アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

実は,ろくに聴いたことのなかった全国大会の鶴岡南高校音楽部

2016年02月11日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
たまたまの飛び石連休で,あまりやる気がないので,色々と書いている。

同じ庄内地方でも,最上川の北部を中心とした酒田・飽海の当方と,南部の鶴岡・田川,伝統的に港町と城下町,明治維新頃から人口などもどっこいどっこいで,高校もあちらとこちらはライバル高だ。
だが,同じ合唱(音楽部)でも,しばらく競い合い,我々の頃は交流会もあったのだが,最近は向こうの動きが目立ち,こちらはぎりぎり存続している,というところだ。

私も10年ばかり活動を支援・指導していたが,私が関わらなくなってしばらくし,圧倒的に差がついたようだ。
それは,今は活動しなくなったN氏の登場だ。
実は私が高校生で指揮者のとき,鶴岡南高(以下鶴南)の同期の指揮者が,夏休み中で帰省中の早稲田グリー4年の指揮者だったN氏に指導を受けていた。
その後,しばらく見なかったが,私が仙台での活動を終わり休止した頃から,彼は母校の教諭となり後輩を率いて東北大会,さらには全国,そして全国金賞という道を歩んた。
そしてまた,私が合唱に復帰する直前の今から10年ほど前にパタッと辞め,また聴くことなく経過した。

私は最盛期?の演奏を生では聴けなかったため,今までは未賞味だった。
とういことで,たまたま余裕のある(暇な?)今日は,動画で聴いてみた。
良い音楽は大絶賛,じゃない音楽は..な私の感想は...

ラインベルガー×2,ペンデレツキ×1の3年分を聴いたのだが..
指揮者のN氏が理系の脳であること,そして早稲田グリーの大人数を指揮していた人であることが良く理解できる。
というか,そのように聴こえてくる。
たぶん90人や100人は歌っているだろうか,そのスケールを抑えて始まり..と思っていたら「??」という部分で私の脳が止まってしまう。

ザックリした耳で聴けば過ぎてしまうのだろうが,私には全国金賞としては聴き逃せないところがあった。
まず,特に高音部だけれど,所定の長さが歌えてなく,常にポルタメントがかってしまっていることだ(テヌートとして指示すべきところである)
次に,パート練習の問題もあるのだろうけれど,パートのユニゾンができていなくて,声のばらつきが大きい。
以上は,大人数過ぎて自分が隠れてしまう,全体が聴こえない,という環境の中で生徒が歌わせられていて,選曲がコンクール用に困難なア・カペラ曲である,という問題なのかと思う。
もちろん,反響する現地で聴かないと分からない,という話もでてくるのだけど,現実に合っていないものは合っていない。

実際にN氏の功績は大きく,山形西高がフェイド・アウトしつつあった頃から,全国に躍進し我が県の合唱を牽引,そして今の鶴岡土曜会の全国行きにバトンタッチさせたのだろうと推測するし,その土曜会に人材を供給していただろうと考えれば,さらにその功績は大,と言えるだろう。

下世話な話はどうでもよいが,国会議員の話は書いてみる

2016年02月11日 | 中高年の主張(そろそろ高年?)
TVで「イクメン・育休アピール」していた宮崎謙介議員が,妻・金子恵美議員の出産直前に浮気していたの何のと言っている。
女性コメンテーターは「最後は女性が可愛そう」などと定型句を語っていて,最初は私も「フムフム」など頷いた。

次は宮崎の経歴,身長・体重(意味なし)学歴・週職歴..そして結婚から離婚暦(バツイチかい!)
ま,ここまでも良いのだが「実は前の奥さんは..」,リビングで「エーーッ!」となる。
元嫁は,当地の衆議院議員1回生にして,加藤紘一元自民党幹事長(加藤の乱で女らしく号泣)の次女,加藤鮎子だった。
たぶんこの人,政治家4代目である。

だんだん自分の気持ちが揺らいでくる。
「最後は女性が」は撤回,幾らなんでも2人ともゲテ男に引っかかるようでは,女側の「見る目も悪い」というものだ。

同期や同時期の国会・県会議員では,西に号泣温泉出張詐欺議員,東はセクハラヤジ議員等々,あげればきりがない。
これらを古い時代には選良と呼んできたが,人としてどうか?という人間を選良と呼ばないのは無論だが,各党とも,もっと人間的にふさわしくお騒がせでない,一発屋で終わらない「政治教育」を施してから世に出してもらいたいものだ。

追記 北朝鮮ではないのだから,3代目とか4代目とか,利権でドロドロした人はお断りだ。
そんなのばかり選ばれたら「何も変えない,変えられない立法府」になってしまうのは目に見えている。
(メリット・デメリットを教えれば,中学生でもワカル)

山形県人のハテナ?「ごしゃぐ」と「ごげる」に関する一考察(笑)

2016年02月11日 | 中高年の主張(そろそろ高年?)
山形県内は大まかに,わが庄内地方のほか,山形周辺の村山地方,米沢周辺の置賜地方,新庄周辺の最上地方にの4地方に分かれる。
たとえばこれは,江戸時代まで置賜は謙信ゆかりの上杉氏,庄内は徳川四天王だった酒井氏の末裔だった。
となれば,文化的には別々の土壌であり,海側のわが庄内(酒田など)と内陸では「国が違った」のである。

さて,ここでTV観ても転勤しても困るのは,バイリンガルでもない私に立ちはだかったのは「巨大な言葉の壁」だった。
外国人に"Please speak slowly."お願いすれば元・英検2級相応?な私でもジェスチャー入れて何とかできたが?山形市ではうまくいかない。
何せ,共通語でない「県庁所在地の言語」は教育されないのだから。
そして,独特の喋りの勢い,特に相手が何語を喋るか,どこの出身かに関係なくまくし立てる感性..負ける..
山形駅のアナウンスが「しゃまがだ~!」となるように「やゆよ」が「しゃしゅしょ」に変化したり,女性がびっくりすると「しゃー」,さらに美しい口から「~だどれ~」という●クザな言葉が発せられるのは大ショック。
(他県から来た男性が県内全体で女性の口から「んだんだ」と出るのはもっとショックらしいが)

で,やっと本題。
昨年だったか,山形から転勤してきた人のいる時に「ごげらっだ」(これは酒田弁であって,同じ庄内でも鶴岡だと促音せず「ごげらいだ」となる)と話したら,クスクス笑われた。庄内らしいと思ったのだろう。
逆に私が山形にいたときは「ごしゃぐ」「ごしゃいだ」「ごしゃがっだズ~」みたいな会話が乱発,意味を理解するが不思議だった。

こういう時「エセ酒田弁研究家?」の私は,語源やらが気になりだす。文献を調べるほど専門でないのはご愛嬌。

まず,山形など内陸の「ごしゃぐ」(場所により「ごせやぐ」なども)
語源と言われる「ごせをやく」(後世を焼く,の訛りらしい)は仏教者にとり「後世=来世(後生)の安楽を怒りにまかせ焼き払う」行為らしい。
内陸で使われるものは,怒りをぶつけることと,それを叱りたしなめることの両面の意味があるように感じる。

庄内の「ごげられる」「ごげる」(鶴岡ではごげらいる?)
なかなか語源が見つからなかったが「(お)語気上げられる」というものが見つかった。
そして,西では転訛した「ごっきゃげる」という「上の者に叱られる」意味の方言を見つけた。
ただ,比べてもそれほど似つかない。
基本に返り「語気上げられる」を読み抽出すると確かに「ごげられる」になる。
そして意味も「叱られる」(ごげる,は叱る)である。

ただ,これだけでは説明が弱い気がした。
「それなら酒田では,怒るのことはどう言うのか?」となる。
実は酒田も山形と同源の「ごしゃげる」は使う。
怒りが内面にふつふつと溜まり,最後はマグマのように噴出する,そんな強い意味で自動詞として使う。
強さの分,他動詞でない分,山形のように回数は使わない。

ただ,女性がこの状態になったとき,怖ぇ~よ!「キーーッ!」っなる。
我が家でも,たまたま姪の家族が来た時に限って「女ゴジラ」みたいになられたことがあり,リビングは大変,二度と姪たちは来ていないのだ。
それでも酒田の女は,あまり翌日には持ち越さないけれど(クワバラクワバラ)