黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

中野クラシック

2005-02-26 21:54:24 | 東京 URBEX


Haikyo Biyoriのph7さんと、中野へ行きました。
中野で待ち合わせをしたときから、<クラシック>へ行こうと思っていました。

クラシック(画像)とは、JR中野駅の北口商店街からちょっと入った所にある、
五木寛之の小説『風に吹かれて』にも登場する所謂<名曲喫茶>で、
この地で70年近く営業している廃墟喫茶店です。
2階の床は中央に向かって極度に傾斜し、店内は目が慣れるまで数十分かかる暗さ。
店内のソファーは、開店当時は新品だったのかもしれませんが、
今ではどう見ても粗大ゴミで拾って来たとしか思えないいたみっぷりで、
蜘蛛の巣、すきま風、エアコンの水漏れは当たり前、
きわめつけは店内に流れるクラシック音楽のプレーヤーが竹針を使用という、
筋金入りの店です。
最後に行ったときは、画家でもあった店主のじいさんが死んだ後で、
泥水のようなコーヒーも130円から確か340円位に値上がっていたと思います。

ph7さんもこの店を考えていたみたいで、早速2人で行ってみると、
なんと先月で閉店していました。

とうとう本当の廃墟になってしまったんですね。
中野に住んでいた頃にはかなり行った店だったので、残念です。
入口のカウンターで注文すると、カウンターの上から垂れ下がっている紐を引っ張って、
(なんで紐をひっぱるのかは結局聞きませんでしたが)
「ティーーーーー!」って、でかい声で復唱する蝶ネクタイのじいさんの姿が、
鮮明に甦ってきました。

■追記 27/OCT/2005
クラシックの常連さん<高橋さん>からのご指摘で、
竹針は使っていなかったそうです。
また引っぱり紐は、数量カウンターの紐だったそうです。
先日仕事で中野へ行きました。
帰りにクラシックの横を通ったのでちょっと見てみましたが、
更地になっていました!
<タケさん>からの別の記事への書き込みで知ってはいましたが、
実際になにもないのをみると、感慨深いものがあります。
学校へもいかず、本ばっかり読んでいたドツボの青春が、
消えてなくなった気がしました。(笑)
 
■追記 16/DEC/2005
営業中のクラシック


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24 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
▼爺さんの柴犬さんへ (管理人)
2018-04-26 18:19:58
コメントありがとうございます!
そうでしたか、ご友人がマスターと。
私はオーディオのことはとんと疎く、
ただ、クラシック音楽が好きなのと、
ホーンテッドマンションのような店内が好きで通っていました。
冬、石油ストーブの香りが充満した店内で、
チャイコをよく聴いたのが、強い思い出です。
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Unknown (爺さんの柴犬)
2018-04-16 19:05:01
お邪魔します。クラシック、懐かしい。

学校の同期がマスターと仲が良くて真空管アンプを作ってあげてました。設計にはいささか妙なところがありましたが、店でも鳴ってたようでした。
一度行った時にマスターに竹針を見せてもらい、実際に竹針カッターで切って、ピックアップにつけてSP盤を鳴らしてもらったことがあります。片面がすぐに終わってしまいますね。普段はLPをかけてました。
ここではイラストでしか見たことのないトーンアームが稼動してたりとなかなか凄い店だと思いましたね。
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お話はだいぶ深いところへ・・・ (廃墟徒然草)
2005-10-29 16:26:17
▼高橋さんへ

お話はだいぶ深いところへ来たようですね。

仕事柄音楽を作る人間とは、大なり小なり関わります。

またそれとは別に、絵を描く人とも少なからず知り合い、話す機会があります。

そんな時話題に上る一つが<発表>という問題です。



<発表する>という行為は、

極端に言えば総非難や無関心のストレスに対抗する行為でもあると思います。

そこに「ためらい」や「くすぶり」がああると、なかなか実現しません。

結果、世に出る作品は往々にしてためらいやくすぶりが無いものになってしまいます。

ためらいやくすぶりをテーマにした<力強い>作品は見ることが出来ても、

その作品の本来の性質がためらっていたりくすぶっていたりする作品は、なかなかお目にかかれません。

なぜならマスターのように2階の奥にひっそりと飾ってしまうからです。



しかし、人間の感情には、ためらいやくすぶりも大きな要素で、

特にに10代の頃は、思えばためらいとくすぶりの連続でした。

もしマスターが自分の絵を店のマッチの顔にするタイプの人だったら、

その当時クラシックへ通うこともなかったのかもしれませんね。



高橋さんのお話を伺って、そんな事を思いました。

 



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追伸 (高橋)
2005-10-29 02:49:02
美術年鑑の中で美作さんは、絵画とフォトグラフの差について論じています。自身の絵をマッチに、ということになると一旦絵を写真に換え、印刷、という段を踏むことになります。自身の絵をそういった変化の中に置きたくない、との思いがなかったかどうか・・・一方で、採用した図柄はグリーンぽいモノトーン。意識してそうした・・・。穿ち過ぎでしょうか。
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徒然草様 (高橋)
2005-10-29 02:28:08
マスターの自信作は確かに二階には1,2点しかありませんでした。「歩道(青)」と題した作品。「ガラスの窓」という作品などが一時期二階にありましたね。他のものは今一歩、ということだったそうです。(良子さん談)

何故マスター自身の絵をマッチに取り入れなかったか・・・。その答えはわかりませんが一つのヒントはあります。マスターの死の翌年、銀座の画廊で良子さんがマスターの遺作展を行いました。その案内状に五木寛之氏が追悼文にも似たものを寄せています。その中で彼は、「美作さんの絵は優しい。人を押しのけて自らの美を誇ろうとするところがない。その線には含羞のためらいがあり、色調には抑制された情熱がくすぶっている。云々」とあります。私も、こと美作さんの絵に関するかぎり、五木氏の感覚がよく理解できます。自身の絵をマッチの図柄に・・・。そうしないマスターの気持ちがわかるような気がするのですが。また、一番の会心作は、麦藁帽子を被った女性、あの絵です!!日本美術年鑑の表紙を飾ったものです。
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クレデンザーからステレオまで・・・ (廃墟徒然草)
2005-10-28 22:33:52
▼高橋さんへ

たびたびありがとうございます!



そうですか、あのSP盤入れはマスターの手作りだったんですか(^^)



「クレデンザーからステレオまで~」懐かしい響きですね!

結局この記事をアップしてから実家に戻る時間がなく、

マッチを取ってこれないままです。

マッチの絵は、マスターの模写絵だった!

とは知りませんでしたが、

それにしてもなんでマスターは

自分の絵をマッチの図柄にしなかったんでしょうね?

記憶では、あまりマスターらしくない絵だったと思います。

なんでそんな絵を店の顔に使ったんでしょうね・・・



この記事のコメントレスの頭の方でも書きましたが、

マスターは自分の絵を主に2階に飾ってましたよね。

最後まで自分の絵に納得していなかったんではないかと思ってるんですが、

どうでしょうか?

あの気骨なマスターのことですから、

「絵に納得がいかなくてさ~」

とは言いそうにもありませんが・・・

それとも、まったく別の理由でもあったのでしょうか?



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徒然草様 (高橋)
2005-10-28 17:46:58
入り口を入り前方右側、飲み物を作っていた場所の壁の表側(通路、客席側)の古アンプの上に仕切りを設けて幾段も積み重ねてあったのがSPです。すべてマスター手造りのアルバムに入って・・・。壁の裏側(厨房側)はLP棚でした。それからコーヒーは折原コーヒーというメーカー問屋から仕入れていました。また、マッチの絵の事ですが、マスターから直接聞いたのですが、或る画家の絵(肝心な事を忘れてしまいました)をマスター自身が模写した絵(これは二階

奥に、ひっそりと飾ってありました)をマッチの原画としたのです。マッチの裏面の「クレデンザーからステレオまで、純音楽的最高設備。真の音楽愛好家と共に云々」、マスターの気持ちが滲み出てなかなかよいものだ、と当時から思っておりました。
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ありがとうございます (廃墟徒然草)
2005-10-28 15:02:45
▼高橋さんへ

レコードの歴史まで教えて頂き、ありがとうございますm(_ _)m

<マスター独自の理論を含んだ竹針>だったのですね!

1階客席の厨房寄りの棚に、茶袋に入って積み上がったレコード盤があった記憶がありますが、

それらがSP盤だったのでしょうか?



クラシックへ行くと、いつもチャイコをリクエストしていました。

マスターの絵の、あの蒼白いトーンが、なぜかロシアを連想させたからです。



そういえばシバ神の置物があったような記憶もありますが、

あれはなんで置いてあったんでしょうね?

 

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廃墟徒然草様 (高橋)
2005-10-28 11:04:17
御返事を頂きありがとうございます。竹針に就いてですが、マスターは「竹針に就いてのこととその製作法」という覚書を残していらっしゃるのですが、レコードも33回転LP以前は78回転SP(スタンダード・プレイングの略)の時代でした。SPレコードを演奏するのに必要なのが竹針、ということです。ある時代まではクラシックでもSPだけでしたから、(LPは1948年アメリカで発売開始)マスター独自の理論も含んだ竹針を使ってお店で鳴らしていた訳です。SPの所蔵の多さでも全国的に有名でした。私が通っていたころはマスターが、ごく稀に視聴という意味合いで聴かせてくれたものでした。迄御参考。
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ありがとうございます (廃墟徒然草)
2005-10-27 23:31:46
▼高橋さんへ



書き込みありがとうございます。



四半世紀前といえば、私も足繁く通っていた頃ですので、

もしかしたらお会いしてるかも知れませんね。

ただ常連さんはたしか1階席でしたか。

何度か1階にも座ったことがありますが、

2階の雑然とした雰囲気とは違い、

とてもいい雰囲気だった記憶があります。



まず入口カウンターの紐ですが、

数量カウンター用の紐だったのですね!

記事にも書いた通りなんなのかを聴き忘れたので、

ずっと謎のままでした。



また竹針は使用していなかった。

というのも初めて聞きました。

では竹針の記憶はどこからきたんでしょうか?

私の単なる幻想だったんですかね。



私は当時、<常連>ではありましたが、

<2階常連>だったので、

結局マスターとは一度も話すことがありませんでした。



ともあれ貴重な情報をありがとうございます!

 

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クラシックのこと (高橋)
2005-10-27 14:18:19
四半世紀ほど前に殆ど毎日通っていました。入り口で飲み物を注文すると、マスターが垂れ下がった棒を真下に引き(棒からワイヤーがでて、厨房?にある数量カウントをプッシュし、集計する仕掛けになっていた)、鮮明な声でオーダーを伝える・・・。私の場合チケットを買う前に、マスターから「コーヒーよりさきにちょっと一杯飲みに行こうよ、高橋さん」と言われることのほうが多かったのですが・・・。所謂常連さんも大勢いて、レコードのこと、アンプのこと、いろいろ教わったものです。リクエストに応じてかけていたレコードは当時すべてLPでした。従って、竹針はつかっていません。画学生や、結構年配の絵を勉強している方が絵を持参してマスターから批評を受けたり、ということも屡ありました。今、マスターの設計によるアンプでLPレコードを毎日聴いています・・・。

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解体はまだですか (廃墟徒然草)
2005-07-04 17:48:24
 

▼タケさんへ

ケータイからわざわざありがとうございます!

そうですか、まだ解体されていないのですか。

そして落書きが・・・

落書きをする人の気持ちは分かりませんが、

落書きは人がつい行う行為なんでしょうね。

ピラミッドの中にもあるくらいですから。

 

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こちらこそ (タケ)
2005-07-04 08:44:35
ありがとうございます。携帯からの投稿のため、改行せずに前文を載せたので見ずらい点をご了承願います。この文面で気付いたのは五拾円のコーヒー+四拾円のピース+拾円の電車賃=百円となることです。今ではコーヒー一杯飲める程度の金額です。徒然草様ご指摘の通りかなり前から通われていた方と推測されます。建物はネットの記事によると3月中に取り壊す予\定でしたが、まだ着手されていないようです。久々に行って、心ない輩の書いた落書きが多数ありショックを受けました。閉店から半年近く経過した現在も何人か店の前で足をとめる人がいました。
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ありがとうございます (廃墟徒然草)
2005-07-04 00:21:49


▼タケさんへ

クラシック前に貼られた追悼の言葉、ありがとうございます。

五拾円のコーヒーということは、かなり以前に通われた方ですね。

でも確かにクラシックが閉店したと知ったときに一番初めに思ったのは

「ああもうあの黒板にチャイコの曲名を書き込めないのか」

ということでした。

(何故かクラシックへいくといつもチャイコをリクエストしてました)

マッチの女性のプロフィール絵。

これもまたずっと気になっていました。

画風からいっておそらく爺さんの絵ではないと思います。

実家にはまだとってあるはずなので、

次回実家へ戻ったら探してスキャンしアップしますので、

ご覧になってください。

 

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ご無沙汰しております。 (タケ)
2005-07-03 20:18:13
本日、クラシック跡へ行ってきました。入口に倉本潤という方が書いた『クラシック追悼』という文章が張ってありましたのでご紹介します。マッチのラベルにもなっていた女性のプロフィルの摸写は誰の画だったのか。五拾円のコーヒーと四拾円のピースと拾円の電車賃で半日が過ぎていった。カビとクレオソ\ート重油とトイレのかすかな臭い擦りきれたLP。すでに子供ではなく大人とは認められない日々。友情と新しい上着と女の愛が欲しかった。中野「クラシック」老いた扉を開きかなうことならもう一度あの黒板に無限旋律を書き込みたかった。
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廃墟徒然草様へ (タケ)
2005-06-07 12:53:23
回答ありがとうございます。先日もお話ししましたが、クラシックのブレンドはもともと濃いブレンドだったので店では薄めにドリップしていたようです。それをそのまま冷やしたのでかなり薄く、ガンジス川のような色になったのでしょう。もっと濃いめにドリップしたらおいしいアイスコーヒーができたかもしれないですね。いつから使っているブレンドかはオーナーはじめ親族が亡くなってしまったのではっきりしません。そういえばホットジュースはクリアーなオレンジ色で、添えてあるオレンジスライスが赤く染まるほどのどきつい色でした。
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ドリンクの味といえば (廃墟徒然草)
2005-06-07 11:06:11
 

▼たけさんへ

さすがに粉ジュースのメーカーは知りませんが、

ドリンクの味でコーヒーの事を思い出しました。

あの泥水のような味。

飲み終わった後、カップの底に沈殿するし具合。

あれはもしかしたらベトナム・コーヒーの味では?

まんまそうでなくても、その要素が入っているとか。

特にアイスにすると薄くなるというのを聞いて、

思い出しました。

 

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廃墟徒然草様 (たけ)
2005-06-03 12:47:01
大雑把ですが私は古いものが好きで、とくに大正や昭和のものに関心があります。野方給水塔やクラシックは私にとってはまさに昭和の象徴的な存在です。できればオーナーが健在のときに行って店の雰囲気を味わいたかったです。60余年ブレンドを変えていないコーヒーや怪しげなオレンジ色のジュースも今となっては味わうことはできません。あの粉ジュースはどこのメーカーのを使っていたのか知りたいです。
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だんだん感覚が戻ってきます (廃墟徒然草)
2005-06-02 16:57:10
 

▼タケさんへ

タケさんのクラシックへの並々ならない想いが伝わってきました。

確かに中を知らないと、入るのはためらいますね。



書き込みに返信しているうちに、

時間感覚がだんだんクラシックへ通っていた頃へ、

戻っていくような、そんな気がします。



ホット・ジュースも初耳でした。

多分店長亡き後、店員さん達で変えていったのでしょうね。

オレンヂジュースは確かに粉末でした。

3、4時間もいると沈殿して、水と分離してましたから(笑)

学校さぼって昼前から入り浸って、 本を読んでました。

恐らくクラシックで、一生読む活字の殆どを読んでしまったんでしょう。

それ以降めっきり活字離れです。

おかげで目が悪くなり、学校も中退しました。(汗)

クラシックにはそんな思い出があります。

 

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こちらこそ (タケ)
2005-06-02 08:48:41
ありがとうございます。アイスコーヒーは後からできたものみたいですね。クラシックのブレンドは現在は使われていない酸味が少なく、苦みの強い濃いブレンドと聞きました。どちらかというとアイスブレンドに近いものなのでホットとアイスに共用していたのでしょう。ジュースにもホットとアイスがあったのをご存じでしょうか?ホットは濃いオレンジ色の液体で、アイスは少しカルピスを混ぜたような白濁したオレンジ色の液体でした。ネットの記事によると粉末ジュースを使用していたとあったのですが、今は入手が難かしいので店で作っていたのかもしれません。オーナーが描いたと思われる絵は閉店まで2階に4.5枚飾ってありました。それにしてもマヨネーズのふたやカップ酒のカップを使っていたのは驚きました。私が初めて行ったのは2年前からなので、既にきれいなカップやグラスが使われていました。10年前位からこの店を知っていましたが、入るのをためらっていました。もっと早く行っていればと後悔しています。同じ話題を何度もすみません。
返信する
ありがとうございます (廃墟徒然草)
2005-06-01 09:46:16
 

▼タケさんへ

今度はクラシック!中野繋がりですね。



よく通っていた時は、確かにミルク入れはマヨネーズの蓋で、水とオレンヂジュースはカップ酒のグラスでした。

特に「日本盛」の浮き文字があるグラスには笑わせてもらったのを覚えています。



アイスコーヒーには驚きました。

当時はアイスコーヒーは無く、

メニューはコーヒー、紅茶、オレンヂジュースだけでした。

コーヒーが130円、それ以外が170円だった記憶があります。



店長が自分で描いた絵を殆ど2階に飾っていて、

なんでもっと見えるところに飾らないんだろう?と、

店に行くたびに思ってましたが、

今思うと、misaku爺さんは、声のでかさのわりに、

意外とシャイな人だったのかもしれませんね。

(声がでかいのは、耳が遠くなられていたのかな?)

 

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クラシック閉店について (タケ)
2005-06-01 08:51:02
廃墟徒然草様、野方給水塔のお返事ありがとうございます。クラシックの閉店は私もとても残念です。3年前に親族(娘の良子さん)が亡くなり、閉店の話がでたのですが店員の強い意志により存続していましたが、相続人がいないため止むなく閉店となりました。以下のURLに詳細の記事があります。http://www.zakzak.co.jp/top/2005_03/t2005031901.html

記事には、マヨネーズのふたにミルクが入っていて、カップ酒のカップをグラスに使っていた時期があったとありますがご存じでしょうか?また、アイスコーヒーはホットで抽出したものをそのまま冷やしたもなのでかなり薄かったのですが徒然草様が初めて行かれたときには既にありましたか?
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セイ様へ (廃墟徒然草)
2005-03-05 07:16:03
また書き込みありがとうございます。

セイ様の文にはいつも独特な<行間>があるので、

考えさせられます。

<間>は魅力的ですね。



思えばクラシックは、

ずっと前から閉店していたような、

でも今でも変わらず営業しているような、

常にそんな気持ちを抱かせる店でした。

閉店のチラシを確認した今も、

もしかしたら来週行ったら、

またやっているんではないかと、

そんな気持ちにさせられます。



そういえば今気がきましたが、

じいさんの絵は主に2階に飾ってありました。

もしかしたら、じいさんは自分の絵に

納得していなかったのかもしれませんね。

だから2階の暗めの所に飾っていたのかもしれませんね。

今となってはそれも確かめる事はできませんが。

 

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閉店!? (セイ)
2005-03-04 11:00:56
そうでしたか、閉店、というよりも

まだやっていたのですね、先月近くまでは。

 そう何度も行ったことはありませんが、

お店にはいると背が縮んだような気分になる店でした。

閉店したことよりも、kurosawaさんがゆかれる

その寸前までお店だったのだということに、

いいようのない気持ちになりました。
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