
Haikyo Biyoriのph7さんと、中野へ行きました。
中野で待ち合わせをしたときから、<クラシック>へ行こうと思っていました。
クラシック(画像)とは、JR中野駅の北口商店街からちょっと入った所にある、
五木寛之の小説『風に吹かれて』にも登場する所謂<名曲喫茶>で、
この地で70年近く営業している廃墟喫茶店です。
2階の床は中央に向かって極度に傾斜し、店内は目が慣れるまで数十分かかる暗さ。
店内のソファーは、開店当時は新品だったのかもしれませんが、
今ではどう見ても粗大ゴミで拾って来たとしか思えないいたみっぷりで、
蜘蛛の巣、すきま風、エアコンの水漏れは当たり前、
きわめつけは店内に流れるクラシック音楽のプレーヤーが竹針を使用という、
筋金入りの店です。
最後に行ったときは、画家でもあった店主のじいさんが死んだ後で、
泥水のようなコーヒーも130円から確か340円位に値上がっていたと思います。
ph7さんもこの店を考えていたみたいで、早速2人で行ってみると、
なんと先月で閉店していました。

とうとう本当の廃墟になってしまったんですね。
中野に住んでいた頃にはかなり行った店だったので、残念です。
入口のカウンターで注文すると、カウンターの上から垂れ下がっている紐を引っ張って、
(なんで紐をひっぱるのかは結局聞きませんでしたが)
「ティーーーーー!」って、でかい声で復唱する蝶ネクタイのじいさんの姿が、
鮮明に甦ってきました。
■追記 27/OCT/2005
クラシックの常連さん<高橋さん>からのご指摘で、
竹針は使っていなかったそうです。
また引っぱり紐は、数量カウンターの紐だったそうです。
先日仕事で中野へ行きました。
帰りにクラシックの横を通ったのでちょっと見てみましたが、
更地になっていました!
<タケさん>からの別の記事への書き込みで知ってはいましたが、
実際になにもないのをみると、感慨深いものがあります。
学校へもいかず、本ばっかり読んでいたドツボの青春が、
消えてなくなった気がしました。(笑)
■追記 16/DEC/2005
営業中のクラシック
そうでしたか、ご友人がマスターと。
私はオーディオのことはとんと疎く、
ただ、クラシック音楽が好きなのと、
ホーンテッドマンションのような店内が好きで通っていました。
冬、石油ストーブの香りが充満した店内で、
チャイコをよく聴いたのが、強い思い出です。
学校の同期がマスターと仲が良くて真空管アンプを作ってあげてました。設計にはいささか妙なところがありましたが、店でも鳴ってたようでした。
一度行った時にマスターに竹針を見せてもらい、実際に竹針カッターで切って、ピックアップにつけてSP盤を鳴らしてもらったことがあります。片面がすぐに終わってしまいますね。普段はLPをかけてました。
ここではイラストでしか見たことのないトーンアームが稼動してたりとなかなか凄い店だと思いましたね。
お話はだいぶ深いところへ来たようですね。
仕事柄音楽を作る人間とは、大なり小なり関わります。
またそれとは別に、絵を描く人とも少なからず知り合い、話す機会があります。
そんな時話題に上る一つが<発表>という問題です。
<発表する>という行為は、
極端に言えば総非難や無関心のストレスに対抗する行為でもあると思います。
そこに「ためらい」や「くすぶり」がああると、なかなか実現しません。
結果、世に出る作品は往々にしてためらいやくすぶりが無いものになってしまいます。
ためらいやくすぶりをテーマにした<力強い>作品は見ることが出来ても、
その作品の本来の性質がためらっていたりくすぶっていたりする作品は、なかなかお目にかかれません。
なぜならマスターのように2階の奥にひっそりと飾ってしまうからです。
しかし、人間の感情には、ためらいやくすぶりも大きな要素で、
特にに10代の頃は、思えばためらいとくすぶりの連続でした。
もしマスターが自分の絵を店のマッチの顔にするタイプの人だったら、
その当時クラシックへ通うこともなかったのかもしれませんね。
高橋さんのお話を伺って、そんな事を思いました。
何故マスター自身の絵をマッチに取り入れなかったか・・・。その答えはわかりませんが一つのヒントはあります。マスターの死の翌年、銀座の画廊で良子さんがマスターの遺作展を行いました。その案内状に五木寛之氏が追悼文にも似たものを寄せています。その中で彼は、「美作さんの絵は優しい。人を押しのけて自らの美を誇ろうとするところがない。その線には含羞のためらいがあり、色調には抑制された情熱がくすぶっている。云々」とあります。私も、こと美作さんの絵に関するかぎり、五木氏の感覚がよく理解できます。自身の絵をマッチの図柄に・・・。そうしないマスターの気持ちがわかるような気がするのですが。また、一番の会心作は、麦藁帽子を被った女性、あの絵です!!日本美術年鑑の表紙を飾ったものです。
たびたびありがとうございます!
そうですか、あのSP盤入れはマスターの手作りだったんですか(^^)
「クレデンザーからステレオまで~」懐かしい響きですね!
結局この記事をアップしてから実家に戻る時間がなく、
マッチを取ってこれないままです。
マッチの絵は、マスターの模写絵だった!
とは知りませんでしたが、
それにしてもなんでマスターは
自分の絵をマッチの図柄にしなかったんでしょうね?
記憶では、あまりマスターらしくない絵だったと思います。
なんでそんな絵を店の顔に使ったんでしょうね・・・
この記事のコメントレスの頭の方でも書きましたが、
マスターは自分の絵を主に2階に飾ってましたよね。
最後まで自分の絵に納得していなかったんではないかと思ってるんですが、
どうでしょうか?
あの気骨なマスターのことですから、
「絵に納得がいかなくてさ~」
とは言いそうにもありませんが・・・
それとも、まったく別の理由でもあったのでしょうか?
奥に、ひっそりと飾ってありました)をマッチの原画としたのです。マッチの裏面の「クレデンザーからステレオまで、純音楽的最高設備。真の音楽愛好家と共に云々」、マスターの気持ちが滲み出てなかなかよいものだ、と当時から思っておりました。
レコードの歴史まで教えて頂き、ありがとうございますm(_ _)m
<マスター独自の理論を含んだ竹針>だったのですね!
1階客席の厨房寄りの棚に、茶袋に入って積み上がったレコード盤があった記憶がありますが、
それらがSP盤だったのでしょうか?
クラシックへ行くと、いつもチャイコをリクエストしていました。
マスターの絵の、あの蒼白いトーンが、なぜかロシアを連想させたからです。
そういえばシバ神の置物があったような記憶もありますが、
あれはなんで置いてあったんでしょうね?
書き込みありがとうございます。
四半世紀前といえば、私も足繁く通っていた頃ですので、
もしかしたらお会いしてるかも知れませんね。
ただ常連さんはたしか1階席でしたか。
何度か1階にも座ったことがありますが、
2階の雑然とした雰囲気とは違い、
とてもいい雰囲気だった記憶があります。
まず入口カウンターの紐ですが、
数量カウンター用の紐だったのですね!
記事にも書いた通りなんなのかを聴き忘れたので、
ずっと謎のままでした。
また竹針は使用していなかった。
というのも初めて聞きました。
では竹針の記憶はどこからきたんでしょうか?
私の単なる幻想だったんですかね。
私は当時、<常連>ではありましたが、
<2階常連>だったので、
結局マスターとは一度も話すことがありませんでした。
ともあれ貴重な情報をありがとうございます!
▼タケさんへ
ケータイからわざわざありがとうございます!
そうですか、まだ解体されていないのですか。
そして落書きが・・・
落書きをする人の気持ちは分かりませんが、
落書きは人がつい行う行為なんでしょうね。
ピラミッドの中にもあるくらいですから。
▼タケさんへ
クラシック前に貼られた追悼の言葉、ありがとうございます。
五拾円のコーヒーということは、かなり以前に通われた方ですね。
でも確かにクラシックが閉店したと知ったときに一番初めに思ったのは
「ああもうあの黒板にチャイコの曲名を書き込めないのか」
ということでした。
(何故かクラシックへいくといつもチャイコをリクエストしてました)
マッチの女性のプロフィール絵。
これもまたずっと気になっていました。
画風からいっておそらく爺さんの絵ではないと思います。
実家にはまだとってあるはずなので、
次回実家へ戻ったら探してスキャンしアップしますので、
ご覧になってください。
▼たけさんへ
さすがに粉ジュースのメーカーは知りませんが、
ドリンクの味でコーヒーの事を思い出しました。
あの泥水のような味。
飲み終わった後、カップの底に沈殿するし具合。
あれはもしかしたらベトナム・コーヒーの味では?
まんまそうでなくても、その要素が入っているとか。
特にアイスにすると薄くなるというのを聞いて、
思い出しました。
▼タケさんへ
タケさんのクラシックへの並々ならない想いが伝わってきました。
確かに中を知らないと、入るのはためらいますね。
書き込みに返信しているうちに、
時間感覚がだんだんクラシックへ通っていた頃へ、
戻っていくような、そんな気がします。
ホット・ジュースも初耳でした。
多分店長亡き後、店員さん達で変えていったのでしょうね。
オレンヂジュースは確かに粉末でした。
3、4時間もいると沈殿して、水と分離してましたから(笑)
学校さぼって昼前から入り浸って、 本を読んでました。
恐らくクラシックで、一生読む活字の殆どを読んでしまったんでしょう。
それ以降めっきり活字離れです。
おかげで目が悪くなり、学校も中退しました。(汗)
クラシックにはそんな思い出があります。
▼タケさんへ
今度はクラシック!中野繋がりですね。
よく通っていた時は、確かにミルク入れはマヨネーズの蓋で、水とオレンヂジュースはカップ酒のグラスでした。
特に「日本盛」の浮き文字があるグラスには笑わせてもらったのを覚えています。
アイスコーヒーには驚きました。
当時はアイスコーヒーは無く、
メニューはコーヒー、紅茶、オレンヂジュースだけでした。
コーヒーが130円、それ以外が170円だった記憶があります。
店長が自分で描いた絵を殆ど2階に飾っていて、
なんでもっと見えるところに飾らないんだろう?と、
店に行くたびに思ってましたが、
今思うと、misaku爺さんは、声のでかさのわりに、
意外とシャイな人だったのかもしれませんね。
(声がでかいのは、耳が遠くなられていたのかな?)
記事には、マヨネーズのふたにミルクが入っていて、カップ酒のカップをグラスに使っていた時期があったとありますがご存じでしょうか?また、アイスコーヒーはホットで抽出したものをそのまま冷やしたもなのでかなり薄かったのですが徒然草様が初めて行かれたときには既にありましたか?
セイ様の文にはいつも独特な<行間>があるので、
考えさせられます。
<間>は魅力的ですね。
思えばクラシックは、
ずっと前から閉店していたような、
でも今でも変わらず営業しているような、
常にそんな気持ちを抱かせる店でした。
閉店のチラシを確認した今も、
もしかしたら来週行ったら、
またやっているんではないかと、
そんな気持ちにさせられます。
そういえば今気がきましたが、
じいさんの絵は主に2階に飾ってありました。
もしかしたら、じいさんは自分の絵に
納得していなかったのかもしれませんね。
だから2階の暗めの所に飾っていたのかもしれませんね。
今となってはそれも確かめる事はできませんが。
まだやっていたのですね、先月近くまでは。
そう何度も行ったことはありませんが、
お店にはいると背が縮んだような気分になる店でした。
閉店したことよりも、kurosawaさんがゆかれる
その寸前までお店だったのだということに、
いいようのない気持ちになりました。