アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

クラスの自席の机上で交換日記..本当にあった不思議なお話。

2014年11月20日 | 蓄積された過去群
高2の2月中旬,父とともに私の心は死んでしまった。
けれども,稀には良いこともあった..なお話。

男子が2/3ほどの進学校にいた私,将来への悲観もなく悪いことを伸び伸びと..おいおい!
当時,女子には必須授業での家庭科があるが我々にはなく,保健体育のうち保健の時間が女子に多く我々には少ない,逆に柔道は我々に必須だった頃...
高2のいつ頃かは覚えがないが..我々が体育をしている時,我々の教室は女子の保健の授業に使われていた。
教室に戻ると「人いきれ」というか女子のまとまったにおいというか,すぐ耐え切れずドアや窓を全開にしたりして..

そしてある時,始めたのは相手のほうだと思うが,私の机に一言だけ書いてある。
(たぶん,私のイタズラ書きに呼応したものだと思うが)
私も何気なく「女子の保健の時間だな」と思った時は,ほぼ確実に何かを書き,すると相手は私の書いたものを消しゴムで消して,別なことを回答してくれる。
これは,ある意味,非常にゆったりした「交換日記」なのだった。
そんなことが世にあるとも思わなかったし,とてもとても相手の彼女が謎に思えた。
(だんだん「電車男」っぽくなったけれど,これは事実)

けれど,やがてその行為には終わりが来る。
単に3年に進級,クラス替えした,ということなのだけれど。
その3年の春,私の真後ろの女子から「もしかして,私とやりとり?してたのは●●君!?」と言われてビックリ。
クラスと席の位置もピッタリだった。

普通にクラスメイトとして見る分には「そこそこ見た目も良く頭の良い子」(みな頭は良いが)であって,その女子への特別な好意は持っていなかったが,急に「保健の時間のつまらなさや,ウィットに富んだジョーク」など,内面を知っていたため,少しの好意を持つようになった(少しです)

けれど,私は3年次には既に将来を失っていたため「学校は全部欠席しても部活はほぼ皆勤」みたいな,甚だ荒れた状態だったのだけれど,最後の華だった文化祭の約1時間のステージが終わり,本当に自分が終わったように思ったとき,事情知るその彼女は,アンコールでなく「●●くーん!」と本当に人一倍,大声で叫んでくれた(主観のため,大したことなかったかも知れませんが)

文化部系の自分にとって,バレー部の彼女は,女子ながら少し「カッコイイ」存在だった。
卒業してから(たぶん)会っていないけれど,どうしているだろうか。
胡麻塩ハゲ気味の私と違って,もっとシャキッと綺麗だろうか。

私も,私の中の彼女も,卒業アルバムの中で止まっている。