スヌスムムリクの生々流転日記

過ぎ行く日々の風景(2012.5.4~)ご訪問ありがとうございます。

葛西神社「葛西金町富士」

2014-03-21 22:30:00 | 富士塚

富士塚No.66

大きな木が何本も立つとても立派な神社でした。最初が工事中だっただけに期待が持てます。

所在地:葛飾区東金町6-10-5

由緒

創建の年代は古く平安時代の末期、後鳥羽天皇の元 暦二年(1185)領主葛西三郎清重の篤信により上葛 西、下葛西あわせて三十三郷の総鎮守として下総国 香取神宮の分霊をお祀りしたものです。

当時この金町の地は、葛西御厨の神域にあり古来二 十一年ごとに香取神宮宝殿造営の賦役をつとめた関 係から、郷内の守護神としての働きもありました。

当社は創始以来、郷民の崇敬厚く、中世のころ御厨 在住の領家である占部氏がここで伊勢、香取両神宮 の御神税並びに御社殿造営の所役を掌った処で、往還の人馬から関銭等も徴収し神宮の用途にあてたよ うであります。

江戸時代の始め徳川家康公葛西御成の際、当社に古くから 伝わる操り人形芝居の神事の有様を御覧になり、これは奇 特のことであるとして祈念の誠心を込められて、天正十九 年十一月祭祀を専らにするようにと御朱印十石を賜りまし た。

当社は始め香取宮と称しましたが、明治維新の際に香取神 社となり、明治十四年葛西神社と改められました。 明治五年社格を村社に定められ同八年郷社に昇格されまし たが、終戦とともに社格が廃止され、現在宗教法人葛西神 社として氏子を始め崇敬者の尊信を専らにし、かわること なく今日にいたっております。

正面鳥居

嘉永七年(1854年)に建立。ここから明神の森へ。

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手水舎

手水舎には、祭神の徳川家康公の遺訓が掲げられています。 『人の一生は重い荷を負うて遠き道をゆくが如 し…』

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厳島神社鳥居

福神殿

祭神福の神 厳島神社の市杵嶋姫神(弁天様)を含め、葛西の森 の七福神をお祀りしている。社の周辺に欄干が廻 り、彫刻 が特徴。

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厳島神社

祭神 市杵 嶋姫神

天明七年(1787年)造営 その昔、武蔵国瀬崎の里に鎮座され、御神体を仰ぐご 尊像は古めかしく、相州江ノ島神社のご尊像と同一の謹 刻ともいわれ、神さびて近隣の里人と共に手厚く祭祀を 奉仕していたが、信仰者達が金町に移り住み、離れるこ とができないとして弁財天を金町の地に遷し、氏神の葛 西神社の地に祀られた。

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左側

道祖神 祭神 猿田彦神

元禄十三年(1700年)造営
天孫の際、瓊々杵尊(ニニギノミコト)に道案内をし たことに因み、旅行の無事安全、また足の健康を願 い、草鞋(わらじ)を奉納

右側

水神社 祭神 罔象女神

天保八年(1839年)造営。明治三十六年再建。
造営当時以前から江戸川の洪水が幾度か発生し、 村民の大きな悩みであった。自然災害が起きないよ う水の神に祈る人達の思いが窺える。

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大鳥居

昭和四年、崇敬者ご夫妻の金婚式記念に奉納建 立される。高さ約9mの大鳥居。

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参集殿前へ通じる入口

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金町招魂社 祭神 英霊の御霊

昭和二十九年、先の大東亜戦争に出征 し、國を守り戦った御魂の尽力に感謝して 金町遺族会により二百有余の御魂を祀る。

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本 殿

本殿には経津主神、日本武尊、徳川家康公の三柱を奉祭している。 権現八棟造りで旧社殿から 昭和三十九年十二月に遷座される。

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神楽殿

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葛飾区最古の鳥居

宝暦十三年(1763年)の建立。この明神鳥居は江戸 川堤に通じる旧道に建てられた鳥居である。上の笠 木が曲線を描き、両端が反り上がっているのが特 徴。している。

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こちらは何が祀られているのかわかりませんでした。

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左側

諏訪社 祭神 建御名方神

安政五年(1858年)建立。八月一日が祭礼日。
建御名方神は大國主尊の御子神であり、信濃の 諏訪大社の大神である。諏訪氏(勝頼)との関係がで きてからは武田信玄崇敬の神でもある。

右側

神明社 祭神 天照大御神
平成二年に再建。日本人の心の 古郷である伊勢神宮の大御神様を 奉祭。

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稲荷社 祭神 倉稲魂神

二月の初午祭に参拝者が参詣に来られる。以前は 農作物の収穫を祈り、稲作、地元農産物の金町コカ ブや青物作物等、生産者の地元農民達に崇敬を集め ていた。

ちなみに画面右側は「葛西ばやし発祥の碑」

昭和四十年に建立。

昭和二十六年有志により葛西囃子保存会が 発足。昭和二十八年東京都無形文化財に指定 をうけ、発祥の地を記念して建てられる。

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宝物殿

旧社殿の建物を利用して宝物類を収蔵してい る。安政年間に造られた大神輿二基、浅野長吉文 書、徳川家康公が奨励し小林一茶が見に来たとい う三番叟人形芝居の人形、金町松戸関所関係文書 その他指定の文化財を多数展示している。

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葛西天神社 祭神 菅原 道真命

明治十年再建。文章博士、漢詩人であった学問 の神の道真公を祀る。初天神の時期には、春に進 学の夢を望み、天神様へ受験生が参拝される。天 神社の参道の脇には、飛梅と称した梅がある。

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勝海舟直筆の碑

明治十三年に建てられた香取神社(現葛 西神社)の勝海舟書の神號碑。葛飾周辺地 域に来られた際、当社へ立ち寄られ、残された書。

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左側

三峯社 祭神 日本武尊

埼玉奥秩父の三峯大神を祀る。

右側

鍾馗像

鍾馗は中国の唐の玄宗皇帝、楊貴妃の時代に始 めて登場します。玄宗皇帝が重い病にかかったと きに、暴れている鬼を鍾馗が現れて退治した夢を 見ました。夢からさめると急に治ったかのように 体は元気になって、それから天下に広まっていき ました。我が国でも五月の幟に描かれたり、疱瘡 除けのお札としても伝わっています。石像として の鍾馗像は珍しい。

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祓所 祭神

祓戸四柱神 知らず知らずのうちに積もった穢れを清める 処。自己を振り返り、内省をして祈りを捧げた 後、境内の各社及び本殿に御参りください。

 

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富士社 祭神 木花咲耶姫神

木花咲耶姫神(コノハナサクヤヒメノカミ)は 瓊々杵尊(ニニギノミコト)の妻神で、七月一日 が祭礼日となっている。富士山を模して築山し、 種々の自然石を用いて、明治四十四年竣工。頂上 に富士社を祀る。

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葛西金町富士

溶岩石が積まれているタイプです。

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号目石が一合目から四合目までありましたが五~八合目は見当たらずいきなり九合目がありました。

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富士大神の前より撮影。中川の土手も見えます。

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横から撮影

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あれ~?…無い。どこ? 南水元富士神社「飯塚富士」

2014-03-21 22:00:00 | 富士塚

富士塚No.65

今日は立春ですね。風が強く冷たい1日だったので冬のなごりか、なんかホッとしました。
桜を初めとする花々は今年は昨年より開花が遅いようですが、これから咲いては散って行くのかと思うと春とは淋しい季節に思え、侘びしさを感じずにはいられません。だから私は花が咲いているわずかな時間を止めておきたいと思い、
撮影しているのかもしれません。

せっかくの休みですが桜もまだ開花していないことですし、富士塚巡りをしようか出かけました。今日は葛飾区の富士塚巡りです。

まずは南水元富士神社へやってきました。

所在地:葛飾区南水元2-1-1

って、あれ・・・工事してる。念のためスマホのグーグルマップで所在地確認。

確かに前の道には「富士神社入口」の金町駅行 のバス停があったのに。

もしや・・・と思い工事現場の交通整理をしている方に伺ってみると防波堤の工事のために現在はこの先にプレハブが立ちそこに移してあると教えていただきました。

この木が唯一の名残りだそうです。木の下にある石は富士塚のものでしょうか?

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仕方がないので教えていただいたとおりにしばらく歩くと御社殿と末社が移されて置いてありました。そしてそのとなりのプレハブが仮の御社殿です。

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入口に鈴、中を覗い見ると確かに手前にお賽銭箱、そしてご祭神が祀られていました。

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お賽銭箱の横にかろうじて浅間神社の社格が・・・。

これだけでもあってよかったです。

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古い御社殿がこうして保管してあるということは工事が終わったらまた神社を祀るということなんでしょうか?富士塚は再現されるのかな~?

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ちなみに工事期間は平成26年3月までと看板がありました。

せっかくなので概要だけ調べたので載せておきます。

あとは南水元富士神社 飯塚富士などで検索すると以前の状況がわかります。

南水元富士神社概要

南水元富士神社は、葛飾区南水元にある神社です。南水元富士神社は、正慶元年壬申(1332)6月創建と伝えられ、江戸時代には旧飯塚村の鎮守だったといいます。明治5年村社に列格しています。

富士神社は木花咲耶姫命を祭神として正慶 元年(1332)に創建されたと伝えられ、そ の例祭は毎年7月1日に行われます。 富士塚は拝殿の裏にある浅間山の上に、さ らに盛土をして築かれています。これは明 治12年(1879)に地元富士講の人々によっ て造られたものですが、現在もここに上る ための石段や富士浅間の石祠・灯籠などが 残され、当時の様子をしのぶことができま す。 例祭とともに行われる「飯塚の富士講」 (区登録無形民俗文化財)とあわせ、葛飾 区における富士信仰を今に伝える貴重な資 料です。(葛飾区教育委員会掲示より)

行く前に調べた時は結構な大きさだったので期待していたのですが気を取り直して次の目的地へと向かうことにしました。