2013年に書かれた本です → ☆
これまた、衝撃的なタイトルの本だということです。
知っていることもありつつ、具体的なことがわかると
ほんとに…って、気持ちになります。
江戸時代の医療体制が、今の世の中にも必要だと思います。

___ 以下本文より
・否定しているのは、あくまでも西洋医学にも基づく独裁的な「医療体制」であって、
決して西洋医学の技術や知識ではない。そこは、きちんと区別して読んでいってほしい。
・政府が西洋医学を導入したのは、絶対数の足りなかった軍医や研究者の確保が目的であって
国民の医療向けではなかった。
・結果的に庶民の医療は、相変わらず江戸時代から続く漢方、鍼灸、生態、薬草や
民間療法で賄われ、昭和中期、1950年台まで「庶民の医療」として機能してゆく。
・戦後、医療ギルドに支配されることで、日本最大の医原病ともいうべき「脚気」で、
のべ200万人以上を亡くならせた。
・1954年に導入された医師優遇制度は、医者(開業医)の全収入の7割を経費と認め、
課税対象は残り3割だけでいいというものだ。
*完成度が高かった江戸の混合医療
・鍼灸は慢性的な疾患に向いている。慢性疾患を即座に治す必要はなく、日常生活を営めれば
病気と長く付き合いながら治療してゆくとことになる。鍼治療は専門職だが、お灸は、薬草同様に
書物が普及していた。庶民にとって、もっとも安上がりな医療行為でもあったのだ。
・ケガの場合、頼りになるのは、骨接ぎ、整体師だ。
・鍼灸や整体では台頭できないひどい疾患のときは漢方医を頼り。漢方薬は、相当、高価で
庶民ではなかなか手が出せなかった。しかし漢方医の新の役割は「医食同源」にある。
食事療法のスペシャリストで、生活習慣の改善を指導してくれるところにあった。
病気をなおせなくとも病気を悪化させない方法などの知識が豊富で、そこに重要な価値があった。
・そして最後、突発的な大怪我や、すぐに処置しなければ死ぬような重篤な患者に対して、
蘭方医、そう、西洋医学が登場する。何度も述べてきたように西洋医学は応急処置、
外科処理がずば抜けて効果がある。
・生活習慣病や慢性疾患は漢方医、疫病や感染症は蘭方医、ちゃんと役割が分担されていた。
どちらが上でも下でもなかった。
・段階の応じて、やれることをやれる人がやる。これが江戸時代の医療体制を支え、
人々の健康を守ってきた。
・特に現代とまったく違うのは、当時の人は、病気や怪我に対して必ずしも「完治」
を目指していないところにある。まずは日常生活に復帰できる程度に回復すれば「よし」。
あとは普通の生活の中で、病気や怪我と付き合っていきながら、ゆっくりと完治を目指す。
完治は結果であって目的ではなかった。だから「やれる人がやれることをやる」というやり方で
医療が回っていたのである、これを「養生」という。
・江戸時代は250年続いた。必要に応じて蘭方医、漢方医、鍼灸師、整体師の数は
自然と需要バランスが取れていたことだろう。
これまた、衝撃的なタイトルの本だということです。
知っていることもありつつ、具体的なことがわかると
ほんとに…って、気持ちになります。
江戸時代の医療体制が、今の世の中にも必要だと思います。

___ 以下本文より
・否定しているのは、あくまでも西洋医学にも基づく独裁的な「医療体制」であって、
決して西洋医学の技術や知識ではない。そこは、きちんと区別して読んでいってほしい。
・政府が西洋医学を導入したのは、絶対数の足りなかった軍医や研究者の確保が目的であって
国民の医療向けではなかった。
・結果的に庶民の医療は、相変わらず江戸時代から続く漢方、鍼灸、生態、薬草や
民間療法で賄われ、昭和中期、1950年台まで「庶民の医療」として機能してゆく。
・戦後、医療ギルドに支配されることで、日本最大の医原病ともいうべき「脚気」で、
のべ200万人以上を亡くならせた。
・1954年に導入された医師優遇制度は、医者(開業医)の全収入の7割を経費と認め、
課税対象は残り3割だけでいいというものだ。
*完成度が高かった江戸の混合医療
・鍼灸は慢性的な疾患に向いている。慢性疾患を即座に治す必要はなく、日常生活を営めれば
病気と長く付き合いながら治療してゆくとことになる。鍼治療は専門職だが、お灸は、薬草同様に
書物が普及していた。庶民にとって、もっとも安上がりな医療行為でもあったのだ。
・ケガの場合、頼りになるのは、骨接ぎ、整体師だ。
・鍼灸や整体では台頭できないひどい疾患のときは漢方医を頼り。漢方薬は、相当、高価で
庶民ではなかなか手が出せなかった。しかし漢方医の新の役割は「医食同源」にある。
食事療法のスペシャリストで、生活習慣の改善を指導してくれるところにあった。
病気をなおせなくとも病気を悪化させない方法などの知識が豊富で、そこに重要な価値があった。
・そして最後、突発的な大怪我や、すぐに処置しなければ死ぬような重篤な患者に対して、
蘭方医、そう、西洋医学が登場する。何度も述べてきたように西洋医学は応急処置、
外科処理がずば抜けて効果がある。
・生活習慣病や慢性疾患は漢方医、疫病や感染症は蘭方医、ちゃんと役割が分担されていた。
どちらが上でも下でもなかった。
・段階の応じて、やれることをやれる人がやる。これが江戸時代の医療体制を支え、
人々の健康を守ってきた。
・特に現代とまったく違うのは、当時の人は、病気や怪我に対して必ずしも「完治」
を目指していないところにある。まずは日常生活に復帰できる程度に回復すれば「よし」。
あとは普通の生活の中で、病気や怪我と付き合っていきながら、ゆっくりと完治を目指す。
完治は結果であって目的ではなかった。だから「やれる人がやれることをやる」というやり方で
医療が回っていたのである、これを「養生」という。
・江戸時代は250年続いた。必要に応じて蘭方医、漢方医、鍼灸師、整体師の数は
自然と需要バランスが取れていたことだろう。