黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

2024年の総括と2025年の抱負

2024-12-31 20:06:05 | 日記

2024年(令和6年)の私の総括及び2025年(令和7年)の展望

【食事】後半、米飯が主食になった。揚げ物料理がマイブームになった。写真はイシモチの天ぷらである。

ブログ掲載予定のまま残っていたので掲載した(歳末大売り出し)。物価高のおり豚肉から鶏肉にシフトした。ビールの代わりにサワーを飲んだ。2025年は、痛風に良いか悪いかを考えて食するモノを選ぶ所存である。

【健康】区のタダ券で眼科検診と健康診断をした。年相応の軽度の白内障と尿酸値が高いほかは特に以上はなかった。肝臓の値に異常がなかったのが驚きであった。後半、痛風に苦しんだ。「尿酸値が高いほかは」の尿酸値の高さが原因であった。半年に3回発症した。特に、11月12月は続いて発症し、12月は3週間経った今でも完治せずにいる。2025年は、クリニックと相談して尿酸値を下げる薬を検討しようかと思う(そう思うほど、懲りている)。

【音楽】
[歌]「美しい水車の娘」を地道に進めている。春(町田の発表会)と秋(リート会)の二回、人前で披露した(春は1曲、秋は4曲)。合唱関係はカンタータの会とA合唱団のみ。某K(合唱団)には参加しなかった。2025年は、「美しい水車の娘」を継続。カンタータの会のお題曲について、毎回「コラールの成り立ち」をブログに書いて挑もうなどと殊勝なことを考えている。継続できれば(できれば、の話)自分にとって相当な財産になるはずである。
[楽器]一服。上記の春の発表会ではクラリネットも吹き、オーボエの体験レッスンに一度だけ行ったが、他はさしたる活動はなかった。弦楽器はあまりいじらなかった。2025年は、某合唱団の本番でクラリネットを吹く予定。トロンボーンを購入したい気が地下マグマのように煮たっている。これ以上楽器を増やしてどうする?という心の声と、短い人生、好きなことをしなくてどうする?という心の声が私の中でせめぎ合っている。後者が勝てばいいな、とひそかに願っている。
[カーサ某のセッション]後半はチケットを買いそびれてばかりいた。人前で演奏する数だけ上手くなるのだから、2025年はチケット争奪戦に打ち克つべくダッシュを決めたいと思う。

【映画等】年始めに映画館で「哀れなるものたち」を観てエマ・ストーンの体当たり演技に度肝を抜かれる(あのくらいがんばったんならアカデミー賞の主演女優賞は当然のご褒美である)。その後は、もっぱら動画配信で。現在、ディズニー+で「SHOGUN」を視聴中。

【読書】漱石をほぼ読み尽くした後、あさイチの読書コーナーで紹介していた「ソフィーの選択」を読んで半世紀ぶりに哲学に回帰し、現在プラトンの「饗宴」を読んでいる。2025年はプラトンの「国家」を再読したい。あと、「ユダヤ人の歴史」を読んで、中東の歴史への興味が沸いた。

【ブログ(私の好奇心の発露)】新ブログ(当ブログ)を開設し、いろんなネタをとりあげた。そのいくつかはシリーズ化した。それらのネタは、現在の私の好奇心の対象であり、ブログはその発露である。ジャンルは猫、料理、健康、歴史等々多岐にわたるが、台地、山、川等の地理ネタと、オペラ、歌手、コラール等の音楽ネタが多かった。なかでも「川の成り立ち」には熱心に取り組んだ。寝ても覚めても利根川や中川が頭にあった。ネタはまだまだあって後がつかえている状態である。こうした地理に関する興味を沸き立ててくれた「ブラタモリ」が2025年春に復活するニュースは2024年における数少ない良いニュースであった。因みに、私のブログと言えば、太古の昔においては朝ドラネタがその中心を占めていたが、最近はとんとご無沙汰である。

【奥地の家】一昨年ただ同前で買った奥地の家について、その年は登記と不動産取得税の軽減申告のみで多くが今年に持ち越された。その今年、プロパンガス契約をし、ガスコンロ、エアコン(一部)、ウォシュレットの取替・設置をし、給湯器がかろうじて作動することを確認し、庭木を伐採し、火災保険に入った等、かなりの懸案事項を片付けたので、ほとんど住めるようにはなった。ただし、だめになったドア・クローザーの取り外しには相当労力を費やしたが結局はずせずにドアにぶら下がったままである。2025年以降の課題は、このクローザーを含めたドアと今年取り替えなかったエアコンの取替、現在ついてないテレビアンテナの設置(代わりに有線という手もある)等々だが、これらは本格的に引越をするまで保留にしておいてもよい。

【世界平和】ウクライナと中東における戦争・紛争が一刻も早く終わることを願う者である。

【猫】いっとき、廃油缶を倒して油は舐めるわ、食品庫から小麦粉を引っ張り出すわの狼藉三昧でかなり心を痛めたが、悪さをしたくてもできないような対策(猫が物色しそうなところに重しや障害物を置く)をしたら悪さをしなくなり(というか、できなくなり)、それによって悪いモノを口に入れなくなったせいか吐かなくなり、ゴハンの量を増やしたこともあって少しふっくらしてきた。この一事でわが心は平穏である(Gloria in excelsis deo(天にまします神に栄光)、et in 私の心 pace(そして私の心には平和))。この平穏な日々が2025年にあっても続くように強く願うワタクシである。

以上である。

 

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川の成り立ちVol.10隅田川の河口はどこ?

2024-12-30 19:57:16 | 地理

疑問は年明けまで引きずるべきではないのでここで問題提起をするわけだが、果たして、隅田川の河口はどこだ?言い方を変えると、一番下流に架かる橋はどれだ?(なお、下図における地形、橋間の距離等々は簡略化したものであり、現実を反映しているものではない。また、図中の橋は、現在架かる橋であり、当時を反映するものではない)。

普通に考えれば、隅田川の左岸に最後に接する陸地は月島埠頭であり、その最南端に架かる築地大橋がもっとも下流の橋であり、そのすぐ南側が河口である。

それが世間の共通認識のようである。だが、引っかかるのは、月島埠頭が埋立によって造られた「人工島」である、ということ(埋立てが始まったのは明治中期であり大正期になって完了した)。そうした人工島を抜けた所を河口とするのがはたして適当だろうか?さらに、河口を「本来の河口」に求めるなら、埋立てによって後からできた河口は河口でないこととなる。

そう考えて、月島埠頭の南端を河口と見ないのであれば、月島埠頭ができる前、すなわち、月島埠頭の根っこの辺りが本来の河口であり、もっとも下流の橋は永代橋ということになる。

実際、江戸時代においてはそのように解されていた。なお、この頃は、現在の隅田川は、荒川西遷後は荒川の本流であり、西遷前は入間川の本流であった。

しかしでござる。大昔に遡ると、隅田川(当時の入間川かつ利根川)には現在の流路のほか、現在の桜橋の少し上流辺りから南東に向かう流路があり、そちらが本流だった。そして、現在の北十間川辺りが海岸線だった。

その南側は埋立てによって陸地となった地域である。あくまでも本来の河口にこだわるならば、永代橋付近の河口も本来の河口ではなくなり、現在の北十間川よりも北に本来の河口を求めなければならなくなる。そんなことを言っていたら、地球の温暖期においては現在のさいたま市あたりまでが東京湾だったから(古東京湾)、本来の河口は限りなく北方にあった、あるいは河口そのものがなかったという話になってしまう。

そう考えて遡っていくときりがない。現在の河口は現在の地理によって決めてもバチは当たらないだろう。月島が人工島であることについてはどうか?思うに、人工島と言っても、なにも筏を浮かべてるわけでもないし、ひょっこりひょうたん島のように漂流するわけでもない。また、東京都において普通に地面だと思っている土地の多くが埋立地である。しかも、その「人工島」には今や高層マンションがぼこぼこ建っていて内陸となんら変わるところはない。そうであれば、素直に「月島」という名の土地を抜けて広海に出たところを河口と呼び、もっとも下流にある橋は築地大橋ということで良いであろう。これで、心残りなく年が越せるというものである。

下の写真の中央が築地大橋であり、手前が隅田川が河口を抜けて東京湾に出た辺りである。

なお、晴海埠頭と豊洲埠頭をつなぐ橋からは、正面に江戸時代における隅田川の河口辺りが見える。

こうやって見ると、やはり埠頭の辺りは既に海のようにも見える。そもそも、私が、今回の疑問(隅田川の河口はどこ?)を持ったのは、この夜景を見たのがきっかけだった。と言って、また話を蒸し返したいわけではないが、やはり疑問が生じたのもむべなるかな、という感じもする。

 

 

 

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年末年始のテレビ番組の想い出

2024-12-30 16:32:45 | 映画

歳をとると時間の進みが早く感じられるのは物事にワクワクしなくなるからだという(チコちゃん情報)。そう言えば、今どき、年末年始と言っても、テレビはつまらないし、痛風で足は痛いしで、せいぜい「ふてほど」と「孤独のグルメ」の再放送を期待するくらいである。結構、楽しんでるって?小学生の頃はこんなものではなかった。長さから言うと、夏休みにはかなわないが、冬休みの方がワクワク感が大きかったのは、「もーれつア太郎」等のアニメの再放送のほか、テレビでよく怪獣映画を放送したし、大晦日は「レコード大賞」「紅白歌合戦」「行く年来る年」、新年の夜は「芸能人隠し芸大会」という流れがルーティンとして確立していた。

私が最初に見たゴジラ映画も、冬休み中にテレビで放送された「ゴジラの逆襲」(第2作)だった。テレビは白黒だったが元の映画も白黒だったからそこは問題なかった。だが、暗いシーンになると画面がまっくろけっけで何も識別できなかった(今でも同じ)。そこは想像で補った。想像の世界ではゴジラはどこかの公園に現れた。それがそのまま夢につながって、夢の中で私はよくゴジラに追いかけられた。あんなにでかいのに毎回隠れてる私を的確に見つけ出した。「大巨獣ガッパ」もテレビで見た。カラー作品だったがわが家では白黒作品て、やはり所々識別不能だった。

「紅白」についてはだんだん演出過多だなぁ、と思うようになった。特に、演歌の大御所を競馬の馬にみたてて「○○号ー」と呼ぶコント(?)はよく覚えていて、子供ながらに馬鹿馬鹿しいと思った。馬にならされた大御所も不機嫌そうだった。

私が小学校の高学年になると、紅白の変わりに第九を見せてくれ、と親にせがむようになった(当時は、テレビは一家に一台であった)。私の懇願は実を結び、某N響の第九を視聴したのだが、いまいちな感じがした。で、新聞のラテ欄を見ると、同じ夜、10チャンネル(当時)でカラヤンとやらがベルリン・フィルとやらを振った第九を放送する、とあったので、これも見せてくれ、とせがむと、「一回見たからもういいだろう」と返ってきた(母は、映画館で映画をみるときも、途中から入って、当時は入れ替え制ではないから次回のさっき見た箇所まで見ると「もう一回り見たからいいだろう」と言って退出するような人だった)。だが、このとき私はかなりねばったのだろうか、結局カラヤンとやらの第九を視聴することができた。「だんち」だと思った(「団地」だと思ったのではない)。

さらに年月が進んで私が中学生になると、テレビが子供部屋にもしつらえられるようになり、年末年始は自室にこもって映画を観るのが楽しみになった。そうやって観た作品の一つがパゾリーニ監督の「デカメロン」である。お子様にはあまり見せない方が良さそうなシーンにあふれていて、これを観ることができたのは自室にテレビがあったればこそである。その中に「馬のような体勢でする」シーンがあり、このシーンを読みたいがためにもっと大きくなってから図書館でボッカチョの原作を借りて読んだものである。

あと、思春期の男子が年上の女性といろいろあって、ベッドルームで男子が目覚めるとそこに女性の置き手紙があって、女性が男子の代筆をしたかのように「今日、ボクはオトコになった」と書いてあっておしまい、という作品があった。この作品のタイトルが分からない。血眼になってネット内を探しまくったが出てこない。この作品ではないか?という情報をいただいて、そのDVDをポチって観たがラストシーンが違っていた。残りの人生で、なんとか作品を特定したい、そしてもう一度観て、半世紀前に味わったキュンとした気分をもう一度味わいたいと願うワタクシである。

なお、冒頭に「歳をとると時間の進みが早く感じられる」、それは「ワクワクしなくなるからだ」と書いたが、逆に、ワクワクしているときの方が、その瞬間においては時間が早く進み、退屈な時間は長く感じられるものである。一見、逆である。その理由を考えてみた。思うに、ワクワク行為の最中は夢中だから時間があっという間に進むのに対し、ワクワク行為を後から振り返ると思い出すことがたくさんあって時間が長く感じられる、ということではないか、とわれは思うのである。

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手紙の二重唱が独唱に~三馬鹿トリオ

2024-12-29 12:54:38 | オペラ

ベーム、プライ、ポップそれにバルツァ(ケルビーノ)が参加した1980年のウィーン国立歌劇場の引越公演の「フィガロの結婚」は聴けなかったが、1986年に再来日したときも「フィガロ」が演目に入っていたから、このときは何が何でもの気概で聴きに行った。既にベームは亡くなっていたし、プライもポップもバルツァ来なかった。だが、伯爵夫人は引き続きヤノヴィッツが勤めたし、スザンナはバーバラ・ヘンドリクスだったから、一応名のある人を連れてきてはいた。だが、それは1stキャストの話。私が行った日は2ndキャストに当たって「飛車角落ち」と言って嘆く人もいた。いや待て、日本で名前が売れてなくても実は逸材だったって話は山ほどある。先入観はいけない。高いチケット代を払ってるんだからそうでなくては困る、そうであってくれと念じながら席についた。結果を想像できるエピソードを一つ挙げよう。第3幕に有名な「手紙の二重唱」がある。伯爵夫人が歌ってスザンナが歌う、これを何度か繰り返したあと二人が同時にハモって歌う。

ここがハモらなかった。なぜか?赤で囲んだところ(スザンナのパート)をスザンナが歌わなかったのだ(途中で気付いたようで、最後のファとシ♭だけそろーっと歌っていた)。ホールの中は、一人空しく歌う伯爵夫人の声だけが響いていた(ヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」に「一人寂しく眠ろう」というアリアがあるが、ここは「一人寂しく歌おう」になった)。

それで思い出すのは「フィガロ」からは一瞬離れるが第九のある演奏(指揮者もソリストも超有名)。第4楽章で、合唱の二重フーガが終わって久々にソリストが登場するところは、まずテナー・バリトン組が出て、それをソプラノ・アルト組が追っかけ、次にソプラノ・アルト組が出て、それをテナー・バリトン組が追っかけるのだが、なんと、テナーがソプラノ・アルト組と一緒に出てしまい(赤で囲った箇所を二小節先に出てしまい)、

取り残されたバリトンが一人さみしく歌うはめになった。だが、間違ったテナーは間違ったことなどおくびにも出さない。バリトンは一つも悪くないのだが、なんだか一人で歌うバリトンが間抜け面に見えたものである。

「フィガロ」の公演に戻る。それからケルビーノ。アリアを歌った後、両手を広げていかにも「どうだっ」って感じで観衆にアピールしたのだが、拍手は気の毒なくらいまばら。広げた両手が空しかった。その理由については、後日、1stキャストによる公演の様子をNHKがテレビで放映した際、クラシックファンの少年少女のマドンナだった後藤美代子アナウンサーが端的に「前回歌った彼女(バルツァ)がすごかったから割りを食ってる」と言い表していた。

それでも、脇役陣は、おなじみのウィーン国立歌劇場の座付き歌手(リローヴァ、リドル、ツェドニク等)が固めていた。「フィガロ」の脇役と言えば、マルツェリーネ、バルトロ、バジリオの仇役三人衆。私はこの三人を「三馬鹿トリオ」と呼んでいる。第2幕のエンディングで三馬鹿トリオが登場するシーンは最高にわくわくするシーンである。

それまで、オペラは、レチタティーヴォで劇が進行し、アリアで歌手の妙技を披露していたのだが、この「フィガロの結婚」は重唱でどんどん話を進めていくところが画期的と言われている。映画「アマデウス」にも、モーツァルトが皇帝に対して、第2幕の重唱が当時の常識に反して延々と続く様を語ってその興味をかきたてるシーンがある。その重唱のクライマックスが三馬鹿トリオの登場シーンなのである。これで登場人物が7人になり、圧倒的な声の饗宴の中、幕が下りる。こうなると配役の難など忘れしまう。よく、音楽に詳しい人が「モーツァルトは短調に限る」と言うが、私などは、この重唱から聴けるモーツァルトの健康的な、底抜けな明るさから大いに元気をもらうのである。

 

 

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「ホームアローン」における正当防衛の成否

2024-12-29 09:17:42 | 映画

映画「ホームアローン」の1~3をディズニー+で観た。第1作が公開されたのは30年以上前で、一人でお留守番になった男の子が泥棒一味を撃退するお話(「2」は舞台がおもちゃ屋さんになる)。撃退の方法は、家にいろんな仕掛けをして、それに泥棒をひっかける、というもの。「4」以降も制作されているから超人気シリーズなのだろうが、私は、ちょっとやりすぎ?という感を持った。床にビーズを撒いて泥棒をこけさせる程度なら可愛いのだが、高圧電流に感電させたり、油で髪の毛を燃やしたり、上階からブロックを落として頭にぶつけるとなると命にかかわる。制作者は正当防衛を主張するのだろうが、そこのところを検証したい。

正当防衛が成立するためには「急迫不正の侵害」に対する「やむをえずしてした行為」であることが要件である。正当防衛なら無罪である。まずは「急迫性」について検討しよう。泥棒が来ることは予見されていたから、主人公はたっぷり時間をかけて家に仕掛けをした。そんな時間があって「急迫」と言えるだろうか。警察に通報する時間は十分にあったのだからまず通報すべきではなかったのか(なお、「3」では真っ先に警察に通報するも警察が信じなかったから「3」は議論から除く)。通報することはしているが、もうさんざん泥棒に痛い目を遭わせた後である。まるで、さんざん怪獣を投げ飛ばした後にスペシウム光線を浴びせるウルトラマン、はたまたさんざん助さん格さんに代官と越後屋とその家来に痛い目を遭わせた後に印籠を出させる水戸黄門のごとしである。この件に関しては判例があり、「急迫不正の侵害があらかじめ予期されていたとしても、そのことから直ちに急迫性を失うものではない(正当防衛が成立しうる)」とのことである。だが、判例は「この機会を利用して積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは(積極的加害意思があった場合は)、急迫性の要件を満たさない(正当防衛は成立しない)」とも言っている。主人公の少年に積極的加害意思があったかどうかについて吟味すべきである。

「急迫不正の侵害」要件を満たして正当防衛が成立する状況であったとしても、やり過ぎると過剰防衛になり、有罪だが刑が減軽又は免除される可能性が出てくる。正当防衛については、緊急避難と違って、やられた場合のダメージとやり返したことによって生じたダメージを厳格にくらべっこする必要はないが、「相当性」は必要である。すなわち、前者に比べて後者があまりにも大きい場合は過剰防衛となる。では、泥棒を命の危険に陥れたらどうだろう?財産をとられそうになったので命をとるというのはやり過ぎの感がある。だが、寝込みを泥棒(強盗)に襲われた際、相当性など考える余裕はない。夢中になって反撃して強盗があの世に逝って過剰防衛というのは腑に落ちない。そこはちゃんと特別法が用意されていて、被害に遭った際、こちらの生命、身体、貞操が危なくなった場合、又は、そうした場合でなくても(単にモノをとられそうになっただけでも)恐怖、驚愕、興奮、狼狽によって犯人を殺傷した場合は、相当性とかに関係なく正当防衛が成立することになっている。では映画の主人公はどうだろうか?たしかに、途中から泥棒たちは「ぶっ殺してやる」と言って少年を追う。だが、それはさんざん痛い目に遭わされた後のことである。少年は、冷静に作戦を立てて泥棒を陽動して罠にはめている。恐怖、驚愕、興奮、狼狽があったとは考えにくい。特別法の適用は微妙である。

以上の考察は、しかしながらまったくの無駄骨である。少年は100%無罪である。なぜなら、14歳未満の者は刑事責任を問われないところ、少年は8歳だからである。因みに、アメリカ人でありアメリカ在住の少年に対して日本国刑法の適用を考える意味があるだろうか。もし、少年に正当防衛が成立しないとすれば考えられる罪状は傷害罪である。被害者(泥棒)はアメリカ人であり現場はアメリカである。この場合、日本国刑法の適用はない。基本的には、日本国刑法の適用があるのは日本国内の行為であるが、例外的に国外犯に適用される場合がある。本件はその例外のいずれも該当しないからである。

 
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