しろくまのいえ

しろくまのいえのまわりでおこるさまざまな出来事をつづってゆきます。

本)元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ

2015-09-03 18:49:23 | 
原発について正反対の意見が書かれた本があったので
「原発って使ったほうがいいの?」「安全なの?」と思い
原発の専門家の方の本を読んでみようと思い、この本を読んでみました。

2014年7月に書かれた本です。
書いた方は、1967年に就職してから2002年に定年退職するまでの35年間
原発メーカーの社員として、原発の建設、保守点検に携わった元原発技術者です。
「原発を作った人間がなにをいまさら善人ぶりやがって!」と思われるのではないかと
著者も言っておられますが、著者もはじめは「資源の少ない日本にとって救世主」
であるかのように思ったそうです。しかし、いまとなっては責任の一端を担っていたこと確か…
しかし、長年原発にかかわった人間だからわかることを「贖罪」の意味もこめて本を書いたそうです。
特に子供たちには伝えたい!と、紙芝居を作ったそうです。その紙芝居をはじめて使った
その6日後に2013,3,11の震災が起こったそうです。なんとも、いえぬタイミングでした。

やはり「原発は危険」ということです。
そして、「内部被ばくが危険。使わなくなった燃料棒が危険」
などなど、考えさせられる内容になっています。


----- 以下本文より
原発にかかわる多くの問題のなかの得に重要な問題点
①フクシマやチェルノブイリのような環境に大量の放射能を放出する重大事故の可能性がある
②事故は起こさなくても、運転中に低レベルの放射能を環境に放出する
③運転を継続するには、保守・点検・補修などの維持作業に携わる人々が被爆する
④炎天をすれば使用済み燃料(高レベル放射物質)を必ず生み出す。
⑤運転を永久にやめても、過去に原発によってつくられた放射性物質を安全に保管・処理する方法が見つかっていない。
中略)しかし、現実には、2012年末に誕生した安部首相率いる自民党・公明党連立政権は原発推進w歩掲げ、各電力会社はこぞって原発の再稼動を目指している。原発にかかわる技術者であった私の眼から見ると政府や電力会社の判断は、科学技術の範囲を超えた別の動機にもとづいてなされていると年か思えない。私の親友から示唆された表現を変えいると、3.11フクシマ事故の悲劇を見ながらなお原発を利用しようとする人々は「原発ありがた教」という宗教の信者と呼ぶべきではないだろうか。

3.11原発事故を「火事」にたとえたら、事故後3年が経ったいまでも広い範囲で火事の「炎」は燃え盛っているといわざるをえない。炎にたとえたのは放射能だからだ。この炎は人間が水をかけようが、槌をかぶせようが消すことができないのだ。しかも、フクシマ第一原発からその炎はまだ広がり続けている。その方の尾の中で人間が細胞レベルで焼かれ続けている。しかし、その頬を二と葉がかんで感じ利己とができない。

日本においては、会議が始まる前に有力出席予定者の間で「根回し」という作業が行われ、その段階で、会議の結論が非公式に決まってしまう習慣がある。
中略)会議がこんな調子では、自由なほんとうの議論などできやしない。
中略)たった一人の意見であれ、その内容が議論している問題の解決に役立つものであれば、その意見をみなで議論し、そしてその結果、採用する可能性がなければ会議の意味はない。
100人がひとりずつ意見を述べ、かりに100通りの異なる意見がでて、その中かkら議論の結果、多数が納得する結論を出す。これこそ「衆知を集める」という効果であり、こういう効果があるからこそ、民主主義の価値がある。今の日本の現状は民主主義からかなり遠いところまできてしまった。

スウェーデンには、なにをするにも「住民の納得を得られなければならない」という法律がきめられているというのだ。
中略)もちろん、現実の社会はスウェーデンといえどもパーフェクトではないだろう。しかし、民主主義の基本原則が守られている、というか、政府も国民もその原則を法律で守ろうとしているところは、今の日本とは大違いだ。

原発の危険の源は使用済みの燃料棒の中にある放射性物質である。
それはウラン235の核分裂反応によってできたものである。そのようなものをつくらないためには、原発の運転を止めるしかない。
中略)前年ね柄使用墨核燃料を安全に処分できる場所が見つかり、施設がつくれる未投資はまったく立っていない。これは世界中のどの国についても言えることだ。

除染によって一時的に空間線量が下がった住宅地、商店街などの人々の居住区も除染対象外の広大な山林地帯から雨水や風によって運ばれてくる放射性物質によって、ふたたび汚染されてしまう。つまり、一度放射性物質で汚染された環境を、もともとのきれいな環境に戻すことは、人間の力ではできないのだ。

3,11原発震災の後始末に明るい見通しはないけれど、私たちにできることがないわけではない。それは次の五つのことだ。
①福島第一原発から放出された放射能で汚染された地域でまだ暮らしている人々の健康を守ること。
②日本z年国で流通している食品への放射能汚染を防ぐこと。
③あらたな放射性物質はつくらない。そのためには原子力をエネルギー源として使わないこと。
④すでにつくってしまったほう書生物質が環境に広がらないようにすること。
⑤放射能の健康への影響について正確な情報を人々に伝え広めること。
以上は、日本が滅亡しないために、どうしてもしなければならないことだ。


原発を国内に抱えているわが国の現状では、どんなもっともな理由があろうとも、国家であれ、部署区集団であれ、どんな相手からもわが国に対する武力攻撃を受けるよう事態をつくってはならないのである。
そのためには、国際紛争の解決の手段として軍備を持たずに徹底的に、平和的な手段で国際紛争を解決する努力をするのが国家の滅亡を避けるための、最も現実的な方法である。

最後に…
A 原発に対する武力攻撃には。軍事力などでは護れないこと。したがって、日本の海岸に並んだ原発は、仮想的(国)が引き金を握った核兵器であること。
B ひとたび原発が武力攻撃を受けたら、日本の土地は永久に人が住めない土地になり、ふたたび住めるように戻る可能性がないこと。