長崎愛宕グリーンピールエステ &香水作り体験🌿BLUME☆お庭係りのブログ

グリーンピールエステとパリジェンヌフレグランスのサロンを開いた娘を応援する為のブログが趣味ブログに変化してしまいました

本の納入 ブック船長さん

2021年10月30日 | 歴史


眼鏡橋近くにある、長崎関連本のお店、ブック船長さんへ、父の本の納入に行ってきました。




今回は、こちら、公民館で歴史散歩の講座を受け持っていた時のコースをまとめたものになります。

それぞれ2時間から、2時間半で、回れるように設定してあります。


続編の方は、こちらに並んでる分で最後になります。

興味がありましたら、お早めにお願いします。





特集コーナーがありました。




長崎の街のお宝、越中哲也さんを偲ぶコーナーもありました。

あと少しで百歳でした。
大往生でした。

精霊流しやおくんちのTVの解説者として、多くの長崎人から、愛されている方でした。
ご冥福をお祈りします。






南蛮絵図がお洒落に飾られています。

お手頃価格なので、気軽な長崎のお土産にぴったりかもしれません。





グラバー魚譜もお買い得になっています。





こちらは、長崎のチンチン電車の絵葉書になります。




なんと、印刷屋さんの社員さんが、描かれているそうです。






細部まで、見事に再現されています。



眼鏡橋を訪れた際は、是非お寄りくださいね♪









小島小学校建て替え工事⑧

2021年10月27日 | 歴史
今回は、特別教室編です。

ご好意に甘えて鍵を開けていただきました。


さあ、こちらは、、、



理科教室です。





実験道具が並んでいます。





フラスコ、ビーカー、分銅、懐かしいです。

シンクもレトロです。





こちらの階段、手摺りに特徴がありました。

ところどころ、障害物があります。

昔は無かったような。
微かな記憶ですが、これに後ろ向きにまたがり、滑っていた人がいたような。。。





外にあるプールを見学します。
私の小学生時代は、三景台町にある長崎スカイランドのプールで、水泳実習があってました。

とても素敵な遊園地でしたが、事故が多発してしまい閉園したと聞きました。
残念です。
今残っていたら、大人気だったでしょう。
遊具あり、プールあり、滝がある綺麗な公園もありました。

ドッグショーが開催されていたのを思い出しました。

閉園後は、長崎スポーツセンターのプールで実習がありました。

こちらも、閉館。
小学校六年生のクラスはとても仲が良くて、冬になると、土曜日の午後は、スポーツセンターのリンクに集まり楽しくスケートをしていました。

スケート場で食べるおでん、美味しかったなあ。


脱線してしまいました。



戻ります。





こちらは、家庭科室です。

七輪で、目玉焼きとほうれん草のバター炒めを作りました。




こういう備品、昔のままです。
よく持てています。
びっくりです。


まな板も、随分古いものだそう。
しかし、綺麗にメンテナンスされています。



家庭科室の手洗いは、ピカピカしています。



電気釜、これも、レトロです。



ガタガタの不揃いな椅子も懐かしいです。





こちらは、図工室です。





作品が棚に入っていました。
懐かしいです。
パレットに筆洗い。





こちらは、音楽教室です。

アコーディオン、かなり古い。







ピアノがあります。


コロナで、なかなか歌を歌う授業が出来なかったそうです。

制限が解除されて、やっと歌の授業が出来るようになったそう。

色々大変です。





最後に、図書室になります。

生徒さんがたくさん在室していたので、これ一枚で勘弁して下さいませ。


本読むの好きでたくさん借りていました。




懐かしい。



あと、一回、続きます。
屋上や階段編です。






























史跡料亭 花月 建物編

2021年10月19日 | 歴史
お呼ばれで、史跡料亭花月さんを訪れました。

生粋の長崎人ですが、気軽にお食事にというお店ではなく、訪ねるのは人生2回目おのぼりさん状態で、写真を撮りまくりました。


お付き合いくださいませ。



こちらが、花月さんの正面になります。




玄関方面から見た丸山公園です。
この辺り一帯は昔は遊郭がたくさん立ち並んでいた所です。



門をくぐった正面です。




こちらが、玄関になります。
この赤い提灯が特徴的ですね。



こちらは、来賓の石碑。
海外からの賓客の名前が並びます。




お庭へ抜ける道。




まわりの俗世間から一気に、静寂の世界へ。




遠くに見えるビルが不粋ですが、綺麗にお手入れされているお庭です。



ツツジが咲く頃が一番お庭が輝く時に思えました。



建物の中へ入って行きます。



玄関内正面です。



二階への階段、かなり急です。
昔のは、こんな感じですね。




こちらは、舞台になります。






こちらが、有名な刀キズです。




古い建物ですが、お手入れが行き届いています。
チリ一つ、ホコリ一つありません。
また、建具の歪み床のゆがみ一つありません。
すごい事だと思います。

木材部分は、磨き上げられて黒光りしています。

建物のメンテナンスに、かなりのご尽力がある事を感じさせられます。


こちらからは、花月内の資料室になります。

以前は、お庭の部分にもお屋敷がありました。
丸山の大火で、現存する花月の建物は、4分の1になったそうです。

大きな火事で、丸山遊郭一帯が燃えたそうです。




貴重な資料が並びます。




我が家の近くの楠木さんが出演した映画、忘れ得ぬ慕情の写真がありました。

こちらの花月でも撮影が行われたそうです。
YouTubeにこちらの映画があり、チラッと早送りで見ました。
今度はゆっくり時間をかけてみたいです。

戦後すぐの時代の長崎が撮影されていて面白かったです。







こちらは、ジュディオングさんの木版画です。



福山雅治さんのサイン入りのポスターもありました。



坂本龍馬直筆の書もありました。
嘆願書の下書きだそうです。




長崎ぶらぶら節で有名な愛八さん。


幻になってしまった亀山焼き。




こちらは、孫文の書です。





お料理にたどり着く前にかなりの写真の量になってしまいました。




建物編という事で、お食事編は次回に。





お食事以外にも、沢山の楽しみがある花月さんです。






小島小学校建て替え工事⑦

2021年10月17日 | 歴史
おはようございます。
今日は、いよいよ玄関から、中に入っていきます。

お待たせしました。



右手には石碑があります。



こちらは、玄関内、左手です。
生徒用下駄箱。


こちらは、右手側。先生用。



教頭先生製作、あいさつ日本一の標語が迎えてくれます。



今の時代を感じさせます。
早く終息しますように。



左手に職員室。右手側には用務員室があります。



学校の変遷を知らせる写真も飾られています。
ただ今、創立137周年です。



逆方向から、玄関を見たところです。



職員室横の階段です。



クラシックな階段です。
鋳鉄製の手すり。
シンプルだけど、優雅です。



階段横の部屋が校長室ですが、撮り忘れています。
残念ながらありません。



ちょっと進み、一クラスだけ離れてある教室です。
校舎と校舎をつなぐ連絡路部分です。



こちらが、普通教室になります。
教室内の写真は、授業中でしたので遠慮しました。
ありません。ごめんなさいです。



天井が高いです。



教室前の傘立てです。



こちらは下駄箱。



小島川で、捕獲した生物を育てていました。
サンショウウオ。


こちらは、手洗いです。
歴史を感じさせ過ぎますね。



こちらは、掃除用具入れ。
50年以上使用かと。
昔のままです。




こちらは、お手洗い。
昔は、トイレの下に溝があり、一定の時間になると、ジャーっと水が流れてお掃除するトイレでした。


このトイレを見ると原爆検診を思い出します。
私が小学校に通う頃はまだ、戦後20年ほど、まわりにたくさんの被爆者がいました。

又小学校のクラスメイトも、ほとんどが被爆者2世でした。

この頃は、爆心地から3キロ以内は被爆者特別手帳。それ以外は被爆者手帳と二種類ありました。

私の母は近距離でしたので、特別手帳でした。
早死にするとずっと怯えて暮らして来ました。
が、長生きしてます。


話がずれました。


被爆者検診の日になると、地域の住民が学校へわんさか来校してました。

学校中が消毒薬の匂いで包まれます。
今でも、しっかりとよみがえってくる記憶です。

しかし、被爆者も高齢化して、検診の場所も縮小されました。

小中高と進むに連れて、被爆者2世の友人も少なくなりました。

原爆は、街や人に対するダメージが大きすぎます。

長崎の地が最後の被爆地であり続ける事を祈り続けます。



次回は、特別教室です。続く。。。







小島小学校建て替え工事⑥

2021年10月15日 | 歴史
今日は体育館の紹介です。
新しい連絡通路を進みます。



こちらの下駄箱。
壊された校舎の床板を使用して、用務員さんが手作りされたそうです。




はい。こちらが体育館の正面。
舞台になります。

日の丸と長崎市の旗が掲揚されています。




木彫りの小島小学校のマークがついた演台です。
教頭先生いわく、他の学校にはこういうマーク付きのはないそうです。
後世にずっと受け継がれていきますように。




こちらが、校歌になります。
子供の頃は、訳分からず、まる覚えで歌っていました。
改めて歌うと、クラシックで、言葉遣いに品格がある校歌に思えます。



カワイのピアノ。
休み時間にみんな弾いてました。





床板が綺麗に磨かれて反射しています。
この体育館は、私が小6の時に出来ました。

ピカピカしてました。完成した時はホント嬉しかったです。




これ、ジャンプして、手をタッチするもの。
名前忘れました。




平均台にマット。



とび箱。かなり古いです。
六段までしか飛べませんでした。
文字が漢数字のもあります。
これいったい、いつのなんだろ。。。




体育館を出ると、裏側に石碑がありました。
昔あったかな。。。


こちらは、保健室前から中庭に下る階段です。




国道からの連絡通路を支える鉄骨が見れました。


保健室の前の通路です。
ここは、朝顔を植木鉢に植えて観察する場所でした。

植木鉢が見えます。
今も、同じ光景が見られるのかしら。。。




この楠木さんの隣りにある校舎は、1ヶ月以内に姿を消すそうです。
その後、この運動場にプレハブの教室が建設されるそうです。



体育館の紹介でした。
次回は、正面玄関から入った校舎内を案内します。

小学校シリーズしばらく続きます。




🔼長崎市立小島小学校のホームページ🏠です。

小島小学校建て替え工事⑤

2021年10月14日 | 歴史
久しぶりに小島小学校建て替え工事の記事を書いております。


少々暑さも和らいだように感じ、学校まで歩いてトコトコやってまいりました。




5ヶ月振りに訪れると、国道からの連絡道路が完成しておりました。
これまでは、学校へは、一方通行で軽自動車しか通れない狭い道があるだけでした。

これで、大型車も入れるようになりました。

工事も捗りますね。



校舎を分断したところに道路が見えます。




国道を走る車が見えますね。





こちら、体育館の裏側です。
一昔前は、塀の裏手に質屋さんがありました。




年期を感じさせられるガラス窓です。
窓枠は鉄製。
補修のテープも味があります。



今日は、学校の外部を紹介します。



これは、運動場から見た道路です。



体育館への新連絡通路から見た校舎。


楠木さん。



こちらの登り棒、現役で活躍していました。
50年前には、軽々と上っていましたが、今は無理。




ジャングルジムに滑り台。



うんてい。


体育館から見た校舎。


楠木さん。


実は、楠木さんについて悲しいお知らせがあります。

こちらの楠木さん、根こそぎ撤去されるそうです。
もう、青天の霹靂とは、この事!

びっくりして目が点になりました。

小学校の建て替え工事と共に、すぐそばを流れる小島川の護岸工事をされるそう。


その工事に、楠木さんの根っこが、邪魔なんだそうです。

たくさんの生徒を長い間見守って下さった楠木さん。
今どんな思いを抱えているのでしょう。

白い優しい香りがする花が懐かしく思い出されます。

ふんわりと優しく包んでくれる楠木さんが好きでした。
人間側の都合で、ごめんなさい。

実は、写真では、幹が短くカットされていますが、まあるく、もっと綺麗な形をした楠木さんでした。
人間側の事情で、変な形になり、最後には撤去、ほんとにごめんなさい。

唯一の救いは、二世の楠木を植えられるとの事。
許してくださいませ。





今回初めて、学校を訪問して、内部に入ることが出来ました。

福岡にいらっしゃる卒業生の方がコメントを書き込んで下さったおかげで、勇気を出して、職員室を訪ねる事が出来ました。


コロナ禍、外部の者が、近寄っていいものだろうかと、迷っていました。
書き込んで下さらなかったら、塀の外からの紹介で終わりでした。




対応された方が教頭先生を呼んできて下さいました。

その方がなんと!!!
ラッキーな事に、娘が、小学校の時にお世話になった担任の先生でした。

事情を話すと、心良く学校案内をして下さり、楽しく学校見学が出来ました。





こちらは、学校正面から、運動場へと下る階段です。
今は立ち入り禁止になり通る事は出来ません。


ラッキーな出会いがあり、たくさんの写真を撮る事ができました。

梅林先生ありがとうございます。
感謝です。


このシリーズまだまだ続きます。






長崎四国八十八ヶ所霊場巡拝 岩永弘著

2021年10月04日 | 歴史



ただ今、こちらの長崎四国八十八ヶ所霊場巡拝を長崎の本を多く取り扱ってらっしゃるブック船長さんに置かせて頂いております。



そちらで、この本を購入されて実際に、この夏、3か月をかけて、巡られた方から嬉しいフィードバックがありました。


父が出版して、15年の月日が経過しました。
それで、本に書いてある内容と、異なっている部分を正誤表を作りブック船長さんまでお持ちくださったそうです。


バス停の名前が変更になったり、お祭りされている場所が変わっていたり、、、


ありがたいです。
早速、参考にさせていただきます。



存命中は、父も変更に気づいて正誤表を差し込んでおりましたが、今は、、、、、




こうやって、父が亡くなった後も、読者の方の協力があり、父の本が生かされている事に感謝します。

ありがとうございます。





これからも、気づかれた際はよろしくお願いします。

最後に、実際に公共機関を使用して、歩いて書いた、こちらの本の事を、とても褒めてくださって、ほんと嬉しく思いました。


ありがとうございました。

父に代わり、お礼を申し上げます。






波佐見町歴史文化交流館と鹿山神社

2021年08月23日 | 歴史
7月にオープンしました波佐見町歴史文化交流館を訪ねていきました。



元個人宅を再利用された施設で、前庭が広がり気持ちの良い空間でした。





広々とした玄関スペースです。



波佐見の町は金山の街の歴史もあるのですね。



庭向こうのスペースは、喫茶コーナーになっていました。



年代順に資料が展示されていました。



今はまだ、蒸し暑いですが、庭を眺めるだけでも、気持ちが良くなります。





詳細は、こちらをご覧ください。



波佐見の町は、よく訪れるのですが、今回こちらの楠木の巨木に誘われて、初めて鹿山神社さんを訪ねました。



樹齢900年もの大木だそうです。

由来書の立て看板がありました。

読み進めると、はぁーっとため息が出ました。


こちらの神社も、キリシタンにより破壊された歴史がありました。

ことごとく長崎の由緒ある神社は、キリシタンの暴徒により受難の時代があります。

キリスト教徒が迫害されていたと宣伝されていますが、逆みたいです。












こちら短い文章ですが、とても良くまとめられている案内板だと思います。

相撲の始まりにも触れられています。
よければお読みください。



波佐見町、訪れるたびに新しい発見がある町です。

元気な町です。












感謝

2021年07月22日 | 歴史
とても嬉しい出来事がありました。


ブック船長さんに、父の本についての問い合わせが、遠く岐阜県にお住まいの方からあったそうでした。




このブログをご覧になられたみたいとの事でした。


もう、ほんとに嬉しい出来事でした。


残念ながら、何冊かは、在庫が無くご希望にそえませんでしたが、ある分は昨日ブック船長さんへ、納品に行って来ました。
あとしばらくお待ちください。



こちらで、お礼申し上げます。
また、このブログを読んで下さると良いのですが、、、、


ありがとうございました。



父からも、よろしくお伝えくださいと言ってるみたいに感じます。




娘の夢の中に出てきた父は、たくさんの本に囲まれて、本を書くのに忙しいと話していたそうです。

アチラの世界に行っても、頑張っているみたいです。


亡くなって、八年過ぎましたが、こうしてまだ父が実際に現場に足を運んで執筆した長崎の歴史散歩の本に興味を寄せて下さる方がいらっしゃる事に感謝します。


本当に心の底から感謝します。

ありがとうございます。











本の納入 ブック船長さん 長崎原爆関連本

2021年07月18日 | 歴史
父の本の納入で、ブック船長さんを訪ねて行きました。




8月で、四周年を迎えられるそうです。
ブック船長さん、おめでとうございます。🎉


長崎に関連する本を探すならこちらを訪ねられると、ぴったりの本が見つかります。


観光に来られた際はお立ち寄りくださいね。





八月になると、長崎は原爆記念日を迎えます。
忘れられないあの日がやって来ます。

私自身、被爆者2世です。
今は区別は無くなりましたが、母は近距離で被爆した為に、被爆者特別手帳を持っていました。

被爆の体験は強烈だったみたいで、長生きは出来ないだろうと話す母でしたが、91歳を迎えた今も、どうにかこうにか暮らしています。


私も、小学校低学年の頃、当時新大工町にあった放射線科学研究所という所に連れられて行き検査を受けた事があります。

何をしたか覚えていませんが、とにかく恐ろしかった体験として記憶に残っています。
今思えば、被爆者2世に対する原爆の影響を調べられたのでしょう。





今回、納入した父の本は、こちらになります。




"平和を祈り"学校界隈の被爆遺跡を巡る です。





早速、棚に並べていただきました。



父の本以外にも、関連本が並びます。




無念の死を迎えた人々に、祈りを捧げることしか出来ません。

長崎に生を受けた人間として、忘れてはいけない大切な日です。


長崎が最後の被爆地であることを永遠に願います。

二度と地球上で、原子爆弾が使用される事がありませんように。




夏らしい商品が並びます。



長崎の教会のポスターもありました。
可愛いです。
父の本のコーナーもあります。

長崎四国八十八ヶ所巡りの本もあります。
父の母の出身が四国でしたので、何か身近に感じるものがあったのでしょう。

父自身、お願い事をする為にというより、その場所を守っていらっしゃる方々との交流を楽しみに、巡っていたように感じます。

コロナ禍で、人々の距離も交流も、ソーシャルディスタンスという体のいい言葉で、遮断されてしまいました。

しかし、人と人との触れ合いがあり初めて、人間らしく生きることが出来ると思います。



父の本を片手に、街歩きを楽しんで頂けると嬉しいです。





ブック船長さんがある中通りは、個人商店さんが並ぶ元気な街です。




街歩き楽しんでくださいね。



今日は、あれこれ脱線していますが、最後まで読んで下さりありがとうございました。





雪の浦 続編 ゆきや

2021年07月06日 | 歴史
雪の浦の熊野神社から見渡せる街。
魅力的でしたので、ちょっとだけ紹介させていただきます。




こちらのカフェも、コロナの影響で、閉店されていましたが、もうすぐ営業再開されるとのお話しでした。



型板ガラスの木枠の窓、魅力的です。



わき道にも、可愛いお家💕




何か可愛い。


こちらのゆきやさんは営業されていました。




ちょうどパンの販売日。
購入することができました。



こちらのパン。
生地がしっかりとして、少々甘さを感じるもので、私好みのパンでした。

20年ほど前まで、長崎にあった、キャロットというパン屋さんをご存知の方いらっしゃるでしょうか。


長崎市役所の売店でも販売されていました。
そこの三つ編みパンが大好きだったのですが、久しぶりに、そのパンの味を思い出しました。




美味しかった。近所にあれば、、、



幻に終わったパンフレット。🥲


来年こそは、開催されますように。



熊野神社 西海市大瀬戸町雪の浦

2021年07月05日 | 歴史
父が諏訪神社の禰宜さんから頂いたこちらの本の表紙の神社さん。

いつか行ってみたいなぁと思っていました。





梅雨の中休みを利用して行ってきました。

以前雪の浦ウィークの際に、目の前を通っていたのに、、、
気づいていませんでした。


ひっそりと山里に溶けて、鎮座されている神様でした。



お寺の横の階段をのぼります。


蒸し暑い日でしたが、鳥居をくぐると涼しい風が吹き抜ける心地良い場所でした。



雪の浦の街を見渡せます。



こちらの階段が、見事な形状を示していました。



優美な曲線を描いています。
真っ直ぐのぼると社殿へ。

曲線部分は、広場に続いていました。
ブルーシートで、覆われている形状から、多分、土俵があるように思いました。

古い歴史ある神社さんには、必ず土俵があるように思います。

相撲は神事。
今は名古屋場所が開催されていますね。

日本の大地をしずめるお役目があります。
これからも、相撲が大切に伝承されていきますように。




かけ流しの手水舎です。



狛犬さんです。


緑豊かな里山に癒されます。

どうかどうか、この景色が未来の子供達に引き継がれますように。






SOUL OF NAGASAKI 県庁跡地の歴史を辿る

2021年07月03日 | 歴史



町内の掲示板に気になるポスターが貼られていました。

県庁舎跡地の歴史を辿るというシンポジウムでした。



おくんちで全国的に有名な諏訪神社さんの宮司さんや権禰宜さんのお名前が並びます。


長崎の諏訪神社さんには、住吉、森崎、諏訪の三体の御神体がまつられています。







県庁跡地には、こんもりとした森があり、長崎の聖地として大切にされてきた森崎神社という存在があったそうです。







港が見渡せる一等地です。




日本には、八百万の神様がいて、皆それぞれを大切にします。

山の神様、水の神様、土地の神様、森の神様。至る所に神様がいます。





もしかしたら、森崎の神様が元いらした場所に帰りたがっていらっしゃるのかも。


住む場所、鎮まっていた場所を追われた神様が、元のお住まいに戻れますように。








こちらのシンポジウムですが、入場無料で、どなたでも聴くことができるそうです。
2時間の予定だそうです。















小島小学校建て替え工事④

2021年05月30日 | 歴史
今日も、どどーんとクレーンが顔をのぞかせています。




校舎が分断されたままです。





風にヒラヒラと、日本の国旗と小島小学校の校章の旗が舞っています。



こういうのを見ると、清々しい気持ちになります。

今日も一日、児童と工事の安全を静かに見守って下さいね。




校庭の隅に先生と体操服姿の子供達が見えました。



こちらの建物は、トイレがある場所なので、残したのかしら。。。





今日は、より校舎に近づいて、プールも撮影しました。



私が通う頃は、夏場、三景台町にあった、スカイランドのプールや、ララ愛宕にあったスポーツセンターのプールで、水泳の訓練があってました。


父の頃は、裏の小島川を堰きとめて、水泳の授業とか。


このプールも、建て替えが終わると又、新しく生まれ変わるでしょうね。

小島小学校のホームページより校章と校歌です。



言葉遣いが、クラシックです。
子供の頃は、訳分からずまる覚えで、歌ってましたが、改めて見ると、日本の言葉の美しさ、まろやかさを感じさせる歌詞になっているように思えます。




長崎絵葉書散歩① 東山手12番館

2021年05月14日 | 歴史
ブック船長さんで、こちらの本に出会いました。





ブライアン バークガフニ編著さんの華の長崎という本です。


100年以上前の長崎の写真の絵葉書が紹介されています。



当時の絵葉書と、現在の様子をリンクさせ、ぼちぼち紹介していければいいなと思います。

ノロノロ企画になると思いますが、よろしくお願いします。




まず、1番目は、東山手12番館。
現存する国指定の重要文化財になります。


華の長崎参照


明治元年に建築され、ロシア領事館、その後米国領事館として、利用されていた建物です。

築150年を超えています。






こちらのオランダ坂を登った突き当たりにあります。






左手正面は、活水学園があり、女子大生が賑やかに往来しています。



こちらは、入り口から見た東山手12番館です。
当時のままです。



こちらは、活水女学校や鎮西学園の施設として、使用された後、長崎市に寄贈されました。


誰でも、無料で入ることができる施設です。