黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

物価高のせいで痛風になった(かもしれない)件

2024-11-29 14:34:47 | 料理

永野芽郁は、1868ccのオートバイを駆るそうである。ええー?ブロロン、ブロロンとすごい音がする大型オートバイを?でも芽郁ちゃんなら許す。因みに、私が免許を取って最初に運転した四輪車(親に3万円で買ってもらった)は1000ccだった(サニー1000。エンジンは優秀だった)。

永野芽郁は、「ヨーロッパ」という国があると思っていたそうである。ええー?それって……でも、芽郁ちゃんなら許す。

永野芽郁は、撮影で立ってるときスタッフが座れと椅子をもってきても、他に立ってる人がいると座らないそうである。石破首相には耳が痛いかもしれない(だが、握手を求めてきた外国首脳に対して座って対応したことよりも、みんなが「挨拶回り」をしてるさなかに一人もくもくとスマホをいじっていた姿の方が嘆かわしく思った)。以上、今朝、あさイチで永野芽郁に関して語られた中で印象的だったお話である。永野芽郁の最新出演映画「はたらく細胞」は面白そうである。あまたの細胞の働きで私たちが健康でいられることがよく分かる映画のようである。

健康と言えば、私は健康診断の数値で唯一尿酸値が高くて、痛風持ちなのだが、これまでは2,3年に一度の発症だった。ところが、今年は今回で2回目である(そう、今、痛風発症中である)。いつもより間隔が短い。その理由は、どうやら物価高のせいらしいのである。こういうことである。

世の中物価高である。だから、私は食する肉を鶏に完全にシフトしたことは既に書いた。例えば、最近の私の食卓に並んだ料理はこんなところである。

上段左から右に、鶏の唐揚げ、鶏肉ピカタ、ささみと梅とチーズの挟み焼き(揚げ焼き)、下段左から右に、鶏のトマト煮、シュクメルリ、そして毎朝の鶏ラーである。なかなか栄養価的にも優れていると自画自賛であった。

ところが、痛風になった。もしやと思って「鶏 痛風」でググってみたら、案の定、「鶏肉にはプリン体が多く含まれるため食べ過ぎると痛風になる」がヒット。ど真ん中ストライクである。やはり、「ばっかり食い」はよくないのだな。少し高くても、たまには豚肉を、うーーーーーんとたまには牛肉を食べなければいけないのだな、と反省しているところである。

そもそもの原因は物価高である。そして、物価高を招いたのは、そうでなくてもウクライナ情勢で物価が高騰するのが目に見えているのだから諸外国に合わせて円をもう少し高い方に誘導しなけれればならないのに放置した政府・日銀である。だが、不思議と、そういう声はかき消されがちであった。実は、金持ち=株をやってる人にとっては、円安の方が株価が上がってありがたいのである。ピシッとしたスーツを着て金縁眼鏡をかけた経済の専門家がしたり顔で「円高がいいと言ってる人は何も分かってない」と言う背景には、実はその人が株をやっている事情があったりするのである。

そんな具合だから、今やこの国は、持てる人(株をやってる人=円安を切望する人)と、持たざる人(物価高で鶏肉ばかり食べてて痛風になる人=円高を切望する人)に分断されているのである。

因みに、ある競馬予想家が動画サイトで最近SNSを始めた旨を言ったらゲストの女性競馬記者が、自分の料理を撮ってアップするのはやめてください、と言っていた。件の記者さんは、お店が出す料理=真に美味しそうな料理の写真のみをアップするべき、というお考えらしい。

だが、私が自作料理をアップするのは、不味そうだからである。すなわち、私は、お店の料理が美味しそうなのは当然である、そんな写真は巷に満ちあふれている、そんなものは見たくない、素人の努力のあとが伺える写真こそ見てみたい、という考え、すなわち記者様とは正反対の考えを持っていて、だから自作の不味そうな料理の写真をアップするのである。

 

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ボジョレ・ヌヴォーと天ぷら

2024-11-25 10:36:40 | 料理

いつもは行かないお高めのスーパーにボジョレ・ヌヴォーが並んでたので思い出した。そうか、ボジョレ・ヌヴォーの季節だ。近所のお安めのスーパーには並んでないので気がつかなかった。お安めのスーパーは、数年前にボジョレ・ヌヴォーがずーっと売れ残ったことに懲りたらしく、ここんとこ仕入れてない。23区で一番地価が安い地域のスーパーの戦略として適切である。かと言って、ボジョレは別に高級なワインではない。新酒(ヌヴォー)を解禁日に飲むというイベント性で流行っただけで、その実は大衆ワインである。それでも、解禁日に間に合わせるために空輸するからそこそこの値段になる。最初にブームになったときは一本3000円以上した。昨今、ペットボトルが登場して、一本千円を切るまでになったが、ここんとこの物価高で、私が目にした一番安いヤツでも1500円前後である。

かく言う私は、23区で一番地価が安い地域の住民には違いないから本来ボジョレ・ヌヴォーを買う身分ではないのだが、大昔にワイン関係の仕事をしてた関係で毎年飲んできたから欠かすわけにはいかないとの強迫観念にかられて買って飲んだ。

バランスが良くて美味しい。ここんとこ、例えば酸味がきついとか、渋みがきついとかいう「突飛な」味のボジョレ・ヌヴォーには出会わなくなった。製造技術が向上したのだろうか。

併せた料理は、アジの天ぷらとナスの天ぷら(とご飯とサラダ)。ボジョレは軽いから鶏や魚がちょうどいい。お安めのスーパーでアジが安かったので天ぷらにしたわけである。

アジを使った料理を思いつくまま揚げて……じゃなく挙げてみよう。それぞれに私の一口メモを添える。
①塩焼き=(説明不要)。一口メモ:小骨をとるのが面倒である。
②天ぷら=衣を付けて大量の油で揚げる。一口メモ:私は衣を作るとき卵を使わない。理由はケチだからである。
③唐揚げ=粉をまぶす程度に付けて大量の油で揚げる。そのうち、粉を付ける前に酒醤油に浸して下味を付けるのが竜田揚げ。一口メモ:私は唐揚げ=竜田揚げだと思っていた。竜田揚げが唐揚げの部分集合だと知ったのはつい最近のことである。
④フライ=パン粉を付けて揚げる。一口メモ:揚げる代わりに大目の油で焼いてもよい(揚げ焼き)。私は揚げ焼き以外でフライを作ったことはない。理由はケチだからである。
⑤マリネ=お酢に漬ける。一口メモ:昔マリネを作ろうと思って買った「かんたん酢」がまだ残っている。「いいとこ酢」といい、お酢メーカーの策略にすぐ乗る私である。

以上のうち、②③は大量の油を使うから敬遠してきたが(④も本来は大量の油を使うが私は揚げ焼きで済ませることは前記の通り)、廃油缶を活用しだしてからは面白くて頻繁に作るようになった。が、流石に油が劣化してきたようで、胃が不快感を示すようになった(スーパーの惣菜を食したときと同様の反応を示すようになった)。この事態をどう切り抜けるか思案中である。

ナスは、高知ナスが見切り品コーナーにあったので驚喜乱舞して買ってきたもの。最近、見切り品コーナーにあっても一袋100円だったりして、物価高の波は見切り品コーナーにも押し寄せている。なお、同コーナーには「高知なす」のほか「高知産なす」があった。これは重大なフェイントである。血圧を下げる効果は、前者は後者(普通のなす)の3倍である。そうは言っても、後者だって他の野菜に比べればその効果は1000倍だからあなどれない。

ミニクッカーを買った当初は、圧力鍋の方が旨いとかブチブチ言っていたが、その有り難みはいや増す一方。実家から出てから今が一番米飯を食している。お米がバカ高い時期に困ったことになったと憂えている。

ボジョレ・ヌヴォーを飲むのに久々にブルゴーニュ・グラスを出した。そんなグラスを使うようなご大層なワインではないという考えの一方、ご大層なワインでないからこそ大きいグラスで味を良くする意味があるという考えもある。

今では、1500円のボジョレ・ヌヴォーですらえいやっとばかり清水の舞台から飛び降りる気持ちで買う私であるが、その昔、一本3000円以上した時代、近所のコンビニでボジョレ・ヌヴォー一本に立派なワイングラス(写真のブルゴーニュ・グラスほどではない)が一個おまけで付いていて、それを欲しさに何本も買ったことがある。いったい何本買ったんだっけ。食器棚を見る。グラスが5個ある。5本買ったのだ!How stupid I was! 私が現在ケチなのはその反動である。

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唐揚げと天ぷら(種々の○○天)

2024-11-23 09:02:26 | 料理

在りし日の私の夕飯は、鶏の唐揚げとレンコンの天ぷらだった。

物価高のせいでいただく肉が完全に鶏にシフトしたため、ほぼ毎夕食、鶏料理を作っている。そのほとんどは唐揚げである。

唐揚げと天ぷらの違い。「唐揚げ」=粉をまぶす程度に付けて揚げる。「天ぷら」=衣をつけて揚げる……と言うのだが、唐揚げのつもりで、下味用の酒+醤油を「つゆだく」にし、小麦粉の量を多めにすると、半分天ぷらっぽくなる(唐揚げと天ぷらの雑種)。写真の唐揚げの中で妙に白っぽいヤツがそれである。

この日のレンコンは、4個くらい入って99円だったものが更に半額になったものである。カビがはえてるくらいは覚悟したが、一見、まともである。お買い得であった。

天ぷらの衣は、粉に卵を通すそうだが、わが家ではそんな贅沢は許されないから、水のみである。なお、「天ぷら粉」にはもともと卵が原材料として入っているそうだ。なら、こっちを使った方が経済的(かつ美味しい)だろうか。

唐揚げにしろ天ぷらにしろ油を大量に使うが、残ったヤツは廃油缶に入れて何度も再利用している。この間、その廃油缶を猫がひっくり返して床にぶちまけ、それを猫に舐められたので、対策として、廃油缶をシンクに置くことにした。

これは名案である(「明暗」は漱石の未完の遺作である)。シンクには普段すのこをかぶせているから猫は手をだせないし、廃油を注ぐときにこぼれてもシンクだから問題ない。

「おーいごはんだよ」コーナーで、料理研究家が、材料としてトリ以外に何がいいか聞かれて「カモ」と言ったら「カモはトリだ」と突っ込まれていた。「トリ」を「鳥」と解せば突っ込みは妥当だが、「鶏」と解したならばカモは鶏ではないから突っ込みは的外れである。

家庭で鶏を揚げるときは専ら唐揚げで、天ぷらにしないのはなぜだろう……と思ったが、それは私の思い込みで、世の中には「とり天」と言って、鶏の天ぷらも普通にあるようだ。そもそも、私が作った「鶏の唐揚げと天ぷらの雑種」だって「とり天」に近い代物なのかもしれない。

「ずる天」は、「ずる」の天ぷらではなく、山岸凉子作の名作マンガ「日出処の天子」の略称である。

同様に、「もろ天」は、「もろ」の天ぷらではなく、ハインリヒ・シュッツ作曲の宗教曲「もろもろの天は神の栄光を語り」の略称である(多分、全世界で私だけが使用している略称である)。と書いた以上は、「もろ天」についても書かなければなるまいが、それは回を改めて。

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小型炊飯器でお一人様生活に磨きがかかる/ドイツの温泉

2024-11-16 09:05:34 | 料理

実家を出てから数十年間、あまりお米を食べてこなかった。炭水化物を敵視する世の風潮に染まっていて、夕食は、おかずだけでよい、と思っていたからだ。だが、パスタやピザは好んで食べていた。パスタやピザには具がつきもの。その具に注目しておかずに分類していたのである。だが、これは非合理である。単体で見た場合、米飯の方がパスタやピザよりもカロリーは少ない。炭水化物を敵視するのならパスタやピザも敵視すべきである。夕食のパスタやピザも止めるか、米飯をメニューに加えるかの選択を迫った(私が私に対して)。私は折れた。夕食の米飯が解禁された。

問題は炊く手段である。圧力鍋を使っていること、ご飯をよそった後、鍋底にご飯粒が残ること、お坊さんの修行なら落第であることは既に書いた。そこで、フッ素樹脂加工の炊飯器を新調した。

いいこと酢と並べたのは大きさを表すためである。と言ってもいいこと酢の大きさが分からなければ炊飯器の大きさも分からないだろう。うーんと小さい、ということを言いたかった。そう、これはお一人様用であり、半合~1.5合を炊くためのモノである。早速、半合(ご飯一膳分)炊いてみた。

内鍋にこびりついた飯粒はゼロ。目標達成である。ただ、白い薄膜が残った。お寺では、これでも落第である。だが、ここはお寺ではない。煩悩の住処である。味はどうだ?うーん、やはり圧力鍋で炊いた方が美味しい(違いが分かる人=私)。なぜ、電気とガスで違いが生じるのだろう。いずれも直接米に作用するわけではなく、熱になって米を炊き上げる代物である。電気による熱とガスによる熱に違いはないはずである。温度や時間の微妙な違いがもたらす相違なのだろう。そうは言っても、圧力鍋では、小型であっても半合は上手く炊けない。こと半合で比べた場合、軍配は小型炊飯器に上がる。5000円弱の出費はプータローにとっては一大決心であったが、よい買い物であった。いよいよお一人様生活に磨きがかかる予感である。

因みに、電気による熱とガスによる熱に違いはないはずと書いたが、ドイツ語学校で知己を得たドイツ人女性によると、お風呂に入るときの裸と、それ以外の裸は違うそうである。後者は恥ずかしいが前者は恥ずかしくないそうである。これはドイツ人共通の認識だと解する。なぜなら、ドイツの温泉は素っ裸で混浴だからである。だから、日本人観光客の男女がドイツの温泉に行くときは注意すべきである。裸を見せ合う仲であれば問題ないが、そこまでの仲でないなら脱衣場でたまげて逃げ帰ることになるからである。

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サンマに塩をふらなかった件(アラジントースターでサンマを焼くpart2)

2024-11-12 10:55:18 | 料理

ちょっと前にアラジントースターでサンマを焼いた件を書いた。そのときは、専用のパンを使わずに、アルミホイルにサンマを乗せて焼いた。専用のパンは小さいのでサンマを二つに切らなければ乗らない。切らずに一尾まるごと焼きたかったのである(あと、洗い物を少なくしたかったのである)。だが、専用パンを使うと、途中でひっくり返す手間なく焼けるらしい(どういう理屈かは知らない。熱伝導だろうか?)。専用パンも飾り物ではないのだから使わずにおく手もないだろう、ということで、サンマの胴体を真っ二つにして専用パンに乗せて、

トースターに入れて焼いた。

今回サンマに塩をふらなかった。そのわけはこうである。

こないだ久々に牛ステーキを焼いたとき、妙にしょっぱかった。塩胡椒はいつも通りなのになぜ?それだ。「いつも通り」が多すぎたのだ。最近、血圧を下げるためにやれることはなんでもしている。だいたい、人に毎朝ラーメンを食していると言うと体に悪いという顔をされるのはスープの塩分のせいである。だからスープを飲まないという人がいるが、スープには野菜の栄養がしみ出しているからこれを飲まないのはもったいない。だったら塩を入れなければいい。その代わりに「いいこと酢」を入れよう。血圧を下げる効果があると謳っているヤツである。それで味がつけば十分ではないか?そうすれば、塩を減らして血圧を下げる酢を摂るのだからW効果ではないか?と思って実践。当初は味が薄い気もしたがすっかり舌がその味に慣れた。そんな折りにステーキに昔と同量の塩をふったからしょっぱく感じたのである。

それをサンマに応用できないか? 塩焼きしたサンマにはポン酢をかける。薄味に慣れた私にはそれで十分ではないか?と思い、サンマに塩をふらなかったのである。

作戦は成功!塩なしのサンマはポン酢で美味しくいただいた!さらに塩分の摂取量を減らすことができた!失敗だらけのわが人生の中の数少ない成功例となった!

だが、「塩抜き」は成功したが、「焼き」全般で言うと失敗である。

焼けすぎたのである。ネット情報の焼き時間に従った結果である。なかなか物事はうまく行かぬもの。ちょうど良い焼き時間が分かったらpart3があるかもしれない。なお、大根おろしを添えてないのは、予めおろしたのを冷蔵庫に入れて忘れたからである。忘れられた大根おろしは翌日の朝ラーメンの具となった……え?大根おろしに含まれる胃腸によいタカジアスターゼは熱に弱い?だったらそのまま食べればよかった。こうして失敗票がどんどんふくらんできて過半数に達するかもしれない。

因みに、「しょっぱい」は「塩っぽい」が訛ったものという仮説を立てたが、ググったところ「塩」は合ってるっぱい……ではなく、ぽいが、「っぱい」の語源については合ってないっぱい……ではなく、ぽい。

 

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