こんにちは、領です。
散歩しながら思索するとか、お風呂に入ってほっとした瞬間に閃くとか聞きますが、私は横になって、目をつぶって考えごとをするのが好きです。寝ようと布団に入ったあと、考えたことをメモするために何度も起きるときがあります。休日の朝は目が覚めた後、布団の中で考えごとをします。今朝、布団の中で考えていたことを書きます。
神という世界観を脱することは難しい。
真の自己という世界観を脱することは難しい。
意識という世界観の向こうとは、悟りという世界観の向こうのことです。
五蘊が仮和合して一つに集まって、そこに「観」が不生不滅不動不変である常(じょう)として不可分に存在します。
その「観」という物理構造を人は、意識と呼んでいる。
その「観」という物理構造を人は、仏性と呼んでいる。
五蘊が空(くう)に潜在し「観」のみの状態になることを人は、悟りと呼んでいる。
「観」は、最上位次元の情報なので、唯一として存在しながら現在過去未来、多世界を含め、全時空に遍在する構造です。
「観」は、全ての存在の「今」に不可分に「今」存在します。
全ての人は唯一の「観」を共有している構造です。
「観」を「意識」と呼べば、全ての人は唯一の意識を共有する同一人物となります。
悟りとは一つ二つと数えられるものではなく、唯一として存在する「観」のみの状態に至ることです。
全時空に遍在する唯一の我が独り存在するという世界観を人は、持つことができます。
意識と悟りは人に用意された特別の奇跡ではありません。
この宇宙を展開する数式の中に現われた構造に、人が存在するだけです。数式に従って悟りの地点は存在し、水でも人でもその存在の中心に「観」という物理作用を持つだけです。
雷が光り、遅れてゴロゴロゴロと音が聞こえます。光と音の差が10秒ぐらいあると「雷は遠いな」と安心します。でも、雷が光ると同時に地響きがしてガリガリガーンと音がすると、雷が近くに落ちたとわかり恐怖を感じます。
大昔の人は、雷の音を神のような存在の怒りというような神秘的な解釈をしたりします。現代では、「雷」「メカニズム」で検索すれば物理的構造を理解することができます。
人の意識や悟りも物理で理解することができます。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます
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