初めて観た時に一番衝撃を受けたボクサーですねぇ~
漫画はじめの一歩のキャラの本ネタにもなってます。ほんと面白いボクシングするな~
ブライアン・ホークの本ネタボクサー:ナジーム・ハメド
「なぜ日本人は落合が嫌いなのだろう。それは、日本人が落合の凄さを評価できるほど、大人になっていないからではないだろうか。」テリー伊藤
名球会入り拒否。ファン感謝デー欠席。WBC代表派遣拒否。
野球はまったくわからないし、興味がないけど、何故かこの人の本は自然に手に取って読んでしまいます。
選手としても凄いし監督としても凄いですが、考え方や物事の捉え方も凄くて、非常に合理的、かつ新しい価値観。普通の人間とは見えているもの、視点が違うんでしょう。
「常識」や「固定観念」といったものにまったくとらわれることなく、嫌われる事をも恐れず、信念を貫き我が道を行く姿。
どんな事でも貫いている人間の姿はかっこいいと思います。
「宴会の途中で帰る勇気も一つの落合力である。」
「“間に合う”人間になれ」
強さを極めるための心構えはいろいろあるけれど、一つ言うと、それは「間に合うこと」です。
例えば私は二十年近く雑誌や本に原稿を書いていますが、これまで一回も締め切りに遅れたことはありません。これはどういうことかというと、私は勝負や人生の中で「間に合うこと」の大切さを教えているんです。
ボクシングや武道には「間合い」というのが存在するように、その道の達人は、普通の人に比べて確実に、間に合った技量や心構えを積み重ねてきた人だと思います。
間合いを外さないようにすることで、何事にも間に合うようになるんです。
うっかり外してばかりの者を、「間抜け」と言うんです。
だからうちの麻雀道場では、「おまえ、間に合ってないぞ」なんていう言葉がしょっちゅう飛び交っているんです。
そうすると結局、時間に間に合うようになったり、約束を守るようになったり、あるいは優しさに間に合うようになったり、いろんなことに間に合うようになって、そいつはできるようになっていくんです。
間に合う行動は日常の中にもたくさん転がっています。
きょうはうちの若い子たち四人と一緒に電車に乗ってきたんですが、近くに座っていたおばさんの足元に、手袋が落ちていたんです。私はすぐに違和感を感じる。見ると手袋が落ちている。女物だ。あぁきっとおばさんのだな。連続して気づいていくんです。そして間合いを外さずに、そばに行って拾ってあげました。
ところが、うちの若い子は誰も気づかない。そこにおばさんがいたことすら気づいていなかったかもしれない。
そういうところに目がいく、気づくという感覚が、日常生活の中から起きていなければいけないんです。日頃からすべてに気づくから、間に合うことができるんですよ。桜井章一(雀鬼)
「間に合う」ことは「気づく」こと。
外は寒いですが、ジムの中は熱気で窓やガラスが曇って仕方ないですね(>_<)
今日は平日にも関わらずたくさんの会員さんが来て下さいました。
自然と体も温まっていつにも増してハードなミット打ちになったかもしれません。
終わった頃には少々ぐったり。
しかしその後はちゃんと走って、最近お気に入りの半身浴で疲労回復に努めました
継続して来られている会員さんから、体重が落ちてきた、食べても太りにくくなった気がするというお声を頂きました。
ぜひその調子で頑張りましょう
本を読むか、読まないか
学ぶか、学ばないか
続けるか、やめるか
挑戦するか、あきらめるか
自分の責任にするか、誰かのせいにするか
人を愛するか、憎むか
笑うか、怒るか
楽しむか、つまらなくするか
いまやるか、今度やるか
自分が何者かは能力で決まるのではない。
どんな選択をするかだ。 ダンブルドア校長(映画「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」より)
Choose Life. Choose a job.
Choose a career. Choose a family.
Choose a fucking big television,
choose washing machines, cars,
compact disc players and electrical
tin openers. Choose good health,
low cholesterol, & dental insurance,
Choose your future.
Choose life.
「人生を選べ、仕事を選べ、キャリアを選べ、家族を選べ。
バカでかいテレビを選べ、洗濯機を、車を、CDプレーヤーを、
そして電動缶切りを選ぶんだ。 健康を、低コレステロールを、歯の保険を選べ・・・・・
自分の未来を選べ、 人生を選ぶんだ!」
昔観た映画「Trainspotting」の台詞です。
かっこよくて部屋にもこのポスターずっと貼ってました。
ちなみに携帯のアドレスにもずっとこの文字が入ってますね。
「Choose life」 -人生を選ぼう-
人生は選択の連続。どんな人生になるか、全ては自分の選択次第ですね。
今日はバレンタインデーですね。
妹から送られてきたチョコが気持ち悪い。
おかんから送られてきたチョコが変。
ホ、ホモチョコ??ww
(全てネットで拾った画像です)
さすがは弁護士さんは質問のプロです。
質問は相手から情報を引き出すだけにあらず。
また相手を説得しようと思ってはいけない。議論もしてはいけない。
人が気持ちよく動く時はいつなのか?
それは命令に従うのではなく、自分自身が思いつき、決めた時である。
親、上司、教育者、指導者なんかでも、命令したり自分の考えのみを押しつける人間は非常に多いですが、上からの一方的な指示命令、上意下達の手法では相手の自尊心を傷付けることにもなり、やはり本人から考える力、やる気をも奪ってしまいます。ここら辺はコーチングと同じですね。
言葉一つでも奥が深いです。言う人間や状況によってその人の人生までを変える事もありますからね。
いずれにせよ常に相手の立場に立つ事を忘れないようにしていかねばなりません。
「人間は自尊心のかたまりです。人間は、他人から言われたことには従いたくないが、自分で思いついたことには喜んで従います。だから、人を動かすには命令してはいけません。自分で思いつかせればよいのです。」 デール・カーネギー
中村豪(愛工大名電、豊田大谷高校野球部硬式野球部元監督)
■高校時代のイチロー
愛知工業大学名電高校、豊田大谷高校で
野球部監督を務めた31年間、
部員たちに口酸っぱく言ってきた言葉がある。
「やらされている百発より、やる気の一発――」
いくら指導者が熱を入れても、選手側が
「やらされている」という意識で
ダラダラ練習をしていたのでは何の進歩もない。
やる気の一発は、やらされてすることの百発にも勝る。
そのことを誰に言われずとも実践し、
自らの道を開拓していったのが高校時代のイチローだった。
彼と初めて出会ったのは昭和63年、私が46歳の時である。
「監督さん、すげーのがおるぞ」というОBからの
紹介を受けた私の元へ、父親とやってきたその若者は、
170センチ、55キロというヒョロヒョロの体格をしていた。
こんな体で厳しい練習についてこられるのか、
と感じたのが第一印象だった。
私の顔を真剣に見つめながら
「目標は甲子園出場ではありません。
僕をプロ野球選手にしてください」
と言う彼に、こちらも「任せておけ」とはったりを噛ました。
700人以上いる教え子のうち、14人がプロ入りを果たしたが、
自分からそう訴えてきたのは彼一人だけだった。
愛知には三強といわれる野球伝統校があるが、
彼が選んだのは当時、新興チームだった我々の愛知名電高である。
監督の私が型にはめない指導をすること。
プロ入りした選手の数が全国随一だったこと。
実家とグラウンドの距離が近かったこと。
3年間寮生活をすることで、自立心を養い、
縦社会の厳しさを学ぶこと。
すべてあの父子の、熟考を重ねた末の選択であった気がする。
■グラウンドに幽霊が出る?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
鳴り物入りで入部したイチローは、
新人離れしたミートの巧さ、スイングの鋭さを見せた。
走らせても速く、投げては130キロ近い球を放る。
1年秋にはレギュラーの座を獲得し、
2年後にはどんな選手になるだろう、と期待を抱かせた。
一方、彼の父親は毎日午後3時半になると
必ずグラウンドへ駆けつけ息子を見守った。
打撃練習ではネット裏を、投球練習ではブルペンを陣取り、
逐一メモを取っている。
まるで、監督の監督をされているようで
あまり気分のいいものではなかった。
非凡な野球センスを持っていたイチローだが、
練習は皆と同じメニューをこなしていた。
別段、他の選手に比べて熱心に打ち込んでいる様子もなく、
これが天性のセンスというものか、と私は考えていた。
そんなある日、グラウンドの片隅に幽霊が出るとの噂が流れた。
深夜になり私が恐る恐る足を運んでみると、
暗がりの中で黙々と素振りに励むイチローの姿があった。
結局、人にやらされてすることを好まず、
自らが求めて行動する、という意識が抜群に強かったのだろう。
その姿勢は日常生活の中でも貫かれており、
彼は人の話はよく聴くものの、それを取り入れるべきか、
弾いてしまうべきかについての判断を非常に厳しく行っていた。
友達同士で話していても、自分の関心のないことに話題が及ぶと、
ふいとどこかへ消えてしまう。
そんな、わがままとも、一本筋が通っているともいえる
「選択の鋭さ」が彼には備わっていたのだ。
「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」といわれるが、
スポーツはただ練習量をこなせば上達していくものではない。
監督の役割はチームを束ねることだけで、
本人が真に成長するポイントは教えて教えられるものではないのだ。
自分自身との日々の戦いの中で、
本人が掴んでいくより他、仕様がないのである。
人知れず重ね続けた努力の甲斐あって、
3年生になったイチローは7割という
驚異的な打率を誇る打者に成長し、
「センター前ヒットならいつだって打ちますよ」
と豪語していた。
■金字塔の陰にあるもの
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
プロ入り後の活躍は皆さんもご承知のとおりだが、
入団1年目に彼は首脳陣からバッティングフォームを
変えるようにと指示を受けたらしい。
「フォームを変えるか、そのまま二軍へ落ちるか」
と厳しい選択を迫られた彼は、フォームの修正を拒否し、
自ら二軍落ちの道を選ぶ。そしてその苦境の中から
あの振り子打法を完成させるのである。
その後も評論家からは「あんなフォームで打てる訳がない」
などと酷評されたが、結局彼は自分の信念を押し通し、
球界に数々の金字塔を打ち立てた。
その根っこには、人並み外れた彼の頑固さと、
野球に対する一徹な姿勢があるのだと思う。
高校時代のイチローを思い出す時、必ず浮かんでくる場面がある。
彼にとって高校生活最後の県大会。
決勝戦で敗れ、惜しくも甲子園行きを逃したナインは
試合後、抱き合いながら号泣していた。
イチローはうな垂れる選手たちを尻目に応援団席に歩み寄り、
ユニフォームを着れなかったたった一人の同級生に
「ごめんな」と声をかけていた。
涙一つ見せず、その表情は実にさばさばとしたもの。
あの時、イチローの目はすでに、
プロという次なる目標を見据えていたのだろう。
今年、イチローは大リーグで日米通算3,000本安打という
偉業を達成したが、これも彼にとっては
単なる通過点にしかすぎないのだと思う。
いまや世界のスーパースターになったにも関わらず、
彼は毎年正月になると私の元を訪ねてくる。
その姿勢はどこまでも謙虚で少しも驕るところがない。
私がイチローを育てたと言われることがあるが、
私は彼のことをただ見守ったにすぎない。
私のほうが逆に、彼に教えられたことばかりである。
『致知』2008年12月号より