ヴェルディのオテロの映像を見てたら、珍しく「Otelle by Arrigo Boito」と作曲者名より先に台本作家の名前が出てきた。昔のコラールのようである。昔のコラールは、誰々作といった場合の誰々は大概詩人で、重要な役割を果たしていた教会作曲家のヨハン・クリューガー(Johann Crüger(1598~1662))の名前が表に出ないことが多いことに不満だが(親戚でもなんでもないが)、おそらく、彼の仕事の多くが詩に適当なメロディーを見つけてきてあてはめるメロディー斡旋業(?)的なものだったせいかもしれない。そんなクリューガーが、オリジナルのメロディーを付けたのがバッハのモテット第3番「イエス、わが喜び(Jesu, meine Freude)BWV227」の、元曲である同名のコラールである。作詞は、ヨハン・フランク(Johann Franck)。これより遡る源流は……ない。おお、源流への旅はあっけなく終わってしまった。
バッハは、このコラールの全6節をすべてモテットに採用したが、第3節を除く5節はメロディーもとろも採用した(コラールとして採用した)のに対し、第3節については独自の音楽を付けた。バッハは、ローマ書(新約聖書)からも句を採用して独自の音楽を付け、こうして、全11曲から成るモテットができあがった。その冒頭はこんなであった。
歌詞の採用状況は次のとおりである。括弧内が詩句の採用元である。なお、フランク&クリューガーのコラールを「元コラール」と表記した。
第1曲コラール(元コラールの第1節(Jesu, meine Freude))
第2曲自由な曲(ローマ書(Es ist nun nichts))
第3曲コラール(元コラールの第2節(Unter deinem Schirmen))
第4曲自由な曲(ローマ書(Denn das Gesetz))
第5曲自由な曲(元コラールの第3節(Trotz dem alten Drachen))
★(中央)第6曲フーガ(ローマ書(Ihr aber seid nicht fleischlich))
第7曲コラール(元コラールの第4節(Weg mit allen Schätzen))
第8曲自由な曲(ローマ書(So aber Christus in euch ist))
第9曲コラール(元コラールの第5節(Gute Nacht, o Wesen))
第10曲自由な曲(ローマ書(So nun der Geist))
第11曲コラール(元コラールの第6節(Weicht, ihr Trauergeister))
なお、第9曲は、自由な曲と思いきや途中からアルトがコラールで入ってくるのでコラールに分類した。
第3,4,5曲と、第7,8,9曲をそれぞれ「コラール+α」としてひとまとまりとすると、第6曲フーガを中心とするシンメトリーができあがる(と巷間言われている)。
源流への旅があっと言う間に終わってしまったので、分流を一つ紹介しよう。それは、バッハのカンタータ第87番である。このカンタータの台本作者はクリスティーナ・マリアンナ・フォン・ツィーグラー(Christiana Mariana von Ziegler)で、終曲のコラールも彼女の選択によるものであり、それは、ハインリヒ・ミュラーが作詞したコラール「Selig ist die Seele」(1659)の第9節「Muß ich sein betrübet?」である。そして、これに付されたメロディーが「イエス、わが喜び」と同じクリューガー作のものなのである(注)。
さて、バッハのモテットの中では今回取り上げた第3番が一番の人気曲らしいが、第1番(Singet dem Herrn)も根強い人気を誇る。次回のコラールの成り立ち話はその第1番を取り上げる予定である。もう、予告篇を少ししゃべってしまうと、その調査の過程でカンタータ第28番が登場し、さらにモテットの第7番も登場する予定である。もう、わくわくである(書き手だけわくわくしてどうする?と言われそうである)。
なお、モテットの人気投票で、もし第2番に一票だけ入っているとすればそれは私が投じた一票である。その終曲コラールについては、既にVol.4でとりあげたところである。
なおのなお、もし私がMLBのMVPの投票権を有していたら、モテットの人気投票で第2番に投票するのに等しい真似などはせず、素直に大谷翔平選手に一位票を投じたはずである。
注:ウィキペディアドイツ語版の「Bisher habt ihr nichts gebeten in meinem Namen」