黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

東京ノスタルジア:本郷 #03

2011-11-24 07:33:38 | 東京 URBEX
父親が手術のために東京医科歯科大学病院へ入院した。
そのおかげというのもおかしいが、お茶の水を中心に、
本郷やら神田やらを散歩する事が多かったので、
その辺をアップしようと思います。
といっても画像ネタはかなり以前に訪れた時のものを中心に。

シリーズでお送りしている本郷界隈。
今回は本郷館です。

前回アップした樋口一葉旧居跡から北へ進むと、
明治38年(1905)建築の巨大な学生寮「本郷館」がありました。
「ありました」というのは、
先日惜しくも解体されてしまったからです。

明治38年(1905)に建設され、関東大震災にも耐えて、
100年以上生き残った建物だった本郷館。

本郷にあったいくつかの大規模な木造アパートが、
時代の変遷とともに旅館などに姿を変える中、
最期まで学生寮として機能し、
現存する国内最古の木造三階建て、
とも言われた本郷館が解体されたのは、
とても残念です。



正面からの勇姿。
この部屋数の木造三階の壁は、
強烈な存在感を放っていました。







由緒ある学生寮だけあって、
使われていた時は管理が厳しく、
この時も、
玄関の奥で管理人さんが目を光らせていました。







普通、この時代の建物は、残っていたとしても、
窓枠のサッシュが鉄製やアルミ製に変えられている場合が殆どですが、
本郷館は、少なくとも見る限り、
窓枠も木製のままのようでした。
見学する人間にとっては驚きの光景ですが、
実際に住んでいた人にとっては、
それほどありがたいものではなかったかもしれません。







出窓部分も全て木製。







建物は緩やかに傾斜した土地に建てられていて、
土地が低い所は、レベルを合わせた基礎部分を、
煉瓦で囲っていました。
画像はだいぶ土地が低い所で、
煉瓦部分の高さは身長よりもありました。
中央の煉瓦で新しく埋めた様な跡は、
かつての汲取口でしょうか。







裏に回って見る事の出来る崖の上に立つ姿は、
一段と威圧感があります。
特にこちら側の壁面は歪みが激しく、
住む人の安全性を考えれば、
解体もやむなし、とも思えてします。







先日、久しぶりに訪れてみると、
やはり解体されたていました。
広大な敷地跡からもその規模が伺えます。
100年以上に渡ってここに住んでこられた方々にとっても、
特別なアパートだったんではないかと思いますが、
二度と見られないのは、やはり残念です。


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