荻野吟子さんが、今日の歴史秘話ヒストリアのテーマだそうです。
放送5分ほど前に気づきました。
今、放送中かと思いますが我が家では、録画にしてます。連れ合いが「リーガルハイ」を見ているからです。
荻野吟子さんは、今年没後100年の節目にあたりまた注目をあびているようです。
女医を目指すきっかけとなったのは、初婚の夫に性病をうつされ離縁となりました。その治療に男性医師から女性の身として恥ずかしい治療に耐えねばならなかったこと。それが女医を志したことの原体験だったそうです。
女性に職業がほとんどなかった時代に、医師になることは困難であったこと。まず、医学を学ぶのに、学校に入学許可さえなかなか下りず、入学したら男子学生の差別といじめにあい。
さらに努力して身につけた医術でありましたが、医師になるための国家試験を受験させてもらえず、陳情を重ねてやっと受験がかないました。他にも受験した女子はいましたが、吟子さんひとりが見事に合格ということで、栄光の第一号の国家資格女医となりました。東京で開業しました。
以前に、読んだ渡辺淳一さんの伝記小説「花埋み」で知りました。
秘話・・・というのか?
番組欄には、ちょっと・・・キリスト教精神にもとづく結婚だったという荻野吟子さんの2度目の結婚。13歳年下の神学生・・・この志方之善さんは同志社大学の学生さんだったそうです。
熊谷市の生家跡地に達つ記念館があります。
荻野吟子さんの生きざまを三田佳子さん主演で舞台化されました。その年下の夫というのが石原良純さんです舞台の写真がパネルで紹介されています、何だか理想に燃える
年下の夫にイメージにぴったりです。
結婚後、志方さんは北海道に理想郷をもとめて開墾にむかいます。向こうの暮らしは困難を極め、吟子さんもそれについて行くことになります。いろいろあった末、13才年下の夫は先立ってしまう。
夫の死後、東京にもどりますがもう過去の女医一号の名誉も、昔ほどの存在ではなく・・・養女にみとられ、寂しい生涯をとじました。
平成24年に墨田区に終焉の地に説明書きのようなものが建ちました。今年命日の前日の6月22日に訪ねて写真を撮りました。
波乱万丈の生涯・・・というには、栄光と孤独?の生涯であったと思います。埼玉県の三賢人の一人として今でも功績をたたえられ、女として自由結婚したこと、充実した女の一生だったと思えます。他人がとやかく言うことではないですし、まして私のような愚鈍な女がとやかくいうことでもないです。
その生涯に興味をもち、すこし思い出の地も廻ったので書き留めておきたくなりました。
若いころの吟子さんは、美しい面差しの「目千両」と言われたほど魅力的な目元の女性だったそうです。