トリアージって、災害や事故の時、たくさんの怪我人が出たときの治療や対処の順番を決めることだと思うのだが、一般の、平時の医療の現場でもトリアージされるようになってきているんですね。
私の母は死んでもおかしくないくらいの極度の貧血で7月に救急入院。以来、3ヶ月を経過。病名はまだないのだが、心臓の弁膜に菌が付着しているとのこと。いろんな抗生物質を混合して試し打ちをやっているが、それから慢性腎臓病もあるため貧血になるという。もはや、自分では造血することができないようなのだ。
それで輸血をしてもらっているのだが、本来だと3ヶ月に1度くらいの処置を、なんと10日に一度の頻度でやってもらっている。
今日、転院した病院の院長からお話があった。
「血液は貴重なものだから若い人に使いたい。あなたのお母さんは平均寿命を遙かに超えている」
つまり、家族として、輸血処置はやめたもらってもいいという意思表示をして欲しいということのようだ。
もちろん、いたずらに医療を浪費するようなことを求めるものではない。
けれども、昼食をひとりでモリモリ食べている(笑)母の姿を見て「輸血はもうけっこうです」とは、なかなかいえない。
輸血を止めた場合、1,2ヶ月で死んでしまうのだ。母が反応のおぼつかない植物状態にでもなっていれば「早く楽にしてください」とお願いしたいところだが、食欲のある母の寿命を決めるなど、なかなか難しい。
「常識の範囲の治療でよろしいのですが、あと1、2ヶ月の治療の継続をお願いできませんか」
現代の医療だと生命を無限に維持できるようになってきているのだろう。だから死はますます人間の側の判断に任せられている。
「神様の思し召すままに」という祈りの言葉は、ますます遠ざかっていく。