画像は軍艦島の島内に残る防空壕跡です。
大正七年(1918)に建設された日給社宅と呼ばれるアパートの中庭の奥に、
岩礁をくりぬいて作られた壕です。
コンクリで塞がれた入口はそれほど大きな印象はありません。
軍艦島のアパートの多くは、
太平洋戦争中、迷彩塗装を施されていましたが、
迷彩といっても今のようなカラフルなものではなく、
コンクリートの壁面に黒一色で、
太い帯柄の様に描かれたモノでした。
そんな迷彩柄が果たして役にたったのかどうかと思い、
リンクさせて頂いている『想像と記憶 端島・軍艦島』の掲示板で、
以前質問させて頂きましたが、
島内での戦争体験がある方から帰ってきた答えは、
そんなものまったく役にたたなかった!
と言うモノでした。
降り注ぐ焼夷弾は一瞬にして夜中を真昼にかえ、
島内の隅から隅までがくっきりと鮮明に見渡せる程だったということです。
今日、8月9日は、
今から61年前の午前11時2分に、
長崎に第二の原子爆弾が投下された日です。
死者74,000人、被爆者75,000人。
人類最大の大罪が、
二度と繰り返されないことを祈るばかりです。
黙祷
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