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黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

コラールの成り立ちVol.12カンタータ第33番

2025-03-03 16:50:29 | 音楽

カンタータを歌う会の次回のお題は第33番(BWV33)。相変わらずコラールを基にしたコラール・カンタータである(ただ、前回までのBWV113、BWV101、BWV94等のように全編コラールのメロディーだらけというのとは異なり、コラールのメロディーが聴けるのは両端の二曲のみである)。

直近の過去3回のカンタータ(BWV94,101,113)が書かれたのはいずれもバッハがライプチヒのトーマス教会のカントル(音楽監督)に就任して2年目の年(1724年)であり、使用用途は、三位一体の主日後の第9主日用、第10主日用、第11日主日用であった(「三位一体の主日」についてはVol.9参照)。
ところが、次回のBWV33は同じ年の第13主日用である。ありゃ?第12主日が抜けてる?バッハは就任した年(1723年)に第12主日用のBWV69aを書いてるから、2年目はそれは使ったのだろう。前回まで続いてきた大作に比べるとBWV33は若干こじんまりしている。多忙だったのだろうか?お疲れだったのだろうか?なお、バッハは、翌年(1725年)と翌々年(1726年)には、第12主日用の新曲を書いている(BWV137,35)。

【元曲の賛美歌】
では源流探しの旅に入る。BWV33の元曲は、コンラート・フーベルト(注1)のカンタータと同名の賛美歌「Allein zu dir, Herr Jesu Christ 」であり(以下「本件賛美歌」という)、こういう曲である(本来は第4節を歌詞とする第6曲に第1節をあてはめた)。

「フーベルトの」と言った場合、賛美歌の常の通りフーベルトが作詞したという意味である。この時代、詩が重要であることは賛美歌に限らない。例えば、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」でベックメッサーがハンス・ザックスの創作だと思って盗んだ「歌」はメロディーではなく詩である。歌合戦の場では、その詩にベックメッサーとヴァルター・フォン・シュトルツィングが各々のメロディーを付けて歌うのである。その際、ベックメッサーはちゃんと覚えきれずにヘンテコな歌詞で歌って聴衆から大笑いされるのだが、そのベックメッセーがヘルマン・プライだったりすると特に出だしなどは大層高尚な歌に聞こえてしまうのはストーリー泣かせである)。

【メロディー】
では、本件賛美歌のメロディーは?ウィキペディアのドイツ語版(英語版も同じ)は、「作者不詳」としながら、他方で「クラウス・ホフマン(注2)によると、パウル・ホフハイマー(注3)が世俗曲のために書いた」とある。「不詳」じゃないじゃん、って感じだが、こういうところが別の書き手がどんどん加筆していくウィキペディアらしいところである。そう言えば、前回のBWV113のメロディーに関する疑問について進展はない(ほとんど忘れてたりして)。

【BWV33の構成】
本件賛美歌は4節から成り、第1節は第1曲に、第4節は終曲(第6曲)にそのまま使われ、間の第2,3節は、第2~5曲用にパラフレーズされている。すなわち、次のとおりである。
第1曲は合唱。歌詞は第1節。メロディーは本件賛美歌を3拍子にアレンジしたもの(コラールファンタジー)。オケは思いっきり短調ぽく始まるのだが、合唱がコラール・アレンジを歌い始めると長調の要素が混ざってくる。
第2曲はバスのレチタティーヴォ。
第3曲はアルトのアリア。
第4曲はテナーのレチタティーヴォ。
第5曲はテナーとバスの二重唱。
第6曲は合唱が歌うコラール。歌詞は第4節。メロディーは本件賛美歌のもの。

【支流探し】
本件賛美歌のメロディーは、セトゥス・カルヴィシウス(注4)、ミヒャエル・プレトリウス(注5)その他作曲家によって利用されている。

以上の源流から下流に至る流れを図にしたのが下図である(今回はシンプルである)。

以上である。

注1:Konrad Hubert(1507~1577.4.13)
注2:Klaus Hofmann(1939.3.20~)。音楽研究者。
注3:Paul Hofhaimer(1459.1.25~1537)
注4:Sethus Calvisius(1556.2~1615.11.24)
注5:Michael Praetorius(1571.2.15~1621.2.15)

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椿が香る下総の国で高齢者に席を譲った高齢者のお話

2025-03-02 22:17:15 | 音楽

私の23区の現住所は中川の右岸(西側)にある。太古の昔、利根川の河口が東京湾にあってその流れが武蔵の国と下総の国の境であったところ、その中流から下流にかけてはほぼ現在の中川の流路であったから、私の現住所は武蔵国の領内であり、そこから下総の国に行くには川を渡っていかねばならない。

そうやって今日、中川(太古の利根川)と江戸川(近代において一瞬利根川の本流になった)を渡って下総の国に行ったのは、某美女先生とそのお弟子さんの美女様と美男様が出演する歌の催しを聴きにいくためであった。

ホールに行く道すがら、椿が芳香を道にまき散らしていた。

で、その催しであるが、美女先生とお弟子さんたちのアカペラのコーラスがあり、美女先生のソロがあり、重唱もありのもりだくさん。複数の川を越えて下総の国にまで出かけていった甲斐があるというものであった。

因みに、観客席の最後列に座っていたら、主宰者が私に、席のない高齢者に席を譲れと催促。はいー、喜んで、すくっと立って譲りましたとも!だが、考えてみれば、私だって法律上は高齢者である。老々介護ならぬ老々席譲りとでも言うべきか。まあ、だが若く見られたのであるから喜ぶべきであろう。実際、「すくっ」と立ったわけだし。思うに、席を譲らる方か譲られる方かの境目は数字の年齢ではない。「すくっ」と立てるかどうかである。

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何かがずれてドツボにはまる件(スポーツも楽器も)

2025-02-28 12:18:07 | 音楽

あさイチのゲストで登場した小芝風花を最初に見たのはかつての朝ドラ「アサがきた」のヒロインの娘役だった。あのときは、子供子供していたように思えたが、今やってる大河ドラマではえらく色っぽい顔つきである。人の顔は20代でも変化するものだ、ということはアナウンサーの顔を見てても思うことである。

その大河で描かれた「花魁道中」には歩き方の「型」があるらしく、それを小芝風花が見事に体現していた。この人は、若い頃フィギュアスケートをやっていてオリンピックを目指していたそうだから、そうした「型」を体現するのは得意なのだろう。と言っても、並みの人間ができることではない。生まれつきの才能と厳しい鍛錬の賜物であろう。

番組では小芝風花の子供時代のフィギュアスケートをする映像が紹介されていて、何回転ジャンプとかをくるくる回っていてすごかった。だが、この何回転ジャンプとやらは、回転数の多いヤツになるといつでもできるというわけではないそうで、練習ではできたけど本番で失敗したとかの話をよく聞く。一度出来たヤツが次にできなくなるのは不思議である。タイミングとか何とかが微妙にずれてくるのであろうか。フィギュアスケートに限った話ではない。大谷選手だって不調の時期がある。ものすごい量の練習をしているであろうトップアスリートでもそういうことが起こりうるのである。

ということを、私は自分への慰めにしている。というのも、音楽の練習をしてて、昨日はあんなに上手くできた(歌えた、吹けた、弾けた)のに今日はメタメタ……どころか、ついさっき上手くできたのに数分後にはメタメタということがよくあるからだ。やっていくうちに何かずれてくるのだろう。めげそうになるが、トップアスリートでさえそういうことがあるのだから基礎に立ち返って取り戻す以外に途はない、と思い直すのである。

中学のときの陸上部の先生は、練習で上手くいくとそこでストップさせてそれ以上やらせなかった。良い感覚のまま留めるのがよいという考えだろう。私などは、もっともっと繰り返したかったが(「練習はウソをつかない」とも言う)、続けるうちにタイミングがずれてきて、むきになって続けて、ますますずれていってドツボにはまったかもしれない(現在始終体験していることである)。

子供の頃の私は、一本足打法の王選手には不調なんかないと思っていて、読んでた野球マンガ(「巨人の星」ではない)に「王選手が最近不調」というくだりがあって、このマンガは嘘つきだ、と思ったものである。その王選手に一本足打法を教えたのが昨日の放送で亡くなったヒロインのおじいちゃんということになっているらしいが(今ドラ)、これは間違いなく嘘である。王選手に一本足打法を教えたのは荒川コーチである。

今日のあさイチに視聴者が送ってきた大河ドラマの花魁の衣装の絵は、実物と寸分違わなかった。着るモノについて無知蒙昧である私からすれば神業である。人間、それぞれ得意な分野があるものである。

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移調譜を移調して吹いた話

2025-02-04 18:50:00 | 音楽

カーサ某(和名=クラシックの家(未知の言語の解読はかように同義の言葉を並べて比較することによって行われる))で久しぶりにチケットがとれてオーボエを吹いたのだが、失態をしでかした(人生そのものが失態であるがそれはそれとして)。すなわち、ある合唱曲のオーボエパートを吹くつもりで持参したのがクラリネット用の移調譜だったのである。だから、B♭管クラリネット用に移調した楽譜を、逆にC管のオーボエ用に移調しながら吹く羽目に陥った(Cで書かれた楽譜をその場で移調しながら吹くことはたまにあるが、逆にB♭の楽譜をCに移調しながら吹くのは初めてである)。

そのカーサ某で私はいつも赤ワインのボトルを注文するのだが、その赤ワインがこれまでのイタリアワインからフランス・ボルドーのオーガニックに変わっていた。

タンニンの効きといい、明らかにボルドーである。私はボルドーが大好物。だから、勘定時に店長から「赤ワインはどうでしたか?」と聞かれたときは、美味しかったとの感想を心の底から述べた。

さて、オーボエの話の続きである。なぜ、オーボエを吹いたのか、そして、なぜクラリネット用の移調譜があったかと言うと、実は、某合唱団の本番でとりあげる曲にオーボエの出番があり、その団の面倒を見ているピアニストさんから吹かないか?と打診があり、私はクラリネットで代用してよいのなら、ということでお引き受けしたのだが、当該ピアニストさんがオーボエはダメか?と再三聞くし、私自身もオーボエの音が好きでその曲はやはりオーボエで吹きたいという気持ちがあったから試してみたかったのである。だが、カーサ某ではそんな具合だったから決心に至らず。そこで、数日後のカンタータを歌う会の合間の「ソロ・コーナー」(好きなソロ曲を歌い、又は演奏できる)で、今度はちゃんとオーボエ用の楽譜で試してみたら、ピアニストさんから「行けるんじゃない?」とのGOサインが出たのでオーボエを吹くことが決まったわけである。

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コラールの成り立ちVol.11 BWV113

2025-02-03 09:28:09 | 音楽

カンタータを歌う会の次回のお題は第113番(BWV113)。前回のBWV101や前々回のBWV94と同じく、終曲のみならず全体が元曲である賛美歌(コラール)又はそのアレンジから成っているコラール・カンタータである。

前々回のBWV94は、バッハがライプチヒのトーマス教会のカントル(音楽監督)に就任して2年目の年の三位一体の主日後の第9主日用に、前回のBWV101は第10主日用に、そして今回のBWV113は第11日主日用に書かれたものである(「三位一体の主日」についてはVol.9参照)。同傾向の曲が続いているからこれまでに書いたものをベースにしてちょこっと手直しをすれば(前夜の残り物をちゃちゃっと炒めるように)できちゃうだろうとタカをくくっていたら、意に反して捜査は難航することとなった(そのあたりのことはおいおい書いていく)。

【元曲の賛美歌】
とりあえず源流探しの旅に入ろう。BWV113の元曲である賛美歌は、バルトロモイス・リングヴァルト(注1)が作詞した「Herr Jesu Christus, du höchstestes Gut」であり、こういう曲である(本来は第8節を歌詞とする第8曲に第1節をあてはめた)。


以下、この賛美歌を「本件賛美歌」と呼称する。

【BWV113の構成】
本件賛美歌は8節から成り、第1,2,4,8節の歌詞はそのまま使われ、第3,7節の歌詞は冒頭のみが使われる。すなわち、次のとおりである(注2)。
第1曲は合唱。歌詞は第1節。メロディーは本件賛美歌を3拍子にアレンジしたもの。
第2曲はアルトが歌うコラール。歌詞は第2節。メロディーは本件賛美歌を長く引き延ばしたもの。
第3曲はバスのアリア。歌詞の冒頭は第3節の冒頭。長い音を半音で移動する様は、前作のBWV101でも見られたものである。この時代のバッハの趣味だろうか。
第4曲はバスのソロ。コラールとレチタティーヴォから成る。コラール部分の歌詞は第4節でメロディーは本件賛美歌のもの。
第5曲はテナーのアリア。歌詞は自由詩。フルートのヴィルトゥオーゾが聞こえるということは、前々作のBWV94で活躍したフルーティストがまだライプチヒに滞在していたのだろうか。
第6曲はテナーのレチタティーヴォ。歌詞は自由詩(第6節をふまえている)。
第7曲はソプラノとアルトの二重唱。歌詞の冒頭は第7節の冒頭。メロディーは本件賛美歌のアレンジ。前作のBWV101も、ブービー(最後から二曲目)はソプラノとアルトの二重唱であった。
第8曲(終曲)は合唱が歌うコラール。歌詞は第8節。メロディーは本件賛美歌のもの。

【メロディー】
続いてメロディーのことである(捜査が難航したのはコレ)。三つの情報を仕入れた。次のとおりである。
情報1。本件賛美歌の作詞をしたリングヴァルトが多分メロディーも書いた(注3)。このメロディーは、ニコラウス・ヘルマン(注4)の賛美歌「Wenn mein Stündlein vorhanden ist」のメロディーとして作曲された(注3)。「Wenn mein Stündlein」はこういう曲である。

え?リングヴァルトがメロディーも書いたといいながら、他の賛美歌のために作曲したってどういうこと?しかも、両曲はちっとも似てない。その謎を探るべく本件賛美歌と「Wenn mein Stündlein」の関係性に言及する情報を探した。二つ見つけた。次のとおりである。

情報2。「Wenn mein Stündlein」には通常歌われるメロディー(直前の楽譜)のほかに二番手のメロディーがあり、それが本件賛美歌のメロディーである(二番手メロディー説。注5)、バッハ作品目録(BWV)はこの説を採っている(注6)。

情報3。(情報2を否定して)「Wenn mein Stündlein」の四声編曲のテナーパートが本件賛美歌のメロディーになった(注6)。

情報1の「作詞者が作曲もした」と「他の賛美歌のために作曲した」は相互に矛盾しているようにも見えるが、あえて整合性を持たせるなら二つの可能性が考えられる。一つは情報2とリンクさせて、リングヴァルトが本件賛美歌の作曲をし、それが「Wenn mein Stündlein」の二番手メロディーになった、と考える途。もう一つは、情報3とリンクさせて、「Wenn mein Stündlein」の四声編曲のテナーパートを本件賛美歌のメロディーに「編曲」したのがリングヴァルトだった、と考える途である。だが、情報1の二つの内容を別々の人が書いた可能性がある。じゃなければ、もう少し二つの内容について整合性を持たせる書き方をしたと思われるからである。この際、メロディーをリングヴァルトが書いたという話は横に置いておき、情報2と3のみを検証した方が良いかもしれない。その場合、情報3は情報2を否定した上での論説であるから説得力を感じるのだが、曲想が全く異なる「Wenn mein Stündlein」のテナーパートがどうやって本件賛美歌のメロディーになるかは想像がつかない。件の四声編曲を見れば一目瞭然だろうが手元にない。裏がとれてない状況である。捜査は継続中である。

【支流探し】
では反対側の下流に向かおう。バッハはBWV113以外にも本件賛美歌を元曲とするカンタータを書いている。
一つはBWV131「Aus der Tiefen rufe ich」。バッハの最初期頃のミュールハウゼン時代の作品である(人気曲のBWV106と同時期の作品である)。第2曲と第4曲のアリアの背後で本件賛美歌のコラールの第2節と第5節が歌われる。アリアにコラールをかぶせる手法はライプチヒ時代においても変わらずバッハが用いる手法である。まさに「三つ子の魂百まで」である。
もう一つはBWV168「Tue,Rechnung!Donnerwort」。第6曲(終曲)のコラールで本件賛美歌の第8節が歌われる。

本件賛美歌のメロディーから他の賛美歌が生まれ、それがバッハのカンタータになった例もある。「Herr Jesu Christ,ich schrei zu dir」(注7)と「Herr Jesu Christ,ich weiß gar wohl」(注8)のメロディーはいずれも本件賛美歌のメロディーであり、前者はBWV48「Ich elender Mensch」の元曲となり、後者はBWV166「Wo gehest du hin?」の元曲となった。

以上の源流から下流に至る流れを図にしたのが下図である。

以上である。

注1:Bartholomäus Ringwaldt(1530~1599.5.9(推測))
注2:BWV113のWikiドイツ語版。バッハ全集第3巻(小学館)。
注3:「Herr Jesu Christ,du höchstes Gut」のウィキペディア英語版
注4:Nikolaus Herman(1500頃~1561.3.3)
注5:バッハデジタル(https://www.bach-digital.de/receive/BachDigitalWork_work_00011320)
注6:バッハの教会カンタータ> コラールの歌詞とメロディ(http://www.kantate.info/choral-title.htm#Herr%20Jesu%20Christ,%20du%20hochstes%20gut)
注7:作詞者不明
注8:作詞者はリングヴァルトである。

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