アカペラな日々 - "Sakata Coro a Cappella" Since April 9, 2009

合唱団"Sakata Coro a Cappella"で指揮の傍ら作曲・編曲,たまに歌に励むOyaji。の活動&日常

昨年9月,元・山形東高校,山形西高校,嚶鳴女声合唱団等指揮者の阿部昌司氏の逝去と偉大なる功績,その1

2014年03月22日 | 音楽系(合唱,作曲・編曲など)
私にとって,阿部昌司氏の逝去の報は,かなりショックなものだった。
が,そのショックを分かつ人が周囲にはいなかった。
私は,阿部さんから特段の指導を受けた訳でも何でもない。
ただ,受けた合唱音楽の中身の濃さが尋常ではなかった。
ので,1回に収めようとするとクド過ぎるので,分割して書きたいと思う。

なお,あちこちで参照できると思うが,とりあえず山形コミュニティ新聞社の《追想録》 元県合唱連盟理事長 阿部昌司さん(2013年9月27日付)の記事を読んでいただきたい。
なお,東京芸術大学留学のくだりは,阿部さんの全国連覇の後に同様の実績を残した元・安積女子高の渡部康夫氏もほぼ同様である(=尋常ではない,ということ)

さて,山形東高校の演奏と山形西高校のと,どちらを先に聴いたかは定かではない。
あるいは同じ日に阿部さんの指揮による名演奏として聴いたのかもしれない。
ともかく,当時の最高音質だったNHK-FMで,記憶としては,音楽史学者である皆川達夫氏の解説による「バロック音楽の楽しみ」の中で聴いたものと思われ,確か氏はコンクールで「高校生の演奏でこそ聴ける名演奏」と紹介されたと思う(違っていたら御免)
ともかく何れの演奏も,当時高2だった私の心を揺さぶる,というか鷲づかみにして離さない,衝撃の大きいものだった(言い換えれば,私を「合唱バカ」にしたのも阿部さんかも知れない)
付け加えれば,いまだに男声と女声合唱では,これらの演奏が最も好きだ。

時系列で書けば,昭和三十年代という,合唱の作りも録音技術も何世代か前だった頃の,山形東高校のものが先となるので,今回はそちらを書く。
■男声合唱組曲「廟堂頌」より 大屋根 阿部昌司指揮 山形東高校

前記の山形コミュニティ新聞社の記事の引用。
□転機は(山形)東高時代の36年。生まれたばかりの長男を病気で亡くし、ショックで合唱指導にも身が入らなくなった時、部員らが「先生、これを指導してください」と持ってきたのが宗教的な合唱曲「大屋根」。部員らに励まされて情熱を取り戻し、その年、同曲で(同)東高を初の全国優勝に導く□

この部分は,今読んでも,あるいは何度読んでも泣ける。
自分なら,阿部さんの立場であれば「ショックで身が入らぬまま」だったろう。
現に私も父を亡くした高3の年,酒田E高の学生指揮者で合唱祭,文化祭にコンクールと指揮,並行してS混声の団員としてフォーレのレクィエム(鎮魂歌)を歌ったが,完全に抜け殻だった。
けれど,親だから理解するが,亡くしたのが子供であれば尚更だ。
それを察した生徒達は,きっと,とことん話し合い「宗教的であって自然」「骨太で合唱的」な「大屋根」という絶妙な曲を持ってきて「指導してください」と願う。
対して阿部さんは,生徒への大きな感謝と息子さんへの祈りや誓いを込めて,全てを忘れ渾身の力で指揮をされたのではないか。
それが,生徒と息子,そして阿部さんの力を「3乗」にして,全国制覇にまで導いたものと推測する。

私も昭和50年頃に混声で「大屋根」を歌ったことから,久しく楽譜を探していたが,現在は市販されていなく,浄土真宗の東本願寺大谷派合唱連盟より「特別に」印刷していただき,組曲「廟堂頌」より Ⅰ「大屋根」...の楽譜来る,との日記も書いていた。
確かに依頼したのは東本願寺大谷派であるものの,私にとっての「大屋根」は,一見題材は宗教的でありつつ実は写実的で,お堂に入ったときのほの暗さに始まり,三千人収容というお堂と門徒の人々の声,七十センチ角の瓦が数千枚という大屋根,終いは,その屋根を支える太い柱と,直感的に見える偉容を淡々と語ったものである。

さて,演奏である。男声的に,かつベルカント的でユニゾン性が高い。
だからこそ導入部は非常に美しい。そして,それが永久に続くのでは?と思わせる。
だが,それを圧倒的に覆す瞬間が,ラストの2音に現れる。
タイトルの「大屋根」の支柱をさして,詩の最後に「支えて」と書いてあるが,アクセントとしては「さ『さ』えて」であるべきで,音楽表現では「え・て」とデクレッシェンド(だんだん弱く)したくなるが,阿部さんは逆にクレッシェンド(だんだん強く)して終曲。
せっかくの詩に表した偉容を,単純表現すると直方体的にしてしまうが,阿部さんの指揮は完全に「遠近法」で表し,結果「私の心を揺さぶる,というか鷲づかみ」と言わせる芸術に昇華させてしまったのだ。

もちろん,これを進んで演奏した生徒達は,心から完全一致して立ち向かい,ラストでの声のテンションは「美しさの限界ギリギリ」だったと判断する。
そして,というかそれでも,阿部さんの「長男を亡くされた心」というものは,永遠のものだったろう。
けれども,いくつもの必然や偶然がこのような超名演を生み出し,私のような者どもを全国に生み出し,育んでいただいた,そんなこともあるのだ,と稚拙な日記ながらも書いておきたい。

それにしても,さすがに東北を代表する進学校の山形東高校,発想力と洞察力には敬意を表するばかりだ。

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