伊右衛門押し。
以前、私は、
才能は一瞬のきらめきだと思っていた。
しかし今は、
十年とか二十年、三十年を同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。
直感でどういう手が浮かぶとか、ある手をぱっと切り捨てることができるとか、確かに個人の能力に差はある。
しかし、そういうことより、
継続できる情熱を持てる人のほうが、
長い目で見ると伸びるのだ。
「決断力」羽生 善治
「勝ち負けにはこだわるんですが、大切なのは過程です。結果だけならジャンケンでいい」羽生 善治
「三流は人の話を聞かない。二流は人の話を聞く。一流は人の話を聞いて実行する。超一流は人の話を聞いて工夫する」羽生 善治
こないだランニング中に立ち止まって見た、ハーバーでやってた大道芸ですが、その人がやってる動画がyoutubeにもありました。
→ 大道芸(川原彰)
他にナイフとリンゴ食べるやつがすごかったのですが、別の人でやってる動画(さらに一輪車に乗ってる)もありました(08:45からの映像)
→ 命がけ...ストリートパフォーマンス(横浜・みなとみらい)
ほんとすごいなぁ~ 自分がやったらきっと怪我しまくりです。指が何本あっても足りません(・∀・)
◆ジャパニーズのかっこよさは、自分の喜怒哀楽をあまり表に出さないで、つねに相手を気使うところにあるんだから。柔道も剣道も「礼に始まり礼に終わる」のが基本なんだろう。それは相手を思いやる謙虚な気持ちを持ちなさいってことじゃないの。
なぜ、貧乏な下町の職人がかっこいいのか、それは人生を達観しているところがあるからだと思うよ。「俺はこれでイイんだ」って納得してる。
◆「なりたい自分」はとっておけ。
どっちにしたって、人間は身の丈を考えなきゃいけないと思うよ。
自分の能力っていうものを客観的に分析したほうが絶対にいい。
俺に言わせれば「成功」の秘訣は「いちばんなりたいものにならないこと」だよ。
自分にはもっとやりたいことがあるんだけど、今すぐにそれをできる能力はないから違うことをやってます。それぐらい自分を客観的に見られるやつのほうが、成功する可能性は圧倒的に高い。
「粋」っていうのは、「常識をわきまえたうえでの、もうひとつ上の生き方」なの。
「無欲」が品を生み、「極端な気遣い」が粋をつくる。
◆俺が芸人として悪口を言うときは、基本的に相手を認めて、自分を被害者にする。
相対した時、相手に失礼のないように最低限の作法を知る。その作法にしたがって動くから品が出る。それが社会とのつながりを持つ時、「品格」として表れるんじゃないか。
人間関係では作法が基盤にあって、作法からはずれないように心掛けることができれば、品格になる。それが気遣いとか、やせがまんとかの立ち居振る舞いに現れた時、今度は粋と呼ばれる。
◆最近、レストランやっている若いやつでおかしいのがいる。「修行なんかしたってしょうがない。僕は独創的な料理をつくる」とか言って「創作料理の店」を開いているんだ。創作なんだから自分だけでやる、師匠はいらない、修行するだけ無駄だ゜って言う。バカな事を言っているんじゃないよ。「創作」の意味を完全に間違えている。
だいたい基礎ができていないやつに「独創性」なんてあるわけないじゃないか。おまけに「無国籍料理」だって、何だそれは。お前の料理なんか食いたかねぇ。ちゃんと修行してからやれっていうの。
お笑いが、牛丼だとしたら、俺らのは浅草の大衆食堂で出す牛丼.....食堂だから注文して出てくるまでに時間がかかる。今のお笑いは吉野家の牛丼、「並一丁」とかいってすぐ出てくる。
芸の世界について言いたい放題言わせてもらったのは「芸事」は広い意味での「作法」に通じると思っているからなんだ。俺が何度も言っている作法とは、突き詰めると「相手を喜ばすこと」。
◆自分の生き方を「芸」にしろ。
自分の生き方は自分だけのものだ。自分の生き方そのものを「芸」にすることができれば、その時点で作法はちゃんとできている。品がよくなって、粋な人になれる。
◆夢をかなえたらそこで人生は終わる
基本的に人間は生まれて死ぬだけでさ。いくら成功してカネを残したからって、死んだら自分は一銭も持っていけない。遺産は子どもとか家族のもので、形としては残るけど、死んでいったやつには何も関係ない。
「故人の偉業を讃(たた)えて」なんて、そいつの記念館をつくろうが何しようが、死んだ本人にはまるで関係ないわけで、それなのに夢を持て、成功しろ、金持ちになれ、偉い人になれって強制するのはおかしいと思わないか。
「偉い人になりなさい」よりも、「罪をおかすな」「悪いことをしない人になれ」っていう教育のほうがよっぽどいい。ごく当たり前に、「他人に迷惑をかけない人になりましょう」というのが教育の最大の目標であるべきだろう。そんなことはこれっぽっちも言わないで、夢とか成功を押しつける今の世の中は、やっぱり下品だ。
「今のやつが決定的にダメなのは、夢はみるけど何も努力しないし、夢がかなわないのを他人のせいにしちゃうことだよ。・・・夢を現実にする方法なんかないんだ。だって夢なんだから。・・・夢じゃなくって、何かチャンスがあったり、自分の手でつかめそうなものに対しては一生懸命やればいい。・・・だから夢なんか持つな。夢を持っちゃいけないの。」
◆粋(いき) 本当のかっこよさは気の使い方に現れる
それで粋な大人が少なくなったって話の続きで、日本はかっこ悪いやつばっかりのくせに、みんなかっこよくなりたがる。かっこ悪いと自覚してるからかっこよくなりたいのか、自覚がないからなのか知らないけどさ、だいたいそういうやつって外見から入るんだ。
最近目につくのは「アンチ・エイジング」っていうの? きれいに歳(とし)を重ねましょうって、みんな必死じゃん。顔のしわを伸ばしたり、ヒアルロン酸だのケミカル・ピーリングだの、整形みたいなことしてずいぶんカネがかかるらしいけど。
しわだけ伸ばしてもしょうがない。しわをとってそれなりの顔をつくっても、顔以外が下品だったら意味がないわけ。飯の食い方から、言葉遣いとか態度とか、服の趣味とか全部をひっくるめて個人の総合芸が成り立たないと、貧乏のくせにバッグはルイ・ヴィトンですっていうやつと変わんなくなっちゃう。
「貧乏な格好でヴィトンのバッグはないだろう」と同じように、「下品な格好して、そのツルツルの顔はないだろう」って言われるよ。品があって粋なおばさんは、整形しなくたって品がある。それには若いころから何かいい趣味を持ってて、長く続けているとか年季が必要なんだ。年季のあるなしで人間の雰囲気が違う。三〇分のプチ整形じゃ雰囲気はつくれない。
なかなかこういう人っていないですが、やっぱたけしさんって「粋」ですね。
たけしさんって、そのへんで入ったトイレが汚いと掃除して綺麗にするらしいです。
著作でも、カラオケに行って便器にゲロが吐かれていたら、たいてい掃除すると書いてありました。
その辺からも相手を気遣う気持ちや品のよさだったり、粋というものが自然と滲み出てくるんでしょうか。
ある村に、毎日のように自分の不幸を嘆いている男がいた。
男の言い分はこうだ。
「オレの家は狭いうえに、子どもが四人もいて、おまけに女房が太っているので、
自分は毎日立って寝なければならない。
ひどい話しじゃないか。
こんな狭い家に住むオレほどこの世で不幸な人間はいないだろうよ」
この不満を聞いたヘブライの王は、男にこう命令した。
「おまえのその狭い家の中で、ニワトリを10羽飼いなさい」
王の命令に嫌々従った男は、こう不満を申し立てた。
「女房と子どもだけでも足の踏み場もないのに、
ニワトリ10羽をそこで飼ってたら、私は糞にまみれて寝よと言うのですか。
前よりも不幸になりましたよ」
これを聞いたヘブライの王は、さらにこう命じた。
「それでは、ニワトリ10羽に加えて、羊を10匹家の中で飼いなさい」
男は王の命令だから従ったが、国中の人間に向かって、自分は王の命令のおかげで世界で一番不幸な目に遭っていると、言い回った。
しばらくして、やっと王は
「ニワトリ10羽と羊10匹は、家の外で飼ってよい」
と命令を変えてくれた。
次の日、男は王のもとに、感謝の品々を持って駆けつけて、こう言った。
「私は大変幸せな男です。
今や、私の家には家内と子ども四人、広々と暮らせるようになりました。
ありがとうございます」
「ユダヤ人の成功哲学“タルムード”金言集」石角 完爾
「幸せを手に入れるんじゃない。 幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ」(甲本 ヒロト)
自分はこんなに頑張っているのにどうして誰も認めてくれないのだろうと嘆いているようでは、
いつまで経ってもその先に進むことはできない。
誰も認めてくれないこと自体が努力不足の何よりの証拠なのである。
本当に努力をしている人は、
天知る、地知るで、早晩かならず人目に留まる。
人に認められないことがつらいなら、
認められるまで努力をすればいいだけの話しだ。
「努力論」斎藤 兆史
ある美術学校でのエピソードである。
陶芸の授業のとき、
最初に教師はクラスを2つに分けた。
そして、
アトリエの左半分の生徒には作品の量によって、
右半分の生徒には作品の質によって採点すると告げた。
採点の日が来て、
興味深い事実が明らかになった。
優秀な作品は、
すべて、“量グループ”から生まれたのだ。
量グループの生徒は、
たくさんの作品をつくっていく過程でいくつも失敗し、
そこから学ぶことでいい作品を次々と生み出すことができた。
しかし、
“質グループ”の生徒は、
完璧な作品について理屈をこねるだけで手を動かさなかったために、
成果として残ったのは、
壮大な理論と作品になりそこねた粘土だけだったのだ。
あなたの目標が、
ビジネス、スポーツ、芸術、人間関係など、
どんな分野であろうと同じこと。
進歩する唯一の方法は、
「トライ・アンド・エラー」をくり返すことだ。
そして、
そこでの失敗を経験という財産に変えていくのだ。
P.F.ドラッカーは、次のように言っている。
「間違いや失敗をしたことのない者だけは信用してはならない。
そのような者は、無難なこと、安全なこと、つまらないことにしか手をつけない。
人は優れているほど多くの間違いをおかす。」
John C. Maxwell著 「一勝九敗の成功法則」より