goo blog サービス終了のお知らせ 

黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

猫の日

2025-02-22 14:34:16 | 

今日は猫の日だと言うがなぜだろう、ググろうか、と思っていたら、某公共放送のお昼のニュースで「2月22日」はにゃんにゃんにゃんで猫の日なのだと言っていたのでググる手間が省けた。だが、これは日本特有である。ヨーロッパの猫は「ミャウ(オ)」と啼く(と彼らの耳に聞こえる)し、「2月22日」を例えばドイツ語で言った場合「der zweiundzwanzigste Februar」のどこにも「ニャ」や「ミャ」が入らないから「2月22日」が猫の日になりようがないのである。

因みに、私の同居猫はにゃんにゃんにゃんではなくにゃんにゃんである(平仮名ばかりで読みにくいが、その意味は「三匹ではなく二匹である」ということである)。

左端が三毛、右端に尻尾が写ってるのがサビである。年齢は15歳半。だが、人間の歳に直すと後記高齢者の仲間入りで私を追い抜いている。この点、スターウォーズの番外編「マンダロリアン」に出てくるグローグー(ヨーダと同じ種族)とは逆。グローグーは50歳だが、人間の歳に直すとまだ幼児である。

こにゃつらは、生後すぐ母猫や兄弟姉妹と生き別れになったらしく、二匹だけがヴォランティアさんに「保護」され、生後2か月で私の所に来た。だから母猫の教育がいまいち行き届いてないと思われるのはトイレの砂かけである。用を足した後、砂をかくことはかくのだが(音がするが)、その直後に芳香が漂ってくる(ちゃんとブツに砂がかかってない)。まあ、用を足したことのサインになるから悪い話ではない。

個別に紹介すると、これが三毛で、

こっちがサビである。

三毛のチャームポイントは前にも紹介した「お岩さんポーズ」であり、サビのチャームポイントは顎の白い毛である。

既報の通り、ご飯をこれでもか、とやるようにしたらどちらもすっかり良い猫になり、私と3に(ゃ)ん水入らずの平穏な生活を送っている。人間も猫もいい歳なのだから昼夜を問わずなるべく一緒にいようと思ったら、私もこの時期一日中コタツにあたってなければならなくなるが、さすがにそれは体に毒である。運動は必要である。

そう考えると、たまには猫も狭い家ではあるが、家中を駆け回ることも必要なように思う。ただし、外には出せない。それがヴォランティアさんとの約束である。猫に「窮屈か?」と聞きたい気もするが、それが都会に生まれた猫の宿命であろう。

だから、今朝のテレビで紹介してた牧場で牛と暮らす猫などは幸せの最上級だと思う。牧場の人も、猫がいてくれて助かっている、前はネズミが出たんだけど猫が……と言うからその後「食べてくれる」と続くのかと思ったら後の句は「追い払ってくれた」であった。だが、猫はネズミを追い払う気はないだろう。捕まえて食べたいのが本心だろう。猫が食べたかネズミが他所に避難したかでいなくなったことが人間にとって「追い払ってくれた」ことになるのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お岩のポーズ

2025-01-29 14:34:57 | 

ゴミ漁りがひどくなり、対策として、漁りそうな場所に重しを置いて漁れなくしたことは既述の通りである。野良猫対策の話ではない。完全室内飼いのウチの二匹のお嬢様のことである。それでゴミ漁りはなくなったが、心配事が残った。2ニャン(三毛猫とサビ猫)のうちの三毛に吐き癖があり、やせていることである。ゴハンを増やそうにも吐き癖があって、あればあるだけ食べて、で吐く。だから、ゴハンを3回に分けて一回分を少量にした。

だが、なかなか太らない。愛猫家の知人から甲状腺に異常があるとゴハンを食べてもやせるという話を聞き、ますます心配になった。とりあえず、ゴハンを4回に分けて一回分をさらに少量にしようかとも考えた。

だが、もしかしたら、量が少ないのでがつがつして、それで吐くのはあるいか。そこで、発想を転換して、一日3回はそのままに、思い切って量をがつんと増やした。それで余計に吐くようになったらすぐ戻すこととして、試すだけ試してみよう。

すると、がつがつが減って、あまり吐かなくなった。ゴハンを増やしたら増やしただけ食べてしまうと思っていたが、それにも限度があったらしい。容器に何粒か残すようになった(信じられない光景である)。そして、ふっくらしてきた!大成功である。

猫が太れば太ったで今度は成猫病(糖尿病とか)の心配が出てくる。これまで量を増やさなかったのはその心配があったからでもある。だが、彼女らは人間の歳に例えると後記高齢者になった辺りである。だいたい、成人病にしても成猫病にしても若い頃の生活習慣が原因となるのであり、この歳でメタボになったからと言ってそれで成人(猫)病になることはないだろう。トイレの方も快調である。

というわけで、現在の猫との暮らしは、まったくもって平穏で言うことはない。この平穏なルーティーンの生活が日一日と続くことを願うワタクシである。

三毛の得意なポーズがこれである。

私は「お岩のポーズ」と呼んでいる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おさんどん

2024-12-26 20:04:07 | 

ご飯を作る使用人のことを「おさんどん」と呼ぶのは、三度三度ご飯を作るからだと思っていた。すなわち「おさんどん」=「お・さんど・ん」と考え、語頭の「お」と語尾の「ん」をとると「さんど」。これを「三度」と解したのである。だが、夏目漱石の「吾輩は猫である」に出てくる使用人(「吾輩」を主人宅に連れ帰った)は「おさん」と呼ばれている。ってことは、「どん」は西郷どんの「どん」と同く尊称の「殿」のくだけた形であり、「おさんどん」=「おさん・どん」と考えるべきか。すると「さんど(三度)」を根拠とする私の説は拠って立つところを失うこととなる。しかも、一日三食になったのは江戸時代からであり、それまで二食だったことを思い合わせると、「三度三度ご飯を作る」説は崩壊したと言わざるを得ない。潔く白旗を揚げよう。因みに、ドン・ジョヴァンニの「ドン」も尊称であり、偶然だろうが、和洋の一致を見るのである。

いずれにせよ、私がおさんどんであることには間違いない。ご奉仕申し上げる相手は猫様方である。痛風で足が痛くても、そんなことはご主人様にはかかわりのないこと。毎日三度三度決まった時間になると、脅迫鳴きをして私に奉仕をせがむ。その間、通風で痛む私の足を踏むこともしばしば。

ところで、猫様が廃油缶を倒して油を舐めたり食品庫から引っ張り出してぶちまけた小麦粉を舐めてお腹を壊して床で「シリコスリ」をしてさらに「おさん(私)」の仕事を増やしたことを書いたがその後はどうかと言うと、シンクをすのこで被い、ゴミ箱にはボーズのスピーカーを重しとして置き、食品庫の扉前には空気清浄機を置く等の本格的対策が効を奏し、「事件」はぷっつり起きなくなった。それでも、わずかな油断を見逃す彼らではない。むしゃむしゃ音がするから見ると、しまい忘れた猫缶の中身に食らいついている。狙われるのは猫フードだけではない。私のお椀によそったご飯をちょっと目を離したすきに食べていた。私のお椀によそったのは私が食べるためであって猫様方のためではない。当たり前だ、と思うのはしかし人間だけで、猫様方からすれば目の前にある食べられるものはすべて自分のためのご馳走なのであり、それを取り上げようとする人間の行為は略奪以外のなにものでもないのである。

そうやってつまみ食いをしたとしても、猫フードはもちろんご飯だって毒ではない。昔の猫は、「猫まんま」と言って米飯を食べていた(食べさせられていた)。人間だって米飯ばかり食べていると脚気になる。ましてや猫は肉食動物なのだから米飯だけで十分なわけはない。だから昔の猫は短命だったのだろう。だが、毒ではないのだからそれが原因ですぐにどうこうということはない。その他、良からぬものを食べた形跡は絶えてない。だからか、最近の猫様は滅多に吐かなくなった。いくぶんふっくらしてきた感じもする。

以前は、猫の成人病(成猫病)を気にするあまり肥満にならないことだけに気を遣ってきたが、私と同じで(つうか、実年齢は私より10歳は上である)、これから成猫病って心配はうすいだろうから、太ってほしいと願っている。だから良い傾向である。

私のわずかな隙を見逃さない猫様方も、「今日は戸締まりが万全だ」と観念すると(空き巣か?)、一転、くつろぎモードになる。

例によって、真ん中に私を置き、左右に分かれてくつろぐお猫様方である。さしづめ私は、荒川と綾瀬川が一番近くなったところの両川の間にある土手である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

良い猫!悪い猫!普通の猫!

2024-12-01 11:36:26 | 

いったいウチの猫は、なぜゴミ箱を漁るのだろう?がっついているのだろう?つまるところ悪い猫なんだろう?その昔、欽ちゃんの番組で、良い子!悪い子!普通の子!というのがあったが、ウチには良い猫も普通の猫もおらず、いるのは悪い猫だけである。

他所の猫はそんなじゃないという。調理台にも食卓にも乗らないという。なのになんでウチの猫はこうなんだろう。オイメー、オイメー(「オイメー(ohimè)」はイタリア人の嘆きの言葉である。モンテヴェルディの歌の歌詞とかで知ったんだと思う)。

いや、ちょっと待て。思い出してみよう。先代の四匹の猫はどうだったか。たしか、私が食事をするとき、彼女らは、戦艦大和に群がるアメリカの戦闘機のように私を取り囲んでタッチ・アンド・ゴー作戦を展開していた。私は、防御のため、私の周りをレンジカバーで被って食事をしたものであった。

ウチの猫だけではない。「What's Michael」で、一家団欒でご飯を食べているところにマイケルがやって来て、マイケルは突入時期をじっと伺っていて、いまだ!と思ってテーブルの上に突入した瞬間、一家全員が茶碗とお皿を宙に揚げて食べ物を守ったシーンがあった(突入に失敗したマイケルは、照れ隠しに踊りを踊るのであった)。更に、一家が憧れの籐家具を買った後でそれがマイケルの格好の爪とぎ道具になることに気づき、触れると「こらっ」という声がする仕掛けをしたシーンがあった(で、訪れた部長さんが触って「こらっ」と怒られるのであった。そんな仕掛けがあるなら私も欲しい)。なーんだ、ウチだけじゃないじゃん。みんなそうなんじゃん。

であるならば(猫が本質的にがっついてる生き物であるならば)、猫にしつけをしようとしても無理である。マイケルの飼い主が「こらっ」の仕掛けをしたような対策が大事である。ゴミ箱を漁らないようにする、ではなく、漁「れ」ないようにするのである。だから、私の対策(シンクをすのこで被い、食品庫を空気清浄機で塞ぎ、ゴミ箱にボーズのスピーカーを乗せる(昨日のブログ参照))は理にかなったものであった!なお、猫が荒らして困るモノに猫除けスプレーを吹きかけ、猫のイヤな臭いを付ける手があるらしいが、その成分が部屋中に漂ってしまっては、なにせ狭いわが家であるから猫に気の毒である。その手を使うつもりはない。

すると、ゴミ漁りをしなくなった(できなくなった)他に思わぬ効果が現れた。猫が吐かなくなったのである。もともと猫は吐き易いのだが、あまり吐いてると、体重が減るし、後片付けも大変だから、吐かないように試行錯誤を続けてきた。一度にたくさん食べるのがいけないのかと一日2食を3食にして一回当たりの量を減らしたり、ドライフードが良くないのかもしれないと思って缶詰だけにしたり等々。それでもときどき吐いた(夏目漱石は、猫好きではあったが、猫が吐くのには閉口したらしく、吐きそうになった猫を庭に出したそうである)。ところが、ゴミ漁りがなくなったらぴったり吐かなくなった。ドライフードに戻して量を多くしても吐かなくなった。もしや、これまで吐いてたのって、ゴミを漁って良からぬモノを口に入れて、それで吐いてたのか。そうなのかもしれない。いずれにせよ、ウチの猫は、現在は「良い猫」である。一日でも長く「良い猫」であり続けてもらいたいものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「すのこの剪定」をして幸せな件

2024-11-30 18:57:41 | 

猫がシンクに下りてゴミを漁るのを防ぐため、すのこで蓋をしたことは書いた。

すのこはそもそも風呂場に置くべきモノだから水が垂れても問題ない。名案だと喜んだ。だが、ウチのシンクを塞ぐには大きすぎて、調理台の半分をふさいでしまう。せいぜい、猫が佇むぐらいのスペースしか余さない。

だから、食器の洗い桶とかを置けずに不便である。そこで、切ることにした。庭木を剪定するために奥地の家に持って行ってあったノコギリをこちらに戻して(奥地の庭木は業者に頼んですべて成敗したからノコギリは不要になった)、庭木ならぬ「すのこの剪定」に取りかかった。

端をこれだけ切ったら、

見事に収まった!

洗い桶も横置きすることができる。人生で、これだけ物事が上手く運ぶことは滅多にない。14歳の岩崎恭子さんが「生きてて一番幸せ」と言ったその気持ちである(岩崎恭子さんもいつの間にか指導者になられて貫禄のご様子である)。

これでシンクの守りも万全、食品庫の守りも、

扉の前に重しとして空気清浄機を置いたから万全、ゴミ箱の守りも、

重しとしてボーズのスピーカーを置いたから万全である(ウチの多くの小道具達は、本来の用途以外の使い方をされている)。

するとどうだ。つい、こないだ、廃油缶をひっくり返されて油をぶんまかれ、食品庫から引っ張り出した小麦粉をぶんまかれ、それを舐めてお腹を壊した猫に「シリコスリ」で床を汚されて「生きてきて一番不幸せ」と嘆いたことが嘘のように平穏な時間が流れている。どうか、この平穏が続いてほしい。って、それは私次第である。つまり、私がいっときも気を緩めさえしなければ幸せタイムは続くのである。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする