のように思われるのは他党にとっては歯がゆいことかもしれない……え?そんなこと気にしない?あっ、そうかもね。

因みに、「立憲主義」とは、人権擁護の憲法が最上位にあってそれに反する法律等は無効になる、という原理である。前朝ドラで、刑法の中の尊属殺重罰規定を最高裁判所が違憲無効としたのは、憲法の平等原則に反したからである。

なお、民法では、嘘(心裡留保)は、原則として有効である。例えば、買う気がないのに「これ、買います」と言ったら、原則として売買は有効に成立し、後から買う気がなかったと言って覆すことはできない。ただし、同じ民法でも、婚姻等の身分行為となると話は別で、そこで重要なのは「真意」である。婚姻届を出しても、婚姻の真意がなければ当該婚姻は無効である。

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続・総理大臣の指名選挙で過半数をとった人がいなかったら

2024-10-31 10:08:19 | 法律

何回か前のブログで、「総理大臣の指名選挙の決選投票で(出席議員の)過半数でなくても多数で当選するというが、上位2名の決選投票で過半数でないのに多数となることがあるのか?」という疑問を呈したが、そのときもうっすら書いた通り無効票とのからみでそういう事態が起こりうるのであった。まず、おさえておくべきは、「過半数」は出席議員の過半数であって有効投票数の過半数ではないということ、そして、決選投票で1回目で3位以下だった候補者名を書いた投票は無効になるこということである。すると、今度の首班指名において、(全員が出席するとして)出席議員465の過半数は233であるが、国民民主党は今から「決選投票においても玉木雄一郎と書く」と言っているから465票のうち28票が無効となり、有効投票数は437でその過半数は219。この数字は出席議員の過半数には届かないが「多数」である(どう逆立ちしても他の名前を書いた投票はこの数字を越せない)。だから、自公は自分たちの215票にあと4票乗っければ石破さんを当選させることができることとなる。

だが、ルールはあくまで「上位2名」による決選投票である。すなわち、規則は、2名のどっちかの名前を書いてちょうだいね、と言っているのである。なのに、逆らって、故意に3位以下の名前を書くことって、道義上どうなのだろう。棄権の自由の一種なのだろうか。「棄権の自由」については、これはこれで議論のあるところである。

以上は、あくまで自公の議員が結束して石破さんの名前を書いた場合の話である。

それにしても、こんだけ選挙で大敗して退陣の「た」の字も言わない総理大臣は過去に記憶がない。比類なき胆力と言うべきである……この文章に対して人様が私めに下さるお言葉をタイプ別に予測すると、
①石破ファン&超素直→お褒めの言葉
②石破ファン&ひねくれ→お叱りの言葉
③アンチ石破&超素直→お叱りの言葉
④アンチ石破&ひねくれ→お褒めの言葉
という分類になろう。

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総理大臣の指名選挙で過半数をとった人がいなかったら

2024-10-28 13:13:40 | 法律

自公過半数割れを受けての某ワイドショーで、上から目線のコメンテーターが、国会での総理大臣の指名について「過半数をとれなくてもいい。一番多く票を取った人が選ばれる」と言っていた。私はわが耳を疑った。総理大臣の指名だって国会の議決である。国会の議決は、もっともハードルの低い普通決議だって過半数が必要である(可否同数のときは議長が決める)。これは、憲法が定めていることである。変だな、と思ったら、別の解説者が「一回目の投票で過半数を得た人がいない場合は、上位2名による決選投票になる」と言った。上位2名による決選投票なら、そこではやはり過半数は必要なのでは?

ここは、人の話を聞くのではなく、根拠条文をあたってみよう。根拠条文を探したがなかなか出てこない。多くの人にとっては根拠条文などどうでもよいのだろうが、そういう態度だと一人がウソをつけば全員が騙されることになる。ようやく見つかった。衆議院規則18条(及び同条が準用する同規則8条)であった。ふむ、それによると、「投票の過半数を得た者を当選人とする。投票の過半数を得た者がないときは、投票の最多数を得た者二人について決選投票を行い、多数を得た者を当選人とする」とある。決選投票について「過半数」と言わずに「多数」と言っている。だが、2名による決選投票の多数と言ったら通常は過半数であろう。過半数ではない多数という事態があるだろうか。決選投票で上位2名以外の名前を書いたら無効になるから、そうした無効票が多ければ、「過半数」でなくても「多数」という事態が起こり得そうである。いずれにせよ、前記のコメンテーターがそこまで理解したうえで「過半数をとれなくてもいい」と言ったかは甚だ疑問である。

そういうことであれば、1回目の指名選挙で最多票を集めた人が総理になるとは限らない。決選投票において、二位以下の陣営が結束して二位の候補に票を集めたら二位の候補が総理大臣になることになる。

これって、結構現実的な話だ。今度の首班選挙で、決選投票になって、野党が一致団結して同じ候補に投票したら政権交代となる。だけど、1回目で三位以下だった政党がみんな決選投票でも自分とこの党首の名前を書いたらそれは無効票になるから、結局、1回目で一位になりそうな与党の候補が当選することになる。

なお、私がどういう事態を望んでいるかいないかは表明しない。政治信条を明らかにしない自由は、憲法19条が保障する思想及び良心の自由に含まれている。だから、人々は、例えば私に踏み絵をさせて政治信条をしゃべらそうとしてはいけないのである(つうか、そもそも、しゃべることがない=政治信条が空っぽだという噂もある)。

なお、前記の条文は、さらに「但し、決選投票を行うべき二人及び当選人を定めるに当り得票数が同じときは、くじでこれを定める」と定めている。くじで総理大臣が決まることもあるとは驚き桃の木山椒の木である。

 

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