神戸スポーツボクシングクラブ【KSBC】リュウ会長のリュウ流ブログ

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最後の瞬間までベストを尽くす

2013-03-18 10:10:59 | いい話

引退しようとしているある高齢の大工の話を紹介しよう。

この話が私は好きだ。

とても大切なことを語っているからだ。


その大工は、もうそろそろ家を建てる仕事をやめて、妻と一緒にのんびり暮らそうと思った。

雇い主は、個人的な願いとして「もう一軒だけ建ててくれないか」と頼んだ。

大工は承知したが、真剣に仕事をする気はなかった。

粗悪な材料を使い、手を抜いた。

キャリアを積んだ優秀な職人の幕引きにしては、残念な仕事だった。

家は完成した。

点検にやって来た雇い主は、玄関のカギを大工に渡していった。

「この家はあなたの家です。私からのプレゼントです」

大工は、大ショックを受けた。

ひどく恥ずかしかった。

自分の家を建てているとわかっていたら…たぶんもっと頑張っただろう。

私たちもこの大工と同じだ。

毎日毎日、人生という家を建てている。

だが、建てていることに全力を尽くしていないことが多い。

そしてずっと後になって、自分がつくりあげた人生(建てた家)に一生住みつづけなくてはならないことを知ってショックを受ける。

もう一度、やり直すことができたら、まったくちがうことをするだろう。

だが、その時はもう、後戻りはできないのだ。

あなたに後悔してほしくない。

あなたも私も、大工のことを笑えない。

私たちは人生という一生住みつづける家をつくっているが、果たして最善を尽くしているか…

「ベストを尽くせ」という言葉は耳にタコができるほど聞かされた言葉かもしれない。

それから「あと、ひと頑張りだ」という言葉も。

でも、もう一度いおう。

いま、取り組んでいることに全力を尽くすと、思いがけないところから幸運がもたらされることが多い。

もうダメだとか、おしまいだとか思っても、もうひと頑張りすることが何より大切である。

それをどうか忘れないでほしい。

あと、ひと頑張りだ!

もう一歩だ!

『読むだけで 運がよくなる77の方法』(浅見帆帆子訳)王様文庫


徒然草の中に、「高名(こうみょう)の木登り」という有名な話がある。

有名な木登りの名人が、配下の男を指図して木を切らせていたが、高いところに登っているときは何も言わなかったが、安全そうな高さにまで降りてきたときに、「用心して降りよ」と声を掛けたという。

人は誰も、高いところにいるうちは、自分でも危険を感じて用心するが、飛び降りても大丈夫なような距離まで降りてくると、つい気を抜いてしまい、そこで怪我をする。

つめが甘い人間は、最後の最後に大失態をしやすい。

ふっと気が緩(ゆる)んでしまうからだ。

また、「天に唾(つば)する」という言葉があるが、人に悪口雑言を浴びせれば、それはやがて自分に返ってくる。

人を罵(ののし)っているつもりが、実は自分を罵っている。

誰も見ていないからと、最後に手を抜く人は、天がそれを見ていることを知らない。

最後の瞬間までベストを尽くす人でありたい。「人の心に灯をともす」より


よく成功者が「運がよかった」というが、常人では考えられない程の努力、ベストを尽くしてきた結果、引き寄せたものであり、それでいて驕ることも偉ぶる事も無く、謙虚に「自分は運がよかった」と言っているのだと思います。

そうなると、「運」というものも決して偶然ではなく「必然」と言えますね。

いま、取り組んでいることにベストを尽くす。

後悔しない人生を送る為に大事な事ですね。


先生のひとことで、救われたんだよ

2012-12-28 10:12:06 | いい話

プロボクサー内藤大助氏の心に響く言葉より…

ひどいイジメだった。

胃潰瘍ができた。

毎日毎日、恐怖が続いた。

いまもそのトラウマが残っている。

僕がボクシングを始めた理由。

それは、中学のときのイジメだ。

相手に仕返しするためじゃない。

自分の身を守るため。

パンチを打つのではなく、相手のパンチをよけるため。

僕は強くなりたいと思った。

僕は北海道の豊浦町で生まれた。

家は貧しかった。

サビだらけのトタン板で囲われた木造二階建て。

窓は木枠でできていたけれど、きっちり閉まらない。

毎年、冬の寒さをしのぐため、ビニールを打ち付けて、窓をふさいでいた。 

僕には父親の記憶がない。

僕が生まれてすぐに離婚したらしい。

母親は、自宅の離れで食堂兼民宿を営み、朝から晩まで忙しく働いた。

なにも買ってもらえなかった。

中学時代当時の僕は、身長が140センチくらい。

相手は170センチ以上あるやつもいて、喧嘩してもかなわないと思った。

僕は笑いのものされ、使いっぱしりをさせられ、それでもご機嫌をとり、媚を売りながら生きていた。

母親には隠していたけれど、ある日、お腹が痛くて病院に行くと、胃潰瘍ができていた。

中学三年になって、さらにイジメはエスカレートした。

モノを隠され、靴を捨てられ、服を脱がされた。

もう、限界だと思った。

カラスやスズメ、虫でもいい、人間以外のものになりたかった。

学校に行きたくなかった。

そのとき、佐々木先生が異変に気づいてくれた。

先生は、小さくて、運動神経がよくて、サッカー部の顧問。

歳は25歳くらい。

生徒との距離が近くて、冗談が通じるやわらかい雰囲気を持ったひと。

その佐々木先生がホームルームで、こう切り出した。

「最近、誰かが、誰かをからかっている。

特定のひとに、ひどいことをしている。

誰がやっているか、思い当たるひとは手をあげろ!」

誰も答えない。

すると先生は、大声であいつの名を呼んだ。

「おまえのことを言ってんだよ!!」

シーンとなった。

僕は、ビックリした。

すごいと思った。

こんな大人もいるんだと思った。

先生が叫んでから、イジメはおさまった。

僕は、ボクシングを始めた。

不思議なことに、強くなると、やり返そうという気持がなくなった。

「先生のひとことで、救われたんだよ」

フライ級の日本一になって北海道に帰ったとき、先生にそう言った。

先生は、変わらぬ優しい笑顔で、小さくうなずいた。

『心がギュッと強くなる本 大切な人への手紙23通』PHP研究所


人はちょっとしたひとことで、明るくもなれば、暗くもなる。

そして、たったひとことで命が救われることもある。

「いつだって、私はあなたの味方」

「泣きたかったら思いきり泣いてもいいんだよ」

「君がいてくれるだけで幸せ」

「どんな時でも君のそばにいるよ」

勇気を与えてくれる「ひとこと」、発したい。
「人の心に灯をともすより」


たった一言でやる気が出て始めたり、たった一言で辞めたり。

たった一言で物凄いエネルギーを貰えたり、たった一言で深く傷付いたり。

言葉の持つ力って大きいですね。


自分が見ている

2012-10-31 14:47:39 | いい話

ネットにあったお話です


和尚さまが、大変にお気に入りの小坊主がいた。

その小坊主は、見栄えもよくなく頭もそれほど賢く無かった。

他の弟子たちは、和尚さまのそんな態度に不満を募らせた。

「和尚さまはどうして、あんな奴をかわいがるんだ」

いたるところで、ささやく声を聞いた和尚さまは、

お寺にいる弟子たち全員を集めて小鳥を一羽ずつ手渡した。

「誰も見ていないところで小鳥を殺して、その死骸を持って帰って来なさい。

帰ってきた順に後継者として考えるから。」

弟子たちは、満面の笑顔になった。

「赤子の手をひねるようなものだ」

出発しなさいという和尚さまの声を聞き、

それぞれが一目散に森にかけて行った。

そして、しばらくして一人、二人と息を切らしながら和尚さまの前に駆け寄ってきた。

帰ってきた弟子たちの表情は様々だった。

すぐに帰ってきた弟子たちの顔には笑みが浮かび、

体力が劣り遅れて帰ってきた弟子たちは、がっかりした表情だった。

ほぼ全員の弟子たちが帰ってきたが、

和尚さまのお気に入りの小坊主だけが、まだ帰って来なかった。

誰かが言った。

「逃げ出したんじゃないか」

「そうに違いない。やっぱり・・・」

しばらく、目を閉じていた和尚さまが口を開いた。

「まだ陽が沈んでいないから、沈むまで待ってみよう」

やがて陽は沈み、あたりは暗くなった。

弟子たちが騒がしくなってきた。

これ以上、引き延ばすことが出来ないと判断した和尚さまは重い口を開いた。

「では、そろそろ決断しなくてはいけないようだ。みんな集まりなさい」

その時、森の方から小坊主が帰ってきた。

小坊主は青ざめて疲れ切った顔をして歩いてきた。

小坊主は、まだ鳴き続けている小鳥を胸に抱いていた。

「やっぱりな。ははは。」

弟子たちはその様子を見て、指差して笑った。

しかし、和尚さまは、低い声で小坊主に尋ねた。

「お前はどうして、まだ鳥を生かしているんだ」

小坊主は、目に涙をためながら答えた。

「誰も見ていないところを探しまわっても、そんなところはどこにもありませんでした」

「そうか。誰かお前の後をつけてたとでも言うのか」

「いえ、そうではありません」

「では、誰が見ていたと言うんだ」

「私自身が見ておりました。」

その瞬間、あたりは静まりかえった。


二つの石

2012-10-08 07:34:55 | いい話

昔、ある町に立派な寺が建立された。

とても美しく重厚な寺だったが、大仏の像だけがなかった。

そこで、信者たちは有名な彫刻家に大仏の像を制作してもらうことにした。

彫刻家は山に上ると、大仏になるのにふさわしい石を探した。

ようやく見つけた石は美しかったが大きすぎたため、彫刻家はそれを二つに割ると、早速片方の石に刀をあてて彫り始めた。

すると、彫られている石は彫刻家に向かって不満をこぼした。

「彫られるのは、本当に痛いし辛い。もう少し、優しく彫れないのか?私は風雨を耐えてきたが、こんなに辛いのは初めてだ。あんたは、私を大仏に彫るというが、本当なのか?」

彫刻家は答えた。

「忍耐がそのプロセスだ。もしお前が決心すれば、この辛苦の後に必ず新しい世界が開ける。私を信じ、耐え続けなさい」

石はしばらく考えると、彫刻家に聞いた。

「いつ、その大仏は完成するのか?」

「たった今彫り始めたばかりだ。30日間耐えなさい。その後、もし人々がお前の見栄えに満足しなければ、さらに彫り続け、仕上げに時間を要するだろう」

大仏の彫像になれたらどんなに素晴らしいだろう、と石は考えた。

しかし、それに至るまでの苦しみは容易ではない。

二時間ほど痛みに耐えた後、ついに我慢できなくなった。

「もういやだ。刀で私を彫るのをやめてくれないか。こんな痛みにはもう耐えられない」

彫刻家は仕方なく、もう片方の石を彫ることにした。

すると、この石はちっとも不満を漏らさない。

彫刻家は石に話しかけた。

「お前は痛くないのか?」

「私は簡単にあきらめたりはしない」

「最初の石は、優しく彫ってくれと言っていた。お前もそう思うか?」

「いや、優しく彫られたら、彫像の見栄えが悪くなるかもしれない。そうすれば、また彫刻のやり直しだ。初めから、きちんと彫ってくれた方が時間を無駄にしなくて済む」

彫刻家は石の強靭な意志に心を打たれ、懸命に大仏の姿を彫り始めた。

30日間の耐え難い苦しみの後、石は荘厳な大仏の姿に生まれ変わった。

間もなく、大仏の彫像は寺の祭壇に置かれ、大勢の人々が毎日参拝に訪れた。

ある日、寺の石床となった最初の石が、大仏に向かって言った。

「お前はどうしてそのような高い所におかれ、人々から敬われているのか。なぜ私は毎日、人々から踏みつけにされなければならないのか?」

大仏になった石は答えた。

「それは簡単だ。お前は容易な道を選び、石床になった。しかし、私は苦を舐める道を選び、大仏になったのだ」

安易な道と苦難の道、どちらを選ぶかは自分次第。

いずれの道を選んでも、必ずそれに見合うだけの結果が待っているだろう。

大紀元日本より


「運命とは偶然の問題ではなく、選択の問題である。それは、待つものではなく、自分の手で獲得するものである」

ウィリアム・ジェニングス・ブライアン(アメリカの政治家・元国務長官・政治学者)


考え方

2012-10-02 10:04:20 | いい話

ゴールドラッシュの時代のこと、

ダービーという人が、コロラド州に金脈を持っていました。

金脈からは金がたくさん出ましたが、それもしばらくのことで、やがてさっぱり出なくなったように思われました。

ダービーはもう少し奥まで、またもう少し深くまで掘ってみました。

しかし金は少しもとれませんでした。

そのため、掘るのをやめ、採掘の道具と金鉱を数百ドルである探鉱者に売りました。

ところが、この探鉱者は、ダービーが掘るのをやめた場所から三フィート(約九〇センチ)と離れていないところで、数百万ドルの価値ある金脈を掘り当てたのです。

この出来事によってダービーの人生は変わりました。

金脈からわずか三フィートのところで作業をやめてしまったという過ちを、ダービーは決して忘れませんでした。

数年後、ダービーは言いました。

「あれは、不幸に見えて結局は幸福をもたらすものになった。

僕は、どんなに大変な状況であっても、あきらめないで頑張り続けることを教わった。

もっと早くに学ぶべきだったが、今じゃどんなことでもあきらめないで頑張れるようになっているよ」

「巨富を築く13の条件」ナポレオン・ヒル 著


石ころや段差につまづいて、転んだとして単に「ついてないなぁ」と思うのか、次から「気を付けよう。大怪我でなくてラッキーだった」と思うのか、その捉え方次第で、気付きが生まれたり、その後の人生までもが変わっていくものですね。

ChooseLife。まさに人生は選択の連続。

決して誰かのせい、何かのせいにするのではなく、先を見た時に自分自身が成長する方を選択していきたいですね。

「不幸はナイフのようなものだ。ナイフの刃をつかむと手を切るが、とってをつかめば役に立つ。」メルヴィル


スラム街の奇跡

2012-09-13 10:30:56 | いい話

ある大学で社会学を学ぶ学生たちが、

ボルチモアのスラム街に住む少年200人を対象に、

ひとりひとりの家庭環境と生い立ちを調査しました。

そしてこの調査結果をもとに少年たちの将来性についてのレポートを作成しました。

するとどの学生も、これらの少年たちには何の将来も期待できないだろうと書いたのでした。

それから25年後のこと、

ある社会学の教授がこのときの調査結果を見つけ、当時の少年たちがその後どうなったか学生に調べさせました。

ところが、引っ越したり、死亡した20人を除いた180人のうち、何と176人が弁護士や医者、またはビジネスマンとして人並み以上の成功をおさめていることがわかったのです。

教授はこの報告に大変驚くと共に、興味をそそられ、さらに詳しく調べることにしました。

幸い、調査対象になった人たちはまだその地域に住んでいたので、

教授は自らひとりひとりに会いに出かけ、こう質問したのです。

「あなたを成功に導いたものは何だったのですか?」

すると、誰もが感慨をこめて、ある先生の名前を挙げたのでした。

教授はまだ健在だというその女の先生にぜひ会いたいと思い、訪ねていきました。

そして、年はとっていても、しゃんとしたその先生に、こう尋ねたのです。

「スラム街からあんなに大勢の成功者が出るなんて驚きました。

あなたは、一体どんな魔法を使ったんです?」

その先生はパッと顔を輝かせ、口元に微笑を浮かべると、こうこたえたのでした。

「とても簡単なことです。私は生徒達を愛したのです」

「心のチキンスープ」エリック=バターワ―ス 著


「行く先々で愛をふりまきなさい。

まずは、自分の家から始め、子どもたちに、伴侶に、そして隣の人に愛を与えなさい。

あなたに
会いに来る人を幸せな気分にして帰しなさい。

神の優しさをあなたが身をもって示しなさい。

あなたの表情にも、まなざしにも、笑顔にも、心をこめたあいさつにも、神の優しさを宿す

ことによって。」 マザー・テレサ


年寄りのハンマー打ち

2012-08-18 18:26:37 | いい話

カーネギーが苦労の末につくった鉄鋼会社「ユナイテッド・スチール」は、
どんどん大きくなっていきました。

そしてある日、最初から苦労をともにしてきた年寄りのハンマー打ちを、
カーネギーは自分の部屋に呼んで、こう言いました。

「あなたは長いこと、私と苦労をともにしてきてくれた。
 おかげさんで、私たちの会社は、こんなに大きくなることができた。
 どうか、私の贈り物を受取ってくれ。」

そう言って、カーネギーは年寄りのハンマー打ちに、一枚の紙切れを渡し
ます。

この紙とは、「今日付けで、会社の重役になってくれ」という、役員への
昇進を伝える辞令でした。

重役に抜擢されるんだから、給料も大幅に上がるわけです。
当然喜んで受け取ってくれるものと、カーネギーは思っていました。

ところが、年寄りのハンマー打ちは、受取ってくれなかったのです。

カーネギーが、「なぜ受取ってくれないのか。わけぐらい聞かせてくれ」
と言うと、ハンマー打ちは、

「私は、年寄りのしがないハンマー打ちだ、
 しかし、私がハンマーで鉄をたたきつける時に、カーンという響きが
 するが、あの響きは私の命の響きだ。
 だから私は、この年まで飽きもせずにハンマーを打ってきた。

 真っ赤に焼けた鉄の塊をたたきつけると、火花が散るが、あれは私の
 命の火花が散っているのだ。
 そういうつもりで、この年まで飽きもせず、ハンマーを振ってきた。
 鉄の塊の中に私の命が入っていると思って、飽きもせず、この年まで
 ハンマーを打ち続けてきた。

 今日、社長のあなたから辞令を受けた。
 私のために役員室を用意してくれるという。
 すわり心地のいい椅子は用意されるかもしれないが、私の命の響きと
 命の火花を散らして塊を作ってきた私のハンマーは、どこへ行くんだ。
 
 社長ほどの人物なら、そんなことはわかってくれていると思っていた。
 それがわかってもらえなかったということが、私には残念だ。」

それを聞いたカーネギーは、「私の浅はかさを許してくれ」と言って、
ハンマー打ちが見ている前で、辞令を破り捨てたそうです。

(「いま、感性は力」行徳哲男&芳村思風 著 より)


「損得」で動くのではなく「感性」で動く年寄りのハンマー打ち。

これこそがまさに職人というものではないでしょうか。


恩を与えた人は、それを・・・

2012-08-10 14:08:20 | いい話

入社4年目で初めての結婚記念日の日。

社内でトラブルが発生した。

下手したら全員会社に泊まりになるかも知れないという修羅場なのに、

結婚記念日なので帰らしてくださいとは絶対に言えなかった。

5時を回った頃、T課長が俺を呼びつけ、封筒を渡して、

「これをK物産に届けろ」と言う。

K物産は、隣の県にある得意先で、今から車で出ても8時までに着けるかどうかすら分からない。

「届けたら直帰していいから」と言うが、

直帰も何も、K物産に届けて家まで帰ったら、きっと11時は過ぎるだろう。

文句を言いたかったが、

「わかりました」と言って封筒を預かった。

中身を見ようとすると「中身は車の中で見ろ。さっさと行け!」とつれないT課長。

不満たらたらの声で「行ってきます」というと、

課内の同情の目に送られて駐車場へ向かった。

車に乗り込み、封筒を開けると、一枚の紙切れが。

「結婚記念日おめでとう。今日はこのまま帰りなさい」

と書かれていた。

会社に入って初めて泣いた。

その翌年、T課長は実家の家業を継ぐために退社した。

送別会の席でお礼を言ったら

「そんなことあったか?」と空とぼけていた。

T課長、お元気でおられるだろうか。

「魂が震える話」


「恩を受けた人は、その恩を心にとめておかなければならない。

しかし、恩を与えた人は、それを覚えているべきではない」キケロ(哲学者)


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