みなさん、こんにちは♪
竹田が更新します
今日、3月11日は、何の日か覚えていますか???東日本大震災があった日です。東日本大震災から4年が経ちました。私はその時、群馬県の高校2年生でした。地震を避難訓練と間違えて怒られたこと、本当の家がある栃木に帰れず連絡も取れず先輩•友人と一夜を過ごしたこと、全国大会が中止になりみんなでなんとも言えない気持ちになり泣いたこと、今でもしっかり覚えています。
その時、航空業界はどのような状況だったのでしょう...正直、私自身あまりその時の航空ニュースの記憶がありません。森川先生にその時の様子を教えていただきました。東日本大震災の時には、北海道以外の羽田空港より北の空港は滑走路の点検などの為に一時的に閉鎖になり、オープンしていた空港も一時的に閉鎖した為空港を結ぶ機能が停止。仙台空港は津波の為、壊滅。羽田はお客様がロビーで夜明かし。航空会社社員は、徹夜で毛布や軽食の配布を会社の壁を越えて行っていたと聞いたと先生はおっしゃっていました。
"会社の壁を越えて協力する"ということをあまり聞いたことがなかったので、驚きましたが、そのくらい緊急で大変な事態であるということが想像出来ます。どのお客様も大切なお客様、それ以上にお客様を大切に思わなければ出来ないことかもしれません。会社は違うけれど、お客様への想いは同じ、ということを感じました。
⬇︎3.11仙台空港の様子
もうどこに飛行機があるのか、その写真が空港なのかも分かりませんね...。仙台空港にも、どこまで水位がきたのかがわかるようにこのようにシールが貼ってあるそうです。この写真からでも、私たちは到底溺れてしまうくらいの水位であったことが分かります。
授業で、ある航空会社の人事の方が"東日本大震災の時には勤務が終わっていたにも関わらず、どこでも飛びますと言ってくれたCAがたくさんいた。"とおっしゃっていたことを思い出しました。CAになった先輩からよく仕事は体力的に厳しいという声をよく聞きます。そんな中でも、"どこでも飛びます"とたくさんのCAさんから声が挙がったのはすごいと思いました。仕事への意識や、お客様への想いの強さを感じます。もし、自分だったら出来るのか...。
また、私たちが生まれた頃に遡りますが阪神淡路大震災の時には、六時間以上も歩いて出勤した社員もいらっしゃったそうです...。また、被災してしまいなにも持ち物がなかったけれどとりあえず仕事の為に空港に来たCAさんもいたと日本航空の元CAさんからお聞きしました。
私たちは今、学生です。学生だから許されることはたくさんあります。電車の遅延が遅延証明証で許されることも、休んだりすることもその中に入ります。今回挙げた航空会社の方の事例を考えると比べものになりませんね...。甘すぎる。としか言えません...。こんなに甘い考えを持っている私たちが社会へ出てやっていけるのか不安になります。腹をくくらなければいけません。
社会人になるための課題はたくさんあります。自分にとって厳しいものばかり山積みです。しかし、越えなければ社会人になれません...。しっかりと社会人となれるように、緊急の時には心から誰かを助けられるように、今日改めて考えたことを活かしていきます。
お読みいただきありがとうございます!
それではまた更新します。
竹田が更新します
今日、3月11日は、何の日か覚えていますか???東日本大震災があった日です。東日本大震災から4年が経ちました。私はその時、群馬県の高校2年生でした。地震を避難訓練と間違えて怒られたこと、本当の家がある栃木に帰れず連絡も取れず先輩•友人と一夜を過ごしたこと、全国大会が中止になりみんなでなんとも言えない気持ちになり泣いたこと、今でもしっかり覚えています。
その時、航空業界はどのような状況だったのでしょう...正直、私自身あまりその時の航空ニュースの記憶がありません。森川先生にその時の様子を教えていただきました。東日本大震災の時には、北海道以外の羽田空港より北の空港は滑走路の点検などの為に一時的に閉鎖になり、オープンしていた空港も一時的に閉鎖した為空港を結ぶ機能が停止。仙台空港は津波の為、壊滅。羽田はお客様がロビーで夜明かし。航空会社社員は、徹夜で毛布や軽食の配布を会社の壁を越えて行っていたと聞いたと先生はおっしゃっていました。
"会社の壁を越えて協力する"ということをあまり聞いたことがなかったので、驚きましたが、そのくらい緊急で大変な事態であるということが想像出来ます。どのお客様も大切なお客様、それ以上にお客様を大切に思わなければ出来ないことかもしれません。会社は違うけれど、お客様への想いは同じ、ということを感じました。
⬇︎3.11仙台空港の様子
もうどこに飛行機があるのか、その写真が空港なのかも分かりませんね...。仙台空港にも、どこまで水位がきたのかがわかるようにこのようにシールが貼ってあるそうです。この写真からでも、私たちは到底溺れてしまうくらいの水位であったことが分かります。
授業で、ある航空会社の人事の方が"東日本大震災の時には勤務が終わっていたにも関わらず、どこでも飛びますと言ってくれたCAがたくさんいた。"とおっしゃっていたことを思い出しました。CAになった先輩からよく仕事は体力的に厳しいという声をよく聞きます。そんな中でも、"どこでも飛びます"とたくさんのCAさんから声が挙がったのはすごいと思いました。仕事への意識や、お客様への想いの強さを感じます。もし、自分だったら出来るのか...。
また、私たちが生まれた頃に遡りますが阪神淡路大震災の時には、六時間以上も歩いて出勤した社員もいらっしゃったそうです...。また、被災してしまいなにも持ち物がなかったけれどとりあえず仕事の為に空港に来たCAさんもいたと日本航空の元CAさんからお聞きしました。
私たちは今、学生です。学生だから許されることはたくさんあります。電車の遅延が遅延証明証で許されることも、休んだりすることもその中に入ります。今回挙げた航空会社の方の事例を考えると比べものになりませんね...。甘すぎる。としか言えません...。こんなに甘い考えを持っている私たちが社会へ出てやっていけるのか不安になります。腹をくくらなければいけません。
社会人になるための課題はたくさんあります。自分にとって厳しいものばかり山積みです。しかし、越えなければ社会人になれません...。しっかりと社会人となれるように、緊急の時には心から誰かを助けられるように、今日改めて考えたことを活かしていきます。
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それではまた更新します。