昨日母とのことを書くにあたり逡巡しましたが、コメントを頂いた皆様もご両親への思いを深められたようで嬉しく思いました。暖かいコメントを頂いて、少し追加したくなりました。
私は字を書くのが嫌いで、母への手紙は歌ばかりの散らし書きが多かったように思います。字は最小限度にしたいのです。母もやはり字は書かないたちで、私の手紙はずっと片便りでした。それが「うたみやげ」の後、平成三年頃からワープロ書きの平仮名ばかりの歌が届くようになりました。それまで結集していた思いを伝えたくてワープロを覚えたようです。それは可愛い孫娘ちゃんの指導があっての事と思われますが、70過ぎの手習いは偉かったと思います。
それ以後はお互いの往来となり、楽しい時が四年ほど続きましたが母は入院してしまいました。入院中も私は歌をベットの下に置いてきたりしました。言葉で言えないことが歌だと伝えられるのです。母もそのようでした。
母の最期の歌は亡くなる10日前で、九首を私が口述筆記しました。
最後の歌になるとは思ってもみない急逝でした。
歌は心を伝える術だと思います。ふるきよきうつくしき 日本の魂なのだと思います。
私は字を書くのが嫌いで、母への手紙は歌ばかりの散らし書きが多かったように思います。字は最小限度にしたいのです。母もやはり字は書かないたちで、私の手紙はずっと片便りでした。それが「うたみやげ」の後、平成三年頃からワープロ書きの平仮名ばかりの歌が届くようになりました。それまで結集していた思いを伝えたくてワープロを覚えたようです。それは可愛い孫娘ちゃんの指導があっての事と思われますが、70過ぎの手習いは偉かったと思います。
それ以後はお互いの往来となり、楽しい時が四年ほど続きましたが母は入院してしまいました。入院中も私は歌をベットの下に置いてきたりしました。言葉で言えないことが歌だと伝えられるのです。母もそのようでした。
母の最期の歌は亡くなる10日前で、九首を私が口述筆記しました。
最後の歌になるとは思ってもみない急逝でした。
歌は心を伝える術だと思います。ふるきよきうつくしき 日本の魂なのだと思います。