まずは、お亡くなりになった皆様の、ご冥福をお祈りいたします。これからの若い命が・・・
長野」のスキーバスの事故と言うと、犀川のダム湖が思い出されます・・
あれは、道路にも問題が・・
俺が走り始めの頃でした・・
それはともかく、今回のは、不可解ですね・・SAで止まっても、交代しなかったらしいし・・
どうにも納得出来ないのが、何故、指示の高速を使わなかったかって事ですが、
訳も判らぬ奴等は、高速料金をドライバーが着服 ・・・
そんな事、ETCの今、出来る訳も無く、
会社で「使って
」と言うのを使わぬ訳も無く、「時間調整の為・・ 云々・・」 は、言う側がオカシイですね。
まあ、最近の情報では、酷い会社らしいですね。 ドライバーは逆らえませんから‥
規制緩和で、観光バスが急に増えて、無茶苦茶な競争になったのでしょうが、
人の命を「荷物」と同じに、銭儲けの対象にしたツケかも・・
さて、碓氷バイパス・・ 忘れられぬ事がありました。
それは、JALの墜落の2日後でした・・
1985年の8月、お盆前、帰れば『お盆休み』 で横浜から大豆を15トン積んで帰る途中でした。
お盆の帰省客で、新潟~両津 航路 が混んでいて、直江津~小木 航路に乗る為に、高崎から、18号線へ・・
安中を過ぎた頃に、ラジオで「日航機が行方不明
」と、さかんに言い始めました。
墜落を知った頃はもう佐渡に居ましたが、なんと、急な荷が出て、また『ノボッてくれ
』だと・・
長距離に出る事を「おのぼりさん
」に例えて、『ノボリ』と言うのです。
13日に荷卸し後、今度は、『味噌』 を積み込んで、(大豆を持って来て、味噌を出荷・・
)
で、14日・・ 今度は、直江津~関東へ、『碓氷バイパス』を・・
料金所を過ぎて(当時は有料でした・・
)
ダラダラの登りを登坂車線で行きます・・ (今回の事故の現場です・)
頂上を越えりゃ、後は下り、排気とエンジン・ブレーキでシナシナ下ってたのですが・・
何と 最初のカーブでブレーキを掛けたら、エアが溜まりません・・
ブレーキは・・
回転が上がり過ぎて、シフトダウンも出来ません・・


エアの不足を警告するブザーの音と共に、ドンドン加速していきます・・
ピーの長かった事・・


で、助かったのが、
30トンの塊りを良く止めてくれました 



「助かったぁ~・・
」と思って、 歩いて、カーブの向こうへ・・
何と、すぐそこまで、帰省ラッシュの渋滞が・・
テールランプの行列が・・





本当に震えました・・ これが無かったら、どんな惨事になっていたことか・・
画面では、大した事無い坂ですが、実際は、けっこうな斜面です。
レッカーの人が言ってましたが、「斜面に擦れ!とかは無駄!これしか、トラックは止まらん!」
壁にこすって魚を撒き散らしたあげく、カーブを曲がれずに転落したとか、魚の後始末にタイヘンだったとか・・
それから、この待避所の他は、トラックは登りきって・・
らしいです。
まあ、世話にならぬのが一番ですね。
この、原因は、コンプレッサーの故障でした・・ 生きてるから、・・・・ 良い経験ですか・・
最近の車は、ドライバーより運転が上手いらしいが、信用してたら・・ 