ニンゲンのカワを被った紗夢猫である。無類の柿好きであるが、なんとこの母にしてこの子ありか、凛太郎も柿好きであった。というか柿好きになったというか。
今年は生り年か、梅もたくさんいただき、柿もたくさんいただいた。柿があるとご飯の量を減らしても、柿を食らいたい猫である。柿はカラダを冷やすと昔から言われており、猫ゆえ?に冷え性の私は、一時柿を控えていた時期があった。けれども美味しいものを美味しくいただけてこそではないかと、最近では、あまり控えることもなくバリバリと食べている。熟したゆるゆるの柿ではなく、固い柿が好みである。ちなみに干し柿も大好物である。
干し柿は消化が悪いそうで、胃切除後の正月は我慢して、翌シーズンにはOKと言われていたので、1年の我慢の後、干し柿シーズンにスーパーで見つけるやすぐに買って食べたのだった。もっとも昔のようにいいかげんに噛んで飲みこむのではなく、しっかり噛んで食べるという習慣は身につけた。
柿を剥き始めると、凛太郎が生唾を飲みこむ音をさせながら熱い視線を送ってくる。買った柿(5個100円といううれしい価格)、いただいた柿と柿が途切れることなくデザートとして食卓にのせられる幸せ。果物は猫的財政では贅沢に分類されているので、るんるんと至上の喜びの毎日なのである。
凛太郎の熱い視線にも応えるべく、小さく切った柿を少し皿にのせてやると、私が口に入れる前にたいらげてしまう。凛と目を合わせ「美味しいなー」と言う時の幸せ。美味しいものを分かち合える喜びというのが私はかなり好きだ。美味しいというのは理屈ではないから。口が嬉しい、カラダが嬉しい、心が嬉しい。凛太郎と美味しいものを分かち合える時間が好きだ。
いつもは何でも少ししか貰えない凛太郎だが、柿だけはかなりふんだんに与えられている。それも母猫の勝手ではあるのだが、熟す前の固い柿のうちに口に入れてしまいたいという卑しさのせいだ。常に美味しいものを満腹までは食べさせてもらえない凛太郎だが、柿だけは勝手にご馳走様をするようになり、もういらんと、食べ終わったらそそくさと炬燵にもぐりこんで行く。
もういらないのかなと思っていたら、まだ食べ続けている私の膝の上に乗ってきて、もうちょっと頂戴ということになる。こういうことが何度か続いたので、はたと思い浮かんだのだが、小さな凛太郎には少量の柿が即効でカラダを冷やすのではないだろうか。炬燵でカラダを暖めて、暖まったら、また食べたいということなのではないだろうかと。
凛太郎はサツマイモも大好きだが、こちらは、かなりの量を与えても炬燵に入ろうともせず、「もっとくれー」といつまでも熱い視線を送りつづけている。
今年は生り年か、梅もたくさんいただき、柿もたくさんいただいた。柿があるとご飯の量を減らしても、柿を食らいたい猫である。柿はカラダを冷やすと昔から言われており、猫ゆえ?に冷え性の私は、一時柿を控えていた時期があった。けれども美味しいものを美味しくいただけてこそではないかと、最近では、あまり控えることもなくバリバリと食べている。熟したゆるゆるの柿ではなく、固い柿が好みである。ちなみに干し柿も大好物である。
干し柿は消化が悪いそうで、胃切除後の正月は我慢して、翌シーズンにはOKと言われていたので、1年の我慢の後、干し柿シーズンにスーパーで見つけるやすぐに買って食べたのだった。もっとも昔のようにいいかげんに噛んで飲みこむのではなく、しっかり噛んで食べるという習慣は身につけた。
柿を剥き始めると、凛太郎が生唾を飲みこむ音をさせながら熱い視線を送ってくる。買った柿(5個100円といううれしい価格)、いただいた柿と柿が途切れることなくデザートとして食卓にのせられる幸せ。果物は猫的財政では贅沢に分類されているので、るんるんと至上の喜びの毎日なのである。
凛太郎の熱い視線にも応えるべく、小さく切った柿を少し皿にのせてやると、私が口に入れる前にたいらげてしまう。凛と目を合わせ「美味しいなー」と言う時の幸せ。美味しいものを分かち合える喜びというのが私はかなり好きだ。美味しいというのは理屈ではないから。口が嬉しい、カラダが嬉しい、心が嬉しい。凛太郎と美味しいものを分かち合える時間が好きだ。
いつもは何でも少ししか貰えない凛太郎だが、柿だけはかなりふんだんに与えられている。それも母猫の勝手ではあるのだが、熟す前の固い柿のうちに口に入れてしまいたいという卑しさのせいだ。常に美味しいものを満腹までは食べさせてもらえない凛太郎だが、柿だけは勝手にご馳走様をするようになり、もういらんと、食べ終わったらそそくさと炬燵にもぐりこんで行く。
もういらないのかなと思っていたら、まだ食べ続けている私の膝の上に乗ってきて、もうちょっと頂戴ということになる。こういうことが何度か続いたので、はたと思い浮かんだのだが、小さな凛太郎には少量の柿が即効でカラダを冷やすのではないだろうか。炬燵でカラダを暖めて、暖まったら、また食べたいということなのではないだろうかと。
凛太郎はサツマイモも大好きだが、こちらは、かなりの量を与えても炬燵に入ろうともせず、「もっとくれー」といつまでも熱い視線を送りつづけている。