ヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」の「トロヴァトーレ」は吟遊詩人の意味であり、中世ヨーロッパで、弾き語りをして各地を遍歴した人々。すると、琵琶を弾きながら平家物語を語り歩いた琵琶法師に近いのだろうか。ところで、彼らはどこで演奏したのだろうか。屋根のない辻でべんべんやってる姿を思い浮かべたが、それだと辻音楽師(今で言うところのストリート・ミュージシャン)。吟遊詩人や琵琶法師の演奏の場は寺社や貴族の館で、一応屋根のある場所だったろうと思い直した(吟遊詩人として有名なヴァルター・フォン・デル・フォーゲルヴァイデは貴族だもんね)。
そのヴェルディの「トロヴァトーレ」をレーザーディスクで視聴してびっくりしたことがある。第1幕のレオノーラのアリア「静かな夜」は、これまで文字通りアリアなんだからレオノーラが一人で歌うものだと思ってきた(実際、そういう演奏しか聴いてこなかった)。ところが、今回聴いた演奏は、侍女と二重唱を歌っていて、大詰め、侍女が一人で歌い、それをレオノーラが引き継いだように聞こえた。空耳か?楽譜を見た。空耳ではな
かった。件の箇所をピックアップしたのが次の楽譜である。二声の上がレオノーラで下が侍女である。すなわち、二重唱になっている。
最高に盛り上がる二小節目からなんと同じメロディーを歌っていて、途中から、(田端の先で山手線と京浜東北線が分岐するように)二つの声部が分かれる。普通、こういう場面では、プリマであるレオノーラを引き立てるために侍女は舞台裏に引っ込んでレオノーラだけが歌う。だが、私が聴いた演奏は、珍しく楽譜に忠実に侍女も歌に参加し、かつ、同じメロディーのところをレオノーラがさぼって(力を温存するために)分岐するところ(二段目)から引き継いで歌っていたのである。いくつになっても発見はあるものである。
このオペラについては、登場人物の心理がよく分からないところがある。それを言うために簡単に筋を紹介するとこうである(話が複雑で「簡単」というわけにはいかないのだが)。先代の伯爵が魔女を火刑に処した。魔女の娘アズチェーナは、仕返しに先代伯爵の二人の息子のうち弟を誘拐し火に投じたつもりだったが、実は間違って自分の息子を投じてしまった(間違えるか)。その後、先代伯爵の二人の息子のうち兄が父を継いでルナ伯爵になり、アズチェーナは火に投じ損なった弟を自分の子マンリーコとして育て、マンリーコは吟遊詩人になった。ルナ伯爵とマンリーコは互いに実の兄弟であることを知らずに敵対した。恋のライバルでもあった。そして、いよいよルナ伯爵はマンリーコを捕らえ処刑しようとすると、アズチェーナが「待ってくれ、話を聞いてくれ」と言うが(お前が処刑しようとしているのは実の弟なのだ、とばらそうとしたのだろう)、ルナ伯爵は聞き入れずマンリーコを処刑する。すると、アズチェーナが「仇を討ったよ、お母さん」と叫んで幕となる。解せないのは、ルナ伯爵に事情を打ち明けてマンリーコを救おうとしながら、マンリーコが処刑されると喜びの声を挙げるアズチェーナの心情である。自分の息子として長年育てて培った愛情と、母の仇の実の息子だからこれを殺して仇を討ちたいという二律背反の思いを抱えていた、ということなのだろうか。こちとら、難しいことを考えるのは苦手なのだから、あまり複雑な心理描写をオペラに持ち込まないでほしいのである。