SAKURA ふるきよきうつくしきもの 

包む 結ぶ 遊ぶ いにしえに学ぶ

左官

2007-01-23 23:16:27 | 
東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ






こちらはまだ大寒の最中ですがコメントを下さるさくらさんから梅の画像が添付されてきました。南の国はもう春がそこまで来ているのですね。TVでも大宰府の「飛梅」がセンター試験の日に一輪だけほころんだニュースを見ました。春は日本の南端にまで来ていると思うとこの寒さも乗り越えられそうです。皆さん風邪など引かないようにしましょうね。さくらさん綺麗な画像ありがとうございました。

ところで先日左官屋さんが入りました。
こて絵やうだつの話をしていましたら職人さんが手を止めて「左官は唯一官を貰っている仕事」と誇らしげでした。 左官屋さんのさかん
長官(カミ)・次官(スケ)・判官(ジョウ)・主典(サカン)の官からきているようですよ。昔学校で覚えたでしょ、あの律令制の官位です。
左官屋さんは「左官は皆左から塗るから左官」と言っていましたが~
我が家の出入りの大工さんは何でもこなす便利な人ですが「左官屋だけは出来ない」そうで、技術的にも難しいプライドのある仕事のようです。
土蔵など何年もかけて厚くするそうで、耐火に優れているのもこの為です。「うだつが上がる」のうだつも土蔵同様資力がなくては出来ないもので、職人さんにとっても高度の技が必要らしいです。 
左官屋さんが官の字を許された職業だと分かったので、つい皆様にもお伝えしたくなりました。mail



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3 コメント

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Unknown (さくら)
2007-01-24 21:22:44
早速私の写真をアップして下さって有り難うございます。
左官屋さんは高度な技術を持つ唯一職人で官の字を許された職業だったのですね。
又一つお勉強させていただきました。
左官さんで思い浮かべることでは、九州では大分県に沢山の鏝絵がまだ残っている町があります。(安心院町)
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Unknown (風花)
2007-01-24 22:40:13
初めてこちらにお邪魔させていただいたのは、昨年の梅の咲くころだったように記憶しています。
大宰府天満宮の飛梅のニュース、私も見ていて「東風吹かば・・・」のお歌を思い出しておりました。
「一輪ほどのあたたかさ」になんとなく嬉しい気持ちになりました。
お写真の梅、とても美しいですね。
左官屋さんのお話、私も勉強させていただきました。
職人さんの技術というのは素晴らしいものですね。
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Unknown (yaya)
2007-01-25 08:07:30
安心院町、これでアジム町と読むのですね。さくらさん。鏝絵が見たくて検索してみましたら出てきました。
http://kazekobo.cool.ne.jp/kotee/bkote-ajimu-1.htm
まだ保存されている町があるのですね。今でははコンクリートを流しこめば厚みなど簡単でしょうが左官屋さんが10㎝もの壁を塗りこめるのは月日と費用がたいへんだったようです。それに装飾の鏝絵をするのはさらにたいへんだったでしょうね。
こんな鏝絵が残る町はきっと豊かな町だったのでしょう。いい情報をありがとうございました。

風花さん、ご無沙汰しました。初めてコメントを頂いた時は嬉しかったです。それまでは知り合いばかりでしたからSAKURAを見て下さってコメントを下さった第1号のように思います。それからずっと支えていただきどうやら一年たちました。これからもSAKURAをサポートして下さいませね。よろしくお願い致します。
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