黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

民族と言語/「あげー」と言ったらギャル/ヒロインのアリバイ

2025-02-01 10:48:42 | 言葉

人種は混血が進むと民族を決める決定打ではなくなる。私がこの地に引っ越して来た35年前、この辺りは家賃が安いから外国人がたくさんいて(大久保周辺の話ではない)、深夜バスの車内などはいったいどこの国のバスかと思うほど。きっと彼らが日本人と恋に落ちて、20年後には優秀な二世がたくさん育っているだろう、彼らが新たな日本を切り拓くのだろうと思ってたらまさにそうなった。

かつてアーリア至上主義に被われたドイツも、例えば公共放送のニュース番組のMCを日替わりで務める三人のうち一人はジンバブエの血を引き(私は、この人の大ファンである)、もう一人はシリアの血を引いていて、見かけ的にはローマ時代にカエサルが見たゲルマン人とはだいぶ変わっている(因みに、以前、ドイツ人とスペイン人を両親に持つサッカーのドイツ代表がいて、私などから見るとどう見てもドイツ人に見えるのだが、当時習ってたドイツ人のドイツ語の先生などは、スペインの血が入っているのがすぐ分かる、と言っていた)。

では、何をもって日本人、ドイツ人と呼ぶのかと言えば、基準の一つは言葉である。母国語が日本語であれば日本人であり、ドイツ語ならドイツ人というわけである。言語による民族の分類はよく行われてきた手法であり、例えば、中東において、イラン人はインド・ヨーロッパ語族であり、アラブ人はセム語族である、といった具合である。

何をもって「ギャル」と呼ぶかについても、服装など種々の基準があり得ようが、一つの大きな要素はやはり言葉ではないだろうか。「あげー」と言ったらギャル、といった具合である。

ところで、ユダヤ人は、元々はセム語系の民族であり、話す言葉はヘブライ語であったが、では、現代においてこれらの要素を持っている人が必ずユダヤ人で、持ってなければユダヤ人でないかというと、必ずしもそうはならないようで、重要なのはユダヤ教徒であるか否かである。かように、宗教もまた民族の分類に大きな役割を果たしているとのことである。

「あげー」と言えば、現朝ドラにここしばらくヒロインが登場してないという噂を聞き、今週の月曜日にちらっと覗いてみると、管理栄養士になるために勉強するヒロインの姿が映り、あれ、出てるじゃん、と思ったら、この一瞬だけだったらしく、その後はやはりギャルが跋扈していたらしい。一瞬のヒロインのシーンの挿入はヒロインはちゃんと朝ドラの仕事を続けているとのアリバイ工作のようでもあるが、「刑事コロンボ」においても大体犯人は犯行現場とアリバイ現場の間を超速で移動してアリバイを作るものであり、あの一瞬のシーンは朝ドラのヒロインが他の仕事で忙しいことを隠すためのアリバイにならないというのが私の見解である。

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「もろ天」と「仮面の忍者赤影」

2024-12-12 11:14:26 | 言葉

シュッツやバッハが曲を付けた詩篇19「もろもろの天は神の栄光を語り」(縮めて「もろ天」)のことを11月23日、24日に書いた。「Die Himmel(もろもろの天)」と対になる「die Feste」について、当初、私は「fest」(固い)という言葉から地面のことだと思ったが、大間違いで、大空=天球のことだった、と書いたその続きである。

天球はドームのように我々が住む大地を被っていて、そのドームの内側に星々があり、太陽が昇って沈んでいく(同詩篇にも太陽の行路の描写がある)。こんな感じである。

これが、私が描いた、子供的な(しかし、抱いたのは大人になってから)、ファンタジックなイメージである。天球が「……だってよ」と言ったのに対して言葉を返す相手はいなさそう(単数だから)。だから「へー」は空耳である。

なぜ、突然にこのことを思い出したのかというと、昨日、NHKの歴史番組で忍者の特集をしていたからだ。忍者からなぜ「天球」の話になるか?それは、風が吹けば桶屋が儲かる程の複雑な因果関係ではない。すなわち、「忍者」と聴けば、番組MCと同様私も「仮面の忍者赤影」を連想する。その実写ドラマのストーリーの中に、海底深くにドームを作ってそこで暮らす人々が出てくる。人々が見上げる大空は実はドームの内壁面である。ある日、そのドームにひびが入った。人々が見上げる大空にひびが入って水が入ってくる様は視覚的に強烈で子供心にショックであった。その海底ドームと詩篇19の「おおぞら(天球)」が私の中で重なったのである。

この際である。「die Himmel」(もろもろの天(複数))と「die Feste」(おおぞら=天球(単数))の相互関係についての私のかつてのイメージも告白しよう。私は、一個の固い天球の内壁面に、複数の「天」が張り付いているイメージを持った。こんな感じである。

これだと、足立区のHimmelが「……だってよ」と言えば世田谷区のHimmelがなにか返してくるだろうから、「へー」は空耳ではない(世田谷Himmelが足立Himmelなど相手にするものかと「しかと」すれば別である)。だが、今では、ユダヤ教等における複数の天はこのように横に並んでいるのではなく、縦に階層を作っているのではないか、さらに、その階層は、ドームの外にあるのではないか、さらにさらに、その階層は多分に観念的なモノでドームの内壁面に張り付いて目に見えるようなモノではないのではないか、と考え直し、このイメージはボツにしたのである。

いずれにせよ、絵空事である。実際、空の絵を書いたのだから文字通りの「絵空事」である。

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もろ天(Die Himmel。シュッツの曲から)

2024-11-23 17:54:20 | 言葉

とり天とずる天の話をした流れで「もろ天」の話をすることになった。「もろ天」とは、シュッツやバッハが音を付けている旧約聖書の詩編19「もろもろの天は神の栄光を語り継ぐ」の省略形である(多分「もろ天」などと言っているのは私だけである)。もともとはヘブライ語だが、シュッツやバッハの曲の歌詞のドイツ語でしか知らない。それは「Die Himmel erzählen die Ehre Gottes」である。以下は、このドイツ語歌詞についての私の誤解の歴史である。無知の告白であるが、ブログのためであれば、恥を恥と思わない私である。

【名詞の性】私は、当初、「天」を表す「Himmel」を女性名詞だと思っていた。「Die Himmel」の「die」を女性名詞の定冠詞だと思ったのである。言い訳をすると、ドイツ語を習うとき、名詞は冠詞付で覚えなさいと言われる。男性名詞なら「デア○○」、中性名詞なら「ダス○○」、そして女性名詞は「ディー○○」と言った具合である。そんななか、この曲をいつも「ディー・ヒンメル」と呼んでいたものだから、「ヒンメルは女性名詞」だと思ってしまったのである。だが、ドイツ語の素養があればそんな誤解はしなかった。なぜなら、「Die Himmel」に続く動詞「erzählen」(語る)の語尾の「en」は主語が複数であることを表している。すなわち、「Himmel」は単複同形であり、「Die」は女性名詞の定冠詞ではなく複数名詞の定冠詞だったのである。このことをしっかり理解できていれば「Himmel」が女性名詞であるなどという早とちりをせず、しっかり辞書で確認して、「デア・ヒンメル」、すなわち男性名詞であることを認識したはずである。ドイツ語をきっちりやる前にこの歌を歌ったことによる悲劇(喜劇)でもある。さらに、ドイツ語の素養がもっとついていれば「Himmel」の「mel」はいかにも男性名詞っぽいと感じたはずである。

【複数の天】そうか、「天」が複数であることを表すための「もろもろ」なのか。たしかに、普通、日本語で複数を表そうと思ったら「達」を付けたりするが、「天達」(てんたち)ではいかにもしまりがない。これを「あまたつ」と読むと、朝の番組で何十年も天気予報をされている気象予報士さんになる。
ちょっと脱線するが、「お友達」が複数の場合は「お友達達」になるのだろうか。いやいや、そもそも日本語の名詞は単複同形であった。お友達が一人でも100人でも「お友達」だと今書いてて思った。因みに「友達100人できるかな」って童謡があるが良くないと思う。友達が100人いなければいけないみたいな印象を与えかねない。友達なんかいなくても生きていけると教えた方がずっとタメになる(と私は思う)。

諸外国語では「Die Himmel」をどう表現しているかというと、英語では複数形の「s」を付けて「the heavens」。なるほど。それから、中国語では「諸天」。もろ「もろもろの天」である。

問題は、「天」が複数あるとして、そのイメージである。「天」は一個だと思っていたが、あえて複数というのなら、私は、それを「東の天」「西の天」と言った具合に横の連なるイメージを持っていた。「足立区の天」とお金持ちの棲息地である「世田谷の天」と言った具合である。

こうした天達(てんたち)が、横に向かって神様の栄光を語る、というイメージである。

だが、仏教の天は、上下にいくつもあるらしい(光瀬龍原作を基に萩尾望都が書いた「百億の昼と千億の夜」にそんなイメージ図があったと思う)。すると、こんな感じである。

果たして、横なのか、上下なのか。と思案しているところに、鍵となるかも知れない情報がもたらされた。アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)には「7つの天国」という概念があるという。これは、天使の住む階層を表すという。「階層」と言うと、上下っぽいなー、との浅知恵を働かせるワタクシである(そもそも、そういう三次元的なイメージでは計り知れないモノなのかもしれない)。

【die Feste】「もろもろの天」については分かった(分からないということが分かった)。誤解はまだあった(誤解は続くよどこまでも)。続く歌詞の「Und die Feste verkündiget seiner Hände Werk」(die Festeは御手の業を告げる)についてである。私は、当初、「die Feste」は「大地」だと思っていた。と言うのも、「fest」は「硬い」という形容詞で、それが名詞化して「die Feste」になったものだから、これは硬いモノに違いない。すると大地だ、と思ったわけ。ミサの通常文の「空には栄光、地上には平和」にも影響されただろう。ところが、御手の業を告げるのは「大空」だった。昔の人は、天空をドームのように考えていた。われわれが住む大地がすっぽりと東京ドームのようなドームに覆われているイメージである。ドームだから硬いのである。硬いからアトラスは汗水垂らしてこれをかついているのだろう。

 

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バカが進むとバカでなくなる件

2024-10-15 07:07:50 | 言葉

USスチールを買収しようとしてる日本製鉄ってどんな会社?新日鉄なら知ってるけど、と思ったら、その新日鉄が住友金属と合併して、商号を日本製鉄にしたのだった。もともと、新日鉄って、八幡製鉄とどっかが合併してできた会社なんだけど、さらに合併したら「新新日鉄」になるのではなく、逆に「新」をとったのである。そうか、「新」は一回りするととれるのか。

いいことを聞いた。私はバカである(名前はまだない(ウソ))。これ以上バカが進むと、「大バカ」になるのではなく、バカでなくなるというわけである。では、精進してバカを進めよう。

その合併話だが、アメリカからクレームがついて、日本製鉄が「買収後もUSスチールはアメリカの会社です」って声明を出したってことは、やっぱり外国資本が入るともうその国の会社ではないと思う人が多いからだろうか。そんなことを言ったら台湾資本が入ってるシャープだって日本の会社でなくなってしまうし、もし、セブンイレブンがカナダのコンビニ会社に買収されたら同じことである。つうか、きょうび、日本の会社の株の多くは外国人が買っている(外国人が買ってるから今の株価を維持できているのである)。法律的には、日本の会社法に基づく法人はあくまでも日本の会社である。

因みに、私は、いっときプラズマクラスターに魅せられて家の電化製品をシャープ一色にしていた。冷蔵庫の左右両開きはわが家では「マスト」である。その両開きが最近怪しくなってきた。片っ方を押さえないと開かなくなった。なにしろ買ってから20年である。猫の20年は人間の百歳である。

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