黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

2025年問題/全額返金のはずなのに

2025-01-19 11:49:01 | 生活

VHSテープ等の磁気テープの劣化が迫っていることを2025年問題と言うのだそうだ。劣化で視聴不能になる前に、ということでダビング業者は大忙し。2か月待ちだという。そんなことは前から分かっていたことで、なぜ2025年で区切るのか不明。私は、磁気テープ(ベータ、VHS、8mm、DAT)に限らず、MDやレーザーディスク(LD)の全てを既にDVDやブルーレイディスクにダビングし終えている。そんな私にとっての2025年問題は、そのDVDやブルーレイディスクの劣化である。「終の住処」ならぬ「終(つい)の媒体」と思ったらDVD等も安泰ではなかった。ダビングしたディスクを見ようとしたら再生不能で何度ため息が漏れたことか。原因は、ディスクの素材である。やはり「安物」はダメな場合が多い。ダメなヤツはロットに集中するから、1枚がダメだと、同時期にダビングした数十枚もダメである。おかげ様で、レーザーディスクのダビング・ディスクのかなりの数が再生不能である。

昨年、中古で買ったレーザーディスクの再生機でレーザーディスクのブルーレイディスクへのダビングをしているのはそのためである。同じことの繰り返しにならないよう、国産の良い(=高い)ディスクを大手通販サイトでポチった。私としては、決死の選択である。これが新たなトラブルの始まりであった。

経緯はこうである。ポチった次の日に到着するはずが来ない。すると、夜更けに「配送が滞っている。配送日を更新する(3日延期する)」とのメールが入った。延期後の配達予定日が来た。商品の代わりにメールが来た。配送上の都合で配達できなくなった、代金は全額返金する、との内容であった。ところが、返金額が代金より少なかった。大手通販のカスタマーセンターにチャットで事情を説明したら、購入時に付いたポイント分を差っ引いたということだった。事情は分かった。対応は良かった(チャット相手の名前は中国名だった。昨日記事にしたタクシードライバーといい中国人の日本語対応能力はたいしたものである)。だが、それなら返金するとの連絡の際にその旨を付け加えてくれればいいのに。チャットの後に担当者の評価を聞いてきたから、五つ星を付けるとともにそのことを申し添えた。

だが、ディスクが来ないのは困る。改めて同じ商品をポチった。値段が1000円高くなっていた。今度はポチった翌日にちゃんと着いた。包装が破れていた。私はそんなことは(ディスクの性能には無関係だから)普段気にしないが、もしかすると、これが配送不能の理由で、結局、同じ個体を送って寄こしたのではないか?と疑っている。取引に完璧を求めても無駄である。その分ストレスを被るだけである。人間のやることなど所詮はそんなものである。そのディスクを使ったダビングは絶好調である。

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新宿駅西口で往生して北○○駅のタクシー乗り場でも往生した件

2025-01-18 10:46:57 | 健康

先週のトリセツショーが痛風をとりあげたのでくいついて見たら「痛風を発症した人は受診しましょう」。結局それ?がっかり。ただ、「牛乳を飲むと発症率が下がる」は新情報であった。

それよりも、今週のトリセツショーはひざ痛についてだったが、「運動しすぎると軟骨が破損して炎症がおきる」には耳がダンボになった。歩くとき膝に150㎏もの負荷がかかるのなら足の指にもかかるだろう。私の痛風は、歩きすぎで発症したのではないか?と疑っていたが、そもそも痛風の発症ではなく、歩きすぎで関節が破損して炎症がおきてるのではないか?という疑問が浮上中である(昨年はたしかに歩きすぎた。一日おき、あるいは連日3時間川辺を歩き回っていた)。とにかく、歩くより自転車の方が負荷がかからず運動ができる、というのは役立ちそうな情報であった。

そんなわけで痛風が治らない。いっときのように夜眠れないほど痛いということはなくなったが、歩くのには不自由なままである。これまで、ゆっくりとしか歩けない高齢者をみるたびにお気の毒と思っていたが、今の私はまさに「お気の毒な高齢者」である。

だが、所属している合唱団の初練習とあれば無理をしても行きたいところ(内輪の発表会も目前だし)。ウチから○○駅まではバスがある。間は電車に乗って、新宿駅西口から会場までもバスがある。よし、決行だ!新宿駅西口は現在工事中で前回バスターミナルにたどり着くのに相当な時間がかかったが、今回は大丈夫だろう。

と思ったら甘かった。前回同様、迷いに迷って30分遅刻する羽目になった。迷う理由が分かった。「西口地上へ」と「西口バス乗り場へ」の二つの案内標識を一緒にしてはダメなのだ。「地上へ」に従って進むと地上には出るがバスターミナルにはたどり着けない。あくまで「バス乗り場へ」に従わなければならぬ。ときどこその標識が雲隠れするが、そこであわてふためいて方向を変えたら運の尽き。そのまま直進すると再び「バス乗り場へ」が現れ、ターミナルにたどり着ける。このことが分かったから次回は大丈夫だ。「三度目の正直」と言うではないか。

だが、これはこの日の苦難の始まりに過ぎなかった。会が終わって会場近くのバス停(予め調べはつけてある)でバスを待つ(終バス時間も調べはつけてある)。ところが、一向にバスが来ない。この夜は特に寒くて凍死しそうである。よくよく時刻表を見たら一時間間違えていた。終バスはとうに終わっていた。仕方なく、最寄りのJRの駅まで歩いた。痛む足をかばいながらえっとこえっとこ歩いて変な力がかかったのだろう、翌朝、痛風の足よりも全身が痛い。

だが、天は更なる試練を用意していた。舞台は私の住む区に移っている。終バスは終わっている。いつもなら北○○駅から25分歩くのだが無理(なぜ無理かって?あのー、ここまで読んでくださった?)。するとタクシー。○○駅からだとタクシーはたくさん来るが2000円かかる。北○○駅からだとタクシーはあまりこないが1200円で済む。私のことを知ってる人なら私がどちらを選んだかは火を見るより明らかだろう。待ちましたとも、北○○駅のタクシー乗り場で。来ない。待てどくらせど来ない。そのうち、次の電車が到達したらしく改札から人が出てきたがまだ来ない。寒さはいやますばかり。このままでは凍死である(?)。ここまで並んで確保してきた「1番乗り」の地位に固執したい気もしたが(離れた途端に他の人が並んですぐにタクシーが来たらシャクである)、意を決して、その場を捨て、近くの大通りまで行ってタクシーを待った。おっ、空車が来た!と思ったら、私と空車との間を黄色い作業車がふさいだため取り逃がしてしまった。作業車は私をあざ笑うようであった。気を取り直して待つとまた空車が来た。今度は捕まえることができた。地獄に仏とはこのこと。仏(フランスではない。「ほとけ」と読んでちょうだい)のドライバーは中国人だった。発音は外国人ぽさが残るがヒアリングは完璧だった。聞くと2年間日本語学校で日本語を勉強したという。2年でこんだけヒアリングができるんだ!すごい!と思い、大いに仏様をヨイショした。「やばい」という言葉が昔は悪い言葉で今は「すごい」の意味だってことも知っていた。接客態度も満点だった。「このドライバーはどうでしたか?」というアンケートが来たら5点満点を付けたところである。

それにしても、その夜の北○○駅のタクシー乗り場は役に立たないことこのうえなかった。信じて待って凍死したら私の遺族の損害賠償請求が認められるだろうか?だが、訴える相手がいないし(被告適格者がいない)、そもそも私に遺族になるような人(原告適格者)がいない。関係ない人が関係ない人を訴えても請求は却下である。かりに、内容が審理されたとしても、信じた私が馬鹿だったと言われて請求が棄却されること請け合いである。

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ナイル川と椿三十郎(水流の変更)

2025-01-17 15:49:22 | 歴史

その古代中東の歴史書によると、今、トルコ共和国のあるアナトリア半島にヒッタイトという国があって、その国民はインド・ヨーロッパ語族(現在のヨーロッパ人)に属するということ。同地がトルコ人の国になったのはずっと後のことだという。そう言えば、お隣のイランの人々もインド・ヨーロッパ語族であった。その更に東方のインドもである。

その歴史書にはエジプトのことも載っている。ナイル川が毎年氾濫したおかげで土地が肥えたという話は聞いていたが、その方法は、溢れた水をわざと農地に溜めて(水門を閉めて)水がもたらす栄養分を土地に取り込んだのだそうだ。「氾濫」というと大変な災害を想起するが、その言葉とは裏腹に、当時の農民は積極的に増水を利用したらしい、ということが新発見であった。

ところで、ナイル川は多くの国々を流れエジプトはその最下流にある。現代において、上流の国々がダムをこしらえたためナイル川の水量が減って、エジプトは小麦の一大輸入国になってしまったという。かように、一つの川がいくつもの国を流れていると、ある国が川にしたことが他国にも影響を与えてしまうということも新発見であった。日本のように、源流から河口までが国内で完結していては起こりえない事態である。

ただし、もっと規模を小さくして、水流を小川に、国を個々の邸宅に置き換えればあり得る話となる。例えば、びわ湖の周りの集落では、各家の敷地内に隣から流れてくる水流があって、各家がその水流を家用に利用するのである。私は、その様子をテレビで見たとき、そうか、民法の水流に関する規定はこういう場合に役立つのだな、と思った。その規定の内容というのはこうである。水流地の所有者は、対岸が他人所有の場合は(こっち側だけが自己所有の場合は)その水路又は幅員を変更してはならないが、両岸が水流地の所有者に属するときは(自分とこの庭の中を流れている場合は)水路及び幅員を変更することができ、変更した場合は水流が隣地と交わる地点で元に戻さなければならない(いずれも異なる慣習があるときはそっちが優先する)というものである。

黒澤明の「椿三十郎」を見たときもこの規定のことを思い出した。すなわち、椿三十郎が肩入れする若侍達はある屋敷に身を隠しているのだが、その隣が敵の屋敷であり、二つの邸宅を小川が貫いている。敵側が上流である。椿三十郎は、身分を隠して敵の屋敷に入り込んだ。突撃の合図は、その小川に白い椿の花を流すことであった。私は、映画を鑑賞しながら、あの小川はそれぞれの庭の中を流れているので(両岸とも屋敷の主に属するので)、自分とこの庭の中では流れも幅も変えることができるが、隣の庭との境において元に戻さなければならないんだよな、と思ったものである。因みに、映画のクライマックスで流れて来た合図の椿の花があまりに大量だったので思わず笑ってしまったものだ。

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アムル人とケムール人/アッシュルバニパル

2025-01-17 11:13:41 | 歴史

イスラエルとハマスの間で停戦合意が成立したのは喜ばしい限り。このまま戦火が収まってほしい。他方、私の中東歴史熱は収まる気配を見せず、今も古代オリエントの歴史書を読んでいるのだが……

中学の頃、世界史の参考書にアッシリア(現在のイラクの北部)の王様の名前として唯一書いてあった「チグラトピレセル」(現在は「ティグラトピレセル」と表記するようだ)がどうしても覚えられない。覚えるとっかかりがない。だが、当時は根性があった。しゃにむに暗記に努めたら覚えた。そうやって脳細胞に刻まれた「チグラトピレセル」は半世紀経った今でも忘れることはない。きっと、親の名前を忘れても「チグラトピレセル」は覚えているだろう。ところが、今読んでる歴史書にその名がいつ出るかとわくわくしながら読み進めても一向に出てこない。出てこないままアッシリアの章が終わってしまった。代わりに出てきた王様の名前が「シャムシ・アダド」「アッシュルバニパル」等々。別にググって得た情報によると、ティグラトピレセルは中興の祖ではあったが1番手で覚えるべき名前ではないようだ。私が必死で覚えた名前はそんな程度のモノだったのか。満足感は半世紀経って粉々である。この歳になって「シャムシ・アダド」などどうやって覚えられよう?

そうなると、件の世界史の参考書が恨めしい限り。だが、そういうものだ。「チグラトピレセル」はまだましである。作曲家や曲を解説した中学生向けの本を最近押入の奥から発掘して読んだら、リヒャルト・シュトラウスの代表的なオペラとして「サロメ」「エレクトラ」「バラの騎士」と並べて「グントラム」を挙げていた。よりによって、失敗作との呼び声高く、シュトラウスが自宅の庭にお墓を作って楽譜を埋めた「グントラム」を、である。しかも、「ナクソス島のアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」等々の錚錚たる名曲を差し置いて、である。初演こそ失敗したが今では評価されて人気曲(「椿姫」のような)というわけでもない。今でも、上演されることはほとんどない。日本における中東の古代史やリヒャルト・シュトラウスに関する半世紀前の情報量がその程度のものだった、ということだろうか。

とぐだぐだ書いてるうちに、なんとなく「シャムシ・アダド」が覚えられそうな感じになってきた。なお、「アッシュルバニパル」については、そういう名の現役の競走馬がいるから、先に覚えられそうである。

因みに、シャムシ・アダド王はアムル人だという。おお、ウルトラQに出てきたアムール人か!と思ったら、あっちはケムール人だった。

 

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春は3回、夏は6回

2025-01-16 15:23:24 | 映画

男男の話が続いたので男女のことも。ネット動画が「市原悦子が語る江戸のなんちゃら」って映画を奨めてきたからてっきり江戸の地理の話(幕府開幕の頃は日比谷が入江でその外側を「江戸前島」と言って今の銀座辺りだった等々)だと思って見始めたら、冒頭に「昭和61年9月25日東京高等裁判所判決に基づき昭和61年12月18日東京税関の通関許可を受けた」という「お断り」が入った。判決・税関とくれば猥褻案件?当たりであった。つうか、判決に基づく通関許可を受けたから猥褻物ではない、という案内である。すなわち、この作品は「愛のうつし絵 市原悦子が語る江戸文化の神髄」というタイトルで、浮世絵の中でも春画にスポットライトを当てた作品であった。「浮世絵の中でも春画」と書いたが、この作品に拠ると、浮世絵は春画から始まったし、美人絵は遊女の肖像画から始まったそうである。

さような断り書きを入れるくらいだからなかなかの意欲作であり、「単体」は遮るものなく映し出されていたが、結合シーンにはすべて小判が貼り付けられていた。これが限界だったのだろうか。映画「ヌオーヴォ・チーネマ・パラディーゾ」(ニュー・シネマ・パラダイス)には、当局の規制が強くなりキスシーンがすべてカットされたことに対して映画館内の客が盛大にブーイングをするシーンがあったが、この映画(江戸のなんちゃら)を映画館で見た人々は小判を見て、小判より絵を見せろ、と叫んだとは思えない。なにしろお役所には頭の上がらない国民性である。よくぞここまで見せてくださいましたとの感謝の念に堪えなかったものと推察する。

「小判」と書いたが、「大判」だったかもしれぬ。なにしろお金には縁がないから違いが分からない。

そう言えば、都内の美術館で春画展が開かれたことがある。ちょうど10年前であるから、平成も後半期に入っていた。そう考えると、昭和の時代にあそこまで表現した制作陣には喝采を送るべきだろうか。

ところで、作中に、春画の最高傑作という作品が出てくるのだが、人物の背後に「春は3回、夏は6回」と書いたものがあった。絵の内容からしてまぐあいの回数だと思うが、1日の回数だろうか?季節における回数だろうか?前者なら多すぎるし、後者なら少なすぎる気がする(オペラ「ばらの騎士」のオクタヴィアン(17歳)なら一日でも多すぎないだろう)。いずれにせよ、春より夏の方が回数が多くてしかるべき点については同オペラのオックス男爵も「Juni(6月)、Juli(7月)、August(8月)」と言って同意の様子である。

特に、「8月」を高い音で伸ばしているから(楽譜の赤丸)、男爵は8月を最適の季節と考えているようである。もっとも、これは外でいたす場合の話であり、昨今の地球温暖化のことを考えると熱中症には十分注意しなければならず、できるなら冷房の効いた室内でいたすべきだと思う。

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