黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

吟遊詩人は琵琶法師?/アリアが二重唱だった件

2024-10-23 12:42:56 | オペラ

ヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」の「トロヴァトーレ」は吟遊詩人の意味であり、中世ヨーロッパで、弾き語りをして各地を遍歴した人々。すると、琵琶を弾きながら平家物語を語り歩いた琵琶法師に近いのだろうか。ところで、彼らはどこで演奏したのだろうか。屋根のない辻でべんべんやってる姿を思い浮かべたが、それだと辻音楽師(今で言うところのストリート・ミュージシャン)。吟遊詩人や琵琶法師の演奏の場は寺社や貴族の館で、一応屋根のある場所だったろうと思い直した(吟遊詩人として有名なヴァルター・フォン・デル・フォーゲルヴァイデは貴族だもんね)。

そのヴェルディの「トロヴァトーレ」をレーザーディスクで視聴してびっくりしたことがある。第1幕のレオノーラのアリア「静かな夜」は、これまで文字通りアリアなんだからレオノーラが一人で歌うものだと思ってきた(実際、そういう演奏しか聴いてこなかった)。ところが、今回聴いた演奏は、侍女と二重唱を歌っていて、大詰め、侍女が一人で歌い、それをレオノーラが引き継いだように聞こえた。空耳か?楽譜を見た。空耳ではな

かった。件の箇所をピックアップしたのが次の楽譜である。二声の上がレオノーラで下が侍女である。すなわち、二重唱になっている。

最高に盛り上がる二小節目からなんと同じメロディーを歌っていて、途中から、(田端の先で山手線と京浜東北線が分岐するように)二つの声部が分かれる。普通、こういう場面では、プリマであるレオノーラを引き立てるために侍女は舞台裏に引っ込んでレオノーラだけが歌う。だが、私が聴いた演奏は、珍しく楽譜に忠実に侍女も歌に参加し、かつ、同じメロディーのところをレオノーラがさぼって(力を温存するために)分岐するところ(二段目)から引き継いで歌っていたのである。いくつになっても発見はあるものである。

このオペラについては、登場人物の心理がよく分からないところがある。それを言うために簡単に筋を紹介するとこうである(話が複雑で「簡単」というわけにはいかないのだが)。先代の伯爵が魔女を火刑に処した。魔女の娘アズチェーナは、仕返しに先代伯爵の二人の息子のうち弟を誘拐し火に投じたつもりだったが、実は間違って自分の息子を投じてしまった(間違えるか)。その後、先代伯爵の二人の息子のうち兄が父を継いでルナ伯爵になり、アズチェーナは火に投じ損なった弟を自分の子マンリーコとして育て、マンリーコは吟遊詩人になった。ルナ伯爵とマンリーコは互いに実の兄弟であることを知らずに敵対した。恋のライバルでもあった。そして、いよいよルナ伯爵はマンリーコを捕らえ処刑しようとすると、アズチェーナが「待ってくれ、話を聞いてくれ」と言うが(お前が処刑しようとしているのは実の弟なのだ、とばらそうとしたのだろう)、ルナ伯爵は聞き入れずマンリーコを処刑する。すると、アズチェーナが「仇を討ったよ、お母さん」と叫んで幕となる。解せないのは、ルナ伯爵に事情を打ち明けてマンリーコを救おうとしながら、マンリーコが処刑されると喜びの声を挙げるアズチェーナの心情である。自分の息子として長年育てて培った愛情と、母の仇の実の息子だからこれを殺して仇を討ちたいという二律背反の思いを抱えていた、ということなのだろうか。こちとら、難しいことを考えるのは苦手なのだから、あまり複雑な心理描写をオペラに持ち込まないでほしいのである。

 

 

 

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マクベスの不思議

2024-10-22 14:53:59 | オペラ

ヴェルディのオペラ「マクベス」を久々にレーザーディスクで見て、改めて不思議に思ったことその1。マクベスは魔女から「女から生まれた者からは殺されない」という予言を受けたが、マクダフは「私は生まれていない、母の胎内から無理やり出されたのだ」と言ってマクベスを殺す。「胎内から無理やり出す」は帝王切開のことを言っているのだろうが、自然分娩だろうが帝王切開だろうが「女から生まれた」には変わりはないのではないか?それとも、イタリア語の歌詞に特別の意味があるのか?例えば「産道を通って来た者からは殺されない」とか?と思って歌詞を見ると「nato di donna」。普通に「born from woman」(女から生まれた)である。この謎は迷宮入りである。

その2。マクベスの綴りは「Macbeth」。イタリア語では「マクベトゥ」でオペラではそう発音されている。なのになぜ日本では「マクベス」で通っているのだ?え?原作のシェークスピアが「マクベス」だから?じゃあ、なぜ「Falstaff」を「フォールスタッフ」と呼ばないで「ファルスタッフ」と呼ぶのだ。ダブルスタンダードではないか。え?政治の世界ではダブルスタンダードは普通?オペラと政治は違う(どこが、と言われたら困るが)。この謎も迷宮入りである。

その3。マクベスは、超恐妻のマクベス夫人にそそのかされて王を殺して王位を簒奪した。マクベス夫人がオペラの最初の方で歌うアリアなど、恐ろくて縮み上がるほどである。なのに、途中から弱々しくなって、最後は心労で死んでしまう。なぜこれほどに性格が変わったのだろうか。ただ、これについては説明がつかないこともない。すなわち、ホントはさして気丈夫ではなかったのだが無理をしていた、その無理がきかなくなって弱気が出たという説明である。

次は疑問ではなく、私の無知をさらけだすものである。「侍女」という言葉がある。私はそれを表す英語が「lady-in-waiting」であることを初めて知り、おお!「待つ」と「wait」、同じじゃん、そうか、奥方様の命令を控え室で待っているから「待つ」「wait」なのだな、と勝手にガテンがいったのである。

レーザーディスクのプレーヤーの中古を購入してから押入の肥やしになっていたディスクを随分聴いた。ヴェルディのオペラでは「マクベス」以外に「ナブッコ」「第一十字軍のロンバルディア」「エルナーニ」「二人のフォスカリ」「ジョヴァンナ・ダルコ」「ルイザ・ミラー」と言った初期作品の数々。若い頃のヴェルディは活気に満ちていて、聞いてて元気になる。それにしても、レーザーディスクのソフトを売る会社はよくこんなマイナーな作品群のディスクを商品化してくれたものである。感謝感激雨あられである。

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