SAKURA ふるきよきうつくしきもの 

包む 結ぶ 遊ぶ いにしえに学ぶ

追悼

2007-12-29 00:35:03 | ままら~
激しい雨が降っています。朝まで降り続くのでしょうか。

新年用のお箸袋折っていて父のことを偲びました。
子供の頃、新年のお箸袋は父の手で家族全員の名前が書かれていたからです。お年玉はもちろん、新学期にはそれぞれの教科書にカバーをかけてくれ「国語」「算数」などと科目名と氏名を毛筆で記入してくれていました。毎年、五人の子の教科書ともなると相当数だったと思いますと、頭が下がります。
そうした教科書はおろそかには扱えず、今思うとこうした行いこそが教育なのだと思います。
明治生まれの厳格さはなく、どこまでも優しい父でした。

かるたや百人一首、羽根つき、初芝居など家族で賑やかに過ごしたよき時代のお正月でした。そうした子供時代を過ごせたことを有難いと思います。

「百までは元気」と言っていた父でしたが今年がその上寿の年でした。来年松も明けぬ間に父の4回目の命日が参ります。
父上母上、今年も兄妹、眷属一同仲良く健やかに過ごせましたよ。来年も見守ってくださいませ。

激しい雨音が胸をつきます。

布ヨーヨー

2007-08-18 00:05:30 | ままら~







濃霧昇降すの候となりました

日本はまるで亜熱帯の国になってしまってような暑さが続きます。40度を越す記録的な猛暑も今日はどうやら和らいでホッとします。

縁日の夜店でヨーヨーを釣った懐かしさから布のヨーヨーを作ってみました。
カラフルなゴム紐を付けて和風に仕上げました。これは姪や甥の子供たちにあげたいと思い中に鈴を入れて鳴るようにしてあります。(写真の布は子供のおばあチャンが三才のお祝に着た着物の端切れなども混じっています~~)

先日親族の全員集合があって30数名が集いました。ままら~と言うカテゴリーはこの親族達のことですがSAKURAの原点としてこのカテゴリーを残してあります。

私事なのですが、私の兄妹の男女の比率は1対4で、その子供達の代になると比率は9対5となり俄然男性軍が多くなりますが、二世代の合計は10対9です。父からは曾孫世代では1対7(現在のところ)で又兄同様黒一点に戻っています。次の五世代目はきっと男性が増えて、隔世で男女の比率は保たれるように思います。こんな小さな一家族にも人口の縮図が現われるものですね~

恒例の集いには毎年配偶者やら赤ちゃんの新メンバーが加わって賑やかになっています。
オオ叔母さんの手作りおもちゃ作りもまだまだ増えることでしょう。めでたし、めでたしです。



京土産

2006-07-19 16:09:22 | ままら~
祇園祭りに行っていた兄から香木のお土産が届きました。
名に高き錦の浦をきて見ればかずかぬあまは少なかりけり の 証歌の銘付きの沈水香でした。
さっそく焚いてみました。はじめはとっても甘いのに時間が経つほど伽羅らしくたってきました。ほんのちょっぴりしか焚きませんのに芳醇な香りがします。 伽羅たちの香りは炭団がなくなるまで変わりません。雨の日だからでしょうか~ 
何よりのお土産ありがとうございました。yellow1
是非お出かけ下さいませ。しみじみとした日が過ごせそうです。


四万六千日、遠い夏の日

2006-07-09 23:32:25 | ままら~




明日から浅草の四万六千日、ほうずき市です。この日お参りすると46000日参詣した効果があると言う便利な日です。実際130年近いですからそんなには生きられません。
夏の風物、つりしのぶが懐かしくて苔玉に針金を通して写真のつりしのぶを作ってみました。急に子供の頃の記憶がよみがえりました。ままら~さん達には頭の片隅にちょっぴり残してほしいルーツです。
私の育った家は町中なので2坪ほどの吹き抜けの中庭があり、そこから雨も雪も風も光も、家に居てお外に居るように感られました。中庭の軒にかけられたつりしのぶのその先は四角に切取ったお空で、行く雲の流れが見えました。風鈴の音と心地よい風にふかれてよく昼寝をしました。 連子窓の下の白粉花は夏の間中咲き続け、よく色水を作って遊びました。金魚売りが来ると金魚嫌いな母は奥へ逃げ込みました~ 風鈴売りもちゃらちゃら音を立てながら通りました。(物売りのお話もいつかしたいです、羅宇屋、定斎屋、もう分からない言葉でしょうね。)
夕方近く、打ち水をすると急に涼やかな風がたちましたっけ~ 夕飯後、浴衣がけ で父と一緒に夕涼み に出かけます。途中寄席の看板に幽霊の絵が掛かるので、そこは素早く駆け抜けます。縁日や虫の市も賑やかでした。虫屋さんがお客が選んだ虫を竹の筒に黒い布がついたような道具で捕まえて虫篭に入れてくれます。キリギリスだったり鈴虫だったり~ 町中なのに虫の音も身近でした。もまだ売っていました。帰りは「おかめ」で氷レモンを頂いて… 盆踊りも大好きで盆踊りのはしごをしたり、踊りの輪の中に役者さんを見つけて騒いだり…。 川開きには床が出ました。席に戻れなくなるほどの広さで頭上の花火の音に耳を塞ぎました。 とまらないほどの夏の思い出はなにもかにもが楽しくてのんどりとしたいい時代でした。



成駒屋のエピソード

2006-04-23 07:11:52 | ままら~
花冷えの頃は過ぎたはずなのにまだうすら寒い日が続きます。
今日は日曜日、書き込みもお休みが常がですがちょっと結びの堅めなお話が続いたので幕間といたします。item8item4
昨日TVの3チャンネルで「中村歌右衛門 の至芸」をチラリと見ました。
そこで「隅田川」のお話が出て、こんなお話を思い出しました。
海外公演で「隅田川」を上演の折、衣装さんが襦袢を忘れてしまったそうな。取り寄せるには間がなく困っていると成駒屋が白無垢の襦袢を用意させ、そこにサラサラと墨絵?で桜を散らしてその場を救ったとか。こんなエピソードありましたよね、ままら~さん?
私も隅田川は好きで賤機を随分気を入れてお稽古したものです。それも遠い昔になりましたが花を掬う頃には三味線の旋律と共に唄が頭をよぎります。
成駒屋さんのお命日は桜の咲いた月末でした。symbol3animal3 合掌