長崎愛宕エステ &香水作り体験🌿BLUME☆お庭係りのブログ

グリーンピールエステとパリジェンヌフレグランスのサロンを開いた娘を応援する為のブログが趣味ブログに変化してしまいました

小島小学校建て替え工事⑰

2022年11月18日 | 歴史


現場事務所の建物が、二棟になっていました。





グラウンドでは、重機が活躍しています。




大きな、土の山が出来ました。




楠木さんが、居なくなって、向こう側の景色がより近く、迫ってくるように感じられます。







仮設トイレが、体育館前に設置されていましたが、裏側へ移動していました。




着々と工事が進行中です。

この体育館は、48年経ちます。



たくさんの子供達の思い出がいっぱい詰まった体育館さん、お役目ありがとう。

あと少し、子供達を見守っていて下さいね。






新しい市役所 長崎市

2022年11月12日 | 歴史
ただ今、長崎の街は大改造中です。


市役所も建て替えられています。



一月から、使用が開始されます。
最上階は、展望台になります。
違う角度から長崎の景色が楽しめるようになります。





こちらが、正面玄関になります。



植栽が植えられると、また変化するんでしょうね。
楽しみです。





こちらは、市役所対面にある、市民会館です。



広場も明るく作り替えられました。
外壁も塗り替えられているみたいです。

この建物、内部が暗いのです。
一緒にリフォームされてたらいいのですが、、、



石と木材と鉄で構成されたベンチ、お洒落です。



新しい市役所、あと少しで、完成です。


見学に行かなきゃ。





坂本町散歩

2022年11月11日 | 歴史
大学病院へ行きました。

用が終わり帰りのバスの時間を見ると随分待たなければなりません。


陽気とこちらの並木道にひかれてお散歩することにしました。


この場所は、長崎原爆の爆心地から700メートルと近く、ほとんどの人が全滅してしまった場所です。




被爆遺構が残り案内板もあります。





原爆の犠牲者に思いを寄せながら歩きます。




少し黄色くなっています。
綺麗です。



片足鳥居は、こちらと表示がありました。



階段を登りました。




間近で見るのは初めてです。
いつもバス通りからチラッと見るだけでした。



鳥居の半分は、横たわっていました。


石畳みに、石の手すり、無くなりつつある、長崎の古き良き風景です。



先程登ってきた階段は、浦上街道というのだそう。


たしかに、長崎の人道にしては、広々しています。


案内板を読んで、ビックリ。
先日記事にアップした、東彼杵の港から乗船した宣教師達が、歩いた道だったからです。

時津町の港に上陸し、西坂の処刑場までを歩いたそうです。


その当時、カトリックの総本山ローマ法皇が、スペインとポルトガルの二国に、世界制覇の許諾を与えて、行く先々で、貿易がもたらす巨額の富と引き換えに、権力者から布教の許しを得て、植民地化して行ったそうです。

いまだに、日本のキリシタン弾圧を宗教の自由が奪われたとなっている表現もありますが、正しくは、カトリック教会の野望がバレて豊臣秀吉が激怒したのが真相みたいです。

今で言うと、国に何の相談も無く、長崎の地を外国に寄進してしまったと言う感じです。
大村藩主が原因です。

戦に使用する武器を調達してもらう代わりに布教を許し尚且つ神社仏閣を破壊して、キリシタンに改宗しない領民は奴隷として海外へ売り飛ばし富を得る。

最悪な為政者です。

日本は、その当時は戦国時代、スペインの宣教師は、日本の武士の強さを知り戦うのをやめていたそう。

戦国武将達に感謝です。






ついつい、キリシタンの悪行を知ってからは、熱く語ってしまいます。
失礼しました。



山王神社にたどり着きました。


原爆犠牲者の慰霊碑がありました。
読みます。



しばらく、ここから動けなくなりました。
長崎原爆での死者負傷者合わせて15万人。
(当時の人口24万人)
という大きな犠牲者が出た事は知っていました。

しかし、この町、爆心地から500メートルの町の住民が、780人ほどの内、生き残ったのが、20人ほどという事実に衝撃をうけました。

原爆直後は、まだ元気にしていた人も、10日後にはバタバタなくなってしまっていたという事実。

放射線被爆の怖さを物語っています。
町が壊滅状態。
とても恐ろしかったです。

(もし、核兵器が使用される事があったら、地下やトンネル奥深くに逃げて下さい。
家にいる場合は、カーテンを締め切り3日は、外に出ないこと。
あとは、味噌や海塩を摂取すること。
発酵食品を取ってください。
ヨード液でウガイして、甲状腺を守って下さい。)

よろしければ、頭の隅っこに入れてて下さいね。


神社に入ります。


楠木さんが、元気にお迎えして下さいました。


足元に石、何故?でしょう。



爆風で、石や金属片が楠木に突き刺さっていたそうです。

考えるだけでも、身体が痛くなります。


よく、よみがえって下さいました。



神社さんに、感謝のお参りをします。




この、平和な時間が続きますように。




この後もちょっとだけ散歩が続きます。
長すぎですので、次回にします。


長文に付き合って下さりありがとうございました。





福山雅治 クスノキ

2022年11月06日 | 歴史


この曲のクスノキさんに今日会って来ました。



長崎に住んで居ながら、初めて対面しました。

色々と考え込んでしまいました。



写真付きで、後日アップする予定です。


よかったら、また読んで下さいね。









今現在、不穏な雲行きになりつつある世界情勢ですが、長崎が最後の被爆地で、あり続けますように。



東彼杵散歩

2022年11月02日 | 歴史
前回マンホールを紹介させて頂いた東彼杵町です。



緑豊かな、のびのびとした街並みです。



踏み切りがありました。



日常生活で、踏み切りを渡る事は有りません。ドキドキして渡りました。



トンネルの出口が見えます。



この先は海。。。


地域の氏神様、彼杵神社様。



長崎街道沿いにあり、当時は宿泊施設が建っていたみたいです。





看板には、シーボルトや伊能忠敬の名前もありました。



銀行の門も大切に保存されていました。



肝心のお昼ごはん。




喜久寿司さんで、かつ丼を食べました。
これで、605円。安い。ボリュームたっぷり美味しいお昼ごはんでした。
おごちそうさまでした。



お店の前。
長崎街道沿いの眺めです。



海の方へ行ってみました。
船着場がありました。



江戸から明治にかけて、大変賑わっていたそうです。









看板を撮り忘れましたが、この港には悲しい逸話もありました。




長崎には、駅前、西坂の地に26聖人記念館があります。
日本全国で、キリスト教を布教していた宣教師達が捕らえられ、処刑された場所です。



そこへ向かう宣教師達が、この船着場から出港したそうです。

どのような想いを抱いて上船したのでしょう。
複雑です。


宣教師は、日本を植民地化する先遣隊の役割を果たし日本人を奴隷として輸出もしていました。

日本乗っ取り計画半ばで敗れた方々です。

しかし、彼等にも国元には愛する家族が待っていたはずです。

他所の国を奪うという発想は、どうにかならないのでしょうか。
地産地消、自国内で、平和にちんまりと暮らすだけでは、物足りないのでしょうか。


今現在も不穏な雲行きですが、二度と日本人が、奴隷として海外に輸出される時代が繰り返されませんように。


長崎にいると、憤りを感じます。
日本人がたしかに暮らしていたのに、それを無視して海外の人が見つけて開拓した地と主張する人々がいます。


そうすると何か都合の良い事があるのでしょうか。
しかし、長崎には開港前から日本人が住んでいました。。。









八坂神社様が海辺にありました。



綺麗な松林が続いています。




この平和な時間が続きますように。






天満坂 (大音寺坂) 長崎検察庁

2022年10月25日 | 歴史
深堀藩の武士が、雪が積もるこの階段で転び、たまたまその場に居合わせた長崎の町年寄りの部下に泥水が、かかった事がきっかけで、ケンカ騒動に発展し、最後には切腹まで追い込まれた事件が発生した、長崎人なら誰でも知っているエピソードがある坂です。





当時の面影がそのまま残っています。




詳しく来歴が書かれた看板があります。





この階段沿いには、海外に寄進されて教会が建っていた時期もありました。









坂の記事を書くつもりでしたが、写真を撮っていると、反対側にある建物が気になりました。


子供の頃から、当たり前としてある建物です。


何だか、この建物と似ている建築物を見た事があるような。。。。。


長崎水族館に似てるような?!



この黒い丸石、見覚えがあります。
そもそも、これは何の建物でしょう。



表へ回ると、長崎検察庁でした。
縁が無く過ごせていて、気にも留めていませんでした。





ネットで、建築家の方を探してみましたが、分かりませんでした。

しかし、1966年竣工というのだけはわかりました。





年代的にも、長崎水族館や長崎公会堂を設計された長崎出身である武基雄さんではないかなと思いますが、どなたかご存知ないでしょうか。





こちら、在りし日の長崎水族館です。
打ち放しコンクリートの天井部分に直線的なファサード、石積み、似ています。。。


気になります。。。





小島小学校建て替え工事⑯

2022年10月09日 | 歴史
今日は、こちらの体育館横の道を下ります。




振り返ると、こんな感じです。



橋の上から、川を眺めます。
下流方向。



こちらは、上流方向です。
右手の白いタイル貼りの建物は、50年ほど前は、昔ながらの駄菓子屋さんでした。

その裏手一帯、エレナ上小島店までは、フランスの作家、ピエールロチが、お菊さんと出会った料亭、百花園がありました。

今は建て変わりましたが、大きな建物で、料亭をやめた後は長屋に改造されていました。

父は、この百花園育ち、綺麗な中庭を眺める、一番良い長屋部分に住んでました。

おばあちゃんが住んでいたので、私も実際に訪ねてました。
懐かしい思い出です。









多分この場所が楠木さんがいた場所だと思う。



根を張って崩れないように支えてくださっていたのでしょう。
ありがとうございました。



新しい擁壁が完成していました。





こちらは、国道からの工事用の仮道路です。




橋桁です。
骨組みが、たくましいです。




これは、裏門に続く橋です。
常に裏門が閉ざされているので、この橋渡った事がありません。





この橋のすぐ下の辺り。



父から聞いた話によると、昭和初期は、こちらで、水泳の訓練をしていたそうです。



裏側からの学校です。4階建てです。



道脇にこんな石がありました。
ちょうど、腰かけるのに良さそう。
休み石でしょうか。。。

人目が気になり、座りかけてやめました。
次回は座ってみたいと思います。


つぎの橋まで来ました。



学校を振り返ります。



この右手は市場で、沢山の店で賑やかでした。
今はアパートになりました。



これは、コンクリート製の防火水槽のようですが蓋をされています。



石畳みが敷き詰められた、側溝趣きがあります。




ちょっと長くなりました。
お付き合い下さりありがとうございました。




小島小学校建て替え工事⑮

2022年10月06日 | 歴史
少し涼しくなってきましたので、久しぶりに浜の町まで歩いて行きました。


5ヶ月程のうちに、様子が変わっていました。



ブロック塀が取り壊されて、新しい手すりが設置されていました。

この坂の左手には、昔は質屋さんがありました。





この通り、道から学校が、すっぽんぽん。
よく見えます。
見え過ぎて落ちそうで怖いです。。。





これから金網のフェンスも設置されるような感じです。




楠木さんがいない校庭、寂しいものがあります。
潤いが無くなりました。🥲




まっ、仕方ないか。




正門のあたりです。



お知らせの看板が設置されていました。



まだまだ長丁場の建て替え工事、どんな姿を見せてくれるのでしょう。。


小島川沿いからの学校の風景も観察してきました。

次回アップします。

お楽しみに。





駅前散歩 長崎駅から、新大工へ

2022年08月23日 | 歴史
少し前長崎駅から、立山方面へ向かい歩いて行きました。

長崎に長く住んでいますが、逆方向ばかり、こちらに向かい歩くのは初めてで、街並みが新鮮に写りました。




長崎駅から、出発し、中町教会に来ました。





こちらは、大村藩の蔵屋敷があった場所です。





今は、教会が建っています。





長く続く塀に、当時の面影が残っています。



少し歩くと、斎藤茂吉さんが住んだ住居跡の石碑がありました。
当時長崎で、医学を教えてらっしゃいました。






綺麗に整備された石畳みの道が続きます。
歩きやすい石畳みです。


キリシタンころび証文が残る西勝寺さんです。

キリシタン弾圧が有名ですが、弾圧されるだけの行いをしていたのですね。

ずっと、かわいそうな方々だと思っていましたが、裏では、神社仏閣を焼き払い信者を海外へ奴隷として売り払っていました。

宣教師は、植民地の開拓者だったのです。
日本が植民地にならなくて良かった。

危なかったです。





今話題の統一教会の件も、同じような事だったのではないでしょうか。。。


日本人の女性が、海外の方と結婚させられていましたね。


話しがそれました。



琴、三味線の看板があるお店もありました。




こちらは、栗饅頭で、有名なお店です。



長崎歴史文化博物館に出てきました。
こちらは、奉行所跡になります。




もうちょい歩いて新大工の商店街に来ました。
今、新大工は再開発中です。

玉屋デパート跡地が、マンションと商業施設に生まれ変わる所です。
秋に開業とのこと。

一階は、ジョイフルサンのスーパーが、あと玉屋デパートも、戻ってくるそう。



再開発中は、少しさびれた感じがしていましたが、また賑やかな新大工商店街が戻り活気あふれる街に変化するのが楽しみです。


福岡の西新に雰囲気がとても似ています。
気さくで温かい街です。




長崎四国八十八ヶ所霊場巡拝 ブック船長

2022年07月13日 | 歴史
ブック船長さんに、これから、こちらの長崎四国八十八ヶ所霊場巡拝の本を納入に行きます。

おかげさまで、あと残りこれを含めて10冊になりました。


お買い求めありがとうございました。



こちらは、小型版になっており、バックの中にも入る大きさになっております。





目次になります。




各電停やバス停を拠点にコースが組まれ、徒歩でまわるのに便利なように解説されております。





心の旅路のお供に、もしよかったらどうぞ。



税込み、660円になります。





長崎県立長崎図書館郷土資料センター

2022年06月14日 | 歴史
3月27日に新しくオープンした長崎県立長崎図書館郷土資料センターさんです。






まだ、ピカピカ出来立て、とても綺麗な建物です。



エントランスから中に入ります。
広々としたロビー、気持ちが良い空間です。





こちらには、長崎県立図書館時代の模型が飾られております。



長崎人なら誰でも馴染み深い建物ですね。
私も学生時代、夏になると冷房が効いたこちらで勉強をしておりました。


懐かしい夏休みの思い出です。




こちらから、閲覧室に入ります。




内部は撮影禁止になります。



郷土資料の展示スペースが入ってすぐにあります。



長崎ゆかりの文学や資料、明治以降からの郷土の新聞が閲覧できます。




閲覧席も外部の緑陰が望める素敵なコーナーです。




緑のシャワーを浴びながらの読書や資料探し、能率が上がりそうです。





長崎の郷土史、もしかしたら父が書いた書籍がないかしらと探しました。






そしたら、ジャーン、ありました。
父に会えたようで、とても嬉しく思いました。




父が出版した本が、38冊あるのですが、その内33冊の本が蔵書されていました。

絶版本もありました。

嬉しく思い事情を話し、撮影の許可を頂くことが出来ました。
ありがとうございました。
ですので、内部写真は転載禁止でお願い致します。




各自治体が出版している地域のコミュニティ誌も揃っています。



暑い夏、快適な図書館で、長崎の歴史探索をされてみませんか?






この素敵な建物の設計事務所が気になりましたので、調べてみました。

島原に拠点を置くインターメディアという設計集団でした。

大村のミライオン図書館や、うちの近所の愛宕保育園や松ヶ枝町の国際ターミナルを設計された事務所さんでした。

伸びやかな空間を内包し、内と外を緩やかに繋いで、自己主張するのではなく優しく自然と共生する建築物を造られている事務所さんだと思います。


これからも、長崎の街に素敵な建物を建てて下さる事と期待しています。
よろしくお願いします。





駐車場も20台完備しています。




あなたの長崎を見つけに行ってみてくださいね。

タイムスリップの旅を。









小島小学校建て替え工事⑭

2022年05月21日 | 歴史
小島小学校建て替え工事の現場です。

体育館前に仮設のトイレが設置されたようです。





運動場は、瓦礫置き場になりました。




うんていや鉄棒が撤去されています。



仮設の取り付け道路方向になります。
県道を走る車が見えます。




保健室の前が賑やかです。
一年生かな。


多分、朝顔の種を植木鉢に植えているのではないでしょうか。


私も、50年以上前に同じ事を同じ場所でしました。

なんだか、嬉しくなりました。

朝顔さんが、スクスク育ちますように




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ブック船長 町歩きフェア

2022年04月20日 | 歴史
父がお世話になっているブック船長さん、長崎文献社さんより、新しい本が出版されました。


こちら、長崎遊学シリーズの「歩く楽しみ長崎街道」です。

外歩きするのに、とても気持ちが良い季節、本を携えて町歩きを楽しみませんか?




中に入ると町歩きに参考になる本が一画にまとめて置かれています。



こちらに写っている「長崎の神様」、私の手元にもありますが、写真が多用され、とても見やすい本になっていますよ。



「楽」も、見ているだけで、大人の長崎を感じる写真が満載です。

長崎関連本をお探しなら、ぜひこちらのお店を訪ねてみて下さいね。



キリシタン関連本もあります。



地図オタクの私が嬉しい地図もあります。





額装して、お部屋に飾るのもありかと。





長崎の町歩き楽しんで下さい。




心強いガイドブックがたくさん並んでいます。

お気に入りの一冊を見つけにブック船長さんを訪ねてみて下さいね。







小島小学校建て替え工事⑬

2022年04月14日 | 歴史
久しぶりに小学校の近くを通りかかると、残念なことに、楠木さんが、綺麗さっぱり姿を消していました。


非力で守ってあげる事が出来なくて、ごめんなさい。。。
仕方ない事ですが、悲しかったです。





近所の方からの圧に負けたみたいでした。

最近は、神社の樹木も、近所の方からの苦情で、バッサリと、、という事が増えています。






また、太陽光パネルを設置する為に山全体をハゲ山にされてしまったり。。。


緑豊かな日本の大地が、外国の企業にどんどん侵食されてきました。
しかし、最近は、太陽光パネル設置を差し止める判決が出たり明るい話題も増えました。

緑豊かな日本が復活しますように。


すみません。話題がそれました。。。









小学校の運動場では、建設機械やトラックが大活躍しています。





子供達にとっては、生きた社会科見学ですね。





建設業に興味を持つ子供が、たくさん育ちますように。



私事ですが、祖父が大工で、鉋で木材を削ったり、墨出しをしたりする姿を身近で見て育ちました。


今でも、鉋屑のいい香りを思い出します。

楽しい幼少期の体験が、そちらの道に進ませたと思います。

これからの日本を背負って立つ子供達。
たくさんの体験を積んですくすく育って欲しいなと思います。





最後になりましたが、かつての楠木さんの勇姿で締めたいと思います。





ありがとう。楠木さん。






忘れ得ぬ慕情

2022年04月05日 | 歴史


1956年公開の岸恵子さん主演の映画です。

長崎が舞台になった日仏合作映画です。


花月や三菱造船所が出てきます。

66年前の長崎の風景。
こんなに街には人があふれていたのですね。


作中、岸恵子さんが住むお屋敷。
我が家のお隣さん、愛宕病院の敷地に建っていた料亭、今は無き幾松が出てきます。


綺麗なお庭も見られます。

遠景には、畑しかない愛宕山も撮影されています。


このお屋敷は、戦後お隣に建っていた洋館月川邸と共にアメリカから乗り込んで来た進駐軍の司令官デルノアさんのお住まいになりました。

今はデルノア通りとして、案内板だけが残されています。


歴史あるお屋敷です。


お時間ある時に、どうぞご覧下さい。