SAKURA ふるきよきうつくしきもの 

包む 結ぶ 遊ぶ いにしえに学ぶ

八角貝桶と六角貝桶

2011-03-11 00:00:00 | 








桃始めて咲く候となりました

桃の節句が過ぎてそろそろ鶯の初音が待たれます。今年は梅の花が少なくて来てくれるかどうか心配なことです。

画像は男蜻蛉(おとんぼ⇒右)女蜻蛉(めとんぼ⇒左)の結びで今回初めての登場です。
昨年は八角の貝桶に鱗結びをしました。http://purple.ap.teacup.com/applet/yaya/20100316/archive
5年前の結びは二羽蜻蛉結びで羽根は2枚でしたが今回は4枚です。同じ紐で結びましたので窮屈になりました。

六角の貝桶に鱗結びをするとどうも納まりが悪く、鱗結びは八角の貝桶に結ぶものだと2年前に実感したのですが(http://purple.ap.teacup.com/applet/yaya/20090320/archive
何故貝桶には八角のものと六角のものがあるのか分かりませんでした。

最近どうやらそのヒントが見つかりました。
八角の結びは貝覆の為の貝桶のようで美術館で見るのは大きめで胡粉や金などの装飾が豊かで贅を尽した雅なものです。これは姫君達の遊び道具だからでしょう。鱗結びには地貝を入れる右貝桶と出し貝を入れる左貝桶で結び方が違っているのも納得出来ます。結び方が簡単なのも実用的です。

六角の貝桶は嫁入り道具として飾り用や儀式用のものらしく、結び方が複雑で解いたら結び直すのが容易でありません。又必ず雄蝶雌蝶のように雌雄の結びが付いているのも婚礼の飾りとして納得できます。(房の前の叶結びの結び方が違います)

先々週、大河ドラマで茶々姫達が貝覆いをしているシーンがありました。貝覆は地貝を円形に置くようでTVでも円形に撒いてありました。
貝覆いの貝は数が相当あるのでその中から出貝とぴったり合う貝を探すのはたいへんでしょう。
貝には綺麗な絵や和歌など書いてありますから年令によってその面を出して出貝と同じ図柄や下句の貝を探したりして遊んだりもしたのではと思います。



角杉で五行鮑を結ぶ

2011-02-24 00:11:00 | 








霞始めてたなびく候となりました

寒くて暫く庭に出ないでいましたら椿が綺麗に咲いておりました。これからは三寒四温の予報ですがこうして春に移るのでしょう。待春の今頃は好きな季節です。

これは角杉と云う組方です。結んだのは五行鮑です。
四角に組めるので結びには適しませんがあえて結びましたので下の五行結が歪みました。もう少し堅く結ぶと形が締まると思います。

五行結びがないものが神社に下がっている荘厳の結びです。下を叶結びにしたものは御簾の飾りにも使われます。
この結びはあわじ結びが基本です。
亀結びや釈迦結、木爪結なども同じように紐を通しながら結んでいきます。

これに対し前回のけまん結びは輪を3つ作って引き結びます。総角も左右の重なった輪を左右に交互に引いて結びます。
こうした結び方は対面で結ぶ事が出来るので鎧などの武具にも結び易い結び方です。今なら相手のリボンを結ぶような感じで簡単に結んだことでしょう。花結びが生活に根差したものであったのが分かります。



網代 けまん結び

2011-02-14 00:07:00 | 







魚氷にあがる候となりました

二月の早さは逃げるなどと言いますがもう9日の『鶯啼く』候も過ぎて半ばを迎えます。
雪も降って月の風情も如月を感じるこの頃です。

今日の画像は組紐の網代と云う組方です。ようやく房もついて仕上がりましたのでけまんに結んでみました。

組紐も四組、八組、網代、角杉、と進み5本目の鴨川の完成も間近になりました。やっと基本の作業が分かってきた気がします。たいへん厳しい先生でおろおろしながらも3月に初等科が終わります。
自分で組んだ紐を結びに使いたいと思い始めましたので難しい事を望むわけでもありませんがもう少し続けてみようと思います。おいおい出来上がったものも載せたいと思っています。

組紐は縄文の土器や埴輪にも見られるようで奈良時代には唐組、高麗組の技術も渡来し正倉院に残されているように盛んになったようです。貴族の時代には装飾の飾り紐、武士の時代には武具の飾りや茶道にも欠かせないものになりました。明治になって廃刀令によって刀紐の需要が無くなってからも帯締めとしてその伝統が残りました。

単純な糸の移動で美しい模様が出るのは不思議で、この網代も色糸の掛け方で7、8種類もの模様が生まれそれぞれイメージが変わります。こんなところが組紐の魅力でしょうか~



丸ぐけで結んだ兜

2010-05-11 00:00:00 | 







みみず出づる候となりました

やっと風薫る清々しい頃となりました。
若葉の緑が眼を癒してくれています。

丸ぐけの帯締めで兜を結んでみました。祖母か母の昔の丸ぐけなので長さが足りず、組紐でもないので思うような兜の形になりませんでした。 下の突起のような部分はしころ(錏)なのでもう少し横に伸ばしたいとこでした。

丸ぐけは今では帯締ばかりですが昔は兜や笠の紐として使われていました。『車引』の梅王丸など荒事では太い丸ぐけを帯として結んでいますし他にも諸々紐としての使い方があったでしょう。

先代の高麗屋さんが亡くなった折り妻の正子さんが真っ白な喪服を着て人目を引きました。
さすが正子さんでもともと喪服は白でした。昔は嫁入りの折りの白無垢を夫との別れに喪服として着用し、自分の死装束にもしたそうです。
喪服が黒に変わったのは明治になってからで、この頃は帯締めも丸ぐけだったようですが今ではほとんど平紐になっています。その為か丸ぐけはなにかレトロな感じが漂います。

お知らせ
先月(4月10日)松岡調先生のご本を載せませたが、今回京都で以下のような展示会が開かれます。
会期中 立礼のお茶会、呈茶もありますのでお近くの方、ご興味のおありの方はお立ち寄り下さいませ。

■ 米寿記念
松岡 調作品とその世界
  詠草と表装の楽しみ in 京都・妙心寺大法院

5月26日(水)~5月30日(日)10時から17時まで(最終日16時終了)

詳しくは工藝サロン梓さん= http://www.azusa-kougei.jp/ のHPをご覧下さい。


麦稈真田編み

2009-08-23 00:15:00 | 







処暑となり 綿の花しべ開く候となりました

冷夏の夏でしたがこのところの残暑は厳しいです。お見舞い申し上げます。
お子様の居るご家庭では夏休みも残り一週間になり宿題の仕上げに忙しいことでしょう。

麦わらが手に入ったので念願の麦稈真田編をしてみました。

麦稈真田編はばっかんさなだあみと読みますが私は麦わら編みと思ってずっとそのまま放置していました。今回検索をして、それが産業として明治の頃には輸出の花形だったことを知りました。産業の資料としての本などは出てきましたが編み方としてはほとんどネット上には載っていなくて今回の掲載は珍しいものとなりそうです。(SAKURAはマイナーなので結構こうしたものが多いのですが…)

麦わらをこうした状態で編んだものをテープのように巻いてそれを帽子等に加工します。ずっと昔には手芸屋さんでも見かけた気がするのですが~

上の写真は左より三つ編み、四つ組、五つ平編、菱編み、六つ菱編、八つ菱編み です。
4月30日に平紐の結びとして薄紙の栞を作り、三つ編みの編み方を載せましたので参考になさって下さい。

菱編みは2本のわらを折って4本として編み、六つ菱編みはそれに2本(緑と紫)が加わります。八菱編みはもう2本加わっているのがお分かりと思います。
稈(わら)は太さが異なりますが幅を揃えた紙で菱編みを編むと綺麗な菱形の連続になり稈とは違った表情になります。真田紐で編んだらもっと趣の異なるものになるでしょう。

いづれ何か作品にしてみたいと思いますがとりあえず編み方の見本を載せておきます。