(注)当時,酒田と鶴岡の年交代で行われ,開催市側の混声合唱団が,招待的な演奏をしていたのです。
曲は2ヶ月前のサマー・コンサートの「愛唱歌」的なものから選んだと思います。
それにしても,ソプラノにいる,我が嫁(20歳)がガキというか,細くて..若い。
というか,当時から「オッサン」だと思っていた面々も,まだ三十代だったし,時勢ですが,女性達は殆どが二十代前半だったと思います(後半以降は「遅い」と親が心配した時代。今なら「遊べない」「自由が無い」等の声が聞こえそうですが,売り物は良い物ほど早く売れる,という自然な時代だったのです)
ところで,この日,ある出来事が...
その前に,我が母校・酒田E高と,今では合唱で有名な(当時は全然ローカルだった)鶴岡南高は,年に一度,隣市の進学高同士ということからか,交換会をやっていました。
私は10年くらい,合唱指導やらで顔を出していたので,この合唱祭直前の交換会で,向こう(鶴岡)のガタイのデカイ,生意気な1年生から「何だ,ヘラヘラしたOBは」と,いろいろ突っかかられたりして不快な思いをして酒田に帰ったのでした。
そして直後,私はS混声合唱団の指揮者として登壇,演奏が終わって先の「デカイやつ」と顔を合わせたのですが,立場の違いを恥じたらしく,赤ら顔をしていたのが印象的でした。
最初は,私がいやな思いをさせれたのですが,その行為は,自分に返る「情けは他人の為ならず」の本来の意味をを反転させた出来事でした。
演奏としては,可も不可もなかったと思います。
ただ,その6年前,高校三年時の同じ合唱祭で,佐藤眞の「なぎさ歩めば」を振った時には,アインザッツ(出だし)が合わず振り直すという,最悪な経験をしているのですが...
少しは経験を積んで,少し大人になって出なおした,っていうステージでした。
(今,考えると,本当に「少し」です)
それにしても(今後も何度も書くかも,ですが)昔の酒田市民会館は,懐かしいというより,響かないし,リハ室ないし..今の市民会館「希望ホール」は夢のようです(響きすぎ)
東京文化会館,東京芸術劇場,郵便貯金センターなどの東京の巨大ホールからサントリーホール,岡山県民会館ホール,宮城・仙台,山形,巨大オルガンと共演した福島市音楽堂,郡山,秋田,青森,岩手の各県民会館にバッハホール等々,いろいろ演奏してきましたが「希望ホール」での演奏は,きちんとリハで「残響の終わり」を確認して,いつものフレージングを微調整して本番に臨んでいます。
ただ,一般の人は「風呂で歌うのは気持ちいい」「カラオケはエコーが」と勘違いしていると思うので,なかなか魔力があり,要注意ですね。「エレキ」は論外として,器楽なんかだと,うるさかったりもしますし。
うーん,話がかなりズレてしまった(苦笑)