私とは何か?と問うことに気付いている「私」とは何か?

私とは何か?意識の起源とは何か?悟りとは何か?般若心経とは何か?これらの問いの答えを考える。

認識について思ったこと

2020年06月23日 | 意識と悟りの構造

こんにちは、領です。

仏教の教えは、仏陀の説いたことのみであり、それが仏教の正理である。と、このような思考は、何だか違うと思いました。

縁起縁滅の法は、万物の方程式であって、この世の一切が縁起縁滅の法の解であってどんな思考も出来事もどんな人間も、包み込んでしまうイメージがします。

仏教の教えとして以下の方向性があります。
自己の解体による消滅:無我
自己の統一による消滅:普遍的自己
自己の維持     :個人的自己

全てに共通なのは、その状態を認識しているということです。
無我であることを認識している。
普遍的自己そのものとしての認識。
個人的自己の認識。

観ている自己が存在するという志向性は存在します。略して観自在。この観自在を実在として重宝してしまうのは顛倒夢想になります。
最上位の概念である観自在は、無次元の点に割り当てられていて時空に遍在する構造を持ちます。この世の存在は、無次元の点の組み合わせなので、この世は観自在から作られているという思考が存在します。観自在とは、普段私たちが使用する「私」のことです。「私」がこの世の存在全てに含まれるので、実在は「私」という思考が存在します。「私」が遍在するという構造により、宇宙と私自身が同じものだという思考が存在します。
感動するようなものではなく物理的な構造としてそうあるだけです。縁起縁滅の法=物理学で言うところの万物の方程式なので、万物の方程式により、「私」は唯一として存在し、時空に遍在する構造だと解明される日が来てほしいです。物理的構造として、私たちは、たった今、同一人物です。それが可能な構造です。

私が、全ての人が同一人物だと領解したとき思ったのは、犯罪史上最悪の事件のことです。加害者も被害者も自分だということです。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。


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