玉川上水余水路の最後は、
JR線を越えたところに残るわずかな痕跡です。
昨日アップした煉瓦造りのトンネル跡からJR線を越えた位置に、
当時の水路と何らかの関係があると思われる石垣がほんの少しだけあります。→Mapion
▼

このすぐ隣には、現在は企業の建物が建っていますが、
そこの人に尋ねたところ、かつてこの石垣の近辺に川が流れていた、
ということでした。
画像上方に写る石垣を、少し降りた地点で正面からみたもの
▼

石垣に囲まれた内側に、そこそこ大きな木が育っているので、
たとえ川だったとしても、相当以前に埋められたんではないかと思います。
以前アップした神田川支流が暗渠になったのは、
東京オリンピックの年、昭和39年 (1964) でした。
この余水路がいつ埋められたかはまだ調べていませんが、
国立競技場のすぐ近くという場所柄、
東京オリンピックの時と考えるのが妥当かと思います。
◆ 江戸探訪 其の壱 玉川上水余水路 ◆
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JR線を越えたところに残るわずかな痕跡です。
昨日アップした煉瓦造りのトンネル跡からJR線を越えた位置に、
当時の水路と何らかの関係があると思われる石垣がほんの少しだけあります。→Mapion
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このすぐ隣には、現在は企業の建物が建っていますが、
そこの人に尋ねたところ、かつてこの石垣の近辺に川が流れていた、
ということでした。
画像上方に写る石垣を、少し降りた地点で正面からみたもの
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石垣に囲まれた内側に、そこそこ大きな木が育っているので、
たとえ川だったとしても、相当以前に埋められたんではないかと思います。
以前アップした神田川支流が暗渠になったのは、
東京オリンピックの年、昭和39年 (1964) でした。
この余水路がいつ埋められたかはまだ調べていませんが、
国立競技場のすぐ近くという場所柄、
東京オリンピックの時と考えるのが妥当かと思います。
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