黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

玉川上水余水路 #06

2007-02-12 03:53:29 | ・東京暗渠
今週ずっとアップしてきた玉川上水余水路。
昨日アップした暗渠公園の先は、
都の建築資材置き場から幼稚園の敷地へとつながり、
道を隔てて再び暗渠公園として川筋が現れます。→Mapion



こちらの公園の整備は、昨日の公園より後なのか、
滑り台や動物オブジェのデザインも、少し凝ったものになっていて、
手前の桃色のゾウなんかは、かなりリアルです。

ほんの短い区間の公園が終わると、
JR中央線/総武線の土手に突き当たりますが、
かつて水路が流れていたトンネルとおもわれる痕跡が、
いまも残っています。→Mapion



JRの土手の一部が煉瓦造りになっていて、
ほぼ中央の下の方に、コンクリの構造物がほんの少し見えますが、
おそらく埋没している部分がくりぬかれていて、
その下を水路が流れていたんではないでしょうか。

Yahoo! 古地図で東京めぐり(明治)を見てみると、
この地点で余水路と玉藻池からの水流、
そして御苑内のもう一つの池、中ノ池と下池からの水流が合流して、
国鉄の下を水路が流れています。
そしてこの合流した水路が、渋谷川の源流になっていたようです。

ところで明治時代の地図を見ると、
千駄ヶ谷駅から分岐して信濃町方面へ平行に走る、
今では影も形もない線路が書かれていますが、
これは広大な外苑の敷地にかつてあった、
陸軍の練兵場への軍用引込線で、
その後大正時代になって、聖徳記念絵画館と明治記念館建設の際に、
工事資材の搬入のための専用線「造営局千駄ヶ谷側線」
として転用されたこともある路線だそうです。
(『葵から菊を訪ねて』参照)

余水路の裏手に建つ慶応大学関連施設が、
陸軍輜重(しちょう)廠(糧食被服や武器弾薬など、輸送用の軍需品の施設)跡
だったり、
外苑が青山練兵場跡だったりと、
この一帯も軍都の名残が色濃い地域なんですね。
以前アップした新宿区の戸山一帯や板橋区の十条一帯
そしてこの外苑一帯、
いかに東京が軍都として整備されて行った街かが分かります。

JR線を越えると水路跡は姿を消し、
やがてキラー通りの中程から再び現れますが、
渋谷川に関しては、また別の機会にアップしようと思います。

◆ 江戸探訪 其の壱 玉川上水余水路 ◆
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3 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして (長谷川順一)
2007-02-12 09:57:16
「葵から菊を訪ねて」にリンクを貼っていただき有り難うございます。玉川上水については新宿区でも復元を検討中です。都水道博物館をご覧になるとことをお勧めします。

記事中「四谷三丁目」とありましたが大木戸は「四丁目」です。
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▼長谷川順一さんへ (廃墟徒然草)
2007-02-13 06:16:40
コメントありがとうございます。

玉川上水復元計画が新宿区であるとは知りませんでした。
是非実現するといいと思います。
都水道博物館の情報も有り難うございます。
折を見て見学に行ってみようと思います。

また四谷四丁目のご指摘も重ねて有り難うございます。
早速訂正致しました。
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信濃町駅のトンネル (長谷川順一)
2007-03-11 10:21:16
信濃町駅のトンネルについて考えました。私のブログをご訪問下さい。
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