東京の北部、北区十条の一帯は、
かつて造兵廠とよばれる大規模な兵器製造工場があった軍都でした。
以前軍都・戸山ヶ原をアップし、すこし軍都に関して触れましたが、
東京の歴史に埋もれた顔を知りたいと思い、
十条もぶらぶらと散策してみることにしました。
JR十条駅。新宿から埼京線でわずか10分足らずの駅にもかかわらず、
地上路線に作られたホームは思いのほか田舎臭く、
ともすると地方都市の近郊駅のよう雰囲気すら醸し出しています。
▼
国土交通省のウェブマッピングにアップされている、
昭和四十九年 (1974) の十条の空中写真には、
まだ軍都だった時代の施設が数多く写っています。
ここがかつて軍都と呼ばれた場所だった事を知る人は、
もう殆どいないんではないでしょうか。
改札を出てとりあえず南へ向かって歩き出します。
駅と同様いなたい街並をしばらく歩くと、
やがて時代を感じさせる重々しい色合いのコンクリの長塀が、
細い道の先に突然姿を現します。→Mapion
▼
かつて一造の通称で知られた「第一陸軍造幣厰」の外塀の名残だそうです。
現在この一角は区立十条中学校の敷地として使われていて、
塀の中からは学生のクラブ活動などの元気な声が聞こえてきます。
一見するとコンクリの塀ですが、
歩道に面した近くで観察出来る場所を見ると、
崩れたコンクリの下から煉瓦が露出しています。
▼
更に塀の学校の敷地側をみると、
表面に塗られたコンクリは殆ど剥落し、
この塀がもともと煉瓦で造られた事がはっきりわかる状態になっています。
▼
学校側の塀のコンクリは、故意に剥がそうとして失敗したのか、
それとも経年変化による自然の剥落か。
ぼやっと浮かび上がる妖しげな影のような黒い跡が気になります。
◆軍都 十条逍遙◆
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かつて造兵廠とよばれる大規模な兵器製造工場があった軍都でした。
以前軍都・戸山ヶ原をアップし、すこし軍都に関して触れましたが、
東京の歴史に埋もれた顔を知りたいと思い、
十条もぶらぶらと散策してみることにしました。
JR十条駅。新宿から埼京線でわずか10分足らずの駅にもかかわらず、
地上路線に作られたホームは思いのほか田舎臭く、
ともすると地方都市の近郊駅のよう雰囲気すら醸し出しています。
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国土交通省のウェブマッピングにアップされている、
昭和四十九年 (1974) の十条の空中写真には、
まだ軍都だった時代の施設が数多く写っています。
ここがかつて軍都と呼ばれた場所だった事を知る人は、
もう殆どいないんではないでしょうか。
改札を出てとりあえず南へ向かって歩き出します。
駅と同様いなたい街並をしばらく歩くと、
やがて時代を感じさせる重々しい色合いのコンクリの長塀が、
細い道の先に突然姿を現します。→Mapion
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かつて一造の通称で知られた「第一陸軍造幣厰」の外塀の名残だそうです。
現在この一角は区立十条中学校の敷地として使われていて、
塀の中からは学生のクラブ活動などの元気な声が聞こえてきます。
一見するとコンクリの塀ですが、
歩道に面した近くで観察出来る場所を見ると、
崩れたコンクリの下から煉瓦が露出しています。
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更に塀の学校の敷地側をみると、
表面に塗られたコンクリは殆ど剥落し、
この塀がもともと煉瓦で造られた事がはっきりわかる状態になっています。
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学校側の塀のコンクリは、故意に剥がそうとして失敗したのか、
それとも経年変化による自然の剥落か。
ぼやっと浮かび上がる妖しげな影のような黒い跡が気になります。
◆軍都 十条逍遙◆
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ここは古くから住んでいる人も多いので、まだ当時を覚えている人も結構いらっしゃると思いますよ。
私が子供の頃はまだ防空壕が残っていて、その中で遊んだりしました。
写真の十条中学は近々立て直す予定なので、あの外壁もどうなるか分かりませんね。
もったいないです。
十条を歩いていると、古くからここに街があったんだと実感します。
十条・加賀のあたりは何度か行きましたが、
結局古老的な方とお話する機会はありませんでした。
お話できれば、いろいろ教えてもらえたかもしれませんね。
特に十条中学のこの塀から南東に広がっていた一造は、
かなり最近まで多くの施設が残存していたようなので、
今思えばもっと前に来ておけばよかったな、と思います。
なんと言っても北区へ出向くのは、今回が始めてですから。
この塀もいずれはなくなるのかもしれないのですね。
貴重なお話、ありがとうございました。