私とは何か?と問うことに気付いている「私」とは何か?

私とは何か?意識の起源とは何か?悟りとは何か?般若心経とは何か?これらの問いの答えを考える。

読書11 『東洋哲学覚書 意識の形而上学 『大乗起信論』の哲学』『科学で解くバガヴァッド・ギーター 古代インドの「神の歌」全訳 』

2020年03月20日 | 意識と悟りの構造

こんにちは、領です。

『東洋哲学覚書 意識の形而上学 『大乗起信論』の哲学 井筒俊彦 著』

P12 『大乗起信論』は、疑いもなく、本質的に一の宗教書だ。だが、この本はまた仏教哲学の著作でもある。私は、いま、特にこの第二の側面に焦点を絞って『起信論』を分析し、かつそこに含まれている哲学思想的可能性を主題的に追ってみたいと思う。
P13 貴重な文化遺産として我々に伝えられてきた伝統的テクストを、いたずらに過去のものとして神棚の上にかざったままにしておかないで、積極的にそれらを現代的視座から、全く新しく読み直すこと。切実な現代思想の要請に応じつつ、古典的テクストの示唆する哲学的思惟の可能性を、創造的、かつ未来志向的、に読み解き展開させていくこと。

 私は、『大乗起信論』自体を読んだことはありません。井筒先生が読み解いた『大乗起信論』しか読んだことはありません。
上記の引用を読むと、今までにない新たな視点で書かれていると感じるかもしれませんが、「意識とは何か?」「悟りとは何か?」という問いに対し、直球で本筋に沿ったことが書かれています。「意識と存在のゼロ・ポイント」という表現は、今の時代の表現だと思いました。とにかく、必読の書です

Wikipedia 中沢新一は河合隼雄との対談で、井筒はイスラム教から入り仏教やユダヤ教、キリスト教にも何でも深い理解を持ち、宗教の枠組みを超えたメタ宗教の可能性を構想した。その後円熟し、しだいにイスラム教と仏教を同等に捉え「アッラー」は普通言われている「神」ではなく、イスラム教が最も深いところで理解している「アッラー」というのは仏教が言う「真如」と同じだと発言したと述べている。その後は著書『大乗起信論』で、仏教、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教などありとあらゆる宗教が井筒の思考内で合流し、どの宗教も単独では歴史上実現できなかった宗教の夢のようなものを現出させて見せた。仏教は単なる宗教の一つではなく、諸宗教が宗教であることの限界を超えてメタ宗教を目指す過程で必ず仏教のような思想形態があらわれるというのが井筒の思想で、中沢にも強い影響を与える。 (引用終わり)

私は、悟りを知る前は、悟りとはオカルトの範疇でした。漫画家になりたかった私は、面白そうだなと思った本は、全部読んでいました。いろいろ読んでるうちに、「神人合一」「梵我一如」「真実の自己」「不滅の境地」「永遠の命」「意識の拡大」「自己の本質と真の神についての認識に到達する」などなど、何か一つのことをいろいろな表現で書かれていると思いました。




『科学で解くバガヴァッド・ギーター 古代インドの「神の歌」全訳 スワミ・ヴィラジェシュワラ大師 著 岡太直 訳 木村慧心 監修』

紀元前からずっとずーーーーーーーっと、何か一つのことが伝えられてきていると、この本を読んだとき思いました。
今思うと、意識の起源について書かれていたんだと分かりました。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます

 

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