神戸スポーツボクシングクラブ【KSBC】リュウ会長のリュウ流ブログ

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信じれば

2012-08-06 22:14:40 | いい話

徳永先生は熊本県の歴史始まって以来

30代の若さで小学校の校長になられたほど優秀でしたが

「教員の仕事は教壇に立って教えることだ」

と5年で校長を降り、自ら志願して一教員に戻った人でした。

だからどの学校に行っても校長に嫌われるんですね。
自分より実力が上なものだから。

(中略)

先生は昼飯を食べない人でした。

なぜ食べないかというと、終戦直後、

昼の時間になると弁当を持ってこられない子どもたちが

さーっと教室からいなくなる。

それでひょっと校庭を見たら

その子たちが遊んでいたんです。

その時から自分もピタッと昼飯を食べるのを止めて

その子たちと楽しい遊びをして過ごすようになりました。

以来、昼飯はずっと食べない人生を送るんですよ、

晩年になっても。

これは戦前の話ですが

「明日は工作で切り出しナイフを使うから持っておいで」

と言って児童たちを帰したら、次の日の朝、

「先生、昨日買ったばかりのナイフがなくなりました」

という子が現われました。

先生はどの子が盗ったか分かるんですね。

それで全員外に出して遊ばせているうちに

盗ったと思われる子どもの机を見たら

やっぱり持ち主の名前を削り取って布に包んで入っていた。

先生はすぐに学校の裏の文房具屋に走って同じナイフを買い、

盗られた子の机の中に入れておきました。

子どもたちが教室に帰ってきた時

「おい、もう一度ナイフをよく探してごらん」

と言うと

「先生、ありました」と。

そして

「むやみに人を疑うものじゃないぞ」

と言うんです。

その子は黙って涙を流して先生を見ていたといいます。

それから時代が流れ、戦時中です。

特攻隊が出陣する時、

みんなお父さん、お母さんに書くのに

たった一通、徳永先生宛の遺書があった。

もちろんナイフを盗った子です。

「先生、ありがとうございました。

あのナイフ事件以来、徳永先生のような人生を送りたいと思うようになりました。

明日はお国のために飛び立ってきます……」

という書き出しで始まる遺書を残すんです。

月刊「報知」


信じればそこにが生まれる。

とてもいい話ですね。

また、単に犯人捜しをして「人の物を獲ったらいけない」という外からの力、

ではなくて、

自分で「こういう事をしてはいけないんだ」という内からの力。

こういう力の方が断然強いですね。

本人のそういう力を信じた先生。

直接言うのではなく、気付かせた先生。

そして、生き方の目標にまでさせた先生。

すごいですね☆


お母さんから命のバトンタッチ

2012-07-02 12:05:33 | いい話

僕が看取った患者さんに、

スキルス胃がんに罹った女性の方がいました。

余命3か月と診断され、

彼女は諏訪中央病院の緩和ケア病棟にやってきました。

ある日、病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、

彼女がこう言ったんです。

「先生、助からないのはもう分かっています。

 だけど、少しだけ長生きをさせてください」

彼女はその時、42歳ですからね。

そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って、

黙ってお茶を飲んでいた。すると彼女が、

「子供がいる。子供の卒業式まで生きたい。

卒業式を母親として見てあげたい」

と言うんです。

9月のことでした。

彼女はあと3か月、12月くらいまでしか生きられない。

でも私は春まで生きて子供の卒業式を見てあげたい、と。

子供のためにという思いが何かを変えたんだと思います。

奇跡は起きました。

春まで生きて、卒業式に出席できた。

こうしたことは科学的にも立証されていて、

例えば希望を持って生きている人のほうが、

がんと闘ってくれるナチュラルキラー細胞が

活性化するという研究も発表されています。

おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある

見えない3つのシステム、内分泌、自律神経、免疫を

活性化させたのではないかと思います。

さらに不思議なことが起きました。

彼女には2人のお子さんがいます。

上の子が高校3年で、下の子が高校2年。

せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと

僕たちは思っていました。

でも彼女は、余命3か月と言われてから、

1年8か月も生きて、2人のお子さんの卒業式を

見てあげることができたんです。

そして、1か月ほどして亡くなりました。

彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところへやってきて、

びっくりするような話をしてくれたんです。

僕たち医師は、子供のために生きたいと

言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、

彼女の体調が少しよくなると外出許可を出していました。

「母は家に帰ってくるたびに、

私たちにお弁当を作ってくれました」

と娘さんは言いました。

彼女が最後の最後に家へ帰った時、

もうその時は立つこともできない状態です。

病院の皆が引き留めたんだけど、どうしても行きたいと。

そこで僕は、

「じゃあ家に布団を敷いて、

家の空気だけ吸ったら戻っていらっしゃい」

と言って送り出しました。

ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。

立てるはずのない者が最後の力を振り絞ってお弁当を作るんですよ。

その時のことを娘さんはこのように話してくれました。

「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。

そのおむすびを持って、学校に行きました。

久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて。

昼の時間になって、お弁当を広げて食べようと思ったら、

切なくて、切なくて、

なかなか手に取ることができませんでした」

お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。

でも、命は長さじゃないんですね。

お母さんはお母さんなりに精いっぱい、必死に生きて、

大切なことを子供たちにちゃんとバトンタッチした。

人間は「誰かのために」と思った時に、

希望が生まれてくるし、その希望を持つことによって

免疫力が高まり、生きる力が湧いてくるのではないかと思います。

『致知』「人間力メルマガ」より


それでもなお

2012-06-12 14:00:30 | いい話

1. 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。

それでもなお、人を愛しなさい。

2. なにか良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。

それでもなお、良いことをしなさい。

3. 成功すれば、うその友達と本物の敵を得ることになる。

それでもなお、成功しなさい。

4. 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。

それでもなお、良いことをしなさい。

5. 正直で率直なあり方は、あなたを無防備ににするだろう。

それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。

6. 最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。

それでもなお、大きな考えを持ちなさい。

7. 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後ろにしかついていかない。

それでもなお、弱者のために戦いなさい。

8. 何年もかけて築いたものが、一夜にして崩れさるかもしれない。   

それでもなお、築きあげなさい。

9. 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると 攻撃されるかもしれない。

それでもなお、人を助けなさい。

10. 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。

それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。

マザーテレサも感動したといわれている「逆説の十か条」


出来る事を数えよう

2012-06-04 11:09:40 | いい話

昨日はジム終わってから疲れたけど、いつも通り走ってきて、サッカーW杯最終予選があるのを知って、見ていたのですが、前半1点入れた位でお腹が空き過ぎてご飯食べに行きました

帰ってきたら後半戦やってましたけど、勝てて良かった

素人目に見ても一昔前に比べてサッカーの技術レベルはかなり上がってると思うのでこれからが楽しみです


「出来る事を数えよう」

天才サッカー選手、リオネル・メッシ。

幼い頃から将来を有望視されていたメッシだが、11歳の時に

身長が伸びにくくなる病気(成長ホルモン分泌不全性低身長症)が発覚。

医療費が高く、サッカーを続ける事も難しかった。

絶望のメッシを救ったのは、

彼の才能を高く評価したスペインの名門・バルセロナ。

なんとバルセロナは、医療費を全額負担。

するとメッシは見事病気を克服し、わずか18歳でトッププレイヤーへと登り詰めた。

メッシ「自分と同じような境遇の子供たちの手助けがしたいんだ」

そんな思いから病気でサッカーが出来ない子供たちにある特別なプレゼントを送った。

その特別なプレゼントとは?

「テレビゲームでのサッカー対戦」

メッシ「出来ない事を数えないで 出来る事を数えよう」

メッシ選手の身長は169.5cm。

にもかかわらず、世界一の選手になった。

そんなメッシからのメッセージだった。

「深いぃ話」


小さい頃のメッシ


大リーグでの話

2012-06-03 12:08:09 | いい話

アメリカのとある地方に野球観戦の大好きな、

でも、目の見えない少年がいました。

少年は大リーグ屈指のスラッガーである選手にあこがれています。

少年はその選手へファンレターをつづりました。

「ぼくは、めがみえません。

でも、毎日あなたのホームランをたのしみにしています。

しゅじゅつをすれば見えるようになるのですが、

こわくてたまりません。

あなたのようなつよいこころがほしい。

ぼくのヒーローへ。」

少年のことがマスコミの目にとまり、

二人の対面が実現することになりました。

カメラのフラッシュの中、

ヒーローと少年はこう約束します。

今度の試合でホームランを放てば、少年は勇気をもって手術に臨む、と。

そして、その試合、

ヒーローによる最後の打席。

2ストライク3ボール。

テレビや新聞を見た多くのファンが、スタジアムで固唾をのんで見守り、

少年自身も、テレビの中継を祈る思いで聞いています。

ピッチャーが投げた最後のボールは、

大きな空振りとともに、キャッチャーミットに突き刺さりました。

全米から大きなためいきが漏れようとしたその時、

スタジアムの実況が、こう伝えました。

「ホームラン!

月にまで届きそうな、

大きな大きなホームランです!」


粋な計らいやなぁ~(>_<)


ヘブライの王の助言

2012-05-28 14:37:03 | いい話

ある村に、毎日のように自分の不幸を嘆いている男がいた。

男の言い分はこうだ。

「オレの家は狭いうえに、子どもが四人もいて、おまけに女房が太っているので、

自分は毎日立って寝なければならない。

ひどい話しじゃないか。

こんな狭い家に住むオレほどこの世で不幸な人間はいないだろうよ」

この不満を聞いたヘブライの王は、男にこう命令した。

「おまえのその狭い家の中で、ニワトリを10羽飼いなさい」

王の命令に嫌々従った男は、こう不満を申し立てた。

「女房と子どもだけでも足の踏み場もないのに、

ニワトリ10羽をそこで飼ってたら、私は糞にまみれて寝よと言うのですか。

前よりも不幸になりましたよ」

これを聞いたヘブライの王は、さらにこう命じた。

「それでは、ニワトリ10羽に加えて、羊を10匹家の中で飼いなさい」

男は王の命令だから従ったが、国中の人間に向かって、自分は王の命令のおかげで世界で一番不幸な目に遭っていると、言い回った。

しばらくして、やっと王は

「ニワトリ10羽と羊10匹は、家の外で飼ってよい」

と命令を変えてくれた。

次の日、男は王のもとに、感謝の品々を持って駆けつけて、こう言った。

「私は大変幸せな男です。

今や、私の家には家内と子ども四人、広々と暮らせるようになりました。

ありがとうございます」

「ユダヤ人の成功哲学“タルムード”金言集」石角 完爾


「幸せを手に入れるんじゃない。 幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ」(甲本 ヒロト)


プロポーズ

2012-05-21 13:24:00 | いい話

僕のおじいちゃんは、某有名大学出身でとても頭も賢く、運動神経も抜群で、

小さい頃はよく勉強やスポーツなど、色々とおじいちゃんに教えてもらっていた。

しかし、今はおじいちゃんに勉強を教えてもらっていない。

正確に言えば、教えてもらう事が出来なくなってしまった・・・。

僕が高校2年生になった頃、

おじいちゃんは認知症になってしまったのだ。

今では僕の事も、実の娘の僕の母親の事も分からなくなってしまって、

いつも僕たちに「はじめまして」とあいさつをしてくる。

唯一、奥さんである僕のおばあちゃんの事は分かっているみたいだったけど、

ここ最近になって、おばあちゃんの事もわからなくなってしまった。

しかし、おばあちゃんは毎日笑顔で懸命におじいちゃんの世話をしていた。

今年の年初め、

家族みんなで集まって家でごはんを食べようとなり、久々に家族全員で集まる事になった。

家族の誰一人分からなくなってしまって、

とても緊張をしているおじいちゃんに、

おばあちゃんが笑顔で家族のみんなを紹介していった。

すると、

いきなりおじいちゃんは真剣な顔をしておばあちゃんに話し出した。

「あなたは本当に素晴らしいお方だ。

いつも素敵な笑顔で僕に笑いかけてくれる・・・

あなたが笑ってくれたら僕はとても幸せな気持ちになれます。

もし、独り身ならば僕と結婚をしてくれませんか?」

家族全員の前でのプロポーズだった。

2回目のプロポーズに、

涙をぽろぽろこぼしながら、

おばあちゃんは笑顔で「はい。」と答えた。

「魂が震える話」より



ちょ、これいい話過ぎる(T_T)


自信はどこから来るか?

2012-05-19 10:39:35 | いい話

『今から約50年前、
10歳くらいの少年が、
ナポリのある工場で働いていた。

彼は声楽家になりたかった。

しかし、
最初の教師は、
「君には歌は向かない。
まるで雨戸が風に吹かれているような声だ」
といって、彼を落胆させた。

だが、彼の母は、貧しい農婦だったが、
彼を抱いて優しく励ました。

「お前はきっと立派な声楽家になれるよ。

母さんにはちゃんとわかっている。

その証拠に、

お前はだんだんうまく歌えるようになってきた」

彼女は真っ黒になって働き、
息子に音楽の勉強をさせてやった。

この母の賞讃と激励が、
少年の生涯を一変させた』

彼はテノール歌手カルーソー

レコード録音を盛んに行った歌手は彼が最初だったことで
カルーソーは円盤型蓄音機の普及を助けて
それが彼の知名度も高めました。

カルーソーが行った大衆レコード録音と彼の並外れた声
特にその声域の広さ
声量と声の美しさによってオペラ史上最も有名なテノール歌手の1人になりました。

長い努力が実って
人々はこう評価しました
「カルーソーの前にカルーソー無し、カルーソーの後にカルーソー無し」

【D・カーネギー著「人を動かす」】


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