黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

良い猫!悪い猫!普通の猫!

2024-12-01 11:36:26 | 

いったいウチの猫は、なぜゴミ箱を漁るのだろう?がっついているのだろう?つまるところ悪い猫なんだろう?その昔、欽ちゃんの番組で、良い子!悪い子!普通の子!というのがあったが、ウチには良い猫も普通の猫もおらず、いるのは悪い猫だけである。

他所の猫はそんなじゃないという。調理台にも食卓にも乗らないという。なのになんでウチの猫はこうなんだろう。オイメー、オイメー(「オイメー(ohimè)」はイタリア人の嘆きの言葉である。モンテヴェルディの歌の歌詞とかで知ったんだと思う)。

いや、ちょっと待て。思い出してみよう。先代の四匹の猫はどうだったか。たしか、私が食事をするとき、彼女らは、戦艦大和に群がるアメリカの戦闘機のように私を取り囲んでタッチ・アンド・ゴー作戦を展開していた。私は、防御のため、私の周りをレンジカバーで被って食事をしたものであった。

ウチの猫だけではない。「What's Michael」で、一家団欒でご飯を食べているところにマイケルがやって来て、マイケルは突入時期をじっと伺っていて、いまだ!と思ってテーブルの上に突入した瞬間、一家全員が茶碗とお皿を宙に揚げて食べ物を守ったシーンがあった(突入に失敗したマイケルは、照れ隠しに踊りを踊るのであった)。更に、一家が憧れの籐家具を買った後でそれがマイケルの格好の爪とぎ道具になることに気づき、触れると「こらっ」という声がする仕掛けをしたシーンがあった(で、訪れた部長さんが触って「こらっ」と怒られるのであった。そんな仕掛けがあるなら私も欲しい)。なーんだ、ウチだけじゃないじゃん。みんなそうなんじゃん。

であるならば(猫が本質的にがっついてる生き物であるならば)、猫にしつけをしようとしても無理である。マイケルの飼い主が「こらっ」の仕掛けをしたような対策が大事である。ゴミ箱を漁らないようにする、ではなく、漁「れ」ないようにするのである。だから、私の対策(シンクをすのこで被い、食品庫を空気清浄機で塞ぎ、ゴミ箱にボーズのスピーカーを乗せる(昨日のブログ参照))は理にかなったものであった!なお、猫が荒らして困るモノに猫除けスプレーを吹きかけ、猫のイヤな臭いを付ける手があるらしいが、その成分が部屋中に漂ってしまっては、なにせ狭いわが家であるから猫に気の毒である。その手を使うつもりはない。

すると、ゴミ漁りをしなくなった(できなくなった)他に思わぬ効果が現れた。猫が吐かなくなったのである。もともと猫は吐き易いのだが、あまり吐いてると、体重が減るし、後片付けも大変だから、吐かないように試行錯誤を続けてきた。一度にたくさん食べるのがいけないのかと一日2食を3食にして一回当たりの量を減らしたり、ドライフードが良くないのかもしれないと思って缶詰だけにしたり等々。それでもときどき吐いた(夏目漱石は、猫好きではあったが、猫が吐くのには閉口したらしく、吐きそうになった猫を庭に出したそうである)。ところが、ゴミ漁りがなくなったらぴったり吐かなくなった。ドライフードに戻して量を多くしても吐かなくなった。もしや、これまで吐いてたのって、ゴミを漁って良からぬモノを口に入れて、それで吐いてたのか。そうなのかもしれない。いずれにせよ、ウチの猫は、現在は「良い猫」である。一日でも長く「良い猫」であり続けてもらいたいものである。

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コラールの成り立ちVol.5ヨハネ受難曲が「かあさんの歌」に聞こえる件

2024-12-01 09:52:13 | 音楽

バッハのヨハネ受難曲には、いつ歌っても聴いても「♪かーさんが、よなべーをして」にしか聞こえないコラールがある。今回のコラール成り立ちシリーズのターゲットはソレ。ヨハネは今回で3度目である(過去の二回は、終曲とイザークの曲が元曲であるコラール)。それでは調査開始……いや、その前に、そもそも「♪かーさんが、よなべーをして」のタイトルが分かってない。そっちが先だ。「かあさんの歌」であった。では、後顧の憂いを取り除いたので、あらためて調査開始。

件のコラールは、第5曲(新バッハ全集の番号)の「Dein Will gescheh'(あなたの意思が実現しますように!」)である。その出だしの楽譜を以下に掲載した。私がどんな風に「かあさんの歌」に聞こえるかを分かっていただくため、かあさんの歌の冒頭の歌詞を書き込んだ。

この曲の源流探しが今回のミッションである。

直近の源流は、ルター(出た!)の賛美歌「Vater unser im Himmelreich(天にまします我らの父よ)」(1538年又は1539年)である(注1)。

この賛美歌は9節から成り(注2)、バッハはそのうちの第4節を、歌詞とメロディーもとろもヨハネ受難曲に用いたのである(和声付けはバッハがした)(注1)。

では、ルターの「Vater unser」のそのまた源流はあるか?メロディーについてはある!ルターは、Der Mönch von Salzburgって人のメロディーに基づいて、「Vater unser」のメロディーを作ったのである(注2)。

では、その「Der Mönch von Salzburg」って誰だ?意味は「ザルツブルクの修道僧」であり、一般名詞のようだが固有名詞である。つまりある人の仇名である。実名は分かってない。この人は、14世紀に活躍したミンネゼンガー、つまり吟遊詩人である(注3)。

役者が出そろったので整理しよう。その吟遊詩人さんのメロディーを参考に、ルターが自作の詩に曲を付けて賛美歌「Vater unser」ができ、その第4節をバッハが使ってヨハネ受難曲の第5曲にした、とこういうことである。

このルターの賛美歌は多くの作曲家に利用されている。その名前を挙げると、Mプレトリウス、シャイト、パッヘルベル、ブクステフーデ、さらに近代に至ってもメンデルスゾーン、レーガーと言った錚錚たる顔ぶれが並ぶ。そしてバッハも、ヨハネ受難曲に使ったほか、そのメロディーをオルガン曲にも使ったし、カンタータのBWV90,101,102にも使ったのである。

「かあさんの歌」に似てると思って調査をしたら、調査相手が超大物だったことが分かり、恐れ戦いてるワタクシである。因みに、その「かあさんの歌」についても、もう少し知っとかなくちゃ、と思って調べてみた。作詞・作曲は窪田聡って人で、1956年に発表されたもので(なんだ、結構最近じゃん)、全国の歌声喫茶に広まり、ダークダックスやペギー葉山によっても取り上げられ、NHKの「みんなのうた」でも放送された、ということである(私の耳元に残っているのはダークダックスの歌声である)。この曲、大層もの悲しく感じられるのだが、故郷から便りが届いて囲炉裏のにおいがすることがそんなに悲しいことなのか?と少し不思議に思うワタクシでもある。なお、ワタクシが嗅いで好きなにおいは、猫が丸まってるところに顔をつっこんで嗅ぐ猫のにおいである。

注1:ウィキペディア英語版の「St John Passion structure」
注2:ウィキペディアドイツ語版の「Vater unser im Himmelreich」
注3:ウィキペディアドイツ語版の「Der Mönch von Salzburg」

 

 

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