黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

家計簿

2025-01-12 14:02:27 | 生活

新年になって家計簿を更新。更新に際してプラットフォームを変更。

これまで無闇に多かった勘定科目を整理。例えば、外食を「一人」「二人(おデート)」「複数」と分けていたのだが、「一人」欄しか数字が埋まらないので「外食」一本にまとめたし、

娯楽を「楽器」「楽譜」「CD・DVD等」「本」「映画」「オペラ・コンサート」「団費」「入館・入場料」「宿泊」「競馬」「その他趣味」と分けていたのだが、「本」と「団費」しか数字が埋まらないので「趣味」一本にまとめた(「競馬欄」などは合計額が0円である)。

と、簡素化する一方、複式簿記にして期末に自動的に損益計算書と貸借対照表ができあがるようにした(エクセルで手作り)。それこそ意味はない。損益などは、年金(雀の涙の国民年金)から費用のトータルをさっ引けば瞬時に出るし、借方に費用を計上した場合の貸方は「現金預金」以外にあり得ない。貸借対照表も、期首と期末で変更が生じるのは「現金預金」のみである。じゃ、なんのためか?商売をやっていたときは、青色申告のために複式簿記が必須だったが(学生の頃、簿記を独学したのが役にたった)、既に廃業して数年が経つ。これはもう、自己満足以外の何物でもない。自分がいかに貧乏でつつましい生活を送ってるか、ということを「きちっと」「正しいカタチで」証明したい、そのためである(実は、商売をしていたときも、青色申告を選択しなくとも赤字だったから複式簿記は必須ではなかった。こうなると、もはや趣味の世界である)。

そんな具合だから、確定申告だって当然免除なのだが、私は廃業後も毎年やっている。理由は複式簿記をつけるのと同様である。すなわち、いかに貧乏であるかの証明……この場合は税務署に対する申告だから公証のためである。申告はオンラインでする。頭の体操にもなる。もしかして、税務署様は迷惑がっていらっしゃるかも?ったく、税金納めるほどの収入なんてないくせになんでこいつは申告なんかするんだよ。手間が増えるだけなんだよ、まったく……てな具合に。でも、原則は申告なんだよね?だから申告してもバチは当たらないんだよね?

大昔のことを一つ思い出した。まだ学生の頃、お役所様から住民税の申告をしろとのお達しがきたので、バイト代とか計算してどきどきしながら市役所に行ったら、私の顔と申告内容をちらっと一瞥して瞬時に「はい、いいですよー」と言って帰されたっけ。

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著述家

2024-12-28 17:41:00 | 生活

百科事典の電子版を買った主要な動機は、当ブログで発表する種々の「成り立ち」シリーズの調査のため。もし私がプロの著述家で、そうした調査・発表を仕事としてしているのなら代価を必要経費に計上するところだが、単なる趣味だから計上できない(つうか、計上して相殺すべき収入がそもそもない)。趣味といったら聞こえはいいが、言い方を変えれば「道楽」である。

それが道楽だとしても、私が小学生なら、課外活動として先生に「よくできました」と言って華丸……は、あさイチのMCの一人。じゃなくて花丸を付けてもらったかもしれないが、小学生ではないから花丸はもらえない。

そこが苦悩の原因なのであった。区から認知度チェックリストみたいなものが送られてきて、「自分で買い物ができる」等々の項目を見て、あったりまえじゃん、馬鹿にすんない、と思いながら先を見ていくと、「空しいと思うことがある」という項目が出てきた。やばい、そう思うことがある。毎日、せっせと調べ物をして、それを書いて、ぼーっとしていることを理由にチコちゃんに怒られることはないが、その調べ物&発表作業は、仕事ではなく道楽だし、小学生の課外活動でもない。ってことは、社会にとって必要のないことである。と考えると空しさが募るのである。

だが、そうした考え方は誤りである。人生100年の時代、多くの人が、小学生ではなく仕事もしていない。だからと言って、そうした人々が皆、世をはかなんでご飯を食べないでいては日本国全体が悲壮感につつまれてしまって経済も停滞する。学校の課外活動でなくても仕事でなくても生活を楽しむことは、社会にとっても個人にとっても大事なことである。

仕事でないからと言って後ろめたい気持ちがするのは、私自身がモーレツサラリーマンを身近に見た昭和の人間だからであろう。汗水垂らして働くことは現在でも大いなる美徳であるが、汗水垂らして道楽に打ち込むのも美徳である。

例えば、百歳の人が短距離走の記録を作ったのを見て大いに感動するが、決して、その百歳ランナーは仕事で走ってはいないだろうし、ましてや小学生ではないだろう。彼or彼女が走るのは、言ってみれば道楽である。と言ったとしても、それは百歳で走ることの価値を下げることを意味するものでは全くなく、道楽の価値の爆上げを意味するのである。

と考えて、大いに、汗水垂らして道楽を極める覚悟を決めたワタクシである。つまり、今回の記事は、ベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」と同じく、苦悩から抜け出した後のがんばる宣言なのである(ベートーヴェンと違って私はそもそも悩んでないという噂もある)。

なお、私はモーレツサラリーマンを見たのであって、自分がそうだったとは決して言ってない。

冒頭に、私は「著述家」ではない、と書いたのは、最近、テレビで誰かの肩書きが「著述家」になっていて、珍しいな、と思ったから。普通は、「料理研究家」だとか「坂道研究家」のように具体的な紹介をすると思うのだが、ジャンルを明らかにしない「著述家」とはなんでもかんでも書く人のことを言うのかな?ジャンルにこだわらない点は私も同じだが、私がそう名乗れないのはプロでないから、すなわち、このブログによって一円でも稼ぐわけではないからである。だが、そのようにお金を稼ぐか否か、すなわち、プロかアマかで区別を設けることが世界一般というわけでもない。例えば、アメリカでは、「ウチのワイフはピアニスト」と言って亭主がえばってても、別に妻殿はプロの奏者ではなく、趣味で弾く程度であるというのはよく聞く話である。だったら、私もアメリカ人に自己紹介をするときは「著述家」と言っていいわけである(英語でなんて言うのか知れないけれど)。

そうだったとしても、税務申告の際はやはり対価を得てるかどうかが肝心のようだ。昔、ある作曲家さんが言っていたが、その方は、作曲料よりもタレントとしての収入が多かったので、職業欄に作曲家と書いてした税務申告のおり、係官との間で悶着があったそうである。

 

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百科事典

2024-12-27 16:51:27 | 生活

百科事典に対する敬愛は、子供の頃読んでた小学館の大日本百科事典(ジャポニカ)由来である。なにしろ、私の脳内の雑学のほとんどは全23巻のこの事典によって培われたものだから。当時、私は学校から帰るとこの事典に首っ引きでその日気になっているワードを引き、そこから関連した事項を次々と引いていって、気がつくと床に読み散らかした巻が何巻も転がっていて、最後にそれを箱カバーに戻して夕ご飯、というのが日課であった。ちょうど、今の人がネットサーフィンをするごとしである。特によく引いたジャンルは音楽、そして性である。仕方がない、大人が教えてくれないのだから。例えば、小学3年の担任の先生が「結婚しないと子供はできない」と言ったのを不思議に感じて母に先生がこう言ってたんだけどと言っても「先生がそんなこと言ったの?いやらしい」と眉をひそめたきり、なにがいやらしいのかは教えてくれなかった。こうした大人の怠慢を私は自ら補っていたのである。実際、「補って余りある」だったようで、私は得た知識を学校の掃除の時間に惜しみなく学友に伝えていた。その様子を担任の先生が見てにんまりしていたということを後から聞いたから、私は担任の怠慢をも補っていたことになる。

そのジャポニカだが、実家にあったもののほか、私は実家を出てからも古本で同じものを揃えている。敬愛の念はよほどのものである。すると、実家のが残っていれば相続して2セットあっておかしくないのだが、第22巻の日本大地図(書斎のゴミ箱の猫除けの重しになっている)以外見当たらない。

2セットとも資源ゴミに出したのだろうか。ありうる。ときどき断捨離熱が出るからそのとき犠牲になったのかもしれない。痛風がおさまったら押入の中を捜索してみるか。だが、もし残っていたとしても、1970年までの情報だから相当古い。各分野とも半世紀で研究は相当進んだろう。だが、へー、昔はこんな風に考えられてたんだというのを知るのも一興であるから、デスクサイドに置いて、昔のように引いてみたいと思う。

そうは言っても、日々の調べ物には電子化されたものが便利である。20年前に買ったシャープの電子辞書の中にはブリタニカが入っている。ブリタニカと言えば30巻以上あって、百科事典界の横綱だからこれで十分だろうと思ったら、30巻以上あるわりには随分文章が短い。そう言えば、テレビ通販で電子辞書を紹介してたとき「これだけの紙の本が入ってるんですよ!」と言って本を並べた中にあったブリタニカは6冊程度。その謎が解けた。ブリタニカは小項目事典と大項目事典に分かれてて、小項目事典が6巻で、電子辞書にはそれが入ってるのだそうだ。

やはりもっと分厚い解説が読みたい。すると、平凡社の百科事典の電子版には30巻全部の内容が入っているという。平凡社の百科事典と言えば、これもその名をよく聞く百科事典界の横綱である。ポチった。すぐに来た。

期待に胸をふくらませて昔よく引いたワードを引いてみる。性に関することは小学生の学友に教授する内容として十分。音楽については?作曲家のデュファイのことも載っているし、教会旋法の解説もある。フルトヴェングラー、ベーム、カラヤン等の指揮者についても載っている。ピアニストのバックハウスだって載っている。だが、ジャポニカにはマリア・カラスの記事が真っ赤な口紅をつけたショートカットの写真付きで載っていた。アンナ・モッフォ(ソプラノ)のことだって「悪声」という異議ありな情報付きで載っていた。そのどちらもない。最近改定された版だがベースは古いんだろうと思って(だから、ドミンゴやパヴァロッティが載ってないのは当然だと思って)カルーソーを引いてみた。なかった。編集方針だろうか、歌手については手薄いと感じた。なぜかマリアン・アンダーソン(アルト歌手)は載っていた。そう言えば、昼間に再放送しているカムカムエブリバディで世良公則が歌ってたんで(名シーン)、「(ルイ)アームストロング」で引いてみた。あった。仇名が「サッチモ」であることも載っていた。

因みに、かなり後年になって母から聞いた話だが、ジャポニカの購入には父は反対だったそうだ。あの父のことだ、さもありなんと思いつつ、普段は父の言いなりの母も、ここはよく踏ん張ってくれたと思う。そのあるのとないのとで私の人生は大きく変わったことだろうから(ってことは、なかったらもっとマシな人間になったってこと?)

ジャポニカでよく引いたジャンルを一つ言い忘れた。なぜかエンジン(ガソリンエンジンとかディーゼルエンジンとか)のこともよく調べていた。自分でこしらえたかったのかも知れない。現在の私からは1ミリも想像できない話である。

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ストーブにあたる

2024-11-27 09:06:51 | 生活

朝晩冷えてきたので、ストーブにあたる。

アラジンのストーブである。トースターが当たりだったのでアラジンづいている。だが、このメーカーはもともと石油ストーブを売ってたんだよな。

いまどきの人は、エアコンで部屋全体の温度を調節することに慣れてるから、「ストーブにあたる」という表現にぴんとこないかもしれない。私が子供の頃は、冬場、朝起きるとストーブをつけるが、すぐには暖まらないので、寒い中バタバタしてるうちに、ストーブが暖まってきたらその傍らであたったものである。

学校にだってエアコンが付いてたことはない。小学校の頃は、冬場になると巨大なストーブが教室に運び込まれ(燃料はなんだったんだろう?石炭?)、朝つけて、昼頃になってようやく暖かくなった。そのストーブにみんなが弁当を置いて温めた記憶があるのだが、小学校は給食だったから、幼稚園のときの記憶と混同してるのかしらん。

ふと思った。「あたる」とは、「あたたまる」が縮まった言葉だろうか?これから調べる。調べた。はずれた。大辞林によると「当たる」「中る」の例文の中に、「焚き火にーって」があった。まあ、発明だって100の思いつきの中でモノになるのは一つか二つだという。まして、私である。思いつきのほとんどはずれでも不思議はない。

そう言えば、♪焚き火だ焚き火だ落ち葉焚きー、という童謡があった。このご時世、場所と方法によっては焚き火をしてお縄になりかねないからこの童謡だって楽しげに歌ってられないはずである。焚き火は、第一次的には特別法で規制されているようだが、ここでは刑法の放火罪に触れるかの検討をしてみよう。刑法の放火罪は、燃やす客体によって、
①現住建造物等
②非現住建造物等(他人所有)
③同(自己所有)
④その他
に分けられるところ、落ち葉は④である。④を燃やして放火罪になるためには「公共の危険(延焼の危険)」の発生が必要であるが、この「公共の危険の発生」に故意は不要だから(判例)、燃え広がらないと思って落ち葉焚きをしたら意に反して危険が生じてしまった場合でも放火罪が成立する(繰り返すが、このような刑法の前に特別法でとっつかまる可能性がある)。

件の童謡は、出だしが♪サザンカサザンカ咲いた道……だった。私は、この童謡のイメージから、ずっとサザンカってやつは道の傍らに日陰者風に咲く雑草だと思っていた。昨年、奥地の家の庭の樹が白い花を咲かせ、

それがサザンカだと初めて知った。へー、こんな大きな樹なんだ……このサザンカは今はもうない。先般、庭にはえている草木を一掃したからだ。このサザンカは残そうかとも思ったが、道路に葉や花を落とす。常時住んでないためその掃除ができないことが今回の「草木殲滅作戦」の理由であったからこれを残すことはできなかったのである。アーメン。

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「503 Service unavailable」

2024-11-06 06:59:07 | 生活

昨日、お昼寝から戻ると、パソコン画面に「503 Service unavailable」というエラー画面が出ていた。え?新手のフィッシング詐欺?「×」をクリックしても消えない。いや、消えているのだが、お昼寝中に同じ画面がたくさん出たらしく、一つを消すと直前の画面が浮上するのであった。だから、根気よく「×」を押していったらなくなった。だが、しばらくするとまた出た。これではいたちごっこである。ゲリラを相手にしているようなものである。鬱陶しいことこのうえない。

そこで、「503 Service unavailable」でググってみた。出てきた出てきた。分かった。これはNECのパソコンにこの数日起きている現象であり、最初から入っているアプリが作動してどこかのサーバーにアクセスした際、そのサーバーがアクセス集中等の理由により利用できなくて起きたことだという。だから、そのアプリを無効化すればおさまるという。

早速、「無効化」に挑んだ。手順はご親切な方がネットに揚げてくれていた。私も、その手順を記そう。同じ現象に手を焼いている人が偶然当ブログを見たときの助けになるかもしれないから。普段、駄文を弄して社会に害悪を垂れ流しているからたまには人の役に立つことをしよう。

ということで、その手順である。
①タスクバーのスタートボタンを右クリックする。
②「タスクマネージャー」をクリックする。
③「スタートアップアプリ」をクリックする。
④現れた一覧の中から「Info.Board」をクリック……ん?「Info.Board」がない。「Lavieサイネージ」でもよいらしい。そっちはあった。それをクリックし、画面右上の「無効化」をクリック。完了。件のエラー画面が現れなくなった。以上である。

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