以前ちらっと触れた、町内にある連合国軍総司令部長崎軍政部総司令官のお屋敷跡について紹介します。
案内看板がサンブライト愛宕の前にあります。
デルノア通り、以前と同じ場所に立てられているそうです。
司令官が通ったこの道は、馬車道として、お馬さんが車を引いていたそうです。
市内を望む景色です。正面には稲佐山、右手には愛宕山が見えます。
すでに、老健施設サンブライト愛宕がある場所は、幾松という料亭があり、岸恵子さん出演の日仏映画、(忘れ得ぬ慕情)の舞台でしたと紹介しましたが、愛宕病院の本館が建つ場所も、この司令官が長崎滞在中に奥様と過ごされた瀟洒な洋館が建っていたそうです。
今はこちらのお庭の片鱗が残るだけです。
前庭に芝生が広がる素敵なお屋敷だったそうでした。
(当時から、この地に住む母談です。)
もうひとつ、終戦後、進駐軍がこの地に来るとなった時に、女性が襲われる心配があるからと、床下に避難場所として、壕を掘ったそうです。
たしかに、母の実家にありました。
しかし、杞憂に終わりました。
今の何気ない日常の平和な生活に感謝です。
案内看板がサンブライト愛宕の前にあります。
デルノア通り、以前と同じ場所に立てられているそうです。
司令官が通ったこの道は、馬車道として、お馬さんが車を引いていたそうです。
市内を望む景色です。正面には稲佐山、右手には愛宕山が見えます。
すでに、老健施設サンブライト愛宕がある場所は、幾松という料亭があり、岸恵子さん出演の日仏映画、(忘れ得ぬ慕情)の舞台でしたと紹介しましたが、愛宕病院の本館が建つ場所も、この司令官が長崎滞在中に奥様と過ごされた瀟洒な洋館が建っていたそうです。
今はこちらのお庭の片鱗が残るだけです。
前庭に芝生が広がる素敵なお屋敷だったそうでした。
(当時から、この地に住む母談です。)
もうひとつ、終戦後、進駐軍がこの地に来るとなった時に、女性が襲われる心配があるからと、床下に避難場所として、壕を掘ったそうです。
たしかに、母の実家にありました。
しかし、杞憂に終わりました。
今の何気ない日常の平和な生活に感謝です。
こちら、いく松のお庭です。
忘れ得ぬ慕情の一場面から引っ張ってきました。
右奥が愛宕山になります。
こんな素敵なお庭があったのですね。
実は、いく松は、高い塀に囲まれていて、実際の庭を見た事がありませんでした。
小学校の高学年の時にNBC放送局のアパートが建ちました。
それまでは、お庭があったはずなのですが、見た事ない。。。
叔母と話をしていると、母の一番下の妹とが、こちらの司令官の子供と仲良しで、お互いの家を行き来して、よく遊んでいたそうでした。
お手伝いさんが付いてきて、おやつをあげるのにも、いちいち確認しながら渡していたそうです。
知らなかった。。。
今度、この叔母に当時の事を聞いてみましょうっと。
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