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作曲家の加藤旭さんは、脳腫瘍で亡くなる16歳までに約500曲を作り、その実力はプロから「モーツァルト以上」と評された。類まれな彼の才能はいつ、どのようにして目覚めたのか――。
※本稿は、小倉孝保『十六歳のモーツァルト 天才作曲家・加藤旭が遺したもの』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
3歳になる頃にはピアノで遊びはじめる
赤ちゃんのころから加藤旭は音に敏感だった。遊びにも音の出るおもちゃを好んだ。穏やかな音が好きで、テレビ番組でも、「題名のない音楽会」(テレビ朝日系)などで穏やかな音楽が流れると、旭はいつの間にかそれに聴き入っていた。
旭は希に絵本を読んでもらうことも好んだ。2時間でも3時間でも飽きずに聞いている。希自身、絵本を読むのが嫌いではない。よく読んだのは『てぶくろ』という絵本だった。ウクライナの民話でエウゲーニー・M・ラチョフが絵を描いている。
車で彦根に帰省する際、希はこの絵本を読み続けたことがある。車内は暗く、絵は見えない。『てぶくろ』は繰り返しの多い絵本である。音のリズムが良い。旭は絵よりも、希の声を楽しんでいた。希はこう思った。
「延々と読んでいても、この子、全然飽きひんな。絵を見たり、ストーリーを追ったりするよりも、聴くこと自体が心地よいのかもしれへんわ」
自宅リビングにはカワイのアップライトピアノがあった。音に興味を持った旭は3歳になるかならないころから、ピアノで遊びはじめる。希がピアノの前に座ってひざに抱くと、旭は飽きることなく鍵盤をたたいた。希のひざに座るとようやく鍵盤に手が届いた。少し大きくなると旭は、「開けて、開けて」とおねだりした。
希がピアノのふたを開けてやると、彼はピアノの前に立って頭の上に手を上げ、見えないにもかかわらず鍵盤をたたいて遊んだ。その後、ベビーチェアに座って鍵盤に手が届くようになると、一人遊びを始める。
「ピアノを習わせたらどうやろ?」
ピアノを知った旭は赤ん坊が普通、喜ぶような玩具には関心を示さなくなった。何よりもピアノが好きだった。曲を弾くわけではない。強くたたくと強い音が出て、弱く弾くと小さな音が出る。それが楽しいようで、強弱を確認しながら鍵盤をたたき続けている。
ピアノの構造にも興味を持ち、調律師がやって来てピアノの裏を開けると、旭は真剣にその内部をのぞき込んだ。彦根の祖父母宅でも、応接間の古いピアノで遊んでいる。希の母は、孫のそんな姿を見ながらこう言った。
「ピアノを習わせたらどうやろ?」
03年の初めである。旭は3歳。希はまだ早いと思った。子どものころは、おおらかに育てたいと考え、逡巡する希に母はこう言った。
「旭はピアノが好きやで。こんなに好きなんやから、習わせてあげた方がええんと違うかな」
希が「ピアノ、習ってみる?」と聞くと、旭は素直に、「うん」とうなずいた。
知人に紹介してもらったのが、小田原市の小田急線栢山《かやま》駅に近いピアノ教室だった。教えるのは小西とも子である。旭は3歳7カ月で小西からピアノを習いはじめる。旭が初めて教室に顔をみせたとき、小西はこんな印象を持った。
「目がくりくりして可愛い子だな。ちょっと人見知りでシャイなところがあるのかな。それにしても人の話をよく聞く子だ」
テキストの曲をどんどんこなしていく
旭は同じ年齢の子に比べて落ち着いていた。ぐずったり、注意力が散漫になったりすることはなかった。いつも小西の話を真剣に聞いている。大きな目をしながら、一言も聞き漏らさないという意志を感じさせるほどじっと話に聞き入った。
小西は教えはじめてすぐ、旭の飲み込みの良さ、習得する能力の高さに驚かされる。とにかくよく家で練習してくる。一つ教えると、それを自分のものにするスピードが他の子よりもずいぶん速い。どんどんテキストは終わっていく。だから旭を教える過程で小西自身、勉強することになる。新しいテキストに入るときは教える側も勉強しなければならない。小西は追い立てられるように、新しいテキストに入っていった。
彼女が子どもたちにピアノを教えはじめたのは、自身が音楽大学に入学した1980年である。ピアノ教室を開いている企業の営業担当者から、「幼稚園でピアノを教えてもらえないか」と依頼されたのが最初だった。これをきっかけに小田原の幼稚園でピアノを教えるようになり、その後自宅で教室を開く。多いときは約60人の生徒を抱え、これまでに教えた子どもは500人を超えている。
旭の才能に気づいた“ある瞬間”
教え子はそれぞれ特徴がありどの子も違った印象を残しているが、中でも旭の印象は強烈だった。とにかく一生懸命学ぼうとしているのが伝わってくる。新しいことを教えると、彼はすぐにそれを吸収した。小さな植物が水や栄養分を摂取するのに似ていた。小西自身、旭を教えるのにやりがいを感じた。性格的にも合ったのだろう。2人の師弟関係は続くことになる。
旭は簡単な曲なら楽譜通りにピアノを弾けるようになり、1年ほどすると楽譜をアレンジして弾くようになっていく。「ここはシャープを付けた方がいいと思うんだ」と言いながら、曲を変えて弾く。有名な曲は楽譜通りに弾くのだが、練習用の曲の場合、しばしばアレンジする。これが作曲への萌芽となる。
旭は五線譜に音符を書くようにもなっている。最初は曲というよりも、音符を使って絵を描いているようなものだった。クレヨンを持って、5本の線を引き、そこに適当に音符を置いていく。そのため希は、旭が作曲をしているとは考えていない。子どもがよくやるお絵かきを、たまたま五線譜や音符を使ってやっていると思っていた。
そして、04年3月26日の昼、希が旭の五線譜ノートをぱらぱらとめくっているときだった。希ははっと、何かに気付かされたような感覚にとらわれた。
「この子、意識して作曲しているのかも」
実際に弾いてみたら…
旭は4歳5カ月。希は「まさか」と思う一方、ひょっとしたらという気持ちもあり、ゆっくりと音符を読んだ。曲には「あめあめふったふった」というタイトルが付いていた。すでに旭はひらがなの読み書きができた。それまで希は旭の音符をピアノで弾いてみようと思ったことはなかった。お絵かきしているだけと思っていたので、弾くことはできないと考えていた。でも、この「あめあめふったふった」は音符の並びが整っていた。希は弾いてみようと思った。すると、旭が言った。
「ファはシャープにしてね」
旭の希望通り「ファ」を半音上げて弾くと、ト長調の曲になった。
──タタタタ・タンタン、タタタタ・タンタン、ターン
雨が降ってきたのを楽しんでいる感じが伝わる曲だった。短くも、可愛いメロディになっている。
「旭が弾いてほしかったのは、今お母さんが弾いたこの曲?」
旭はにこりとしながらうなずいた。希は確信した。
「この子はわかって書いているんや。絵じゃなくて音楽なんや。この子の中に音楽が流れている」
希は旭のノートをめくってみた。2日前に作った曲も整っていた。タイトルは「おかあさんがだいすきおとうさんもだいすき」。恐らく旭が意識して作ったのはこの曲が最初である。
クレヨンで絵を描くように音符を重ねられる
「あめあめふったふった」を作ったのと同じ日、旭は「おうちであそぼう」という曲も作っている。以降、2日後の3月28日に「しゃぼんだまふいた」、翌29日に「ふわふわしゃぼんだま」。翌月になると、「サーカス」「ふしぎなもうふ」「たびをする」「ちょうちょがとんでる」。旭は次々と曲を作っていく。
曲はときにゆったりと流れ、ときにテンポを速めた。暗く寂しい感じの曲も、とびきり明るい曲もあった。身の回りに起こる変化をその都度、音符に変えていった。子どもたちが目に飛び込む景色を、思いのままクレヨンで白紙に描いていくのと同じように、旭は頭に浮かんだことを音符にして書き連ねた。頭の中に流れる音がそのまま旭の右腕から右手に伝わり、五線譜の上で形になっていく。
旭の作曲はこのとき、本格的に始まっている。雨の音、鳥の声、人の会話。とにかく音を聴くと、それが曲になって頭を巡るようだった。
19世紀に活躍した英国の詩人、ジョージ・バイロンも言っている。
「草のそよぎにも、小川のせせらぎにも、耳を傾ければそこに音楽がある」
他の教え子とは違った才能
旭は耳に飛び込む音を五線譜に書き、形にしていった。複数の音が一度に頭に浮かび、それを譜面化することもある。消しゴムは使わず、猛スピードで五線譜に音符を載せていく。頭の中で流れる音楽に手が追いつかず、ある曲を書いている間に、次の曲が浮かぶこともあった。
小倉孝保『十六歳のモーツァルト 天才作曲家・加藤旭が遺したもの』(KADOKAWA)
その場合、旭は最初に書いていた曲をあきらめて次の曲を書いた。次々と浮かんでくる曲を追いかけ、捕まえては音符にしていく。取り逃がしたら最後。その曲はもう帰ってこない。
小西も当時、旭の書いた楽譜を見たことがあった。白い紙に音符が並び、曲になっていた。印象に残っているのは、曲に題名がついていることだった。旭は四小節くらいの短い曲を、理論的なことを知らず、ただ素直に書いていた。
子どものころから音符を並べる子はいるが、タイトルまで付けて、自分の思いやイメージを音符に載せることはない。旭の場合、最初に自分の中でイメージを膨らませ、それを表現するために音符を並べていた。
旭はこのころ、「音が色に変換される」とも言っている。救急車のサイレンはオレンジで、怒っていない希の声はやわらかい黄緑色である。希が絵本を読むのを聴きながら、旭の頭の中は黄緑色に染まっていたのだ。(敬称略)
小倉 孝保毎日新聞論説委員
下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です
時代は日進月歩の勢いで進み、貧富の差が拡大する格差社会へ。急激な社会の変化は、一方でそれに適応できず、ストレスを抱え込む人たちを生み出す。近年増えてきている「依存症」の中でも、特に目立つのは「性依存症」だという。そこで、『やめられない人々 性依存症者、最後の「駆け込み寺」リポート』(現代書林刊)の著者であり、医療法人榎本クリニック理事長である榎本稔氏に、その実態について聞いた。
私は東京都内にある6カ所でメンタルクリニックを運営しています。池袋本院を中心に、6つのクリニックヘ毎日、約900人の患者さんが通ってきます。
その約900人のうち、4人に1人は「依存症」の患者さんです。依存症にはさまざまなタイプがありますが、いちばんよく知られているのは「アルコール依存症」でしょう。かつては「慢性アルコール中毒」、略して「アル中」と呼ばれていました。
また、高度経済成長期に急増したものに「ギャンブル依存症」があります。競馬、競輪、ボートレース、パチンコなどに過度にのめり込むのがギャンブル依存症です。
「性依存症」は現代病
ここ10年あまり、目立って増えてきたのが数々の依存症のなかでも「性依存症」。具体的には、「痴漢」「盗撮」「のぞき」「露出」「下着泥棒」「風俗通い」「強姦」などの性衝動行為を操り返し行うもので、その中でもいちばん多いのが「痴漢」です。
当記事は「週刊女性PRIME」(運営:主婦と生活社)の提供記事です
性依存症の場合、行為の対象となる相手(多くの場合、女性)がいるため、犯罪になります。しかし、被害者に対する罪悪感は少なく、自分の興奮や快感だけを求める加害者が多いことが特徴です。
この性依存症は、現代という時代を背景にした現代病です。むしろほかの依存症より、その色合いが濃いといえ、中でも年を追って増えているのが若い人たちの罹患(りかん)。日々、彼らと接するうちに見えてきた時代背景を、いくつか紹介したいと思います。
豊かな社会
豊かな社会になった今、心の病が増えています。一見、矛盾するようですが、飽食の時代になり、糖尿病が増えて飢える心配がなくなった現代社会に、摂食障害のように食べたものを吐いてしまう人がいます。豊かさが、逆にこうした心の貧しさや心の病気・現代病を生んでいるのではないかと、私はつくづく考えてしまいます。
ゆるくなった社会規範
社会規範がゆるくなり、価値観が多様化しています。これに対応するように、社会生活の基本である自由と規律についてきちんと教わっていない人が多くなり、このためセルフコントロール、つまり自分を抑えるという教育がおろそかになっています。
情報化社会
今は、ポルノ映像などの“性情報”があふれています。自分の部屋でそれらを見入っていれば、刺激を受けないわけがありません。頭の中に情報が詰め込まれたまま外に出て、対象となる人物に対し、衝動的に痴漢や盗撮をしてしまうのです。
「性依存」は「働き盛りの会社員」に多い傾向
性欲は人間誰しも持っており、15〜16歳の思春期の少年はとくに性的好奇心が強く、性欲も強いものです。しかし彼らが一様に性依存症になるわけでも、まして性犯罪者になるわけでもありません。
どんな人たちが性依存者になるのかを、当院の受診者のデータから検証してみると、30〜40代の男性がおよそ70パーセントを占めました。つまり壮年期、働き盛りの世代に性依存患者が多いのです。
次に、彼らの職業はというと半数が「会社員」。さらに学歴を見てみると、4年制大学卒がほぼ半数を占め、大学院卒を合わせると54パーセントにもなっています。
しかし、幼いころの環境やふとしたきっかけで性依存の症状に苦しめられてきている患者さんもいます。そこで、私のもとに実際に相談へ来た「性依存症」患者・Bさん(34歳)の話を紹介します。
Bさんは未成年時に、医療少年院と少年刑務所へ入所し、成人してからは各地の刑務所に服役し、計8回の実刑判決を受けました。それでもやめられなかったのが「ハイヒール盗み」です。
Bさんは女性のハイヒールに異常な執着を示す男性でした。単なる盗みではなく、駅の階段などで前を歩く女性に対し、いきなりハイヒールを奪い取るのです。あまりにも異常な行為と思われるでしょうが、性依存症の典型的症例ともいえます。
性依存症の実態
来院したのは2016年2月。服役を繰り返した末、困り果てた父親が法務官に相談したところ当院をすすめられたそうです。Bさんは小太りの体形で猫背、メガネをかけ、ニヤニヤとうすら笑いを浮かべており、異様な印象を受けました。
3人兄弟の次男として都内に生まれ、小学2年生のときから学校になじめず、いじめを受けていました。小学校入学以前に母親のハイヒールに特別な関心を持つようになり、性的な欲求を感じるようになったのは小学校3年生。初めてハイヒールを盗んだのは、中学2年生のときだったといいます。
写真はイメージです(写真:週刊女性PRIME)
Bさんの場合、女性が身に付けた特定のものに執着するフェティシズムの典型的症例でした。ハイヒールを履いた女性を見ると追いかけて行き、左足に履いているハイヒールの踵(かかと)をつかんで盗ってしまうというやり方です。
当然、被害女性は驚き、叫んで逃げてしまいます。「どうしてそんなことをするのか」とこちらが聞くと、答えは「自分でもわからない」。盗みがうまくいくと「スリルと快感、達成感を得られるが、罪悪感を持つことはない」と話しました。
女性関係については、「セックスはしたいと思うけど、女性と話すことが怖くて、童貞」だと言うのです。
彼は「性依存症」だけでなく、他人の感情への無関心や社会的規範を無視し、相手を性の対象としてしか見ない人格障害である「反社会的パーソナリティー障害」でもあります。本人と父親に性依存症という心の病気であることを説明し、当院の治療プログラムに参加してもらいました。
当院では、初診時に患者さんごとの「リスクアセスメント」(危険度評価)を行いますが、危険度の高低にかかわらず“最低3年間”の治療を基本としています。とくに最初の半年間は、集中的にクリニックへ通ってもらうようにします。
というのも、患者さんたちは、逮捕されたり出所して間もない時期のため、精神的に追い詰められ孤立してしまうからです。そのような状態から脱するには、同じ心の病を抱えた“仲間”が必要なのです。
プログラムの内容としては、自分自身を振り返る「自分史」をはじめ、「性依存と治療」や「性依存と家族」を学び、性依存症について書かれた本や被害者の手記などを読み、内容について考えるミーティング、認知行動療法について学びます。
「治療」の難しさ
Bさんは駅の階段でハイヒールを盗むことが多かったため、電車で通院させることは危険だと判断し、クリニックの近所にある寮に入ってもらいました。従順に治療を受けていたのですが、約半年後、女性にしつこくつきまとって身体に触れ、再び逮捕・勾留されてしまいました。
『やめられない人々 性依存症者、最後の「駆け込み寺」リポート』(現代書林)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
それを知った私は、性依存症治療の難しさを改めて実感させられたものです。治療中も「ハイヒールを盗むファンタジーがずっと消えない」と話していたBさんの心に潜む闇は、医師の想像を超えるものなのかもしれません。
心の病は目に見えません。内臓疾患のように病巣を除去すれば治るというものでもありません。根気強く治療する以外に道はないのです。私が60年にわたって経験し、積み重ねてきたものが、その治療の根幹になっています。
性依存をはじめとする「依存症」について、ご理解いただけたでしょうか。
患者さんの治療・支援のため新しいシステムをつくり、日々取り組んでいる私たちの活動をあわせて知っていただければ、うれしい限りです。
<著者プロフィール>
榎本稔◎1935年生まれ。医療法人榎本クリニック理事長。医学博士。
これらのデータから、性依存者の平均像として「高学歴で、働き盛りの会社員」という素顔が見えてきます。
その年代となれば、おそらく会社では中間管理職として勤務しているケースが多いはず。上司から命令されるプレッシャー、そして部下を指導するプレッシャーなどを受け、それらがストレスとなり、性依存の引き金になってしまうケースも多いのです。
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婚約延期から3年余り。その間、小室圭さんは2度にわたり文書を公表、眞子さまも「お気持ち」を表明されたものの、世間の理解は得られずじまい。もはや“離脱婚”しかなさそうな気配だが、大いに懸念されるのは、将来を担われる悠仁さまへの悪影響に他ならない。
***
独善に陥った青年が著した文書は、巷で火に油を注いだ。慌てて「解決金」なる消火剤を持ち出したものの、早くも焼け石に水となりつつある。
もっとも、小室さんが常人の思考回路から逸脱した言動を繰り出すのは毎度のことである。今回、世間が驚き落胆したのは、一連のトラブルに内親王というお立場の眞子さまが大きく関与されていたという事実だ。解決が遠のけば、皇嗣家のご活動にも一層の支障が生じかねず、それは9月に15歳となられる悠仁さまとて、無関係ではない。
あらためて宮内庁担当記者が言う。
「文書が公表された翌日の4月9日、皇嗣職を束ねる皇嗣職大夫が“話し合いもせずに解決金を渡すことはしない”という小室さん側の基本方針について、眞子さまのご意向が大きかったと明かしました。また文書について“いろいろな経緯があったことを理解して下さる方がいらっしゃればありがたい”という、眞子さまご自身の談話も紹介された。皇族のお立場で民間人のトラブルに深く関わり、かつ一方の側に与(くみ)して相手方と向き合われていた実態が明るみに出てしまったのです」
従来、皇室はいかなる時にも国民に寄り添い、思いを共有なさることで敬愛の念を抱かれてきた。それは皇室の長たる天皇陛下が、
〈国民の中に入っていく皇室を目指したい〉
とのご意思を、浩宮であられた昭和時代より繰り返し口にされてきたことからも明らかである。ところが眞子さまは、いまだ“婚約内定者”でしかない小室さんのため、彼の恩人でもある男性への攻撃にコミットなさってしまった。まさしく前代未聞の“不祥事”であるが、その帰する所は、やはり近代皇室において例のないフィナーレになりつつあるという。
「お二人の気持ちはもはや止められず、いかに小室文書への批判が高まろうとも、“結婚ありき”の流れは変わりそうにありません」
さる宮内庁関係者は、そう前置きしながら、
「我々の本音は“これ以上、両陛下や上皇ご夫妻をはじめ皇室がダメージを受けないよう、トラブルは早く片付けたい”というもの。それは、中身はさておき長官や皇嗣職大夫が、小室さんの文書に一定の評価を与えたことからも明白です」
換言すれば宮内庁は、トラブルに巻き込まれるどころか積極的に介入なさって“当事者”となられた眞子さまに、ご結婚による皇籍離脱を促しているわけだ。
「将来のリスク」を減らすには
“離脱婚”も現実味を帯びて(他の写真を見る)
もっとも、秋篠宮家の事情を知る関係者によれば、
「昨年11月のお誕生日会見で秋篠宮殿下は“二人の結婚を認める”としながらも“結婚と婚約とは別”と、はっきり口にされました。このお考えは今も一貫しておられ、令和の両陛下をお支えする皇嗣家の長として、殿下には『皇族としての娘の結婚』を認めるお気持ちは全くありません」
小室さんは今回、文書公表のわずか4日後に解決金を支払うと言い出したのだが、
「殿下は落胆されて“もう彼に求めても仕方がない”と、諦めに近い思いを抱かれたと聞き及びました。多くの人が納得する状況には至っておらず、納采の儀をはじめ皇族としての儀式を執り行うわけにはいかない。また、そのハードルを下げる必要もありません。でなければ、今度は殿下が世の批判を浴びることにもなりかねないのです」(同)
となれば眞子さまには、まず皇籍を離脱されて民間人となり、しかるのちに小室さんと添い遂げるといった道しか残されていないのではないか。
「こうした形での女性皇族のご結婚は、少なくとも明治以降では初めてのケースとなります。眞子さまはいわば“追い出される”格好となり、皇室や宮内庁からすればむろん本意ではない。それでも、この問題を抱え続ければ皇室に対する国民感情は大いに毀損されます。その影響は計り知れませんが、事実上の追放による“離脱婚”であっても1億4千万円もの一時金は支払われますから、小室さん側としても大きな目的は達成できるわけです」(前出・宮内庁関係者)
将来を覆いつつあるリスクは、すみやかに“損切り”せざるを得ないというのだ。宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司氏も、
「皇室は公平でなければなりません。その点で現在の眞子内親王殿下のお振る舞いは、皇族として望ましいお姿ではありません。一方で、小室家に嫁ごうとされているお方ですから、この問題については当事者という意識も強くお持ちなのでしょう。皇族としてのお立場と、私的な当事者としてのお立場を比べた場合、公よりも私が勝(まさ)ってしまうのは仕方ないのかもしれません」
としながら、こう続ける。
「皇室と国民とは、信頼関係で結びついています。現在の眞子内親王殿下のお振る舞いはそれを崩しかねませんが、その影響を将来にわたってできるだけ少なくすることを考える時期に来ています」
立皇嗣の礼 当日、お住まいを出発される秋篠宮ご夫妻を見送る悠仁さま(2020年11月8日)(他の写真を見る)
宮邸で紀子妃に…
何より懸念されるのは、将来のお世継ぎである悠仁さまへの影響である。
今春、中学3年生に進級された悠仁さまは、
「4月8日から学校が始まり、元気に登校されています。春休み中はもっぱら、学校の課題をこなしつつ宮邸の畑で農作業に精を出されていました。悠仁さまは一年を通じて作物栽培を続けられ、これまでもトマトやナス、キャベツやダイコンなどを育て、皇嗣職の職員におすそ分けなさっています」(前出記者)
現在通学中のお茶の水女子大附属中は高校から女子校となるため、悠仁さまは来年から別の高校に進まれることになる。
「かねて紀子妃殿下は、悠仁さまを東大に進ませたいとご希望されており、そのため進学先はお茶の水と提携制度のある筑波大附属高だと見られていました。一方で農業への関心が高い悠仁さまは、一昨年の秋には殿下とご一緒に東京・世田谷にある農大一高の文化祭を訪ねられている。殿下も、将来はその方面に進んでほしいとお考えです」(前出・ご一家の事情を知る関係者)
健やかなご成長ぶりが窺えるが、この間、決して平穏な生活が続いたわけではない。というのも、
「悠仁さまが小学校5年生の時、小室家の金銭トラブルが発覚しました。以来、お住まいは“非常事態”に突入し、小室さんや母親の佳代さんが説明のため慌ただしく出入りすることもあったのです」(同)
時には秋篠宮さまと紀子さまが、解決策への方針を巡って激しい言い合いをなさる場面もあったといい、
「眞子さまはご両親と会話を交わされなくなり、ご家庭内は険悪なムードに。姉宮に寄り添って結婚を応援する談話を公表された佳子さまが、バッシングを受けたこともありました。多感なお年頃だった悠仁さまは、小室問題に端を発した“不和”の数々を目の当たりにされてきたのです」(同)
こうした情景の刷り込みは「帝王教育」において望ましいはずがなく、何より今秋は将来の進路を決める重大な時期。その最中、眞子さまの問題がなお重い影を落としているのだとしたら、由々しき事態である。
「悠仁さまのお振る舞いには最近、気になるところがありまして……」
そう明かすのは、先の宮内庁関係者。これまで紀子さまとご一緒のお出ましで、悠仁さまが突然お一人で歩き出され、紀子さまが慌てられる場面があったことから“第2次反抗期か”などと報じられてきたのだが、
「最近も、宮邸で紀子さまが職員らと話をされていた際、ちょっとした言い間違いをなさったのですが、それを横でお聞きになっていた悠仁さまが、強い言葉で紀子さまを面罵なさったのです。周囲に人がいたこともあり、紀子さまは悠仁さまのお振る舞いをたしなめることもままなりませんでした」
あるいは、成長期の御身に過重なストレスがのしかかっているのだろうか。精神科医(ラカン派精神分析)の片田珠美氏は、
「一般的に緊張感の漂う家庭で育った方は、成人後、精神的に不安定になりやすい傾向があります。悠仁さまがそうした環境で思春期を過ごされるのだとすれば、情緒不安定になられるおそれも否定できません」
そう指摘した上で、
「悠仁さまからすれば、これまでご自身に笑顔で接してこられた紀子さまと眞子さまの仲がとげとげしくなるのをご覧になり“女性はここまで険悪になるのか”と、将来的に結婚や恋愛に不安を感じられる可能性はあります。それは“家庭を持った時、妻と娘、あるいは妻と母との関係はこうなるかもしれない”という不安です。従って、ご結婚相手を選ばれる際、過度に消極的になられてしまうおそれも十分あります」
皇室ジャーナリストの神田秀一氏が言う。
「問題が浮き彫りになった以上、未来の天皇陛下となられる悠仁さまに、小室さんが何らかの影響を与える立場となるのはよろしくありません。今回は宮内庁をはじめ、皇室全体の意識の甘さが露呈してしまいました。“天皇陛下や皇室はどうあるべきか”というテーマをしっかり考え、未来のお世継ぎをお育てしていかなければなりません」
その時期を逸すれば、取り返しのつかない事態となるに相違ない。
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「おなかが張って苦しい」「おならが多いうえ、においが気になる」など、おなかのガスの悩みはつきない。忘年会などで食べたり飲んだりする機会が増える季節。いつもにも増して症状が気になるという人もいるのではないか。専門家にガスが増える原因と対処法について聞いた。
腸内にたまるガスのもとは大きく2つある。口から飲み込んだ空気と腸内で発生するガスだ。東邦大学医療センター大森病院総合診療科(東京・大田)の瓜田純久教授は「最も多いのは飲み込んだ空気に含まれる窒素ガスで、全体の半分強。残りは腸内細菌が作る水素ガスや二酸化炭素、メタンガスなど」と話す。
空気は、食べたり飲んだりする時に入る。早食いの人やストレスで奥歯を噛みしめる人は、飲み込む量が増えやすい。ゲップはそんな空気を外に出す手段なので、胃から腸に移動させないためにも我慢しない方がいい。
「スローカロリー」に注目 糖質摂取、ゆっくり上手に
リバウンド防ぎたい! 減量後の体重キープ期間が大切
食べ過ぎ注意
一方、腸内で発生するガスは腸内細菌が作り出す。小腸で吸収されない食物繊維などは大腸に移動して腸内細菌のエサになり、細菌が分解する過程でガスが出る。
「男性でガスが増加する一番の原因は食べ過ぎ。女性では野菜の取り過ぎが目立つ」と瓜田教授。消化吸収できない分は腸内細菌のエサになる。健康のためにと食べた野菜が腸内ガスという副産物を生む。
ガスがたまるとおなかがパンパンに張ったり、おならが増えたりしてつらい。早食いしないなど行動改善のほか、食事内容を考えるのも大事だ。
最近注目されているのが、ガスや腹痛、下痢などの原因になる特定の糖質を控える「低FODMAP(フォドマップ)食」だ。FODMAPという言葉は「発酵性のオリゴ糖」「二糖類」「単糖類」「ポリオール類」という糖質の種類を表す。
例えば発酵性のオリゴ糖を含む小麦やタマネギ、豆類、二糖類の乳糖が多い牛乳やヨーグルトなどを控えるというもので、オーストラリアのモナッシュ大学等が提唱した食事法だ。
発酵食品や食物繊維、オリゴ糖などは腸に良い食品の代表格。それでも「人によっては良い面ばかりではない」と話すのは、この食事法をいち早く取り入れた江田クリニック(栃木県栃木市)の江田証院長。これらの糖質は小腸で吸収されにくく、小腸内で糖質の濃度が上がると、薄めようと水分が小腸内に引き込まれる。するとおなかがゴロゴロしたり、痛みや下痢が起こったりする。
さらに糖質が大腸まで運ばれると腸内細菌のエサになり、多量の水素ガスが発生して、おなかの張りやおならが増える。「症状の強さは、個人の腸内細菌の種類や腸の伸びやすさなどの体質で決まる」と江田院長。
1品ずつ見極め
ガスが気になる人は「まずは3週間、これらの糖質が多い食品を控えると症状が改善される可能性が高い」(江田院長)。その後は食品を1品ずつ試し、どれを取ると症状が出るか見極める。自分に合わない食品がわかれば、それだけを避ける。「過敏性腸症候群の患者が対象の試験では、7割の人がこの食事法で症状が大きく改善したと国際的な医学論文で報告されている」(江田院長)
ガスの発生を抑えるには一定の絶食時間も重要。「少量でも頻繁に食べていると腸内に食物が残り、細菌が分解しようと働く」と瓜田教授。特に夜は睡眠も含め、8時間程度の絶食時間を確保しよう。腸内が空になると、おなかがグーと鳴る大蠕動(ぜんどう)が起き、大掃除されるからだ。
ところで、ガス自体は体にとって必ずしも悪者ではない。「ガスがよく出る人の方が心筋梗塞や脳梗塞の発症が少ないという報告もあるくらい。腸内で発生した水素ガスが、体に害のある活性酸素を消去してくれるのではないかと考えられる」(瓜田教授)
ただし、臭いガスには要注意。食物繊維由来のガスは水素ガスなどが大半で臭いはないが、高たんぱくで高脂肪な物を多く取ると、分解されてアンモニアやインドール、スカトールといった有害物質が作られる。強烈な臭いは腸内環境が悪化している証拠だ。
気をつけてもガスがたまることはある。苦しい時はゴロゴロ寝転ぶのが良い(図参照)。「ガスは軽いので肛門まで下りにくい。ゴロゴロして腸を動かすとガスが出やすくなる」と瓜田教授。人前に出る前などに試すといいかもしれない。
◇ ◇
腸内細菌増殖、呼気から分かる
小腸は栄養素を吸収する場所で、本来、細菌はさほど多くない。ところが、ここに細菌が異常に増えて多量のガスが発生し、おなかの張りや腹痛などの症状がひどくなることがある。「小腸細菌異常増殖症(SIBO=シーボ)」だ。
「糖尿病や過敏性腸症候群の人に多い。呼気試験で水素ガスの量を調べると診断がつく」と瓜田教授。体内で水素ガスを出すのは腸内細菌だけなので、呼気中に多ければ腸内細菌が増殖しているとわかる。治療では抗生物質が効くが保険は適用外。「モズクに含まれるフコイダンという成分にも改善効果があるが、最も重要なのは規則正しい食生活」と瓜田教授。
(ライター 佐田 節子)