当地12/9の「大黒様のお歳夜」にハタハタの田楽と共に添えられる「まっか大根」。
ところで「まっか」とは,あちこちで「又」「股」の「方言」だとされるが,諸説あるようだ。
当地以外の一定地域で使用されている。
大標的なのは,我が県土を流れ行く船乗りが歌った「最上川舟歌」に,「股大根(まっかんだいご)の 塩汁煮(しょっしるに)」(私は「しょっちる」と思うが)などと歌われている。
ただ,これだけ大きくて美味しいものが生産される現在,家食でまっか大根を食す機会はなく,ほとんどがお歳夜の供え物につかうのだろう。
私も齢五十オーバーで,食べたことはない(笑)
ちなみにこの日も「あっ,まっか大根だね」「買う?」「弁当になったので仕舞い」「やっぱり
」とスルー。
「まっか」で思い出したことが一つ。
私らの母世代の女たちは,たぶん「着物の裾が乱れる」「作業に着物が汚れない」「風邪が吹いてもチラとも見えない」との理由からか,絣(かすり)の股の割れたズボン状態のものをはいていた。
それの名前が「まっか」だった。
ところで「まっか」とは,あちこちで「又」「股」の「方言」だとされるが,諸説あるようだ。
当地以外の一定地域で使用されている。
大標的なのは,我が県土を流れ行く船乗りが歌った「最上川舟歌」に,「股大根(まっかんだいご)の 塩汁煮(しょっしるに)」(私は「しょっちる」と思うが)などと歌われている。
ただ,これだけ大きくて美味しいものが生産される現在,家食でまっか大根を食す機会はなく,ほとんどがお歳夜の供え物につかうのだろう。
私も齢五十オーバーで,食べたことはない(笑)
ちなみにこの日も「あっ,まっか大根だね」「買う?」「弁当になったので仕舞い」「やっぱり
」とスルー。
「まっか」で思い出したことが一つ。
私らの母世代の女たちは,たぶん「着物の裾が乱れる」「作業に着物が汚れない」「風邪が吹いてもチラとも見えない」との理由からか,絣(かすり)の股の割れたズボン状態のものをはいていた。
それの名前が「まっか」だった。
「もんぺ」というと思います。
作務衣の下ばきと同じですよね。
曾祖母や祖母が愛用してました。
父母の実家が農家でしたので。
なぜか井桁の絣か縞のイメージ。
維新後も着物を着ていた女性方,カフェーなどでも着物でしたが百貨店火災で下腹部下着を着用していなかった着物時代のため店員があまりの恥ずかしさに飛び降りできず亡くなった。
これを機会に洋装(スカート+下着)が大流行する。
けれど,朝ドラ定番の戦時を迎えたヒロインは,軍の統制により「鬼畜米英のスカート絶対禁止,動きやすいモンペ推奨」となりました。
ですから「モンペと言う」ことも強制されていたでしょう。
私の所は更にムラ社会ですから見た目の「まっか」が残ったとも推測されます。
こんなのを見つけました。東京と酒田の小学生の交流。
http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2012:09:20:4914
日除けと防虫のための被り物「はんこたんな」,絣の上下(もち,下はまっか(笑))
もちろん,昔の女性たちは完璧にはんこたんなをかぶっていたでしょう。
けれど,当時の夫だけは妻の身なりは分かるそう。
もちろん妻も,遠くから認識してもらえる縛りの工夫とかをしてたと言っていました。
断言しますが,幼少時,私の周囲の農家の女性は,全員同じ作業着でした。
高田作品"遥かな歩み"の「櫛」,「父の瞼は覚えている。どこにも残されていない絵姿を」との詩に通じます。
差別抜きに,イスラム教のアレも思い出しました。
まっか大根は,ゴロタ石や硬いつちに植えるとそこそこ「まつか」になります(笑)
> 曾祖母や祖母が愛用してました。
我が家は東京からの疎開組ですが祖母も母も,朱に染まってましたね。
縁起がいいってことですよね。
葛飾北斎「大黒と二股大根」
↓
http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/museum/event/2007/2007_spring.html
「大黒舞」とか,昔から歌い踊られてきました。
で,検索したら
http://reinbach-junbow.blogspot.jp/2013/02/blog-post_1.html
というのがあったのですが,何となく予想していたけれど,更なる繁栄の意図があったのだと。