富士塚No.67
葛西神社から歩いて辿り着くとなんと経営している幼稚園の卒園式が終わったところらしく、園児が境内で跳び回り、父母の方達が談笑している最中でした。
こんな中、私のような気持ちの悪いハゲデブオヤジがウロウロしていると大変なことになりそうなので,,こそこそっと撮影し退散しました。
所在地: 葛飾区立石8-44-31
立石熊野神社の由緒
社伝によると、創祠は平安時代中期の長保 年間(999~1003)に、陰陽師阿部晴明の勧請によると伝えられています。 江戸時代の地誌「四神地名録」によると、 当社の御神体は「神代の石剣」で極めて珍 しいものと記されております。 この辺り一帯には、古墳群をはじめ霊石と して知られる「立石」等があり、先史時代 から集落のあった場所として、葛飾区内で 最も古い神社の一つであります。 平安時代の熊野信仰は盛んで、花山法王が 那智の滝で一千日の修行中邪魔をする天狗 を同行した安部晴明が封じ込めて助けたと 言われ、当社を勧請した安部晴明と熊野の 深い関係を知ることができます 鎌倉時代、葛飾に縁りある御家人壱岐守葛 西三郎清重の崇敬を経て、更に江戸時代に は三大将軍義光や八代将軍吉宗が、鷹狩り に当地にお成りの際や、徳川御三卿のひと つ田安家の度々の参拝の折には、必ず当社 より「金烏の守護」を献上したと伝えられ ております。 当時、紀州熊野三社の神にお使のヤタガラスと宝珠を象った霊験あらたかな牛王宝印 は魔除け・厄除け・病気平癒等の守護とし て、全国に広まっておりました。 当社故実の「金烏守護」は、安部晴明が著 したとされる陰陽道の秘伝書「金烏玉兎集」によるものと伝えられております。 また御神体を安置する内陣の石造りの神殿 は寛政8年(1796)に、本殿は総公孫樹材を 用いて明治12年(1879)に、幣拝殿は昭和 36年に、夫々改築造営され、さらにご鎮座 一千年記念事業として、平成20年正月に御神門・神楽殿が建立されました(立石熊野神社案内より)
ほほ~安倍晴明とはまた思わぬ歴史上の人物が…。
ちなみにこちらの神社の上から見た見取り図は五芒星だそうです。
結界なんでしょうか?
立石熊野神社参道と鳥居
立石熊野神社の正門
立石熊野神社拝殿
境内社天満宮鳥居
境内社天満宮
立石熊野神社水盤舎
撫で牛
境内社水神社
境内社浅間神社外観
境内社浅間神社
こちらの祠はよくわかりませんでした。まだ新しそうな祠です。
という訳で足早に次を目指すのでした。